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5 紅林、後宮の失せ物事件を知る

 後宮があつらえられて三ヶ月。

 紅林が宮女として勤めだして、早ひと月が経っていた。


「ちょっと! そこの狐憑きの宮女は、あたしの宮の近くには配さないでちょうだい! 気味悪いったらありゃしないわ!」

「も、申し訳ございません、(そう)(けん)()様……っ!」


 宋賢妃の怒鳴り声に、その場にいた宮女達は一斉に掃除の手を止め頭を下げた。

 彼女の言う狐憑きが誰を指すのか、その場にいた誰もが理解しており、皆、伏せた顔の下で巻き込まれた苛立ちをあらわにしている。

 ピリピリとした皆の視線が一人の宮女――紅林へと向けられていた。

 紅林が掃除していたら、間の悪いことに、ちょうど宮から出てきた宋賢妃の不興を買ってしまったのだ。


「まったく、なんでこんな不吉な女が宮女になれたのかしら。その可愛いらしい顔で、どこかの高官にでもおねだりしたのかしらねえ?」


 嘲弄が含まれた声音に、宋賢妃に付き従っていた侍女達も追従してクスクスと笑みを漏らす。

 しかし、紅林は悲しむことも申し訳なさに涙ぐむこともなく、密かに嘆息した。

 こういった手合いはまともに取り合わない方が良い。

 四夫人という、妃嬪の中でも最上位に位置する妃である。

 かつて紅林が紅玉であった時分にも、この手の妃はいた。

 彼女たちの矜持は総じて空よりも高いものである。たとえ謝罪の言葉でも、いったん口を開いたが最後。被せるようにして矢継ぎ早に口撃してくる。

 彼女達のような者は、得てして相手を黙らせられる権力を持っている、という自負に快楽を覚えるらしい。だから、頭を下げ謝罪の意は表しつつも、無言を貫き通すのが一番であった。


「あなた、翠月国の民よね。だったら一度くらいは狐憑きの話は聞いたことあるでしょう。それなのに、よくも平然と陛下のいらっしゃる後宮に入ろうだなんて思えたものね」


 しかし、一度上った血は中々下がらないのか、宋賢妃は紅林への叱責をやめようとはしない。

 紅林は、チラと目だけで宋賢妃の様子を窺った。

 きっちりと結い上げられた墨色の髪。前髪から覗く紫の瞳は妖艶で、尖った目尻と相性が良い。一言で言えば宋賢妃は美人なのだが、どうにも性格にも尖ったところがあり、癇癪的な物言いが多い彼女は、宮女からの評判はよろしくない。


「そういえば、近頃後宮で失せ物が頻発しているんだとか。とうとうこの間、うちの(せい)(らん)(きゅう)でもあたしの歩揺が()くなったのよねえ。この騒ぎ、ちょうどあなたが来たひと月くらい前からだけど……何か知らないかしら?」


 実に白々しい言い方をする。はっきりと疑っていると言えばいいのに。


「申し訳ありませんが、私には存じ上げぬことです」


 あらそう、と意外にも宋賢妃はあっさりと引き下がったが、クスクスと聞こえる侍女たちの笑い声を聞けば、彼女がどのような表情で言ったのか予想もつく。


「賢妃様。きっと、後宮に忍びこんだ悪い狐が盗んでいったのでしょう」

「あらあら、じゃあきっと今頃、巣穴にたっぷりとため込んでいるのかも。内侍省に言って捕まえてもらわないとねえ」


 これは長くなりそうだ、と周囲にもうんざりとした空気が満ち始めた時。

 宋賢妃の尖った声とは対照的な、真綿のようにふわりと耳に心地良い声が場に落とされた。


「まあまあ、そのくらいでよろしいではありませんか。宋賢妃様」


 顔を上げることが許されておらず姿は確認できないが、皆にはその声だけで誰なのか分かった。

 宮女達の間に安堵の空気が流れる。


「あらぁ、これはこれは(しゅ)()()様じゃありませんか。こんな南側まで足を運ばれるとは、さぞお疲れでしょう? どうぞ足を止められず通り過ぎてくださって結構ですよ」


