――悪鬼とは?
事情聴取を終えてサークルの部室に戻ると、静奈以外の先輩たちの姿はすでになかった。俺が室内をぐるりと見渡していると、静奈が椅子に腰かけたまま口を開く。
「先輩たち、もう帰ったよ。それでね、今夜九時に“いつものファミレス”で集まろうって」
“いつものファミレス”とは、隣町にある全国チェーンの24時間営業店のことだ。店内はいつ行ってもガラガラで、客よりもデリバリー注文がメインらしい。静かで長居もしやすいから、サークルの深夜ミーティングの定番になっている。
普段は次の撮影スポットの検討会がメインだけど、今日に限っては違うだろう。おそらく話題は、今日の事情徴収の件と“水の悪鬼伝承”に関することだろう。
「ちょうど、みんな揃ってたんだし……ここで話せばよかったんじゃないか?」
そう俺が言うと、静奈は少し首をかしげて答えた。
「――うん。でも、刈谷先輩が急用で帰ったし、遠藤先輩は体調悪くて病院に行くって」
そういえば、遠藤先輩は昨日も顔色が悪かった。夏風邪が長引いてるって言ってたな。まぁ、この暑さじゃ仕方ないか。小・中・高校と空手を続けてきて体力には多少の自慢のある俺ですら、連日の残暑にはさすがにバテ気味だ。むわっとした空気が肌に張りつくような気候が続いていて、気がつけば疲労が抜けきらない。
「なぁ、静奈は何を聞かれたんだ?」
俺は軽い気持ちで、彼女の聴取内容を尋ねてみた。話を聞く限り、質問の内容自体は俺の時と大差なかったようだ。ただ、一点だけ異なっていたのは、静奈の地元が群馬で、今回の“水の悪鬼伝承”の企画に関わっていたという点だった。
「そのこと、先に呼ばれた誰かが言ったみたいで……そこを重点的に聞かれたの」
そう付け加える静奈の表情は、どこか複雑そうだった。
「あと……呪いの話をしたら、すごく興味深そうにメモを取ってたわ」
「……へぇ」
少し意外だった。俺のときは「それは管轄外だから」と一蹴されたというのに。静奈との対応の違いに、ふと違和感を覚える。俺が最後に呼ばれたから、すでに情報が出揃っていて、改めて聞く必要がなかったのか……それとも別の理由があるのか。どちらにせよ、今夜のミーティングでは、必ずその話が出るはずだ。
「これから、どうする?」
俺が静奈に問いかけると、彼女は少し考えるように顎に手を添えた。
「近くの図書館で、似たような話がないか調べてみる。圭吾は?」
そう聞かれても、特に予定があるわけでもない。かといって図書館に付き合うのは、正直ちょっと気が重い。たぶんここで「一緒に行こうか」なんて言えば、彼女の好感度的には“正解ルート”なんだろう。でも――静まり返った空間で黙々と文献を探すのは、どうにも性に合わない。それならまだ、部室で気楽にネットサーフィンしていたほうが、ずっと気が楽だ。
「俺は、もうちょっとここにいるよ。ネットで調べてみる」
「そう。じゃあ、これ鍵ね。夜の九時に、例のファミレスで」
静奈は机の上に鍵をそっと置いて、鞄を肩にかけると部室を出ていった。その時、彼女がふとこちらを見た表情が、どこか寂しげに見えた……ような気がしたけれど、たぶん気のせいだろう。
まあ、俺は昔から“フラグブレイカー”なんて不名誉なあだ名を友人たちから呼ばれるくらい、無自覚にチャンスを逃してきたらしいし。少し反省しつつ、俺は部室のパソコンを起動させる。
まずは「水の悪鬼」で検索をかけてみたが、結果のほとんどがうちのサークルで作った動画ばかりだった。ある程度は予想していたけど、水に関係する妖怪や怪談ばかりが引っかかってしまい、「水の悪鬼」という特定の伝承には行きつかない。仕方なく、今度は単純に「悪鬼」というキーワードで調べてみることにした。
■悪鬼
日本や中国・朝鮮半島などに伝わる、人に災いをもたらす鬼たちの総称。邪鬼、悪魔などとも呼ばれている。
「――さまざまな災悪は、悪鬼によって世にばらまかれるものとされていた……か」
モニターに映るその一文を、俺は声に出して読み上げる。水の悪鬼の伝承でも、たしかに同じような筋書きが描かれていた。けれど――物語の中で起きた異変の“きっかけ”については、最後まで語られていなかった気がする。
そもそも、登場人物の男は、なぜ水の悪鬼に取り憑かれたのか。何が、彼に“それ”を呼び寄せたのか。その部分がずっと、引っかかっていた。俺は画面をスクロールしながら、さらに項目を読み進める。
「中でも病気、特に流行病は悪鬼や疫鬼たちの仕業とされ、大規模な災厄が広まると、人々は儀式やまじないをおこない、悪鬼の退散を祈った」
これも、あの話と一致している。静奈が言っていた通り、村では最後、旅の僧が祠を建てるよう指示をだし、そこに仏像を安置して、供養によって事態を鎮めようとした――そんな終わり方だったはずだ。
つまり、“悪鬼”とは、災いをもたらす得体の知れない存在。古くから人々は、それに名前を与え、恐れ、それでもどうにか退けようと儀式を続けてきたということか。節分の豆まき、玄関に飾る鰯の頭や柊の葉――。現代に残るそういった風習も、元をたどれば「鬼を祓う」ためのものなのだろう。
水の悪鬼。その伝承が、単なる作り話として片づけられない気がしてならない。何かもっと深い、“本当の話”が隠れているんじゃないか――そんな予感だけが、胸に残った。
関連項目に「邪鬼」なんてのもあるのか。祟りをなす神、物の怪、怨霊……いわゆる“人に害をなす存在”の総称ということらしい。
その発祥をたどると、仏教由来の概念らしいが、もっと広く捉えれば――たとえば、天災や兵乱、凶作、それに盗賊や悪党までをも「鬼」と呼ぶことがあったという。昔の人にとって、“どうにもならない恐ろしいもの”は、みんな鬼だったのかもしれない。
ふと、ひとつの想像が浮かんだ。ある村に野盗が流れ着き、ある日突然暴れ出して村人を襲う。そのころ、時を同じくして原因不明の流行病が蔓延し、村には死者が続出。やがて旅の僧が村を訪れ、祈祷をおこなう――すると不思議と病が静まった。そして、それが「鬼が祟った」「僧が鎮めた」として語り継がれ、やがて伝承として定着した――。
……単なる後付けの解釈だろうけど、妙に納得できてしまう自分がいた。そういえば、似たような推察をしているコメントが、動画にもいくつかあったっけ。
結局のところ、伝承なんてのはたいてい口伝だし、途中で変質するのがむしろ自然だ。本当は、仲の良かった先輩が同時期に亡くなったことに、強引に意味づけしようとしてるだけなんじゃないか。“これは呪いだ”“祟りだ”って……そうやって、不安の正体にラベルを貼って、安心しようとしてるだけなのかもしれない。
――考えすぎか? いや、むしろ……考えたくないのかもしれない。
「やっぱり、ただの偶然なのかな……」
ぽつりと口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど弱気な響きだった。俺は机に突っ伏して、ほてった額を冷たい机に押し当てた。なんだかやけに熱がこもっている気がする。それに、頭も少しズキズキと痛む。眠気が混ざるような、鈍い痛みだった。
……そのまま、俺は、いつの間にか意識を手放していた。
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