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再会

 レイラは積み上げられたシーツを丁寧に洗い、絞り上げる。水の冷たさが気になる季節ではないけれど、かなりの重労働だ。

 洗濯の魔術も存在するけれど、レイラは魔術を封じられている。

 魔術を使うのはさぼりであると言われ、魔術封じの腕輪をつけさせられているのだ。

 子供の頃から優秀な魔術師を夢見たレイラの夢は、養父母の死とともに消えた。

「ふう」

 レイラは洗い終えたシーツを裏庭の物干しに広げて干した。

 青い空に、白いシーツが映える。

「レイラ、廊下の掃除がまだじゃない! ぐずぐずしているんじゃないよ」

 ほんの一時、空を見上げることすら、許されない。

 おそらくレイラを見張っていた家政婦長のミナの金切り声に、レイラは軽くため息をつく。

 家政婦長はレイラが休むことを良しとしない。

 仕事に慣れ、手際が良くなるにつれ、仕事はどんどん増えた。

 洗濯に、掃除、そして厨房の下働きと、きつい仕事ばかり任され、休む暇もない。

 与えられるわずかな食事で、朝早くに起き、夜眠る直前まで働き続けるため、レイラの体は痩せぎすで、肌はいつも荒れていた。

 レイラが過酷な労働環境にいるのは、事情がある。

 レイラは五年前に亡くなったベネトナシュ伯爵夫妻の養女だった。

 レイラ自身知らされていないことだったが、赤子の時に、子のいない伯爵夫妻に引き取られたらしい。

 突然の事故死によって、伯爵の弟であるオラル・ベネトナシュが伯爵家の爵位を継いだ時、レイラの存在が問題になった。

 養女とはいえ、帝国法では、子の方が実の弟よりも継承権が高いのだ。

 ただ、レイラはまだ十二歳で未成年だったため、オラル・ベネトナシュが爵位を継ぐことが認められた。

 オラルには既に子がおり、養女であるレイラを『令嬢』として養育する気は全くなかった。

 レイラがこの国には珍しい、黒髪、黒眼であったため、兄夫婦が戯れで異国の孤児を拾ってきたのだと、オラルは考えており、そのような者がベネトナシュ家の人間だと思いたくはないらしい。

