11,君をかばう時
銃口からは、白い煙があがっていた。
まっすぐに伸ばした手の先。握られていたその銃は、ラティス・ベリトのものであった。
縛られていたはずの彼は、いつの間にかそれをほどいていたようだ。
それから間もなくして、まるで木の枝から落ちる枯葉のように、ノルズの手から拳銃が落下した。彼の手からはどろどろと血が溢れ、エリザの頭や顔へ流れていく。
誰もがラティスに驚愕していた。エリザの頭部に銃弾が打ち込まれようとしている瞬間、それよりも速く正確に、ノルズの手だけを打ち抜くなんて。なんて正確な射撃の腕を持っているのだろうか。ルージュは一瞬、今自分がどこにいるのか忘れてしまうくらい驚いた。
「あのさぁ、いい加減にしろよ」
そしてようやく、今まで傍観者と化していたラティスが口を開いた。
「エリザお前、なに格好つけてんの? そうやって自分だけ捕まって、俺達だけここから逃がそうとして。馬鹿じゃねえの」
半ば唖然としながらも、エリザは怒った口調で返事をした。
「ラティス、何言ってるんだ。あたしはノルズと話をつけに……」
「だから、なんでお前が話をつける必要があるんだ」
「だってこれは、あたしの問題だ」
「ふざけんな! 何でエリザだけの問題になるんだ。これはお前だけの問題じゃないだろ。今日はルージュがノルズと話をつけにきたんだ」
「でも、ルージュを助けるためには、あたしが捕まるのが一番良いんだよ」
どこかあきらめたような口調。
彼女は、最初からこうするつもりだったのだ。自分だけが捕まり、ルージュ達三人には金庫の金だけ持たせて逃がす。
二色眼である自分が捕まれば、ノルズはルージュに興味が無くなるだろうと考えていたに違いない。
「でも、駄目だったじゃない……今、ラティスが助けてくれなかったら、エリザさん死んでたじゃない!! そしたらもう全部、意味が無くなっちゃってた」
「ルージュ……。そうだね、確かにあんた達の言う通りかもしれない。ごめん、ちょっと一人で先走りすぎたみたいだ」
言いながら、エリザは未だに自分を捕らえているノルズを突き飛ばすと、素早くそこから離れた。
「悪いねノルズ。そういうわけで気が変わったんだ。反撃させてもらうよ」
「エリザ、お前」
「何でそんなに怖い顔すんのさ。だから今謝ったじゃないか。また裏切るようで悪いけど、あたしもう少しこっちで稼がせてもらうね」
アイオンとルージュのすぐ側にいる警官達にも、一気にざわめきが生まれる。
今しかない、そう思った。
「エリザさん、私一人で決着をつけさせてください」
ルージュはざわめきに消されないように、しっかりとした声で言った。同時に、ノルズの方へ走り出す。
「ルージュ、何をするつもりだ」
隣にいたアイオンが、手を伸ばしてひき止めようとしたのがわかった。
エリザとラティスも、自分を呼び止めているのがわかった。
けれど、自分で蒔いた種だ。エリザの取引に応じたのも自分だし、ダリアに入ろうと思ったのも自分だ。
だから。
ノルズの側まで来ると、ルージュは言った。
「私を連れ戻したいのなら、殺すつもりで来てください。エリザさんを殺そうとしたみたいに」
* * *
走り去っていくルージュと、その後を追うノルズ。
それから間もなく、警官達が一斉に残った三人を捕まえようと襲い掛かってきた。
「おい、ラティス。お前行け!」
警官達を倒しながら、アイオンはラティスのいる方向に向かって叫んだ。
「だって五十人はいるぞ。お前、腕怪我してんじゃん」
「あたしがいるのを忘れたかい。いいからルージュのところに行け、本当にあの子が殺されちまうよ」
いつの間にか、ラティスの真後ろにはエリザがいた。
「あたしが行くと、またややこしい事になりそうだし」
少し心配だったが、この二人ならば──。そう信じて、ラティスはルージュとノルズが消えた扉に向かって走り出した。
非常階段に繋がるドアを開けると、先には暗闇が待っていた。
非常灯の明かりだけが、はるか階下で緑色に光る。先に入って行った二人はもう一階まで下ってしまったのか、何も音がしない。
だが、走り出そうとしたその時。銃声が何十にも反響して聞こえてきた。同時に、階段を駆け下りる二つの足音。
