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2 林紅玉、紅林になる

 林王朝が滅び、関王朝がたったあの日から五年。

 王宮を焼いた戦火は王都の大半に延焼し、王都はしばらく酷い有様だったが、今やその跡形はなく活気溢れる賑やかな街となっていた。


「ほら、()()! ぼやっとしてないで店の周りも掃除してきな!」

「すみません、すぐに行きます」


 花楼の女将は、妓女達が出した山のような衣の洗濯を終え店に戻ってきたばかりの娘――紅林を捕まえると、外へと追い出した。


「ったく、あんたみたいな奴ここに置いてやってるだけで感謝もんなんだよ。人の三倍は働きな!」

「……はい」

「あーあー! 辛気くさいったらありゃしない! 本当、その髪色といい幽鬼みたいな子だねえ」


 女将が紅林の髪色に目を眇めれば、娘は視線から逃げるように顔を俯けた。

 髪をまとめた上から被った手巾を、ぐいと目深に引き下げる。

 そういった一挙一動すらも気に食わないのだろう。女将は鼻でわざとらしく嫌悪の息を吐くと、しっしと犬を追い払うように手を振った。


「ほら、さっさと行きな! 言っとくけど、木の葉一枚でも残したら店には入れないからね!」


 言い捨てると、女将は娘の目の前でピシャリと扉を閉めてしまった。


「……木の葉一枚残らずだなんて、無茶を言うわ」


 不満げに声を曇らせるも、それでも紅林は箒を手にして大人しく花楼の外へと向かったのだった。

 春とはいえ、まだ風に冷たさが残っている。

 洗濯で凍えた指先に春風は堪える。紅林は、はぁと手に息を吹きかけながら壁にそって店の周りを掃いていく。碁盤の目状に区画整備されているため、隣の花楼との境もはっきりしており掃除はしやすかった。

 通りに並ぶ花楼はどれも築浅で、青竹色の柱の塗りもまだ剥げ落ちてはいない。今でこそ鮮やかな花楼がひしめく歓楽街だが、五年前は閑古鳥も鳴かずに逃げるほどの荒涼とした場所だったというのに。


「五年で随分と変わるものなのね……街も……私も」


紅林(こうりん)』――それが林紅玉の今の名であった。





 

 王都を脱出した後、紅玉は紅林と名を変え各地を転々とする生活を送ってきた。

 母が名付けた名を捨てるのは心苦しかったが、『林の血は絶やせ』と王都のみならず、遠く離れた僻村の民にすら声高に叫ばれる中では、林紅玉という名は捨てざるを得なかった。

