第二話~ティルナの悪夢~
「だる…」
昨日の夜は気を失ったままで何があったのかまったく分からなかった。
いつの間にか、ベッドで寝ていて。
だるそうに私は立ち上がる。
時計の針は既に12時を指していた。
カーテンを開けると薄暗い部屋がパッと明るくなった。
「眩しい…」
昨日のことがまるで夢のように思えてくる。
まさか、あそこで、地獄の魔王が現れるなんて。
着替えて、ドアを開けると、優が壁にもたれて私を待っていた。
「何…?」
私は、久しぶりの会話に違和感を感じて、少し小さな声で呟いた。
「…黒神。あ、お前の父さんが呼んでる」
「え…?あ、あぁ。うん」
この会話で終わってしまった。
しばらく沈黙が続き、私は重い口を開ける。
「――…心配…してくれたの」
そう言うと、優は、頭を掻いて照れくさそうに後ろを向いた。
「別に」
そういって、優は立ち去っていった。
私もその背中を追っかける。
「ふふ…」
私は、小さく微笑んだ。
「何だよ」
2人の足音とともに、私は呟いた。
「ありがとう」
「…」
優は、歩くスピードを上げて、歩いていく。
正直じゃないんだから。
昔から、優は素直じゃなかった。
でも、私にだけ心を開いてくれていたのは分かっていた。
優が、私を大切な存在にしていてくれていることが、嬉しくて、いつも少しだけ幸せになれた。
私も優がとても大切な存在になっていた。
「…失礼します」
お父様の部屋に入ると、お父様は横たわっていた。
私は、唾を飲み込み、お父様のベッドへ向かった。
お父様は、そっと起き上がった。
「お父様…どうしたんですか」
「うん。昨日、深手を負ってしまってね。で、仕事を依頼したいんだが…」
「仕事…ですか?」
「そうだ。黒神の初めての仕事だな。姫華」
「…はい」
お父様は優しく微笑んで、私の頭を撫でた。
「南のティルナ国という場所があるんだ」
すると、お父様は引き出しから地図を取り出し、指を差した。
「ここが我等が住むデスグリーム国。これを上に行くと…小さな国だがティルナと書いてある」
死神が一体となって住むデスグリームは世界で一番巨大な国だ。
その上には10分の一ぐらいの小さな国があった。
「この国が、どうしたんですか?」
「この国に、悪霊が集まっているという報告があった。だから、浄化してもらいたいんだ」
「私一人で…ですか?」
「もちろん。優くんも」
優の方を振り返ると、優は無表情で窓を見ていた。
「分かりました」
「それから、もう一つ、気をつけてもらいたいことがある」
「…?」
私は首を傾げた。
「大量発生している場所には、閻魔も現れやすい」
「!?」
「本当はこんな仕事…させたくはないのだが、長期戦になるだろうし…赤神は他の仕事があるし、青神も長期戦には向いていないし…黄神は…」
「…まだ、出てこないんですか」
優は呆れたような口ぶりでいった。
黄神と聞いて、私は少し眉を下げた。
「玲奈ちゃん…」
黄神玲奈ちゃん。
私の元…いや、今でも親友だと願いたい。
今では、部屋で引きこもり状態になっている子がいた。
あの日から…
「だから、お願いするよ。黒神。白神。絶対に気をつけて」
「分かりました!」
私は勢い良く乗り出した。
優を見ると、優は頷いた。
ここから、新しい黒神の仕事に一歩踏み出す。
少しでも、この世に居る悪霊を浄化するために。
人間がいなくなった今、人類全てが幽霊となったわけだから、恨みを持った人たちのほとんどが悪霊になった今。
恨みを持ったまま死んだ魂は、黒い力を持ち、悪霊としてさ迷う。
その悪霊を少しでも減らすために…。
私は拳を作り、握り締めた。
天候はまさに、悪霊浄化日和。
綺麗な空が続いている。
空に浮かび上がっている私達は、急速にティルナ国へ向かう。
「閻魔に先越されたら、とんでもないな」
優が、あまりにも似合わない言葉を言ったために、私は驚く。
「…。ま、まあ。そうだね。閻魔たちったら、悪霊を罰して、さらに恨みを持たせちゃうんだもの」
閻魔たちの元々の仕事は、悪いことをした悪霊を罰すること。
