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侯爵家

 目を覚ましたレイラは、まだ夢の中にいるのではないかと思った。

 レースのカーテン越しにさしこむ柔らかい光が、辺りを照らしている。

 柔らかいベッド。レイラがまとっているのは、絹の寝間着だ。

──ここはどこ?

 レイラの寝床は、地下の食糧庫の隅の木箱の上だ。

 薄暗くて、埃っぽい。夏でも冬でも、上掛けは薄い毛布一つ。夜着は十二歳のころからずっと同じものを着ている。あとの服は全てスカーレットに奪われたが、それだけはレイラのものだ。もっともかなりサイズがあわなくなっているが。

 それが何故、こんな綺麗で広い部屋、しかも養父母が生きていた時代に寝ていた時より立派なベッドに寝ているのだろう。

「お目覚めになりましたか?」

 優し気な笑みを浮かべた女性が、レイラを覗き込む。

 可愛らしいお仕着せを着ているところから見て、この家の使用人のようだ。

「あの」

 起き上がろうとしたレイラは、咳いてしまった。

 喉が痛い。派手に咳いたせいで、息が苦しい。

「熱はだいぶ下がりましたが、無理はなさらないでください」

 女性は寝ているようにと言うと、冷たい布でレイラの顔を拭いてくれた。

「ここは、カペイラ侯爵家でございます。レイラさまは、二日も寝込んでいらしたのです」

「カペイラ侯爵家?」

 カペイラ侯爵家と言えば、この国でもかなりの力を持った家だ。

 前伯爵夫妻が生きていた頃は、カペイラ侯爵と交流があった。

 レイラも養父母と一緒に侯爵とその息子のゼナンとお茶をしたりしていた。

 だが五年も前のことだ。オラルが侯爵家との交流を持っていたのか、レイラは全く分からない。確かなのは、ゼナンが留学のため異国に行くのでしばらく会えないと聞いていたことだけ。

 レイラにとっては養父母の死と、ゼナンの留学で完全に切れてしまっていた。

「高熱で倒れていらしたレイラさまを、侯爵さまがお連れになりました」

「侯爵さま?」

 レイラは記憶を辿る。

 街へ行くように言われ、屋敷を出たことまでははっきり覚えている。

──郵便の支局に行って、その後のことはあまり覚えていないわ。誰かに会った……気はするけれど。

「おなかは空いていらっしゃいませんか?」

「ええと……わかりません」

 空腹と言えば空腹なのだろうが、この五年、空腹でいることがあたりまえになっている。

「軽いものをお持ちいたしますので、少しお待ちくださいませ」

 女性は頭を下げて出ていった。

 レイラは寝ころんだまま、窓の方を見た。

 差し込む光のように何もかもがレイラには眩しく感じられる。

──本当にまだ夢を見ているのかしら。

 それにしてもなんと都合の良い夢なのか。

 軽いノックの音がして、先程の女性がワゴンを引いて戻ってきた。

「まだ体調が万全ではありませんから、とりあえずスープをお召し上がりください」

 女性はレイラの背に手を当て、起き上がるのを補助すると、背中に大きなクッションを置いてくれた。

 そして、レイラの前にスープを差し出した。

「喉が痛いと存じますので、少しぬるめにしております」

「……ありがとうございます」

 目の前にあるのは、野菜のスープだった。

 具は入っていないが、香り豊かで、わずかだが湯気が出ている。

 レイラはスプーンを手にして、スープを口に運んだ。

「……おいしいです」

 決して濃い味ではないけれど、深みのある優しい味だった。

 気が付けば、レイラはあっという間に完食してしていた。

「あの……ごちそうさまです」

「もっとお召し上がりになれますか?」

 レイラが頭を下げると、女性がレイラの様子を伺うように尋ねる。

「……いいえ。大丈夫です」

「当方のシェフがたくさん作ってしまったようなので、ご遠慮はなさらずともかまいませんよ」

 にこりと女性は微笑む。

「……では、もう一杯いただけますか?」

「はい」

 女性はワゴンの下の段から、別の皿を取り出した。最初から、そのつもりだったのだろう。

「食欲がおありでしたら、こちらのパンもどうぞ」

 出されたパンは、ふかふかの柔らかなパンだった。

 一口食べると、食欲が刺激されどんどん口に運ぶ。

 五年間、固くなってしまったパンか、カビがはえてしまったパンしか口にしていなかった。

 パンとはこんなにも柔らかで、甘いものだったのだ。

「本当はもっと召し上がっていただきたいのですけれど、突然たくさん食べるのもよくないと医師から聞いておりますので、最後にこちらをどうぞ」

 女性はワゴンから、また一品取り出した。

 オレンジ色の美しいゼリーだった。

「大丈夫ですよ。これはレイラさまのためのゼリーです」

 レイラの顔に何を見たのか、女性は微笑む。

「……ありがとうございます」

 ためらいを感じながらも、レイラはゼリーに手を伸ばした。

 もう長いこと、デザートなど口にしたことがない。

「なんて、おいしい……」

 なめらかな舌触りに、さわやかなオレンジの香りがして、甘酸っぱい。

 おそらくレイラの人生で一番おいしいゼリーだ。

「どうして、こんなに良くしてくださるのですか?」

 レイラはこんな扱いを受けてよい人間ではない。地べたを這い、泥水をすするべきだと、オラルは言っていた。オラルは、ことあるごとにレイラを異国人とののしり、毛嫌いしていた。

 黒髪は、東方のラゼルダ王国に多い。ラゼルダ王国は魔術がここよりも盛んな国と聞いている。

 オラルはあまり魔力をもっていないせいか、魔術をとても毛嫌いしていた。

「一番は、侯爵さまがそうしたいとおっしゃるからですわ」

「侯爵さまが?」

 レイラの記憶にあるカペイラ侯爵は、端正だが鋭い目の男性だった。養父と同じ年だから、今は四十歳くらいだろうか。

「それではゆっくりお休みください。私はベラと申します。御用があるときはそちらのベルを鳴らしてくださいませ」

 女性、ベラは、再びレイラをベッドに寝かすと、食器を片付けて部屋から出て行った。

──いつ、私はここを追い出されるのかしら。

 侯爵がどうしてレイラをここに連れてきたのかはレイラにはわからないけれど、熱を出したレイラに同情したからに違いない。熱が下がれば、また、伯爵家へと戻されるだろう。

 そこまで考えて、レイラはぶるりと震えた。

 二日も寝ていたと、ベラは言っていた。

 つまり、あの日、街へ行ってから二日も帰っていないということだ。

 レイラがどうなろうが誰も心配しないけれど、もし帰ったら、きっと厳しい折檻が待っている。

 そう思うと、レイラは怖くてたまらない。

 再び熱が上がってきたのだろうか。

 レイラは意識を保てなくなって、眠りについた。

 

 

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