お茶会
魔封じの輪を外して二日後、レイラは目を覚ました。
久しく感じることのなかった、魔力が体をめぐる感覚と、脳内の靄が晴れたようなすっきりした気持ちに、レイラは驚く。
心なしか鞭で打たれた傷も痛くない。
「調子がよろしいようでしたら、お風呂に入りましょう」
ベラに案内された浴室は、バラの香りがした。
浴槽から、湯気が出ている。
「お湯?」
レイラは驚いた。
伯爵家の使用人が臭くてはいけないので、使用人用の浴室は使わせてもらえたが、お湯を使わせてもらったことはなかった。
思い返せば、養父母が亡くなる前は、温かな湯に体を沈めたこともあったのだが、過去を思い出しても辛くなるだけなので、もう何年も忘れていた。
「もちろんお湯ですわ。どうぞゆったりなさって」
ベラは戸惑うレイラの服を脱がすと、浴槽に入るように促した。
「いい香り」
浴槽に体を沈めると、レイラは体がほぐれていくのを感じた。香油を垂らしてあるのだろう。お湯が香っている。
「それではお身体を洗っていきますね」
ベラはゆっくりとレイラの髪を洗い始める。
「あの、自分で洗えます」
長年、水洗いしかしていなかった髪だ。きっと汚れがひどいに違いない。
そんな髪の毛を他人に洗わせることに、レイラは申し訳ない気持ちになる。
「お気になさらず。私がやりたいのですから」
ベラに優しく微笑まれ、レイラは何も言えなくなった。
風呂から出たレイラは、用意された白いノースリーブのドレスを着た。
あまり装飾がなく、締め付けもないシンプルなものだが、品の良いデザインだ。布地は軽く柔らかい。
サイズがレイラにぴったりなので、レイラのために用意されたものだろう。
ベラによってくしけずられた黒髪は、艶やかに光を反射するようになった。
「今日はお天気が良いので、お庭に行ってみませんか?」
「お庭に?」
ベラの提案にレイラは驚いた。
「はい。そろそろ少しずつ運動をした方が良いとバーグマン医師が仰っておりました」
熱も下がり、魔封じの輪も外したのだから、体力を取り戻すために運動を心掛けたほうがいいのだそうだ。
レイラは素直に頷き、カペイラ家の庭園を散歩することにした。
紅色の百日紅の花が咲き誇っている。空は青く、優しい風がレイラの頬を撫でた。
「綺麗」
レイラは思わず足を止め、花に見とれる。
もうずっと、花を見ることさえ許されていなかった。
花はこんなにも美しいものだったのかと、レイラは驚く。
「こちらですよ」
レイラは、庭園の奥に用意されたテーブルへと、ベラに案内された。
テーブルの上にはティーポットとお菓子が用意されている。
「ここは……」
レイラは、その場所に見覚えがあった。
遠い昔。
養父母が生きていた頃、ここでお茶会をした。
カペイラ前侯爵と養父母、そしてレイラとゼナンで、おいしいお菓子とお茶を楽しんだ記憶がレイラの中によみがえる。
「お茶をお入れしますね」
ベラは茶器を用意して、レイラの前に熱いハーブティを置いた。
「他にどなたかがいらっしゃるのですか?」
ティーカップがもう一組置かれているのに気付いたレイラが訪ねると、ベラは「はい」と答えた。
「ああ、いらっしゃいました」
ベラが視線を向けた先に、ゼナンの姿があった。
「やあ。レイラ」
ゼナンは半そでのシャツにズボンというラフな格好をしている。そんな格好でもキラキラしている。
端正な顔で優しく微笑まれて、レイラはどきりとした。
「ゼナンさま」
「座ったままでいいよ」
立ち上がって挨拶をしようとしたレイラをゼナンは笑顔で制した。
ゼナンがレイラとテーブルを囲むように着席すると、ベラがゼナンのぶんのハーブティを差し出す。
「だいぶ元気になったね」
「はい」
ゼナンに言われて、レイラは頷く。
「おかげさまで、だいぶよくなりました」
魔封じの輪を外してもらったこともあり、ここ数年で一番といってよいほど、レイラの体は軽くなった。
ただ、体調が良くなれば、ここにいる理由がなくなる。レイラとしては複雑だ。
ベネトナシュ家に帰れと言われても仕方がないが、帰りたいとは思えない。
「……私は、帰らないといけないでしょうか?」
「帰りたいの?」
ゼナンに問われ、レイラは戸惑う。帰らなければいけないと言う謎の義務感は、いつの間にか消えてしまった。
「帰りたくはありません。でも、ここにいてもご迷惑でしょうから」
レイラはベネトナシュ家の養女だ。
戻りたいとは思えないけれど、カペイラ侯爵家に滞在し続けるわけにはいけない。
「迷惑なんかじゃない。レイラは好きなだけ、ここにいていいんだ」
ゼナンの目がレイラを映している。
「でも私は、異国の血を引くただの孤児なんです。こんなに良くしていただける人間じゃありません。それに、ゼナンさまの縁談にもさしさわります」
ゼナンの言葉は嬉しいが、レイラはその好意に甘えていいとは思えない。
こんな客人のような扱いをしている年頃の娘が屋敷にいたら、ゼナンの妻となる人は嫌がるだろう。
「レイラ! 何を言うのだ!」
ゼナンが大声を出したので、レイラはびくりとした。
「ごめん。大きい声を出して」
ゼナンはレイラの顔が青ざめたのに気付いて、慌てて謝罪する。
「レイラ。俺にとってレイラは、とても大切な人だ。異国の血を引いていようが、孤児だろうが関係ない。そんなことで、自分を卑下する必要はない」
「……ゼナンさま」
「それに。俺は結婚するなら、君がいい」
ゼナンの言葉にレイラは目を見開いた。
ゼナンが冗談でそんなことを言うはずがないとわかっていても、にわかには信じがたい言葉だ。
「子供のころから君が好きだ。返事はすぐでなくていい」
そう言うとゼナンは優しく笑んだ。