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水が怖い

 青山先輩の話によると、黒塚先輩は二日前、群馬県の山中で腐乱死体として発見されたという。警察は彼の携帯に残された着信履歴やSNSのやり取りをもとに、俺たちオカルトサークルに事情を聞きに来たらしい。それ以上の情報は口止めされているのか、青山先輩は「話せない」とだけ繰り返した。


 先輩はソファに腰を沈め、肩を落としたまま深くうつむいている。次第に、片足を小刻みに震わせ始めた。その様子は、なんとか気持ちを落ち着けようとしているように見えた。それにしても――あまりにも出来すぎている。水の悪鬼伝承の調査に関わったメンバーは全部で七名。そのうち、山崎茜先輩と黒塚航先輩、二人がすでに死んだ。


 偶然……そう思うには、あまりに不自然すぎる。まさか、本当に“呪い”があるというのか? “祟り”が――俺たちに、降りかかっているのか? 脳裏にあの伝承の一節が、まざまざと蘇る。


 ”水の悪鬼に触れた者は、いずれ全て死に絶える”


 俺の背筋を、氷のような冷たいものが這い上がっていった。部室には、深く重たい沈黙が流れていた。

 誰一人、言葉を交わそうとしない。耳に届くのは、青山先輩の靴が床をかすめる微かな音だけ。それは、まるで時計の秒針のように規則正しく響いていた。やがて、約三十分ごとにひとり、またひとりと呼ばれ、ついに俺の番が巡ってきた。


 学務課の部屋に着くと、さらに奥の別室へと案内される。中には、スーツ姿の男性が二人いた。一人は年の頃五十代ほどの落ち着いた雰囲気の男が椅子に腰かけ、もう一人は若い警官で、壁際に立ったままメモを見つめていた。


「忙しいところ、わざわざ呼び出してごめんね。私は警視庁から来ました五十嵐(いがらし)と申します。そっちの若いのが、松田くん」


 五十嵐と名乗った刑事は、柔らかな笑顔で警察手帳を掲げ、軽く会釈をしてみせた。壁際の松田刑事も、それに続くように無言で手帳を開いた。


「座っていいよ」


 促されるまま、俺は正面の空いた椅子に腰を下ろした。五十嵐刑事は耳にかけていたペンを外し、ノートを開いて俺の前に置いた。


「君の名前は、篠原圭吾君で間違いないね?」


「は、はい」


 警察と向き合うだけで、どうしてこんなに緊張するんだろう。何もやましいことはしていないはずなのに、妙に胸がざわつく。高校生の頃の年末、部活の帰り道でよく職務質問されたのを思い出す。「これ、君の自転車?」から始まって「防犯登録はある?」というお決まりの流れ。あれは多分、マニュアルでもあるんだろう。


 自転車の盗難は当時も多かったし、俺自身も中学生の頃、防犯チェーンを切られて自転車を盗まれたことがある。警察に届けは出したものの、結局、俺の愛車が戻ってくることはなかった。そんな、どうでもいい記憶が、今この緊張の中でふいに頭をよぎった。


「――キミ、大丈夫かい?」


 昔の記憶がふと甦り、しばらく呆けていたらしい。五十嵐さんが心配そうに身を乗り出し、俺の顔を覗き込んでいた。


「すみません、少し考え事をしてました。ははは……」


 つい、愛想笑いを浮かべてしまった。でも、これはまずかったかもしれない。こんな場面で笑うなんて、不謹慎に見えたんじゃないか……そんな不安が胸の奥に広がっていく。これは、黒塚先輩の“死”に関わる事情徴収なのだ。軽く応じていいはずがない。


 ふと、視界の端に松田さんの視線を感じた。壁際に立ったまま、じっとこちらを見ている。その目には、どこか疑念が込められているようで、とてもじゃないが目を合わせる気にはなれなかった。


「今日は、黒塚航さんのことと、山崎茜さんのことを聞かせてもらおうと思いましてね。オカルトサークルの皆さんには、順番にご協力いただいているところです」


 五十嵐さんは、右手に持ったペンを人差し指でくるくると回しながら、穏やかな口調で語りはじめた。


「ご存じかもしれませんが、黒塚さんは二日前、群馬県の山中で腐乱死体となって発見されました。そして同じくその晩、山崎さんが山手線の駅ホームから投身自殺をしています」


 すでに知っていたこととはいえ、こうして他人の口から改めて聞かされると、心の奥底で何かがずしんと重くのしかかってきた。事実が現実として、より明確な形で胸に突き刺さる。


 そこから、五十嵐さんの本格的な尋問が始まった。


 オカルトサークルについて。

 黒塚先輩と山崎先輩はどんな人物だったか。

 彼らと自分との関係、サークル内での様子。

 そして、何か気になることや違和感はなかったか――。


 尋ねられるまま、俺は自分の知っていること、感じたことを包み隠さず話した。こんな形で思い出を掘り起こされるのは辛かったが、変に隠し立てするほうがよほど怖かった。他のメンバーにも、同じようなことを聞いているのだろうか……。


