4,原石の変色
懐中電灯を片手に、廊下をひたすら走る。
目指すは警備室。
今自分はどうしようもないくらいに焦っていた。
なぜなら、番が回ってきたので庭へ交代にいったのだが、どこを探しても前の見張り役の姿がなかったからだ。こんな事、屋敷に勤めてからこの一ヶ月、起きたことがなかった。
しかも東側の一階窓に、誰かが侵入した形跡があったのだ。外されていた窓ガラスを見つけた瞬間、しばらく固まってしまうくらい驚いた。──慌てすぎて、警備室の扉を思いきりあけてしまう。
「あ、あ、あ、あの!! 大変です!」
声は裏返り、手は汗で湿っていた。心臓がまるで、連打をしている小太鼓のように高鳴るのを感じながら、精一杯叫んだ。しかし。
「馬鹿! うるさいだろ」
警備室には、自分とそれ程年齢が違わないくらいの若い青年が、一人で待機していた。面識のない人だ。しかしこの屋敷には、何十人ものガードマンが存在している。
まだ一ヶ月しか勤務経験のない自分は、全員の顔と名前が半分も覚えられずにいた。
「すみません!! しかしあの、ままま、窓が」
「窓? それがどうかしたのか」
「ですから窓が! 東側の窓ガラスが、外されていたんですよ」
「何!?」
「早く来てください」
「お前、何で無線を使わないんだよ」
しまった、と思った時にはもう遅い。一気に血の気が引く。
「俺は無線で全員に報告して、すぐにそこへ向かう。お前は先に、奥様と指揮官長に報告してくるんだ」
「で、でも自分は」
「お前それでもガードマンか! ビビるんじゃない。大丈夫だ、お前ならできる!」
「は、はい!」
一度敬礼してから警備室を出ると、彼はまた走り出した。
* * *
ラティスは勢いよく、廊下に通じる扉を開いた。
「よーし、二つの原石はいただいたぁ! 逃げるぜ〜!!」
その自信満々な声は、きっと一階フロアまで届いたに違いない。
「えっ! 何で叫ぶわけ!?」
「あはは、だって盗んでいく事を報告しなきゃ」
「見つかっちゃうじゃん! 何で窓から出なかったの!?」
「え、いやそれは無理っしょ。ここ三階だもん。それに俺の体重52キロだから、君を抱えて格好良くジャンプするのも無理そうだし。みたところ、君の体重は──」
直後、ルージュは彼の足を思い切り踏みつける。
「私の体重は、あなたが思うほど重くありません。安易にものを言わないでね?」
「は、はい……。じゃ、逃げましょう」
ラティスは踏まれた足を押さえ、痛そうにうずくまる。
「私、これでも一応警察官の娘ですから。あんまりなめないで?」
「りょ、了解ですマドモアゼル……」
ここで二人のコントが終わりに近づいた時、先刻の声を聞きつけたらしいガードマン達が廊下の両端に姿を現した。この部屋の位置は、両側から見て調度真ん中だ。
「どうするの!?」
「大丈夫だ、付いてこい!」
ガードマンの少ない左側へ、青い絨毯の上をためらいもなく走り出す。
向かう先からは静止の叫びが聞こえ、銃口が自分達に向けられているのが見えた。
しかしラティスは、そんなことお構いなしで突っ込んでいく。
まずは向かってきた一人をさらりとよけ、すれ違いざまにその肩を軽く押す。ガードマンはバランスを崩し、勢い余って地面に倒れる。走りながら、ルージュは思わずそれを目で追う。すると突然、ラティスの怒鳴る声が聞こえた。
「よそ見するな!」
はっとして前を向く。眼前には、白目をむいた男の顔。心臓が飛び出るほど驚いて、悲鳴をあげたが、なんとかそれをかわす事が出来た。
そして再び走り出す。前方では、調度ラティスがガードマンに足をかけて、転ばせているところだった。これでもう三人目。
後ろを向いている暇は無いと認識して、再び彼の背中を追う。前方にいる敵はあと一人だが──刹那、ラティスに向けられていたその銃口から、乾いた音と赤い火花が見えた。
ルージュは驚いて、思わずしゃがみ込む。
すると、なんと前を走る少年がふっと視界から消えた。呆気に取られた顔のガードマンと一瞬、目が合う。
だが次の瞬間彼の目には、「靴の裏」が一杯に映ったことだろう。天井から降ってきたラティスは、敵の顔目掛けて思い切り着地したのだった。
「どうした? 座ってたら置いてくぞ?」
こちらに振り向いた彼の顔には、あろうことに万年の笑みが浮かんでいた。その目には、狂気の色すら窺える。
(これが、盗賊……)
全身に鳥肌が立った。自分に向かって狙撃された直後に、うれしそうに笑う人間が普通いるだろうか。思わず、目を疑ってしまった。
