その4 魔法工房
翌日、夜の食事作りの仕事が終わり、自由な勉強時間になったときに、マリオンはキリルに言われたとおり、塔の最上階にいた。
塔の一番上の部屋は、普段使用されていない。扉はなく開放的でだだっ広い。
窓は大きいものがたくさんあって、鎧戸は閉じられている。
この塔自体、いくつかの明かり取りのステンドグラスを除いて、硝子がはまっていないものばかりだが、雨が降っても吹き込まないように魔法がかけられていて、嵐にでもならない限り木製の鎧戸が閉められることはない。多分、閉めたのはキリルだろう。
休み時間にはのんびりとここで昼寝をしたりお茶をする者もいるが、今は夜の勉強時間ということになっているので、誰もいなかった。そして、部屋の入り口には、マリオンが一瞬ためらうほど強力なキリルの人払いの結界が張られている。
今夜は誰もここにあがろうとは思わないだろう。少なくとも、弟子たちは。
ハイラムは規律には厳しい。決められたとおりに時間を過ごすことも、ここでの暮らしの課題のひとつだった。だが、その勉強の方法に関しては、よほどのことがない限り、自由にさせてもらえている。ほとんどの弟子たちは自習のときは、一階の教室か二階の工房か、自室を使う。ここは特別な場合を除いて、勉強をするための部屋ではない。
ここを使うと言うことを、キリルはハイラムに断ったのだろうか、とちらと思ったが、そこまでマリオンが考えることではない。キリルがそこを間違うはずはない。キリルは要領のいい男なのだ。
部屋の四隅にランタンが置かれている。
「まだ少し暗いな、マリオン、明かりをつけてくれ」
確かに部屋の中央が暗い。すぐさまマリオンが右手をあげて指を鳴らすと、青白い明かりが二つ、虚空に生まれた。天井を指さすと、二つの明かりは素直に天井に張り付く。まぶしいほど明るくはないが、大きな文字の本なら充分に読めそうだ。
「じゃあとりあえずはそっちで」
キリルは、北側の壁際にある簡素な木製の長椅子を指さした。素直にマリオンは椅子の端に腰掛けた。
「名前の呪縛を避けるのにどういう手があるのか聞いてもいいかな、キリル」
マリオンが遠慮がちに、しかし好奇心を抑えきれない様子で尋ねると、向かい側に立ったままのキリルはいつになく明るく笑った。
「聞きたくなくても教えてやろう」
その返事にマリオンは、期待をこめた顔でうなずく。
「じゃあ、よーく聞いとけ」
キリルは、マリオンのその真剣な顔をのぞき込んだ。
「すでに呪われて名前を奪われている人間に、二度目の呪いをかけるのは、手順がものすごく複雑で時間がかかる」
「は、えっ!? それが答え?」
思いもかけない返事に、マリオンが一瞬うろたえる。しかし、すぐに目の色が変わった。
「二度目の呪いをかけるには、手順が複雑で手間がかかる」
ぶつぶつと小さい声でマリオンが復唱するのを、キリルはどこか面白そうに見ている。
「そうか、はじかれるんだな、最初の呪いで。僕が誰かに真名で縛られて呪われていれば、ドラゴンは僕を真名で縛ることはできないってことだね」
「正解」
「でも、それはいったいどうやって」
マリオンが少し首をかしげた。
「俺がお前の真名を呪縛してやろう。そうすれば、ドラゴンはお前の名を奪っても、呪いをかけることはできない。ドラゴンでも呪いを解くには、少しだけ時間がかかるだろう。お前はそのわずかな隙にドラゴンを縛ることができる。お前が俺の思ってるよりとろくなければ、な」
「わずかな隙しかできないの?」
「そうだな。奴らの魔法容量と器量はかなりでかい。俺とお前の魔法ごときでは、もしかすると一瞬かもしれない」
