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新たなる犠牲者

 ひどい悪夢を見た。強大な“なにか”に追われ、迷路のような街の中を隠れながら彷徨う。息を潜め、いつ見つかるかわからない恐怖に怯え、身を縮めて潜む。だが、行きついた先には、なぜかその恐怖の対象が先回りして待ち構えていて、慌てて別の路地へと逃げ出す。捕まったら殺される――そんな漠然とした恐怖が、心のすべてを支配していた。


 そして、逃げているあいだ、常に耳に響いているのは、水滴が一粒一粒、滴る音。一定間隔で規則的に流れ続けるその音が、ひどく不愉快で、嫌悪感を掻き立ててくる。息は切れ、心臓が潰れるほどに脈打ち、自分の血液が体内を流れているのをリアルに感じるほどだ。


 なぜ追われているのか? なぜ逃げているのか? なぜ殺されると思い込んでいるのか?


 まるでB級映画のように、脈絡もなく物語は始まり、解決することなく終わる。そして、因果のネタバレすらないチープなシナリオ――それが、この悪夢の正体だ。目覚めたときには、ただひたすら“追われていた時の恐怖”だけが胸に残っている。最近は、いつもこんな目覚め方ばかりだ。


 ◇


 ――翌日の早朝、刈谷先輩から連絡があった。


 それは、青山先輩が亡くなったという一報だった。詳しいことまでは聞けなかったが、実家が火事で全焼し、それに巻き込まれて重度の火傷を負い、病院で死亡したらしい。


 なぜ刈谷先輩が、いち早くその情報を入手できたのかというと――彼の母親と青山先輩の母親が兄弟で、つまり親戚関係にあたるのだという。さらに詳しく聞こうとしたが、先輩はそれ以上話すことなく電話を切ってしまった。


 自分でも携帯で調べてみたが、都内で火災があったという記事こそ見つかったものの、そこに青山先輩との関係性を示す記述はなかった。


 嫌な気分のまま、大学へ足を運ぶ。だが、静奈、刈谷先輩、遠藤先輩、そして渦中の青山先輩――誰一人として、構内のどこにも姿を見せていなかった。何度か連絡を取ってみたが、誰ともつながらない。構内にいた共通の友人や先輩にも尋ねてみたが、誰一人として所在を知る者はいなかった。


 大げさかもしれないが――まるで知らない世界に、独りだけポツンと取り残されたような、そんな虚無感に苛まれる。もしかしてこれは、壮大なドッキリ企画なんじゃないか? 発案者は黒塚先輩で、サークルの皆がグル。俺はその企画のモニタリング対象で、物語の主人公にして道化役。


 水の悪鬼伝承のレポートをきっかけに、サークルの仲間が次々に死んでいく。怯え、困惑し、追い詰められていく俺の姿を、皆が笑って見ているんじゃないか? そんな感情がふと湧き、怒りが込み上げる。

 けれど――もしそれが本当なら、むしろ嬉しいとさえ思ってしまう。自分でも意味がわからなくて、部室で頭を抱える。


 漠然とした不安と恐怖が、いつの間にか日常に溶け込み、俺の内側を、静かに、どす黒く汚していくような気がした。――なにもかもが、どうでもよくなってきた。


『――ジリリリリリリン。――ジリリリリリリン』


 電子音で再現された黒電話の呼び出し音が鳴り響き、びくっと体を震わせて目を覚ます。心臓が高鳴り、漠然とした恐怖だけが胸に残っていた。覚えていないが、どうやら、また悪夢を見ていたらしい。


 ――ここは、部室か。何かの強迫観念なのか、最近の俺は、自分でもわかるほどに“病んでいる”。……とはいえ、心療内科なんて利用したいとは思わなかった。窓の外に視線を向けると、夕日が沈みかけている時間帯だった。


『――ジリリリリリリン。――ジリリリリリリン』


 未だに鳴り止まない携帯を手に取り、画面を確認する。表示された着信名は「五十嵐刑事」。何日か前に事情聴取を受けた、あの刑事さんからの電話だった。俺が呪いや悪夢、そして“尾行者”の存在を強く意識しはじめたのは――五十嵐刑事の事情聴取を終えた、まさにあの日からだった。


 ……すべて、この人のせいなんじゃないか。そんな思いが頭をもたげ、「五十嵐刑事」という表示に、思わず憎しみが湧く。しばらく無視していたが、着信は切れる気配がなかった。仕方なく、通話ボタンを押す。


「――もしもし」


 心を落ち着けて、電話に出る。五十嵐刑事の話は、再び事情聴取をしたいという内容だった。気は進まなかったが、俺は了承した。――なぜか? はっきりとした理由なんて、ない。ただ、どうしても思えてしまう。この悪夢のような物語が始まったのは、あの日、五十嵐刑事に出会ったときからだったと。