そして新たに生まれた戸惑いと、何とも言えない緊張感の中で、ルージュは少年の中に獣の姿を垣間みたような気がしたのだった。
決して力任せではなく、まるで水がさらさらと流れるような、洗練された身のこなし。
一体どうやったら、あんな俊敏な動きが出来る体になるのだろうか。無駄が一切無かった。知性の高い、狂った獣。しばらく鳥肌は、おさまってくれそうになかった。
それから階段を一気に下り、ガードマンを何人かなぎ倒しながら一階までたどり着く。
人の気配が無い事を確認すると、ルージュの案内で普段は使われていない客人用の部屋に入った。鍵を閉めて電気をつける。そこでようやく、彼が安堵の表情を見せた。
「ふー、ちょっと休憩な! まあ軽い運動にはなったか。この先もついてこれそうですか、警察官の娘さん?」
「も、もちろん!」
本当はとっくに息切れしている。それはラティスも十分気付いているだろう。だからこそ、こうして休憩してくれた違いない。
「まあ俺は、屋敷の規模のわりにガードマンが少ないのが、ちょっと物足りないけど……」
肩をすくめながら、おどけてみせる。それがおかしくて、ルージュは自然に笑っていた。
「あなたって、変な人ね。なんていうか…」
「あ! ルージュ!!」
「えっ」
突然両肩をつかまれた。まさか怒らせたのだろうかと一瞬焦ったが、どうもそうではないらしい。その目は、じっと自分の目を見つめてくる。
「何? ちょっと…放してよ」
恥ずかしくなって、身をよじる。だが、がっしりと肩に乗せられた手は放れてくれそうにもなかった。彼はまるで何かに取り付かれたかのように、一心不乱にルージュの目を見つめる。 そこで何となく、その行動の意味に気がついてきた。
「あ、もしかして、色が…?」
痛いくらいの視線を逸らしながら、苦笑いをした。さっきからの騒動で、感情が高ぶってしまったらしい。しかし成長とともに、この変色はある程度コントロール出来るようになっていたから、知らない間に色が変わってしまったのは久しぶりだった。
いくら彼でも、さすがに驚いたのだろう。この色に。まさかこんなに早く変色を見られてしまうなんて、全くの予想外だった。そしてその予想は、彼の言葉でさらにことごとく壊されしまう。
「金色だぁ、凄え! 綺麗だ……」
「え? ……何が?」
淡く金色に光る瞳。
誰もが「化け物」と、そう呼んだ。だが確かに今、彼女は聞いたのだ。彼の口から、「称賛の言葉」を。
「なあ、金色だよ! ルージュの目は金色になるんだな!?」
「そうだけど…何」
「誰だよ気持ち悪いなんていう奴は。こんなに綺麗なのに!」
「ラティス……あなた私の眼を、綺麗って言ってるの」
視界が歪み、彼の顔がぼやけだす。声も震え、息がうまく吸えなくなる。金の瞳から、透明な雫がこぼれていく。
「おい、何泣いてんだよ!? え、もしかして俺ぇ!? 俺が泣かせたわけ!?」
彼は慌てて肩から手を放す。そして困ったように辺りをきょろきょろして、しかし何も出来そうにないと判断すると、今度は頭を下げてきた。
「何か気にさわった? だったら申し訳ない。本当にごめん!」
「違うよ…そうじゃない。別に、あなたが私に対して、何か傷付けるようなこと言ったわけじゃなくてね」
泣きながら笑ってみせた。他人の前で泣いたのも、一体何年ぶりになるだろうか。ラティスは相変わらず困ったような、何ともいえない神妙な顔つきだった。
「全然、違うから…」
「そうなの? じゃあ、俺何も悪いことしてないよな」
「うん、そうだよ。悪くない。……ありがとう」
「う〜ん…? どうにも、女の子ってのは理解しがたいもんなぁ」
頭を掻きながら首をひねる。それが滑稽で、ルージュはまた笑う。涙を流しながら。
しかし、安息というものは唐突に破られるものだ。
『だれかこの部屋にいるのか!?』
遠慮なく扉をノックする音。段々それは激しくなる。
「げっ、やべぇ」
「うそ! どうする、窓から逃げる?」
「…いや、無理だな」
彼の視線を目で追うと、その先の窓の外が明るく光っていた。間違いなく懐中電灯の明かりだ。つまり、
「はは。見つかっちまった」
慌てて涙を拭き、それから抗議の声をあげた。なんてお気楽なセリフだろう。
「笑ってる場合じゃないでしょ〜!」
「まぁ任せとけ」
まもなく廊下側の扉はぶち抜かれ、窓も見事に割られる。
約二十人のガードマンが二人を取り囲んだ。そしてルージュが唖然とする中、ラティスは後ろ手に縄で拘束され、この屋敷の広間へ連れて行かれたのだった。