低くマリオンは笑った。
「ずいぶん謙遜するね、キリル。本当は自信たっぷりでしょ」
ふん、とキリルは顎をあげた。
「当たり前じゃないか。いくらドラゴンだといっても、相手は生身ではない、単なる影のドラゴンだ。この俺の呪いが一瞬で解けるわけがないだろう」
ぱちぱちとマリオンが手を叩き、キリルがじろっとにらんだがすぐに真顔に戻った。
彼は自分の首にかけていた黒曜石のペンダントを外して、目の前にかかげた。
「呪いはこの中に封じ込めてやろう。お前は、俺よりも力のある魔術師に解呪されるか、自分で強くなって解くしかない。それでどうだ」
取り出したのは、人間の目を縦にしたような細長い形の美しい黒曜石のペンダントだ。細い上下のとがったところは金の細い針金を渦巻き状にしたものでとめてあり、その片方の端に黒く染められた革紐が通されている。
いつもキリルが胸にかけている黒曜石は六角形のものだが、これはもっと尖っていてさらに煌めいて見える。たぶん、キリルが自分で作ったものだろう。
「これは、魔王の目の形を模している」
魔術に使用する物の形には、それぞれ意味がある。目の形には、呪縛のほかに監視の意味もある。
マリオンは少し首を傾げた。
「僕に、直接呪詛をかけるのではないの?」
ふっ、とキリルが形のいい薄い唇を笑いの形にゆがめた。
「それでも俺はいいぞ。お前がずっと俺に支配され、かしずくのがいいっていうのなら、ぜひそうしようぜ」
えっ、やだ、といいながら、マリオンの明るい緑の目が大きく見開かれると、キリルは声をあげて笑った。
「それ、面白いから是非ともそうしたいところだが、お前はいやだろう。だから、これを通じてお前を呪縛する。これを持っている間、お前は俺に呪縛され支配される。身体から離せば、解放される」
「どれくらい?」
「期間のことなら、この石がある限り、永遠に。たとえば術者である俺が死んでも、石さえ無事なら有効状態は続く。距離のことなら、どこであっても世界の果てでも、有効」
「術者が死んだら石も壊れるんじゃないのかな? っていうか、そこで呪縛は終わるんじゃないの?」
「終わらない。石はそんなに簡単には壊れない。石が『俺によるお前の呪縛』を記憶している、と言ってもいいかもしれないな。術者の記憶、この場合は、お前の呪縛になるが、それを石が記憶しているってことだ。宝箱などにかけられる人除けの魔法とかもそうだろう。あれは箱自体が記憶している魔法だ。術者がいなくなった後も、ずっと続く、それこそ何百年でも何千年でも」
「じゃあ、ほかの人がこの石を手に入れてたら、どうなるの?」
「これは俺がお前を支配するためにかける呪術だから、他の人間が触っても何も起きない、たぶんな」
「たぶん? そこ重要じゃないの? 僕は目的以外のことで誰かに支配されるのは嫌だよ。自信はあるんだよねぇ、キリル。それともないの?」
片方の眉をあげて茶化すマリオンの生意気な発言に、キリルのデコピンが炸裂する。が、今回はのけぞって危ういところでかわしたので、キリルが軽く舌打ちした。
「じゃあ、言い直そう。何も起きない、俺とお前以外には。これでいいか。いや、なんならこの石を持つ者は誰でも、に変更してもいいんだぞ?」
「うん、わかった、わかった。誰でもはやだ、遠慮しとく。僕はキリルの下僕でいいです」
軽口を叩きながらマリオンが、魔法理論を再度自分の頭の中で構築しているらしいのを、キリルはどこか面白そうに見ている。
「あ、それと僕の真名をキリルに教えないといけないよね」
「俺の真名も名乗るぞ、それならいいだろう。俺が真名を名乗ったかどうかは、嘘つきの鏡で真実かどうかも確かめればいい」