 宋賢妃の反対側からやって来たのは、彼女と同じ四夫人の位にいる朱貴妃であった。

 宋賢妃は手を横に大きく差し出し、「さあ」と朱貴妃に進路を譲ろうとする。

 しかし、それは決して敬いや親切心からではなく、邪魔をするなという意味だと誰もが気づいていた。

 後宮に配置される宮は、北側に行くほど高位とされる。

 当然、中央一番北奥に置かれているのは皇后の宮だが、今は空となっている。

 その次に北側に位置するのが四夫人の宮だが、四夫人内でも暗黙の序列があり、貴妃と賢妃では貴妃宮の方がより北に置かれる。

 宋賢妃は常々それを良くは思っておらず、何かと朱貴妃に噛みつくところがあった。

 安堵の空気も束の間、再び緊張を帯びたものになる。


「宋賢妃様、宮女が後宮内を掃除するのは当然のこととは思いません?」


 どうやら宋賢妃の怒声は、遠くまで響き渡っていたらしい。


「な、何よ急に」

「わたくし達が心地よく過ごせているのは彼女達のおかげでは。それを、宮に近づくなとは……宋賢妃様は、ご自分の宮の周りが汚れているほうが落ち着くのでしょうか?」

「はあ!? そんなわけないでしょ!」

「では、今回の件は誰も悪くありませんね。皆、自分の仕事をしていただけですから」

「だからぁ! 普通の宮女じゃなくて、あたしが言ってるのはその狐憑き――」

「宋賢妃様」


 ぴしゃりと朱貴妃の声が遮った。

 静かだが有無を言わせぬ重みがある。


「彼女がここ後宮にいるということは、内侍省が許可したということ。それはつまり、陛下がお許しあそばされたも同じこと」


 朱貴妃の言わんとしていることが分かったのか、宋賢妃はぐっと声を詰まらせていた。


「陛下が後宮に入れると決められた宮女を愚弄するのは、それすなわち陛下への愚弄も同じことでは?」

「……っ!」


 分が悪いのは、どこからどう見ても宋賢妃であった。


「も、もういいわよ!」


 宋賢妃は癇癪的な叫びを上げると、踵を返し自分の宮へと戻って行ってしまった。

 侍女達がバタバタと後を追いかける足音が聞こえなくなれば、ようやく場に完全なる安堵が訪れる。


「さあ、皆さん。もう仕事に戻って大丈夫ですよ」


 鳶色の緩い巻き髪と蜜色の瞳。常に薄ら微笑まれている口元と、朱貴妃は声だけでなくその姿まで宋賢妃とは対照的であった。

 もちろん、性格も容姿を模したように穏やかそのもの。

 宮女達は皆、裏で宋賢妃の悪口は言っても、朱貴妃のことは決して軽んじない。

 だから宮女達は、本当はここで紅林に一言くらい文句を言いたかったのだろうが、朱貴妃の手前、睥睨するだけで仕事へと戻っていった。


「朱貴妃様、誠にありがとうございます」


 紅林は今度は謝罪ではなく感謝に頭を下げた。

 もし彼女が通りかかってくれなかったら、腰を痛めてしまうところだった。

 朱貴妃は「気にしないで」とふわりと笑うと、しとやかな歩みで貴妃の宮――紅緋宮へと去って行ってしまった。

 皆が去ってしまった場所で一人、紅林は宋賢妃の言葉を思い出していた。



「失せ物……ねえ」


 まさか、歩揺が足をはやして勝手に家出するわけもない。

 失せ物――というより窃盗は、後宮では昔から特に珍しいものではない。


「彼女達は、犯人が巣穴にため込んでるって思ってるようだけど、そんなはずないじゃない」


 林王朝の後宮でも失せ物の話は欲ある類いで、その行方もたいていの場合は同じだった。


「私が入った頃からっていうと、一ヶ月以上も盗みが続いているのね。なのに、内侍省は動いてもないだなんて……」


 内侍省は後宮を管理する部省であり、宮廷の官吏がその任にあたっている。彼らには後宮の綱紀を正す役目があるはずなのだが。

 王朝最盛期の緩んだ空気があるわけでもなく、末期の退廃した気勢でもない、できたばかりの後宮だというのに、窃盗がはびこるとは実にお粗末な仕事具合だ。


「内侍省まで報告がいってないのか、内侍省も取るに足らないことと思って放置してるのか、どちらかってとこかしら」


 林王朝の後宮を知る者が一人でも残っていれば、このような雑事はすぐに解決しただろうに。

 しかし、あいにく林王朝の後宮は、中の者たちもろとも全て燃えてしまった。

 この件は、経験者が全くいないことの弊害なのかもしれない。


「だからって、私がどうこうしてあげる義理はないわね」


 下手に口出しして、内侍省に目を付けられたくはない。

 それに、と紅林は宋賢妃たちが消えた方へ顔を向けた。


「あの調子じゃ、ばれるのも時間の問題だもの」


 紅林は疲れを溜息と共に吐き出し、仕事に戻った。



少しでも面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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