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松田メモ④

 喫煙所に設置された自動販売機から、熱々のコーヒーを取り出す。コーヒーは何種類かあるが、馬鹿舌の俺にはその違いは判別できない。吸っていた煙草を灰皿に押し付け、コーヒーに口をつける。外は霙まじりの雨が降り、吐く息が白く染まった。


 俺は、半年前に起きた連続怪死事件を自分なりに整理していた。それは、とある大学のオカルトサークルを襲った悲劇。一見すると無関係な死亡が続いていたが、実際には水面下で深く繋がっていたことが、後に判明した稀有な事件だった。


 事件の真相は、「水の悪鬼伝承レポート」という動画の“編集前データ”に隠されていた。



 ■最初の死亡者、黒塚航(31)──恐水症からの衰弱死。


 動画撮影当日、狂犬病ウイルスが検出された洞窟で転び、履いていたジーンズが破れて膝を擦りむく場面が残っていた。おそらく、この時に狂犬病ウイルスに感染したのだろう。発症した黒塚は、人知れず恐水症に苛まれ、逃れるように山へ籠り、やがて衰弱死する。さらに時間が経ち、発見されたときには腐乱が進んでいたため、検死時に狂犬病ウイルスの発見には至らなかったと思われる。



 ■第2の死亡者、山崎茜(20)──恐水症による投身自殺。


 彼女も黒塚と同じく、洞窟内からコウモリの群れが溢れ出した際に転倒し、右肘を擦りむいていた。そして、彼女もまた人知れず狂犬病の症状に襲われる。極度のストレスと幻覚症状に悩まされた末、彼女は線路へ飛び込み、自ら命を絶った。死体の損傷が激しく、検死は行われなかったため、この時点でも狂犬病は発見されていない。



 ■第3の死亡者、青山悠(22)──恐水症による熱傷ショックと呼吸不全。


 映像の限りでは、目立った外傷は見られなかった。しかし、封鎖された洞窟の環境と残された映像を確認した医師は、「狂犬病の空気感染」の可能性を指摘している。裂傷感染だった前二名とは異なり、空気感染の場合は発症がやや遅れるらしい。彼もまた狂犬病を発症し、恐水症と幻覚症状に追い詰められてトイレへ籠城。その間、自室に残していた煙草が火種となり火災が発生。家族は一酸化炭素中毒の後に焼死。青山自身は逃げ込んだトイレで全身の約八十パーセントに火傷を負い、搬送先の病院で死亡した。この時も、狂犬病の検査は行われていない。



 ■第4の死亡者、刈谷和彦(22)──幻覚症状による転落死。


 青山と同日に空気感染し、後に発症。水や光を恐れる症状に加え、幻覚も現れる。死亡当日、容疑者・篠原圭吾に連絡した形跡があり、都内某所の廃ビルへ呼び出したとされる。極限状態にあった刈谷は、現場に偶然居合わせた藤堂敦(21)と山田幸雄(20)を、落ちていた金属バットで撲殺。現場は即座に発見され、猟奇性が確認された。さらに、到着した篠原圭吾にも襲いかかったが返り討ちに遭い、廃ビル十五階から転落。廃材置き場に積まれた金属棒に頭部を貫かれ、即死した。現場からは篠原が所持していたと思われるキャンプ用小型斧も押収されている。頭部損傷が激しかったため、この時も狂犬病の有無は調べられなかった。



 ■第5の死亡者、河合静奈(19)──頸動脈損傷による出血死。


 彼女はサークル内で唯一、狂犬病ウイルスに感染していなかった人物だった。撮影前に予防接種を受けており、感染は免れている。河合は「自分は動画に登場する洞窟の守り人の家系だ」と語っていた。死亡当日、父・河合礼二(53)とともに洞窟へ供養に向かった帰路、山中で錯乱状態の篠原圭吾と遭遇。篠原の持っていた鉈による一撃で頸動脈を損傷し、その場で失血死した。礼二は攻撃を受けながらも反撃し、深手を負ったまま警察に通報。搬送先の病院で死亡した。五十嵐氏は、静奈が事前に予防接種を受けていた点に疑念を抱いている。もしかすると、この一連の怪死事件は静奈によって計画されたものではないか──そう語っていた。