嘘つきの鏡というのは、ハイラム師が若い頃に作った魔道具のひとつだ。
鏡に顔を写して何かを言うと、その言葉が真実かどうかがわかるという代物だ。
真実には舌を出し、嘘偽りには笑顔で答える、というかなりへそ曲がりな鏡だ。そのためにその頃ハイラムの師匠をしていた魔術師がつけた名前が、「嘘つきの鏡」だ。由来を聞いて「へそ曲がりな鏡」のほうがあってる気がすると、マリオンは思ったものだ。
「いや、僕はそんな心配はしてないよ」
マリオンが言うと、キリルの眉がきゅっとあがった。
「失礼な奴だな、俺の真名にそんな価値がないと言うのか」
「いや、そういう意味じゃなくて」
当然、キリルは本気ではない。
キリルはにやっと笑うと、立ち上がって壁のくぼみに隠すようにおいてあった嘘つきの鏡を持ってきて、二人の前にたてた。こうなることをすでに読んでいたと見える。準備というのはこれのことか、とマリオンは納得した。
鏡は、マリオンの背丈ほどの高さがある楕円形のもので、裏側についている足で自立させることができる。きれいに磨かれた鏡面には部屋の中の景色が映っていて、ごくありふれた普通の姿見にしか見えない。銀色の縁には蔦の模様が浮き彫りになっていた。
「準備がいいね、それって師匠の部屋にあったんじゃないの」
キリルは軽く肩をすくめた。
「ちゃんと断って借りてきた」
ほんとかなぁ、とつぶやきながら、マリオンは鏡をのぞき込んだ。キリルの顔が映るように身体をよじると、めったにない満面の笑みを浮かべたキリルが鏡に映っていた。本物に目をやると、キリルはすました顔をしている。
「やっぱり。嘘ついてるんだね、キリルってば」
「これで鏡が使えるってことがわかっただろ。抜かりはない。準備万端、俺は天才だ」
すかさず、鏡の中のキリルが舌を出した。思わず笑う。
「あははは、それは真実なんだね」
「当たり前だ。これだけのだいそれたことをするんだ、天才だと思わなくてやっていけるか」
マリオンはまだ口元に笑みを浮かべたまま、鏡をのぞき込むようにした。
「僕の真名は、マリオン・リーロイ・ローセングレーン」
鏡の中の自分が舌を出すのが見えた。
ここの工房でマリオンたちは名字を名乗ることはない。セカンドネームまでつけた正式な名前を知っているのは、師匠だけだ。名乗るにはそれなりの勇気がいる。
だから、マリオンがそんなに早く真名を名乗るとは、思わなかったのかもしれない。キリルが少しだけ目を見張って、驚いたような顔をした。
が、すぐに真顔に戻る。
「俺の真名は、キリシュ・イーヴァル・フルトクヴィスト」
鏡の中でキリルの分身が舌を出した。
「これでおあいこ。準備はすんだね」
マリオンはにっこり笑った。
「ローセングレーン家は、北の名家だな。侯爵だろ」
キリルが、考え込むように顎に手を当てて首をかすかにひねった。
「うん、そうだね。母方の親戚筋だけど、僕の方は跡取り候補の中にすら入ってないよ。継子扱いだね。たまに遊びには行くけどね」
母親と祖父の仲はいいので、子供の頃は時々連れられて尋ねていたが、最近はほとんど顔も出していない。とはいえ、この際そこは詳しく説明する気はない。
「バージルは従兄だったな」
「そうだね。でも名字は違うよ。バージルは分家だから」
「なるほど。まぁ、本家の跡取り息子が、こんな小さな村の魔術師の工房にいるわきゃないな」
マリオンは肩をすくめて見せた。大都市にいる魔術師が一流とは限らない、と反論しようと思ったが、キリルがそれを知らないはずはない。むしろ貴族への軽い皮肉なのだろう。