閻魔たちは、悪霊は罰することで反省させるべきという反論を持っている。
そんなことをしても、反省というより、恨みを深めるだけだというのに…
着いた先は荒れ果てた町だった。
ティルナ国。
古い洋風の建物が並ぶその町並みは、暗い雰囲気を纏っていた。
「ここが…ティルナ国。まさに、幽霊が出そうな雰囲気ね」
私は嘆息した。
「どこも廃墟みたいだな」
優は周辺を見渡して呟いた。
だけど、私は一瞬聞こえた。
少女の泣いている声が。
私は駆け出した。
「姫華っ!?」
私は町の奥にある大きな屋敷に踏み出した。
「誰か居るのー!?」
聞こえる。
すすり泣く声が。
私は片っ端に部屋のドアを開けていく。
「姫華っ誰かいたのか?」
優は私の腕を掴んだ。
「泣いてるの…女の子が、泣いてる」
「え…?」
優は目を閉じて、耳を澄ました。
すると、優は指差す。
「そこの部屋だ」
私達は目を合わせて頷き合い、ドアを開けた。
「ぅ…っ…ひっく…」
予想通りだ。
女の子が部屋の隅で蹲って泣いていた。
「…何でここにいるの?」
私は、腰を下げて呟いた。
その子は顔を上げた。
綺麗なエメラルドグリーンの瞳。
その目は涙で潤んでいた。
「お兄ちゃんが…お兄ちゃんが…」
「落ち着いて…」
私は懐にあった、飴玉を取り出す。
「はい。あげる」
女の子は、パァッと目を輝かせて、包みを取った。
「ありがとう!お姉さん」
私は優しく微笑んだ。
「何でお前飴玉なんて持ってんだよ…」
優は呆れたように鼻で笑った。
「私が落ち着くためよ」
私は視線を尖らせて優に呟いた。
「で、お前は何で泣いていたんだ」
優は、女の子に視線を向けて呟いた。
「お兄ちゃんがね、お兄ちゃんがどっかに行っちゃった」
「どこかに行った…?」
私と優は顔を見合わせる。
「えっと、何があったのかな?」
「お父さんが、私達を叩いてばっかりで、お母さんは死んじゃって、お兄ちゃんはお父さんを殺しちゃった…。それで、車がぶーんって来て…」
「車がぶーん?」
私は首を傾げた。
「事故じゃねえのか」
「あぁ!」
「それでね…いつの間にか、体が透明になってて…誰に話しかけても答えてくれなくて…お兄ちゃんは、黒い煙を出してどっかに行っちゃった」
「黒い煙…って邪気のことかな?」
私は優に囁く。
「だろうな」
「お兄ちゃんと会いたい!!会わせて!!お姉さん、お兄さん!」
私達は微笑んで頷いた。
「あなたの名前は?」
「来山 菜月…」
「お兄ちゃんの名前は?」
「秀だよ?」
「ありがとう。あなたはここで待っていてね」
「嫌だっっ!私も行く!」
「…良いんじゃないか。別に」
優は、面倒くさそうに言った。
私は菜月ちゃんの手を握って、屋敷を出た。
「で、どこに行けば良いんだろう?」
「邪気の集まったところに行けば良いだろ」
そういって、優は指差す。
黒い雰囲気が漂ったところが、森の奥深くにあった。
私達は空中へ浮かび、森へ向かった。
「どよってしてる~…」
私は口をふさいだ。
「大量の悪霊がいるな」
すると、菜月ちゃんは指差した。
「あそこに、お兄ちゃんがいる!」
「ホント!?」
私達は、すぐに、指差すほうへ向かった。
菜月ちゃんの感は命中。
そこには多数の悪霊がいた。
私は、菜月ちゃんを優にまかせて、そこへ飛んでいった。
「おいっ」
「私は死神よ!あなたたち、何でこんなところにいるの?」
私は、鋭い視線を向ける。
「し、死神だと…?―…うるせぇ!小娘が!」
悪霊は、私に突っかかってこようとする。
私はすぐに、悪霊の首の付け根を手で指す。
「何を…」
「それ以上、抵抗するなら、攻撃も止む終えないわね」
「や、やめろ…」
「何で、ここに、あなたたちが大量にいるのかしら?」
「…こ、ここに、俺達と同じ気を強く持っている奴がいるからさ」
「黒い場所に黒い奴が集まるってことね…」
「なんなんだよ…お前ら」
私は、額を指差す。
「赤の神よ!我、黒神に力を!放つは炎命!」
一点集中に冴えている炎を放つと、それは呆気なく跳ね返されてしまう。
すると、後ろから肩を掴まれた。
「馬鹿」
