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因縁

 翌日、目を覚ますと、すでに昼の12時を回っていた。除湿をつけっぱなしで寝ていたせいか、喉の奥がひどく乾き、ヒリつくような痛みを覚える。身体を起こした瞬間、全身にじんわりと怠さが広がり、小さな頭痛も追いかけてきた。


「俺も夏バテかな……」


 今日は講義もないし、無理をせず家でゆっくり休むことにしよう。俺は洗面所でマウスウォッシュで喉をゆすぐ。沁みるような刺激が喉奥を駆け抜け、嫌でも意識が覚醒していく。そのまま冷蔵庫を開け、冷えた麦茶を取り出し、一気に喉へと流し込む。乾いた喉を水分が駆け抜け、身体の隅々にまで行きわたるような爽快感が広がった。


 身体を伸ばしながらベッドに腰を下ろし、携帯の画面に目を落とす。そこには数件の着信履歴が並んでおり、すべて静奈からだった。最初は朝の八時、次が八時五分、その次が八時十分――どうやら急ぎの用事だったらしい。俺は履歴からリダイアルを押す。数回のコール音の後、無機質な電子音声が返ってきた。


『――おかけになった電話は電源が入っていないか、電波の届かない場所にあるため、かかりません』


 再度掛け直してみたが、結果は同じだった。仕方なくSNSで「ごめん、寝てた。何か用か?」と短くメッセージを送り、そのままスマホをテーブルに置く。何気なく遮光カーテンを引くと、真夏の太陽光が容赦なく差し込み、反射的に目を覆った。――太陽の光が、なんだかいつもより強烈に感じる。俺は慌ててカーテンを閉め直し、薄暗くなった部屋にため息をついた。


 年々、夏が厳しくなっている気がする。この異常な暑さは一体なんなんだろうか……。ふと、地球の自転速度が上がっているというネット記事を思い出す。もしそれが本当なら、誰か自転速度を落とす装置でも作ってくれないものか。開発したら間違いなくノーベル賞ものだろう。いや、もしかしたらこれがHAARP(ハープ)の威力ってやつの証明なんじゃないか? などと馬鹿な妄想を膨らませながら、俺は再びベッドに身体を沈めた。


 ――もう少しだけ寝よう。頭痛がある時は、とにかく寝るのが一番だ。携帯をマナーモードに設定し、無造作にベッドの上に放り投げると、俺はそのまま目を閉じた。



 ◇



『――ピンポーン。ピンポーン』


 遠くからインターホンの音がぼんやりと響き、それが次第に鮮明に聞こえ始めた。目を開けると、周囲は真っ暗な自室。カーテンの隙間から覗くと、外はすでに夜の帳が降りていた。


『――ピンポーン。ピンポーン』


 執拗に鳴り響くチャイムの音が、じわじわと苛立ちを募らせる。俺は重たい身体を引きずりながら、インターホンのカメラボタンを押した。


 液晶画面に映し出されたのは――静奈の姿だった。


 そういえば、昼ごろに彼女からの着信履歴を見ていた。まさか、わざわざ家まで訪ねてくるとは思わなかったが……。彼女が俺のマンションを知っている理由は単純だ。オカルトサークルの新歓コンパを、この部屋でやったことがあるからだ。あれから半年近く経つのに、よく覚えていたものだと思う。


 通話ボタンを押すと、即座に彼女の声が飛び込んできた。


「あ、居た!」


 その第一声は、どこか怒りを含んだトーンだった。寝起きの頭が一気に現実に引き戻される。慌ててズボンを穿き、玄関へ向かう。扉を開けると、そこには両腕を組み、不機嫌そうに睨む静奈の姿があった。


 白いワンピースに、薄手のカーディガンを羽織った彼女は、街灯に照らされて浮かび上がるように立っていた。少し汗ばんだ鎖骨のあたりが、妙に生々しく、目のやり場に困るほどだった。思わず胸がどくりと跳ねる。


 その一方で、彼女の声のトーンや、夜闇に立つその姿が、どこか現実離れして見えた。蒸し暑い夜の空気と、微かに汗ばんだ肌の匂いが混ざり合い、胸の奥に奇妙なざわつきが生まれる。


「……どうしたんだ、急に来て」


 ぶっきらぼうな口調だった。……いや、妙に焦っていたのだ。視線を逸らすことで、それをごまかそうとした自分が情けない。


「あのねぇ、何度連絡しても出ないから、心配になって様子を見に来たの!」


 静奈は俺の態度に苛立ったのか、声を少し荒げた。けれど、その怒気の中には確かに”心配”という色が混じっていた。……そうか、二度寝している間にも、きっと何度も連絡をくれていたんだろう。ズボンのポケットを探るが、携帯は見つからない。そうだ、ベッドの上に放り出したままだった。