「そういえば、南の大商人にいるよね、フルトクヴィスト家。確か、何隻も商船を持ってる」
ふん、とキリルが鼻で笑う。
「一応、親戚だが、俺と血のつながりは、ほぼないな。当然、俺に商才はない」
何か深い事情があるのだろうが、マリオンはそこまで尋ねる気はない。事実の確認をしてみただけだ。今後、この情報を利用して何かするということは、多分お互いにない。二人は、つかの間無言になり、それぞれの思惑の中に沈む。
先に気を取り直したのは、キリルだった。鏡を元のように片付けると、代わりに何やらいろいろな物が入った箱を引っ張りだした。
「よし、始めるぞ。覚悟はしておけよ」
「今、ここでやるの? こういうのって真夜中にやるんじゃないの?」
「自習時間内にやる。実際のところ、朝だろうが夜だろうが関係ないね。真っ昼間の太陽がさんさんと当たる屋外だと多少問題だろうが、それも多少でしかない。そんな些末なものに俺の術は左右されない。夜なら充分だ」
キリルは、後ろに流していた長い黒髪を赤いひもで軽く縛り、着ていた黒い上着の袖をまくり、箱の中から色とりどりの硝子の小さな碗を出した。中に入っているのは、青には水、黄には羽、緑には種子、赤には香油。そして白には白い花の花弁数枚、濃紫には黒曜石の粉が少しずつ。
そこでキリルがパンと大きな音をたてて胸の前で両手を打ち鳴らすと、部屋の中央に黒く大きな魔方陣が浮かび上がってきた。
「いつの間に・・・・・・」
マリオンが声を出さずにつぶやく。これもキリルの言った準備の一つなのか。部屋に入ったときには気づかなかったのは、秘匿の魔法がかかっていたからだろう。
キリルは、碗を六芒星のそれぞれの角の部分に置く。
「マリオン、真名があれば、俺の呪詛にお前自身は必要ないんだ。だが、先輩として見本を見せてやるから、見ておけ」
そう言いつつキリルはさりげなくマリオンの金色の頭に手を伸ばし、いつの間にか手にしていたナイフで、後ろに結わえていた髪の毛を根元近くからまるごと一束、五インチほども切り取った。結んでいたリボンがするりと抜け落ちる。
「うわっ! キリル、髪の毛がほしいなら先に口で言ってよ」
「たいした量じゃない。すぐ伸びる。第一、先に言っても後で言っても、切るのに変わりはないだろう? 少し髪の毛をもらうぞ」
いきなり肩よりも短くなった金の頭を押さえているマリオンに、キリルがすました顔で答えた。
「遅いってば。しかも少しじゃないし」
そう抗議したが、ナイフを腰のベルトに戻したキリルは、すでにマリオンの方を見ていない。
彼が片手を肩の辺りでさっと振ると、部屋の四隅のランタンが一斉に消えた。今は天井の蒼白い明かりだけが点いている。
「あれはお前が消灯しろ」
マリオンはまだ文句を言おうとしていたが、諦めてすぐさま右手の指をパチンと鳴らし、天井に張り付いていた明かりを消した。
真っ暗になるかと思いきや、仄明るい部屋の中央の床の上に、黒炭で書かれた魔方陣の線から血のように赤い光がうっすらとにじみ出てきた。
「そこで見ておけ」
キリルはそう言い放つと、かすかに光を放っている魔方陣の真ん中に立った。
最初に魔方陣の南側に手を伸ばす。
「光と」キリルの声と同時に、六芒星の最初の端に白い灯が点る。
「水と」青い灯り。
「大気と」黄の灯り。
「生命と」緑の灯り。
「炎と」赤い灯り。
「そして、闇の黒き精霊よ。キリシュ・イーヴァル・フルトクヴィストの願いを叶えよ」暗い紫色の灯りが最後の角に瞬いた。
最後に空に向かって突き出した右手には、あの黒曜石のペンダントの革紐が握られている。黒い石は、煌めきながらくるくると革紐の先で廻っている。