 ただ、十二歳の行くあてのないレイラを、放り出すことはしなかった。いや、むしろどこかに奉公にでもやってもらったほうが、レイラには幸せだったかもしれない。

 レイラを屋敷に置いておく代わりに、ただで働かせることにしたのだ。

 過酷な下働きをさせられても、『娘』であるから、無償だ。

 最初は、レイラのために意見してくれた使用人はいた。だが、そういう使用人のほとんどは辞めさせられていき、もはやレイラを伯爵家の子女として扱うものは、ほぼいない。

 桶にいっぱい張った水を運ぶと、レイラは廊下の掃除を始めた。

 家政婦長がモップがけを許さないので、すべて雑巾で拭き清める必要がある。魔術もそうだが、家政婦長もオラルも、仕事の効率などどうでもよく、レイラを苦しめたいのだ。

「あーら。ごめんなさーい」

 パシャンという水音がして、レイラが振り返ると、桶が倒れ、汚れた水が床にこぼれている。

 せっかく拭きあげたばかりなのに、やり直しだ。

 声の主は、オラルの一人娘のスカーレットだった。

 勝ち誇ったような笑みを浮かべている。年齢はレイラと同じ十七歳。鮮やかな金髪をもつ美少女だ。

「こんなところに置いておくのが悪いのよ」

 どうやら廊下の片隅に置いてあった桶をわざわざ蹴飛ばしたのだろう。

「全く転んでけがをしたら、どうするの? 謝りなさいよ」

 スカーレットはいつもこうしてレイラの邪魔をする。完全に蔑み罵倒しても良い相手だとの認識だ。

 冷静に考えれば、レイラが謝らなければならないことは何もない。

「申し訳ございません」

 だが、レイラは膝をついて頭を下げる。

 ここで意地を張ると、家政婦長に鞭で打たれてしまう。

 隅に置いてあった桶を倒したのは、スカーレットの方だと正論を述べても、受け入れられてはもらえない。

 この場合、怖いのはスカーレットより、伯爵の機嫌に敏感な家政婦長だ。

「ふん。気を付けることね」

 満足したスカーレットは踵を返す。

 レイラは、ほっと溜息をついた。

 悔しいと思う気持ちは、とうに消えた。怒りも悲しみも、沸き上がらない。

 レイラは、濡れた床を丁寧に拭き始めた。

 感情が鈍くなってきた自覚はある。

 もう生きていることが辛い。

 スカーレットをはじめ、オラル伯爵、そしてその夫人であるメアリーが、レイラを虐げることを推奨しているため、家政婦長も家令もちょっとしたことで、レイラを鞭うつ。

 暴力の支配を受けているせいか、不思議とここから逃げるという発想がおこらない。

 思考力もなくなってきたのだろう。

 ただ言われたことをして、食べて寝る。

 それだけの生活だ。

「全くいつまで、そこの掃除をしているんだい! 本当に()()ね」

 通りかかった家政婦長が再び、レイラに怒鳴り散らす。

「すみません。ミナさま」

 レイラは再び床に膝をついた状態で頭を下げる。

「鞭を打たれたくなかったら、さっさと終わらせなさい。まだ仕事はたくさんあるのだから!」

「はい」

 レイラは口答えせず、手を動かす。

 遅くなったのは、レイラのせいではない。

 だが、それを口にしたら、怒られるのはレイラの方だ。

 すべてが虚ろになりつつあるレイラだが、怒られたり、ぶたれたりするのは、嫌だった。

 皮肉にも感情が揺れ動くのは、暴力を振るわれている時だけなことに、レイラは気づいていない。

──もう、こんな生活を終わりにしたい。

 レイラは鈍い頭でそんなことを考える。

 だが、具体的にどうしたらいいかは、思いつかなかった。




 その日。

 レイラは寒気を感じ、体のだるさに気づいた。

 熱があるようだった。

 だが、体調が不良でもレイラは休むことはできない。

「今日は、街に郵便を出しに行って。夕方まで帰ってこなくていいわ」

 洗濯ものを洗おうとしていたレイラに、家政婦長がかごをよこした。

 かごの中には、郵便物と銀貨が入っていた。

 レイラは何も言わずにそれを受け取る。

 どうやら、今日は客人が来るようだ。

 オラルは、レイラが客人の前に姿を現すことを極端に嫌う。

 だから、いつも客が来る日は、こうして街に行かされることが多い。

 屋敷で働かされるより、外に出る方がレイラとしても気楽だ。

 レイラは、ふらつきを感じながらも街へと向かった。

 伯爵家は帝都の郊外にあるので、郵便物を扱う支局まで遠い。

 途中、道端で何回も休みながら、支局についた時には、既に昼になっていた。

 いつもなら、わずかなこずかいで何かを食べるのだが、食欲もない。

──今日はもう、帰った方がいいかもしれない。

 夕方まで帰るなと言われているのだから、ゆっくり休みながら歩けばいい。

 そう思い、街道に戻り道をたどる。

 ちょうど半分くらいの距離を歩いたところで限界を感じ、道のわきにあった木陰で休むことにした。

 レイラが思っていた以上に体力は限界だったらしく、腰を下ろすとそのまま眠ってしまった。



「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」

 体を揺さぶられ、レイラは目を開いた。

 寝起きで、状況がよくわからない。

 短いライトブラウンの髪をした、びっくりするくらい端正な男性の顔が目の前にあった。

「誰?」

 かすれた声で尋ねる。

「おまえ……レイラだよな?」 

 男はレイラの顔に見覚えがあるらしい。

「俺だよ。ゼナンだ」

「ゼナン……さま?」

 レイラは首を傾げる。その名前に記憶はあるが、その少年は、レイラよりも背が低かった。

──このひとは、誰だろう?

 高熱で混濁した頭でレイラは考えたが、考えがまとまらない。

「レイラ、すごい熱なのに、どうしてこんなところに寝ている?」

 ゼナンが怪訝な顔をしている。

「こんな……ところ?」

 レイラはハッとなった。

 日は既に傾きかけている。

「いけない!」

 レイラは体を起こし、立ち上がった。

「レイラ?」

「帰らないと……」

 夕方に戻らなければ、また激しい折檻が待っている。

 だが、歩こうと足を踏み出したレイラは、ふらつき、ゼナンの体へ倒れこんだ。

「レイラ?」

──このひとはいったい、なぜ、私なんかを心配しているのだろう?

 自分を気遣うゼナンの声を聴きながら、レイラは意識を失った。

 

 

 

 

 

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