「最後に、ちょっと見ていただきたいものがあるんです」


 そう言って、五十嵐さんは机に置かれていたノートパソコンを手元に引き寄せた。そしてマウスとキーボードを素早く操作し、画面をこちらに向けてくる。


 ディスプレイには、ふたつのウィンドウが並んで開かれていた。ひとつは、可愛らしいデザインのブログ記事。もうひとつは、オカルトサークルの動画サイトのホーム画面だった。


「これは、うちの動画と……こっちは何ですか?」


「こちらは、山崎さんの個人ブログだと思われます。彼女の携帯電話から、この管理画面へのアクセス記録がありましたので、本人のものと見て間違いないでしょう」


 俺が画面を見つめる間にも、五十嵐さんはマウスで動画サイトのタブを操作し、いくつかの投稿を開いていった。その中のひとつ――「水の悪鬼伝承レポート」のタイトルが目に入った瞬間、思わず背中に冷たいものが走る。ぞくり、と。五十嵐さんは動画を再生することなく、無言でコメント欄をスクロールしていく。


 @わたる 2週間前


 水が怖い


 たったそれだけの短い書き込みだった。なぜこれを見せられたのか、最初は分からなかった。俺は五十嵐さんの顔に視線を戻す。彼は真剣な表情で、じっと俺の反応を観察している。


「これが、黒塚航さんの――この世の最後の足跡なんです」


「えっ……?」


 “この世の最後の足跡”。その言葉が頭に引っかかった。意味が掴めず混乱する。……“@わたる”。黒塚――わたる。まさか、これが先輩本人のアカウントだというのか?


「水が怖い」このコメントが、黒塚先輩が生きていた証として、ネット上に残した最期の言葉……? その瞬間、静奈がかつて語っていた伝承の一節が、まざまざと脳裏によみがえる。


「ある日突然『水が、襲ってくる』って言い出したんです――」


 水の悪鬼に取り憑かれた男が発した、最後の言葉。黒塚先輩もまた、何か“見て”いたのか……? その恐怖を、言葉に残していたのか?


 俺が顔を上げると、松田さんの鋭い視線がこちらに向けられていた。無言のまま、その手に持ったメモ帳へ何かを書き込んでいる。……見られている。反応すら記録されている。


 五十嵐さんは再びノートパソコンを手元に引き寄せ、マウスを数回動かした。そして、またこちらに画面を向ける。今度は山崎先輩のブログの画面だった。


 画面に表示された“最後の記事”を目にした瞬間、ゾクリとした寒気が背中を駆け上がった。更新日時は、四日前の午前二時。タイトルは、「タスケテ」。そして――その記事の内容は、信じがたいものだった。


「タスケテ」


 水がくる


 どんなに耳をふさいでも、水がくる


 目をつむっても、水がくる


 逃げることはできない


 私は呪われたんだ


 水の悪鬼が見える


 水がくる


 私を殺しにくる


 もう嫌だ


 たくさんだ


 私が何をした


 怖い


 水が怖い


 タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ、タスケテ

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 …………と文字数限界まで「タスケテ」で埋め尽くされていた。そこには、山崎先輩の感じた明確な恐怖が、文字という形で残されていた。


「ここにも、あるんですよ。”水が怖い”って……これは、何かの暗号でしょうかねぇ?」


 五十嵐さんはどこか探るような声音で言いながら、じっと俺を見据えてきた。その目には、軽い皮肉とも、あるいは疑念ともつかぬ色が宿っている。思わず、喉の奥で唾を飲み込む音が響いた。この言葉が呪いに関係している――そんなことを口にしても、まともに取り合ってもらえるとは思えない。


「……静奈――あ、いえ。河合静奈から聞いたかもしれませんが、水の悪鬼伝承に、似たような文があるんです」


 震えそうな声を抑えながら、俺はそう答えた。俺の前に事情徴収を受けていたのは静奈だった。もしかしたら、すでに彼女が何か話しているかもしれない――そんな思いもあった。


「ええ、彼女もそう言って驚いていましたね。呪いかも……と。ですが、そうなると、この案件は我々の管轄外になっちゃうんですよね」


 五十嵐さんは肩をすくめ、冗談めかして言う。その仕草はどこか現実に引き戻そうとするようにも見えた。でも――わかっている。警察がこんな話を信じるはずもない。彼らは”真実”ではなく、”証拠”を探しているのだから。


 だけど、俺の思考はもう、自分でも抑えきれないほど現実離れした領域へと足を踏み出していた。目に見えない何かに、背後からじわじわと追い詰められていく感覚。心の奥底で静かに広がっていく、不気味で圧倒的な恐怖が、理性を静かに蝕んでいく――


 まるで、足元から深く暗い水底へと引きずり込まれていくようだった。

お読みいただきありがとうございます。

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