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11 皆で市へ行こう

 はるか昔の翠月国には(さい)という王朝があった。

 狐憑きという言葉は、崔王朝を滅ぼした一人の女にちなんでいる。

 女の名を『(ばっ)()』といった。

 末喜は、時の皇帝(さい)(こう)()(いん)()を討った時にその美貌から殺さず自分のものにした、李允氏の姫であった。

 末喜は艶めいた美貌だけでなく、不思議な髪と肌をしていた。

 月夜に照らされた薄雲のように淡く輝く白髪。

 本当に生きているのか、体温すら感じられぬ雪のように白い肌。

 不気味なほどに彼女は他者を魅了した。

 白い髪と白い肌。それがまた(あや)めいた色香を助長し、崔甲だけでなく多くの男は彼女の虜になっていった。

 崔甲が末喜と共に過ごす時間が増えるほどに、賢帝といわれた崔甲の偉業は見る間に凋落していった。奢侈隠逸にふけり、国政を疎かにし、末喜を悪く言う者があれば処刑し、周囲には末喜の気に入った者達を侍らせた。

 結果、国の悪政に耐えかねた地方豪族の商氏によって崔甲は断罪され、崔王朝は幕を閉じた。

 まさに、傾国。

 最後は崔甲を守る者など誰一人としておらず、斬首後焼かれ、あっけない幕切れだったと史書には記してある。

 ただこの時、末喜だけは最後まで誰も見つけられなかったという。

 その後、不思議な噂が民の間で真しやかに囁かれるようになる。

『末喜は妖狐だったのでは』と。

 見たこともない白い髪と白い肌。同じ人間とは思えぬほどの無慈悲さ。

 それは全て彼女が妖狐の化身だったからとされている。

 以降、白を身に持って生まれた女は末喜の生まれ変わりである『狐憑き』と言われ、不幸をもたらす不吉な存在とされた。



        ◆



「ねえねえ、紅林! 食べ終わったらちょっと見に行ってみない」


 昼御飯を食べていれば、やたらと声を弾ませた朱香しゅきょうがやってきた。


「見に行くって、どこに?」

「やだもうっ、市だよ、市!」

「ああ……もう半月経ったのね」


 半月に一度、後宮門の前で開かれる市。宝飾品、雑貨品だけでなく、食べ物も含めた様々な露天商が並び、一際賑やかになる。


 ――市……ねえ。


 ゴク、と微妙に芯が残った甘辛い蕪を飲み込み、紅林は「いいわよ」と頷いた。





 しかし、紅林はすぐに自分の選択を後悔することになった。

 朱香と共に市へと向かっていたら、目の前から朝の雀より騒がしい集団がやって来るではないか。


 ――やっちゃたわ……。


 女性的な笑い声を交わす青い集団の先頭には、白い胸元を露わにした見るからに高貴そうな女人が。

 鎖状の金歩揺を髪の両側に挿し、薄青の妃嬪にだけ許された斉胸襦裙に金糸で刺繍されたはいを纏った美女――宋賢妃そうけんひだ。


「あら、やっだぁ……狐憑きじゃないの。せっかく最近は見ないと思ったのに。本当、狐みたいにどこにでも出没するのね」


 気付いた宋賢妃が、歩きながらも声高らかに嫌みを言ってくる。

 壁で囲われた場所にいるのだから、そりゃ時には出会いもするだろう。

 とにもかくにも礼をしなければ、と近づいてくる彼女に頭を下げようとしたところ。


「でも、今日はちょっと気分が良いから許してあげるわ。免礼よ。まぁ、あたしったらやっさしい~」


 おや、と紅林は、同じく隣で頭を下げかけていた朱香と顔を見合わせ、瞬きを交わした。


「珍しいこともあるわね」

「きっと今夜は槍が降るんだよ」


 などと朱香と小声で会話していれば、目の前に来た宋賢妃は「ふふん」と褙子を少し肩から落とし、胸元を突き出してきた。


「どう?」


 より露わになった胸元には、赤や青やらの貴石がキラキラとちりばめられた、金の豪奢な首飾りが光っているではないか。

 紅林と朱香はすぐに、なるほどと察した。

 市で新たに買ったお気に入りを、見せびらかしたかったようだ。褒め称えよと言わんばかりに肩をくねくねと揺らし、首飾りを全面的に主張してくる。


「お美しい宋賢妃様によくお似合いの絢爛品かと存じます」

「首飾りも素晴らしいですが、それにも負けぬ宋賢妃様の美貌にも恐れ入ります」

「よねぇ。知ってたわ!」


 賛美の言葉さらに気を良くした宋賢妃は高らかな笑声を上げながら、意気揚々と侍女達を引き連れて紅林の前を通り過ぎていく。

 よっぽど嬉しいのか、彼女の頭の上で歩揺の飾りがシャンシャンとずっと音を立てていた。


「ちょっとちょっと、紅林」


 すると、青い集団の最後尾にいた侍女がこそっと声を掛けてきた。


徐瓔じょえいさん……その顔ですと、いい値で売れたようですね」

「ふふ、そうなの。お礼を言いたくてね。ありがとう」