片膝をついたキリルは、それを静かに円の中央に置き、左手につかんでいたマリオンの金色の毛束を石を囲むように撒き散らす。
それからゆっくりと立ち上がると、彼は顔をあげ声を張った。彼の詠唱は、いつもマリオンがうっとりするほどなめらかで美しい。もしかしたら、師匠のハイラムより上かもしれない。
「闇の黒き精霊、イシュトレーンに誓い、キリシュ・イーヴァル・フルトクヴィストは、マリオン・リーロイ・ローセングレーンなる者の魂をわが虜囚とせん。マリオン・リーロイ・ローセングレーン、影となり光の呪縛を、光となりて闇の呪縛をその身に受け、我が虜囚となりて、我が呪縛に応じ、その身を我が形代としてこの石の闇へ同化させよ。この黒き魔王の石を持つ我が身は、マリオン・リーロイ・ローセングレーンの大いなる主となるものとする」
詠唱とともに魔方陣の中に書き込まれた呪文が光の中に浮き上がっては消えていく。
マリオンは詠唱に聴き惚れながら、イシュトレーンは、南方の大地で信仰されている神々のひとりで火の神だったな、と記憶をたどり、遅まきながらキリルの魔術要素が火だったことを思い出す。
キリルは腰からナイフを引き抜くと、左の手のひらにその鋭い刃を走らせた。薄闇だというのに、熱い炎のような真っ赤な血が黒曜石の上にしたたり落ちるのがはっきり見えた。間を置かず、血を受けた魔方陣から音もなく赤い光が吹き出す。それとともに圧倒的な魔力の波が、部屋の隅に座っているマリオンにも降り注ぐ。一瞬だけ息が苦しくなり、マリオンは無意識に癒やしの呪文を口にした。
「黒き精霊よ、わが願いを疾くかなえたまえ」
キリルは、もう一度同じ呪文を今度は古代語で唱える。
唱え終わると同時に、魔方陣の内側が真っ赤に滾る溶岩のように波打ち、激しく燃え上がった。
熱風が部屋の隅にいたマリオンにまで届く。本当に燃えているのでは、と少し不安になった頃、突然目が開けられないほどの光が部屋中に満ち、マリオンは思わず腕を上げてそれを遮った。それとともに、自分の中に何か言葉にできないもの、何かの鎖のようなものが宿ったのを感じた。胸に手を当てる。それは自分の中に巣くい、ざわめいて蠢き、いろいろなものに絡みつく。
「まずい」
これが真名による呪縛なら、自分はたぶん我慢できない。誰かに縛られるということがこういうものなら、自分には到底我慢ができない。自分がそんな性質だったらしい、ということを、マリオンは今日初めて知った。
軽く考えていたことを今になって悔いる。しかし、もう遅い。キリルの魔法はすでに完成している。
どうしよう、と思っているうちに、何故かすうっと鎖が消えた。
「大丈夫か、マリオン」
キリルに声をかけられるまで、椅子の上で胸を押さえて蹲っていたらしい。
「うん、大丈夫。ちょっと、びっくりしただけだから。終わったの?」
きつく握っていた服の胸のあたりがしわになっている。それを伸ばしながら、マリオンは深く息をすった。
血の気を失った白い顔のマリオンに、キリルがうなずいて見せた。
「お前、無意識で呪縛に抵抗したな。もうちょっとで、こちらがぶっ飛ばされるとこだったぞ」
キリルは、握っていた黒曜石のペンダントをマリオンに見せながら苦笑を浮かべた。
「ごめん。僕の胸の中に鎖ができて、僕を縛ってた感じ。今はおさまってるけど」
「ああ、そうだろうな」
「最初はすっごく気持ち悪くて、耐えられないかと思った」
「よし、よく頑張った。お前がぶち切れてたら、全部が台無しになるところだった」
