幼馴染 1
ゼナン視点です。
その日、ゼナンは幼馴染であるレイラ・ベネトナシュに会うために、ベネトナシュ伯爵と会う約束をしていた。
ゼナンより二つ下のレイラとは、もう五年も会っていない。
ゼナンとレイラは幼馴染だ。そして、ゼナンの初恋の相手でもある。
この国では珍しい、漆黒の髪を持つ少女は可憐で美しく、ゼナンは一目で恋に落ちた。
本当は、これから花開くであろう少女と、何の約束もしないまま隣国のアルザに留学などしたくなかったが、ゼナンの留学は国が決めたもので、断れないものだった。
自分を忘れてほしくなくて、ゼナンは留学先から、レイラに手紙を出した。
だが、レイラからではなく、オラル・ベネトナシュから『病気療養中である』と返信が来た。
文面から見るに、おそらくレイラに手紙を届けてもいないようだ。
ゼナンの父の話では、レイラは帝都から離れた領地にこもり、社交界に顔を出すこともしないらしい。
大病を患っているのか、オラル・ベネトナシュとうまくいっていなくて領地に送られたのか。なんにせよ、オラル・ベネトナシュは親友の養女を案じたゼナンの父にも、それ以上のことを答えようとはしなかった。
そしてゼナンの父、ロバルは、オラルが信用できず、レイラのことが気がかりでありながらも、経済的な問題もあり、ベネトナシュ家との縁を切ってしまった。
ロバルはもうベネトナシュ家に関わる気はない。
レイラのことが気にはなっても、異国にいるゼナンとしては、どうしようもなかった。
国に帰ってすぐ動けなかったのは、ゼナンが侯爵家の爵位を継ぐ引継ぎで忙しかったからだ。
ようやくベネトナシュ家に約束を取り付けたのは、爵位を得てから半年がすぎていた。
オラルとしては、切れてしまった領地間取引を復活させたい一心だろう。
屋敷を訪れると、案内に現れたのはマーダルという、ゼナンの知らぬ男だった。
当主が変わったのだから、使用人の顔が変わっていても不思議はない。
そつのない対応だが、どこか陰湿なものを感じさせる。ゼナンは嫌な予感がした。
懐かしいはずの屋敷はどこも変わっていないが、ゼナンにはなぜか違うもののように思える。家主が変わるとそこに漂う空気が違ってしまうのだろうか。
案内された応接室は、内装が変わっていて、昔飾られていた絵画とは別のものが掛けられていた。
オラル・ベネトナシュは、うやうやしくゼナンを迎えた。
オラルはやせ型で、狡猾そうな灰色の目をしている。
オラルとしてはゼナンの機嫌を取り、前伯爵時代のような関係に戻したいのだろう。やたらと、ゼナンを持ち上げ、商売の話に持っていこうとする。
「それで、レイラはどこに?」
適当にオラルの話を打ち切って、ゼナンは本題を切り出した。
オラルは、一瞬、顔をしかめた。
「領地で療養しております」
明らかに話をしたくないのが見て取れた。
「病気ですか?」
「……ええ、まあ」
オラルはあいまいに頷く。
「もしよろしければ、ご領地の方に見舞いに行きたいのですが」
「……失礼ですが、それはおやめいただいた方がよろしいかと」
オラルは首を振った。
「病が重いならなおさら──」
「違います。レイラはその……素行が悪く、その、侯爵さまに会わせるわけにはまいりません。幼いときはどうかは知りませんが、人は変わるものですから」
オラルはにやりと笑う。
「素行が悪い? 病気ではないのか?」
ゼナンは自分の耳を疑った。目の前の男はいったい何を言おうとしているのか。
「病気と言えば病気なのでしょう。色狂いなのですよ。領地の館に、男を何人も侍らせております」
「え?」
意味が分からないゼナンに、オラルはレイラの色狂いを隠すために、領地に送ったが、いまだ治ることがないと告げる。
「あの女は、兄夫婦の血を分けた娘ではありません。私としてもなんとかマトモになってほしいと願っておりますが、異国のどこの馬の骨ともわからぬ娘ですから、やむを得ないのでしょう」
オラルは大げさに肩をすくめてから、ため息をついた。
その時、ノックの音がして、若い女性が入ってきた。
鮮やかな金髪で、胸もとが大きくあいたドレスを着ている。整った顔立ち──だが、ゼナンは、一目見て、その女性を苦手なタイプだと思った。
「お父さま、お呼びになりまして?」
「ああ。スカーレット。こちらはカペイラ侯爵だ。侯爵、こちらは娘のスカーレットです」
オラルは立ち上がると、唐突に紹介をはじめた。
「まあ、カペイラ侯爵さま。スカーレットです。よろしくお願いいたします」
スカーレットが淑女の礼をする。
「伯爵、これはどういうことだ?」
ゼナンはレイラに会いたいとは言ったが、別にオラルの娘に会いたいなどとは言っていない。
「なぜ、娘が突然、割り込んでくる?」
「いえ。その、レイラよりうちの娘の方がよろしいのではないかと」
オラルはゼナンが怒るとは思っていなかったのだろう。慌てて頭を下げる。
「そうですわ。侯爵さま。あんな烏のような娘より、私の方が美しいですもの」
スカーレットは、ゼナンの横に座り、しなだれかかろうとした。
「俺に触るな」
ゼナンはそれを振りほどいて、立ち上がる。
腹が立った。
確かにスカーレットは美しい部類に入るだろう。だが、人を見下すような物言いは、内面の醜さを表している。
「伯爵、父があなたを信用できず縁を切った意味がわかった。俺がいつ、娘を紹介しろと言った? これほど失礼な男だったとはな。俺も二度と伯爵を信用することはないだろう」
ゼナンはそういい捨てる。
オラルとスカーレットは必死に頭を下げたが、ゼナンはそのまま屋敷を出た。
──あの親子は信用できない。あの場で娘がやってきたのは、最初から俺と娘をくっつけようとする算段だったのだろう。そう考えると、レイラの話も本当かどうか怪しい。
馬を走らせながら、ゼナンは思案する。
レイラが色狂いなどという話を信じたくないだけかもしれないとは思いつつ、そもそも伯爵はずいぶんとレイラを見下している。
そんなことを考えていたせいだろうか。
ゼナンは街道沿いに、黒髪の女性が倒れているのに気付いた。
──行き倒れだろうか。それにしても、黒髪は珍しい。
捨てておけず、ゼナンは女性のそばに立ち寄った。
かなり痩せているが、貴族の家のお仕着せを着ている。
呼吸はしているから、生きているのは間違いない。
──この服、どこかで。
使用人の服なんて、それほどデザインにバリエーションがあるわけではない。だが、ゼナンの記憶に引っかかった。
──ベネトナシュ家の服に似ている。
様子を見ようと顔を覗き込んで、ゼナンは絶句した。
記憶よりかなり頬がこけていて、しかも肌もあれているけれど。
そこにいたのは、レイラ・ベネトナシュだった。