先刻の一瞬の静けさは、どうやら嘘だったようだ。もしかして、銃声など聞きたくないという自分の無意識の願望が、勝手に耳を塞いでいたのかもしれない。
幼いころから何の抵抗も無く使ってきた銃の音に、体が拒否反応を示したというのなら、それはきっとルージュの存在があるからだろう。彼女を傷つけるものは、例えそれが自分の好きなものであったとしても許すことが出来ない。今は、そのことで頭がいっぱいになりかけていた。
* * *
時間が全く進んでいないような気がした。
階段を下っている時、後方から発砲されても全く恐怖を感じなかった。ただ、わからないけれど大丈夫な気がしていた。
この自信はどこから来るのだろう。それとも怖すぎて理性を失っているのか。そこで虚ろな思考が、少しだけ閃きをくれた。
もしかして、ラティスはいつもこんな気分で仕事をしているのかも。
大変な状況に陥っているはずなのに、なぜか今ひとつ深刻な気分になれなかった。やがて一階の廊下に出て、開いていた窓に身をくぐらせた。
裏庭に出て、辺りに人が誰もいない事を確認すると、ルージュは初めて後ろを向いた。
すでにそこには、ノルズが立っていた。
「ルージュ、私のところに……もう戻ってくる気は無いのか」
「あなたはそればっかりね。人に頼らないと生きていけないの? お義母さまを妻に迎えたのも、誰か側にいてほしかったからでしょ。法に反することまでして……私を連れ戻して、また人形のように使って、それで何が楽しいわけ」
ノルズはまるで、聞き分けの無い子どものようだと思った。もうきっと何を言っても無駄なのだろう。
「でも聴いて、お義父さま。あなたに拾ってもらって、育ててもらって、それは感謝してる。でもこれ以上屋敷や警察署で、私が今よりもっと生きる価値を見つけられるとは思わないの。だからダリアで生きていくことにしたい」
彼は無言で歩み寄って来て、生気の感じられない瞳で自分を見た。
何が言いたいのか、わからなかった。呆けたようにじっとルージュを見つめてくる。
彼の血だらけの手をそっと取り、意識を集中させる。目が少し熱くなってくるのを感じながら、ノルズと視線を合わせた。
だが流れ込んできたのは、思いもよらない感情だった。
≪死にたい≫
はっとして見ると、片方の手に持っていた拳銃は彼自身の頭に突きつけられている。
「何してるの」
小さく、早口でルージュは呟いた。だが引き金にはしっかりと人差し指がかかっている。
「手に入らないのなら、こんな世界で生きていく意味は無い」
「そんな、お義父さま!」
ノルズは、ルージュを突き飛ばした。
芝生に尻餅をつきながら、ルージュの目の前であっという間に時間は進んだ。
不意に、ノルズの銃を持った腕が、下へ捻りこまれつつ全く反対の方向に向けられたのだ。銃口の先には、ラティスがいた。そこで発砲音が聞こえた。
鮮やかな赤い血が、彼の腹部から見えた。それから彼が、どさりと芝生に転がった。
わからなかった。何が起きているのか理解できなかった。
絶叫している自分に驚いて、今までの自信が綺麗に無くなっているのに気が付いた。一気に引き戻された、現実。
「どうしてあんなことしたの」
駆け寄って抱き起こした彼は、へらへらと笑った。
「一応お前の親父だろ。死んだら悲しむだろ、お前」
腹部から大量に血を流しながら、それでも笑う狂犬。
「ラティス、あなたが死んだって私は悲しいでしょ。何て勝手な人なの!?」
「あ、そう? でも俺は死なないから大丈夫だよ」
「その自信はどこから来るわけ」
これ以上どうすることも出来ないので、ルージュは泣きそうになるのをこらえて彼を抱きしめた。
すぐ近くにノルズがいたが、もはや何かしようとする気配は無かった。
やっと見つけたダリアという希望。だから彼が死んでしまわないように。
どんどん冷たくなっていく彼の体温を感じながら、やがてルージュも気を失っていった。
次に意識を取り戻したのは、ベッドの上だった。
部屋の雰囲気から、ここが病室だということがすぐにわかった。
「大丈夫? ここは病院だから、安心して」
「アイオン君」
ベッドの側で椅子に腰掛けていたのは、腕に包帯を巻いたアイオンだった。
「ねえ、ラティスはどこ」
「……案内しよう。起きられるかい」
少しふらふらするのをこらえて、彼の後を追った。
そして案内されたその先の部屋には──