ぶち切れるとは、本人にも魔法が制御できなくなる状態になって暴走することだ。その場合、本人の持つ魔法限界値を超えるので、本人も周りも残念なことになることが多い。
「うん。でも、そのペンダントがあると、いつまた同じような状態になっちゃうか僕にもわかんないよ」
「まぁ、そうだな、じゃあこれは」
と、キリルが言いかけたところで、ふいに横合いの闇の中から出てきた誰かの手が、黒曜石のペンダントをつかんだ。
「俺が預かろう」
闇の中からするりと現れたのは、バージルだった。
「え、いつの間に」
人払いの魔法が入り口に施されていたのではなかったのか。マリオンは目を丸くして立ち上がったが、キリルは全く動じて
いない。そこで初めてマリオンは気づいた。
「最初から、二人とも知ってたんだね。グルなんでしょ」
「当然」
「悪いな」
と、キリルがにやっと笑い、バージルが真顔でうなずく。
「そのうえ、師匠もご存じだよ」
「えええ、そんな! なんで?」
さすがに青くなったマリオンは、もう立っていられずにすとんと長椅子に腰を落とした。
「いい勉強になるだろう、だそうだ」
「でも、でも、キリルが師匠の部屋から、嘘つきの鏡を黙って持ってきたのは本当だったじゃない」
焦るマリオンに、ああ、とキリルは珍しくくったくのない笑顔を浮かべた。
「鏡を使う話は師匠にはしていないんだ。黙って部屋から持ち出した。だから嘘はついてないぞ、俺は」
そこまでちゃんと計算されていたのかもしれない。そんなのひどいよ、とマリオンは頭を抱えた。
「だいたい」と、バージルがマリオンの顔をのぞき込む。
「こんな大がかりな魔方陣であれだけ盛大に魔法をかけたら、ばれるに決まってるだろう。そこに気がつかないはずないよな、お前だって」
マリオンは、恨めしそうな顔をあげた。
「それは、キリルがなんとかしてるって思ったんだ」
名指しされたキリルが顔をしかめた。
「俺が? 何をどうやってだよ」
マリオンがちょっと考える顔になった。
「部屋ごと別の空間に移動するとか、使われる魔法だけ別の所へ流しちゃうとか」
はぁ? とキリルがあきれた声をあげた。
「意味わからん。俺にそんな変則的なものを求めるな。そんなことを考えつくのは、お前くらいだよ」
「床に結界張っておいたら、いや、床は魔方陣があるから無理だね。あ、下の階の天井に結界を張っておけばいいのか。でも結界がある時点で怪しいかな。その場合は・・・・・・」
ぶつぶつと魔法理論を展開しはじめたマリオンに、キリルが天を仰ぎ、バージルが苦笑した。
「お前なー。忘れてることがあるんじゃないのか」
はっと意識を現実に戻し、目を大きく見開くマリオンの額に、びしっとキリルのデコピンがきまった。
「痛っ。もうっ、痛いよ、キリル」
「バージル、俺にそのペンダントをちょっと貸せ」
キリルが、バージルの手からペンダントを取り返す。それからペンダントを握った右手を、マリオンの顔の真ん前に突きつけた。
「マリオン・リーロイ・ローセングレーン。汝はこの石の命ある限り、我が下僕となれ。我が下僕は今後いかなるときも、真名を名乗ってはならぬ。それが我の呪いたらしめん」
一瞬、目を開けていられないほどの青い光が部屋を満たす。
マリオンは、自分の胸を押さえた。
さっきまではぼんやりとした「何か」だったものが、今のキリルの宣言ではっきりと形を成した気がする。胸の奥の奥に鍵がかかった部屋があって、自分でもどうにもならない、そんな気分になった。
「よし、これで二重に安全だろ」
「なるほど。じゃあマリオン、試しに真名を名乗ってみて」
にやっと笑うキリルの顔をどこか呆然とした顔で見つめ、バージルに言われるままにマリオンは名乗るしかない。従兄のバージルは、すでにマリオンの真名を知っている。ためらうことは何もない。