 意味なんて、ないのかもしれない。けれど、もうこんな非日常の連続には、うんざりしていた。得体の知れない“影”に追われるのも、悪夢にうなされるのも、友人を失うのも――もう、終わりにしたかった。


 ◇


 俺が指定した待ち合わせ場所は、サークルでよく使っているファミレスにした。あそこは年中通して客が少ないし、運が良ければ、サークルの誰かが顔を出すかもしれない。そのことを五十嵐刑事に伝えると、彼は二つ返事で了承してくれた。事情聴取ということだったから、てっきり警察署に出頭してほしいと言われるかと思っていたので少し意外だった。


 ──時間は夜の19時。ファミレスに着くと、すでに五十嵐刑事と松田刑事が窓際の席に座り、中から手を振っているのが見えた。入口で店員に「待ち合わせです」と伝え、五十嵐刑事の座る席を指さす。普通のファミレスなら混み始める時間帯のはずだが、この店には客が一組も見当たらない。けれど厨房には七人ほどの従業員が、忙しそうに調理をしている姿が見えた。


 どうやら今日も、売上の大半を占める出前注文が大量に入っているらしい。……本当に変わった店だ。もしかしたら、系列店すべての出前をこの店が一括で請け負っているんじゃないか? ──最近はそんなふうに疑っている。


「どうも、急にお呼び立てして申し訳ありませんね」


「いえ、こちらこそ、どうもです」


 俺が近づくと、五十嵐刑事と松田刑事は立ち上がり、軽く会釈してから対面に座るよう促してきた。五十嵐刑事は以前と同じく、柔らかな笑顔を浮かべている。一方の松田刑事も、以前会ったときと変わらず無口で、少し堅い態度が印象に残る。


「なんでも頼んでください。……いや、経費で落ちるかどうかは微妙ですけどね。ははっ。ま、気にせずどうぞ」


 五十嵐刑事は気さくな笑顔でメニューを差し出してくる。二人はドリンクバーだけのようで、アイスコーヒーとお冷が二つ、テーブルの上に置かれていた。俺も「ドリンクバーでいいです」と答えると、「遠慮しなくてもいいですよ」と促される。……正直なところ、最近はいろんなことが重なりすぎて、食欲があるのかないのか、自分でもよくわからなくなっていた。


「いえ、お気持ちだけで。あまり食欲がなくて」


「そうですか、では……」


 五十嵐刑事はドリンクバーを注文に追加し、「どうぞ」と軽くジェスチャーした。俺はドリンクバーに赴き、氷をたっぷり入れた適当なブレンドジュースを作って席に戻った。


「今日、来てもらったのはですね、二、三、聞きたいことがありまして」


「はぁ、俺で分かることであれば……」


 五十嵐刑事は軽く微笑みながら、ノートをテーブルに広げてページをめくる。松田刑事は相変わらず、メモに何やら書き始めている。


「えっと、同じサークルに所属する遠藤健司さんについてですが……何か聞いておられますか?」


 的を射ていないというか、カマをかけているような質問に、思わず頭をひねる。「何か」という言葉の範囲が広すぎて、どう答えればいいのか分からなかった。


「ええと……何かと言われても、特には。最近会ってないですし、携帯に連絡はありましたけど、こちらからの返信には応答がなくて……」


「ほう、連絡があったんですか? それはいつの話です?」


 ――いつだったかな? 俺は携帯を取り出し、アプリを開いて三日前に届いた遠藤先輩からの空欄メッセージと、俺が返信した内容を二人に見せた。


「三日前ですか。最後に会ったのは、いつですか?」


「えーと、ほら、刑事さんが大学に来たあの日です。あの日以来、遠藤先輩には会ってません」


 松田刑事はペンを走らせながら、一語一句もらさずメモに記しているようだった。五十嵐刑事は「ふむ」と頷き、ノートに視線を落とす。そしてゆっくり顔を上げ、口を開いた。


「狂犬病のニュースが話題になっているのは、ご存じでしょうか?」


 突然の話題転換に、少し戸惑う。たしか昨日あたりから、ニュースで報じられていた。


「ああ、はい。ニュースで見ました」


 俺がそう答えると、五十嵐刑事は急に神妙な表情を浮かべ、声を潜めて静かな口調で語り始めた。


「これは、他言無用でお願いしたいのですが……。実は、その狂犬病を発症した方は、あなたのお知り合いの遠藤健司さんなんです」


 その言葉を聞いて、俺はただただ、言葉を失った。

お読みいただきありがとうございます。

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