 全てを失った上に名まで奪われるのかと虚しく思ったものだが、しかし紅林には母が与えてくれた命を粗末になどできなかった。


 死ねないのなら、やはり生き続けるしかない。

 幸いなことに、紅林が林紅玉だと気付く者はいなかった。

 皆、高い壁に囲まれた後宮で育った公主の顔など知らなかったのだ。

 おかげで残党狩りの目に留まることもなく、争乱で焼け出され家族を失った娘として生きてこられた。

 しかし、林紅玉だとバレはしなかったものの紅林には別の問題があり、それによって一所に留まることが許されなかった。


「――っおい、あの髪色。例の狐憑きじゃねえか」

「うわ、本当だ! 俺初めて見たよ」


 背後から向けられるヒソヒソとした男達の声に、紅林はハッとして脇道へと逃げ込んだ。箒を胸前でぎゅっと握りしめ、身を小さくして男達が遠くへ行くのを待つ。


「あーあ、お前の声が大きいから逃げちまったじゃねえかよ。せっかく顔を拝みたかったのに」

「悪ぃ悪ぃ。いやでもあれは驚くだろ。真っ白の髪なんて」

「ばあさま以外に見たことねーもんな!」

「ばあさまでもあそこまで白くはねぇさ」


 男達はそれ以上の興味はないのか、残念半分揶揄い半分といった調子の笑い声を上げながらどこかへと行ってしまった。

 男達の声だ充分に遠ざかれば箒を握り締めていた手からも力が抜け、紅林はほっと息をつく。


「これだからあまり外には出たくないんだけど……仕方ないわよね」


 紅林が一所に留まり続けられなかった理由――それは、すっかり本来の色を取り戻した白い髪にあった。

 翠月国の歴史から、白を纏う者は不吉の象徴といわれているが、それを歴史になぞらえて『狐憑き』と表すことがある。

 おかげでどこへ行っても、特異な白い髪を持つ紅林は『狐憑き』と後ろ指を指され、粗末な扱いを受けることが多かった。

 生きるためには食い扶持を自ら稼ぐ必要があるのだが、これが中々に難しい。


 手巾で髪を隠してやっと裏方や雑用で雇ってもらったり、物好きな者が興味本位で雇ってくれたりしたのだが、結局は噂が広まり騒ぎになると、すぐに解雇されてしまうのだ。

 そして、その街で働ける場所がなくなると、他の街へ移るという日々の繰り返しだった。

 どこへ行っても、紅林には安心して暮らせる場所は手に入らなかった。

 そして、一年前。

 どうせどこにも居場所がないのなら、いっそのこと王都――かつて母と過ごした場所の近くにいたいと思い戻って来た。

 (りん)の生き残りである紅林にとっては鬼門と言える王都。

 常々近寄らないようにと避けていたのだが、さすがに四年も経っていれば残党狩りもいなかった。

 そうして今は、人と接する機会が少ない、花楼の下女として働いている。


「こうして雇い続けてもらってるだけ、ありがたいって思わなきゃ」


 紅林は手巾を結びなおしながら自嘲した。

 飲食街で給事の仕事を探していた時、物好きな花楼の楼主に声を掛けられた。

 楼主は当初、紅林を妓女にしようと思っていたらしいが、他の妓女達が自分達まで狐憑きの同類だと思われたら困ると反対したのだ。

 結果、妓女ではなく下女として働くことで追い出されずに済んだ。

 正確に言うと、女将は不吉がって追い出そうとしたのだが、楼主がそれを拒んだのだ。

 中々豪胆な楼主だとありがたく思ったのも束の間、彼が本当は自分を手籠めにしようとしていただけと知った。

 彼の部屋で襲われかけた時、運良く女将が入ってきてくれなければ、あのまま彼の情婦にでもされていただろう。


「その代わり、女将さんから恨まれるはめになったんだけどね」


 どちらも嫌ではあったが、まだ折檻のほうが耐えられる。

 きっと女将は、さっさと自分を花楼から追い出したいのだろう。

 苦情の声が多くなれば楼主も追い出さざるを得ない。

 だからこうして、わざと他人の目に触れるような場所へと紅林を追いやるのだ。積極的に言いふらすようなことはせず、あえて他人が騒ぎ立てるのを待つのみ。


「消極的だけど賢い人だわ」


 確かに先ほどのように歓楽街に出入りする者の間では、狐憑きの娘がいると噂になってはいるのだが、王都全体で見れば取るに足らない程度であった。

 王都という巨大都市である点と、人の流入出が多い点が、王都の片隅にある歓楽街のまた隅の一軒に勤める下女になど焦点を当てさせなかった。

 今のところは少々居心地が悪いだけ。

 ただ、もっと騒ぎ立てられれば追い出されるのも時間の問題だろう。

 紅林は足元へと目をむけた。

 落ち葉が一枚落ちている。


「生き続けるには目立たないことが一番だわ」


 箒を握り直し、紅林は掃除を再開させた。



 

        ◆




 紅林は手にしていた白い花束を、王宮城壁の麓へと丁寧に供えた。

 王宮正面にあたる南側は人通りが多いが、反対に位置する北側(こちら)はひっそりとしている。


「今日はナズナですよ。綺麗でしょう?」


 膝を折り、地面に置いた小さな花束に向かって手を合せる紅林はまるで、そこに誰かいるかのように、声を潜めつつも楽しそうに話している。


「こんな雑草みたいな花でごめんなさい、母様」


 この場所に花を供えることが、紅林の日課となっていた。紅林が花を手向けた北壁のちょうど向こう側は、かつて母の宮があった場所である。

 林王朝が滅んだとき、王宮関係者を偲ぶ声は全く聞かれなかった。

 当然、後宮と共に亡くなった女達を憐れむ声も。それどころか国を転々とする中で、紅林は母である媛玉が民にどう思われていたのかを知って愕然としたものだ。


『皇帝を誑かし朝政を疎かにさせた悪女』――そう言われていたのだ。


 確かに一番の寵愛を受けていたのは母である媛玉だ。

 しかし、媛玉は皇帝を慰めこそすれ決して誑かしなどしていない。それは傍にいた紅林が一番よく知っている。



少しでも面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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