「僕の真名は、マリオン」
はっとする。名前は正しい。だが、これは真の名ではない。家名と中間名が抜けている。
「僕のな、ま、え、は、マリオン、ロ、ロー、グレーン」
歯を食いしばり、真名を名乗ろうとするが、どうしても正しい名前が出てこない。
「よし、成功だな」
キリルは笑顔のまま、ペンダントをバージルの手に戻した。
「これでいい。お前は俺の下僕になったうえに、真名を名乗れない」
「あ、うん」
マリオンが少し呆然としてうなずくと、バージルが懐から小さな箱を出した。
「しかし、だ。お前は黒ドラゴンに会いに行くことはできないぞ」
「え、どうして?」
「あたりまえだ。キリルのかけた呪法では、真名が名乗れないだけだ。そのあとでお前はどうするつもりなんだ」
「あ、それは」と、いいよどむ。
それについては、前から考えている。まだ、うまくできるか自信はないが。そしてそれは、誰にもいえない。
「黒ドラゴンの真名を使って呼び出して、それから? 黒ドラゴンと楽しくお話しして、はいさようなら、で済むのか?」
「ええと、たぶん」
マリオンがうなずこうとすると、キリルが横合いからにやにや笑いながら口をはさんできた。
「たぶんだと? 馬鹿言え、済むはずないだろう。お前が、それでやめるはずはない」
「嘘じゃないよ」
「よし、ほんとなんだな。真実の鏡に聞いてみるか」
「えっ」
マリオンがたじろぐと、バージルがため息をついた。
「もういいよ、マリオン。このペンダントがなければ、お前も当分、余計なことは考えないだろう」
バージルは懐から出した箱をマリオンに見せた。小さいながら美しい蔦の模様が彫られ凝った意匠の木箱だ。工房で一番手先の器用なショーンの細工物に見え、それにかかっている魔法は師匠のものに感じられる。バージルは、蓋を開けてその中にペンダントを落とし込んだ。
「この箱に入れると、ほらこのとおり」
蓋がきっちり閉じられると、マリオンの内なる鎖が消え失せた。
「う、嘘! 呪法が消えた」
胸に手を当てたマリオンの目が大きく見開かれる。
「一時的な解呪」
バージルはつぶやくと、箱を再び自分の懐に戻した。
「すげえな。さすが師匠だよ」
眉をあげて興味深くじっと箱を見ていたキリルは、感心したように声をあげた。
「じゃあ、確認のために、マリオン。もう一回、真名を名乗ってみろ」
愕然としていたマリオンは、キリルにうながされはっとした。
「僕の真名は、マリオン・リーロイ・ローセングレーン」
当然のように真名をすんなり名乗れたことで、がっくりとマリオンは肩を落とした。
「よし、これでいい。一時的な解呪はできた。これは当分俺が預かる。お前は勝手にドラゴンに会いに行くなよ」
「そんなぁ。バージル、じゃあ僕たち、いったい何のためにこんな大がかりなことをしたのさ」
マリオンが情けない顔で見あげると、バージルが小さく笑った。
「勉強になっただろう、お前もキリルも、そして俺も」
「いやー、いい勉強になった。呪法はやっぱり実技が一番だよな」
「俺としては、この解呪の箱が勉強になった。俺も作ってみたい」
キリルがにこやかにうんうんとうなずいている横で、バージルも笑みを浮かべて満足げに箱の入った懐をなでている。
「ひどいよ、二人とも。僕の望みはかなわないのに」
キリルが、ニッと笑いながらぽんとその頭に手を置いた。
「バージルがさっき当分、と言っただろ。いつかもっとお前が成長してから、こいつを使えばいい。今はまだ、お前に黒ドラゴンは早すぎる」