ポコッと優に頭を叩かれて、私は頭を抑える。
「何で、浄化できないの!?」
私は、優の手を振り払って叫んだ。
しかし、その声は届かなく、悪霊は一人でぶつぶつと何かを言っている。
「ふ…ふふふ…秀様は、何て強いんだ…俺にもこんな力が…」
その悪霊は、意味深な笑みを浮かべて、拳を作る。
「今…なんて言った?」
私は、目を見開いて呟いた。
「秀様は、強いんだ!!お前ら死神よりもな!」
「お兄ちゃんがいるの!?」
菜月ちゃんは、優の手から離れて目を輝かせて叫んだ。
「菜月、危ないから下がってろ」
菜月ちゃんは呆気なく優に引き寄せられてしまう。
「膜作ってろ」
優は、私を横目で見て、呟いた。
私は、頷いて、菜月ちゃんとともに、バリアを作った。
「何だ…?お前も、死神かよ」
悪霊は、上目で優を見る。
「…雑魚が。出しゃばるな。秀様とやらはどこだ?」
「知るかよっ」
優は手を前に突き出し、光をためて、悪霊に放つ。
「ぐ…ぐぉぉぉお…」
悪霊は見る間もなく溶けて行く。
私は咄嗟に菜月ちゃんの目を手でふさぐ。
浄化も終わり、菜月ちゃんから手を離す。
「おじさん、どこ行ったの」
「平和な国に飛んでった」
そう。浄化された悪霊たちは、ヘヴンと呼ばれる町に飛ばされていく。
ヘヴンは、死神たちが住むデスグリーム城の城下町というべきか。
私達の目の届く場所にあるヘヴンという町。
そこには浄化された人を迎い入れる優しい人々が住んでいる。
都心といえるほど、にぎやかな町だ。
「へー…」
菜月ちゃんは、あの人も幸せになれるんだね。と微笑んだ。
「暗くなってきちゃったね…」
もう既に、森の中は日が沈み始めていた。
「今日は、あそこで野宿したほうが良いだろう。迂闊に動くと危険だ」
優は、小屋を指差した。
「じゃあ、浮かべば良いじゃない。早く浄化しなきゃ」
「馬鹿か。上から見て、森の中が見えるわけないだろうが。森の探索は歩くのが一番だ」
偉そうに呟く優に、私は頬を膨らませる。
「分かりましたよっ」
私は苛立たしく怒鳴ると、菜月ちゃんが私の服を掴んだ。
「怒らないでっ。喧嘩は嫌い・・・!」
そっか。
この子は虐待に会ってたんだよね…。
私は、菜月ちゃんの頭を撫でて、膝立ちする。
「ごめんね。お姉さんとお兄さんはねー、仲良しだから大丈夫だよ」
「なっ…何言ってんだよ」
優は、珍しく慌てる。
「そうでしょ?」
私は優の目を覗き込む。
「知るかよ…」
「うん!分かった!私も仲良しっ?」
菜月ちゃんは可愛らしく私の足に抱きついた。
「もちろんよ。友達」
「菜月のことは、お前にまかせたよ。俺は子供は苦手だ」
優はそういって、小屋に向かう。
「優も、子供だったのに…ふっ」
私は軽く笑う。
小屋に入ると、優はすぐにバリアを作る。
「これで一晩は大丈夫だろ」
「うん。で、食料は?」
優は呆れたように嘆息する。
「調達してないのかよ…さすが姫華だ。役立たず」
「しょ、しょうがないじゃん!言ってよ~」
「まあ、用意してあるから大丈夫だよ」
そういって、優は机の上を指差し、目を閉じた。
すると、ボッと煙が立ち、ジュースとスパゲッティが現れる。
「すごぉい…」
「一応、俺は黒神の補佐役だったんだよ…。こんぐらい当然だ」
「へへへ~どうも~」
私は、ジュースを飲む。
菜月ちゃんも大きな口を上げて、スパゲッティを口に含んだ。
「おいしぃっ!お兄さん、ありがとぉ」
優は、黙々と食べる。
「本当、泊まるところは不満ばっかりだけど、料理に関しては文句なしだねっ」
「さすがに、家を作るまでは無理だ。我慢しろ。仕事ではつき物だよ。こーゆーの」
「分かってる…」
すっかり食べ終わった菜月ちゃんは、私の膝に倒れこんで寝てしまった。
「寝る?」
私は優に尋ねた。
「そうだな。菜月も寝ちゃってるし」
優はそういって、寝転び、窓側を向いて眠ってしまった。
私も、菜月ちゃんの頭をそっと降ろして、寝転んだ。
上を向くと、小さな穴がいくつもあって、微かに夜空が見えた。
「キレー…」
いつの間にか、私は眠りについていた。
――聞こえる。
『姫華――っ!』
――誰の声?