 宋賢妃まではいかなくとも、彼女も充分に気色が顔に滲んでいる。

 良かったですね、と笑いを向けていれば、隣から袖を控えめに引っ張られた。


「紅林、えっと……」


 朱香は、徐瓔と紅林との間で視線を彷徨わせ、目で「どういうこと」と聞いてくる。

 戸惑うのも当然だろう。ただでさえ宮女と侍女で位階の差があるのに、青藍宮の侍女といえば、宋賢妃と一緒になって紅林に嫌みを向けていたのだし。


「ちょっと色々あって知り合ったの。こちら徐瓔さん。宋賢妃様からの意地悪からは助けてくれないけれど、他のことなら助けてくれるらしい方よ」

「何それ……」


 朱香の目が半分になった。

 自分でも、改めて口に出して説明するとわけが分からないなと思ったから仕方ない。


「まあまあまあ。不幸を呼ばれるどころか、紅林にはちょっと世話になってね。つまり、私は密かな紅林の味方ってことよ」


 胸をドンと叩いて誇らしそうに顎を上げた徐瓔に、今度はなぜか朱香が張り合うように胸を反らす。


「やっと紅林の良さが分かりましたか! 髪色が白なだけで、紅林は狐憑きなんかじゃないんですって! とっても優しい子なんですからね! 今更ですよ」


 朱香の勢いに気圧され、徐瓔は上体を反らし、ばつが悪そうに視線を宙へと飛ばした。


「し、仕方ないじゃない……長いものには巻かれないと、侍女も大変なのよ」

「それはとても分かります!」

「あら、ありがとう。あなたも良い子ね」


 言外に紅林も良い子だと褒められ、少し頬が痒くなる。


「徐瓔さん、宋賢妃様が行っちゃいますけど、追いかけなくても良いんですか?」


 徐瓔は首を伸ばして先行く青い集団を見やると、大丈夫だと手を上下にひらつかせた。


「侍女って言っても、四六時中一緒について回るわけじゃないし、ある程度の自由はあるのよ。特に今日は市だから、私達侍女もいっときの暇はもらってるのよね」


 では、ぞろぞろと一緒に帰っていった他の侍女達は、好んで彼女について回っているわけか。精神がとても強そうだ。


「それはそうと、後宮門に向かってたってことは、あんたたちも市に行くところなの?」

「そうなんです。朱香と一緒に見て回ろうかなって」

「徐瓔さん、美味しそうなものありました!?」

「あったあった。ロンガンの麻辣煮なんてのもあったわよ」

「わー冒険してるー」


 妙な感じで打ち解けている二人に、紅林がほっと安堵していたら、突然、徐瓔が「あっ」と声を出す。


「そうそう紅林、一つ気になってたんだけど……以前、商人を信用しすぎると痛い目を見るって言ってたじゃない。あれはどういう意味だったの? 薬草を買い取ってくれた商人のおじさん、とっってもいい人だったんだけど」


 眉根を寄せて、徐瓔は首を傾げていた。

 確かにそのようなことを言った覚えがある。


「あれは売ることが問題というより、そのあとがですね……うーん」


 たしかに良い商人もいるし、かといってずっと良い商人とも限らないし、こればかりは言葉だけで説明するのは少々難しい。


「んー、もしかすると現場を見られるかもしれないですし、一緒に市に行ってみます?」

「ああ、俺も行こう」

「きゃっ!」

「ひいっ!」

「うわっ美形!!」


 不意に会話に差し込まれた第三者の声に、三人は小さな悲鳴をあげた。

 一人だけ悲鳴の種類が違ったような気もするが。


「わぁ、こんな美丈夫の衛兵様が後宮にいたのね。他の子達が知ったら、ちょっとした乱闘騒ぎになるわよ」


 徐瓔か。

 振り向けば、いつの間にか背後に永季が立っていた。彼こそ神出鬼没だと思う。


「一体何をなさっているのです。衛へ――」

「エイ?」


 呼ぼうとした言葉に、無理矢理言葉を重ねられてしまった。

 じわりと腰に手を置き、身長差を利用して見下ろしてくる姿からは、『呼ぶよな』という圧がひしひしと伝わってくる。


「……永季えいき様、お仕事は」

「見回りが仕事だからな。それより何が見られるんだ?」

「それは、えっと……」


 紅林はチラと徐瓔に視線を向け言い淀んだ。

 徐瓔の犯した罪を暗に示すことになるかもしれない。


 ――でも、彼は徐瓔様とのやりとりを全部聞いていたようだし、彼もそれで捕まえる素振りなんかなかったし……。


 紅林は向けた視線に小首を傾げる衛兵らしくない永季を見て、まあ大丈夫かと判断した。


「永季様、もしかすると失せ物の犯人が分かるかもしれませんよ」


 紅林の言葉に、永季は首を傾げた。



少しでも面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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