「すまん、今日は少し体調が悪くてさ。一日中寝てたんだ」


 俺が俯き加減にそう言うと、静奈の表情がふっと和らいだ。けれど、それは申し訳なさそうな、気まずそうな笑みだった。


「え、そうなの? ごめん……本当に体調が悪かったんだね」


 互いに言葉を選びあぐね、気まずい沈黙が落ちた。夏の夜の湿気が、より一層その間を重たくさせる。


「えっと、ごめんね……それじゃ――」


 彼女が言いかけた瞬間、俺は自分でも驚くくらい早口で言葉を被せていた。


「飯……いかない?」


 静奈は目を丸くして、ぽかんとした顔を浮かべた。言葉を遮られた驚きと、意外そうな感情が入り混じっている。


「俺、今日は何も食べてないんだわ。……頭痛も治ったみたいだし、腹減ったからさ」


 必死に取り繕ったような、情けない言い訳だった。自分でもわかっている。だけど、このまま彼女を帰してしまうのが妙に怖かった。静奈は一拍置いて、少し呆れたように笑った。


「……しょうがないな。いいよ」


 その笑顔に、どこか救われた気がした。俺は急いで部屋に戻り、財布と携帯を掴んで彼女の元へ戻った。マンションのエントランスを出る頃には、すっかり夜の空気に包まれていた。


 道中、ふと携帯を取り出して時刻を確認する。デジタル数字が無機質に「20:05」と表示されていた。同時に、画面には追加で三件の着信履歴と、SNSアプリの通知が浮かんでいる。それが静奈からのものだと、開かずとも直感で理解できた。


「……ごめん、着信があったわ」


 そう言いながら、俺はホーム画面を静奈に向けて見せた。彼女は画面を一瞥し、わかりやすく溜息をつく。怒っているというよりも、呆れたような、それでもどこか安心したような表情だった。


 俺たちは駅近くのファミレスへと向かった。行きつけの場所は少し遠回りになるし、ここなら静奈も帰りやすいだろうと考えたのだ。店内はそこそこ賑わっており、空席はまばらだったが、すぐに案内された。適当にメニューを選び、注文を済ませる。今日の件もあるし、お詫びとしてここは俺が奢ると決めていた。……最近、出費がかさむな。明日から節約しようと、心の中で固く誓う。


「ところでさ、あの電話。……何の用だったんだ?」


 食事が運ばれてくるまでの間、俺はずっと気になっていたことを口にした。


「ああ、うん。これ……」


 静奈は小さなポーチを開き、中から古びた小冊子のようなものを取り出してテーブルに置いた。それは、見るからにボロボロで、ページの隅は破れ、文字も擦り切れて判別しづらくなっている。紙質も悪く、触れただけで崩れてしまいそうな代物だった。


「なにこれ?」


 思わず素直な疑問が口から漏れる。


「写本……みたいなものだと思う。その、水の悪鬼伝承の原本みたいな……」


 静奈は続けて、別のノートを鞄から取り出し、机の上に広げた。それは彼女が作り上げた資料のようで、びっしりと付箋が貼られ、細かく項目分けがなされている。中身は静奈の綺麗な字で埋め尽くされ、その小冊子の内容を翻訳したものだとすぐにわかった。きっと彼女は、この訳をするために、図書館に何度も通い詰めたのだろう。連絡がつかなかった理由が、ようやく腑に落ちた。


「これ……凄く貴重な書物じゃないか? 一体、どこで手に入れたんだ?」


 問いかけると、静奈は一瞬ぎこちなく笑い、視線を逸らした。そして、口ごもりながら言葉を探す。何か言いづらい事情があるのだろうか。沈黙の間が、妙に重たく感じられる。


「う、うーん……」


 静奈はしばらく考え込んでいたが、やがて覚悟を決めたように小さく息を吐き、顔を上げた。


「実はね――」


 彼女の言葉が、妙な緊張感と共に夜の空気に溶けていった。


「……皆には言ってなかったけど、実はこれ、実家の蔵から出てきたの」


 静奈は、ポツリと秘密を明かすようにそう呟いた。なるほど、実家の蔵――彼女の家で見つかった書物だったのか。取材が決定した時、彼女は「図書館で見つけた伝承」だと言っていた。本当は最初から実家で発見していたわけだ。


 嘘……というよりも、きっと後ろめたさがあって隠していたのだろう。サークル活動の一環としてではなく、自分の家の事情が絡む話になるのが嫌だったのかもしれない。


「それでね、今日もこの冊子の内容を翻訳していたんだけど……その」


 静奈の声が徐々に歯切れを悪くする。言いたくないけれど、言わなければいけない――そんな葛藤が彼女の表情に色濃く浮かんでいた。


「……誰にも言わないから、何かあるなら話してくれ」


 口にしてから、その言葉がいかに信用ならない台詞かを自覚する。けれど、今はそう言うしかなかった。なぜなら、彼女が本当は話したそうにしていることに、俺は気付いてしまったからだ。背中を押してやらなければならない瞬間だった。静奈はしばらく視線を伏せていたが、やがて決意を固めるように顔を上げた。


「今日ね、最後の方のページを訳してて分かったんだけど……村で唯一生き残った村長が、たぶん私の家系の祖先にあたる人みたい」


 静奈のその一言が、ファミレスのざわめきを一瞬だけ遠ざけたように感じた。空気が歪み、耳鳴りが微かに響く。因縁、呪い、血筋――どこかで聞きかじったホラーの定番が、現実のものとして目の前に突きつけられた気がして、俺は背筋に冷たいものが這い上がる感覚を覚えた。

お読みいただきありがとうございます。

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