 ■第6の死者 篠原圭吾(18)――幻覚症状からの衰弱、熱傷ショックおよび呼吸不全


 青山悠、刈谷和彦と同様、狂犬病ウイルスの空気感染によって発症。二度目の事情聴取の時点で、すでに症状の兆候が見られた。憶測だが、彼は恐怖に抗うため、あらゆる手段を模索していたらしい。現場検証で訪れたマンションには、防刃ベスト、レッグカバー、アームカバーといった防護用具が残されており、盛り塩などの魔除けを施した跡もあった。殺害に用いたと思われる斧と鉈は、ホームセンターで購入されたことが確認されている。重度の幻覚症状の末、河合静奈、河合礼二、刈谷和彦を殺害したと見られる。そして、元凶となった洞窟内で、祠に供えられた蝋燭の火が引火。洞窟内に堆積したコウモリの排泄物が微生物によって分解され、硝酸塩を含む液体となって衣服に付着していたことが、燃焼を促進した可能性があると推測されている。



 ■最後の死者 遠藤健司(21)――狂犬病発症からの急性脳髄炎


 青山悠、刈谷和彦と同じく、狂犬病ウイルスの空気感染で発症。病院で「夏風邪」と診断された時には、すでに症状が始まっていた可能性が高い。偶然子犬に噛まれたことが発端となり、医師はその噛み跡を誤って判断した。同じ症状を示した他メンバーとの潜伏期間を比較すると、この推測は信憑性が高い。サークルメンバーの中で最も早く狂犬病ウイルスが発見されたものの、治療の甲斐なく、隔離病棟で死亡が確認された。


 オカルトサークルが残した「水の悪鬼伝承レポート」は今も動画サイトに残り、再生され続けている。しかし、その出演者である学生全員が死亡した事実を知る者は少ない。


「水が怖い――か」


 誰に言うでもなく、俺の口から事件で度々聞いた台詞を口遊む。おそらく全員が、水の悪鬼という幻覚に怯えながら、死んでいったのだろう。河合静奈が語っていた伝承の本質は、狂犬病の症状である「恐水症」を指していたのかもしれない。そしてそれは、感染源である洞窟に近づかぬよう、後世への教訓として語り継がれてきたのだろう。


 だが、オカルトサークルのメンバーは、その禁を破った。もしかすれば、ある意味で罰――“祟り”だったと言えるのかもしれない。それとも、五十嵐さんの想像通り、河合静奈が何らかの犯罪計画を企て、サークルの仲間を間接的に死へ追いやったという話なのか。いずれにせよ、容疑者がすでに死亡している今となっては、すべて机上の空論でしかない。


 あの洞窟は、事件から数日後、完全に封鎖された。県の衛生当局と動物防疫員、それに環境省の職員までが動員され、入口周辺は黄色い規制テープと金属バリケードで覆われた。中に入れるのは、防護服を着た関係者だけだ。


 調査で分かったのは、洞窟内に生息していたコウモリの一部が狂犬病ウイルスを保有していたという事実だった。想像以上に数が多く、専門家は「自然界での感染源としては極めて危険」と判断したらしい。捕獲したコウモリはすべて検査に回され、一部はその場で安楽死処置が行われた。


 内部は糞や死骸が除去され、次亜塩素酸ナトリウムによる徹底的な除染が施されたと聞く。だが、完全な安全は保障できないとの理由で、洞窟そのものは鉄柵と溶接板で塞がれ、今後は永久立ち入り禁止とされた。


 あの中で何が起きたのか——我々はもう二度と確かめることはできない。だが、封鎖されてなお、あの暗い入口が脳裏に焼き付いて離れない。


 俺はそっとメモ帳を閉じ、冷めきったコーヒーを飲み干した。

これにて「水の悪鬼伝承」は終幕です。お読みいただきありがとうございます。

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