『綺麗な花を見つけたんだ』
――花…?
『ペチュニアって言うんだ』
――…。
『姫華の目の色みたい』
――あなたは…
『お父さんが死んじゃった』
『姫華…将来、僕の…』
バッ
私は勢いよく起き上がる。
頭が痛い…
まだ外は暗い。
夜中…
「変な夢…見ちゃった」
あの声は誰だったんだろう?
まだ、奥で残ってる声。
私は、起き上がり窓を覗いた。
夢なはずなのに、なぜか現実感がある。
あの声――なぜか懐かしい。
でも、覚えていない。
断片として思い上がるのは、声だけだった。
ペチュニアって何だろう?
花の名前みたいだったけれど…
「姫華」
後ろから声がして、私はバッと振り返る。
「優…」
優は、私の頭を撫でて呟いた。
「眠れないのか?」
「うん。さっき、変な夢見ちゃって」
「変な夢?」
私は、再び夢の内容を思い出す。
「暗い森の中で…男の子が私の隣にいるの」
「男の子?」
断片的に思い出される映像をつなげていく。
「群青色の目。黒い髪。笑顔が可愛くて…不思議な子……ぅっ…」
それ以上の特徴を思い出そうとすると、頭が痛み出す。
「大丈夫かよ?」
「うん…で、その男の子…綺麗な花を持って、姫華の目の色と似てるねって言うんだ」
「へー…お前の目の色ねぇ…」
優はジメジメと私の目を覗き込む。
「その花は綺麗な紫色だった。何故か癒されて、すごく落ち着いた」
私は目を逸らしながらも呟く。
「でもね…ある日その子は…」
その先を言おうとすると、何故か口が止まってしまった。
「――…忘れちゃった…」
さっきまで賢明に残っていた映像が、頭の中で見つからなくなった。
「何だよ…お前の初恋なんかに興味ねーよ…」
優は呆れたように言った。
「そ、そんなんじゃないもん!でもね…それを深く考えようとすると、頭が痛くなるの」
「忘れる程、脆い思い出だったんじゃないの。頭痛いのは知らないけど」
私は一瞬考えて、呟く。
「そうなのかな…。すごく大事な事だったような気がするんだけど…」
忘れてはいけない、私の記憶の一部だったはずなのに――
しばらく沈黙が続き、私達は隣に並んで星空を見上げる。
「明日から厳しい戦いになるだろう」
優は険しい顔で呟いた。
「…え?」
「あの悪霊と戦って分かっただろう。一匹だけでも、手こずってたら、明日十何匹来るかもしれない。いや、何百匹来るかも知れない」
「分かってる…」
私は、顔が沈み込む。
「だからさ…」
優は私の方を向いて、眉を顰める。
「…ん?」
「死ぬなよ」
優は、小さく呟いた。
その一言は、私にとって大きく心を動かした。
優は、私に死なないで欲しい、って思ってくれているんだ。
「うん…!優も死んだら殺すからね」
私は優の胸に指を挿して上目に優を見る。
「ふっ…死んだら殺せねーよ…馬鹿」
優は優しく笑った。
優が、いなくなったら、どうなるんだろう?
きっと、この世界が変わって、暗くなるんだろうな。
私は、涙が出そうになる。
これ以上、大切な人が傷つくのは嫌だ。
私は、涙が見られないように、手で顔を覆う。
すると、優は、私の手を強引に掴んだ。
「見ないで…」
「何で、泣くんだよ…俺は、大丈夫だって」
優は、私に顔を近づけて私の額に優の額をぶつける。
「イタッ…何するのよ!」
私は眉を上げる。
だけど、優は真剣な眼差しでこちらを見る。
「お前は、俺が守るから、安心しろ」
「白神に守られるって…複雑」
私は、少し笑う。
「やっと笑ったな」
そう言って、優は私の頭をクシャクシャした。
私は優の胸に顔を埋める。
「きっと大丈夫。初めての仕事で失敗だなんてお父様に合わせる顔がないわ」
「そうだな。」