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1 林紅玉、国を失う

新連載、よろしくお願いいたします。

 りんこうぎょくにとって、母の宮で過ごす時間だけが幸せだった。

 いつも穏やかに微笑み、手招きしながら「紅玉」と柔らかな声で自分の名を呼んでくれる母。


「ああ、わたくしの可愛い紅玉」


 傍に駆け寄れば、抱き寄せ、優しくも安堵する強さで抱きしめてくれた。

 自分の頭に頬ずりする母は、全身で愛してると言ってくれる。

 しかし、いつも次の瞬間には彼女はとても悲しそうな顔をするのだ。


「ごめんなさいね、このような髪色に生んでしまって」

「大丈夫ですよ、母様。私は気にしてませんから」


『このような』と言いつつも、紅玉の髪色は媛玉と同じ黒色である。

 しかし、それは偽りの色。


「そろそろ染めなければなららいわね。また根元が白くなってきて……」


 紅玉の本来の髪色は『白』であった。

 このすいげつ国で、白を身に纏う者は不幸を運ぶと言われ、不吉の象徴とされる色。

 その由来は遠い過去の逸話ではあるが、未だに白を持つ者は忌み嫌われている。


りんれい、いつもの染め薬を用意してちょうだい」

「かしこまりました、えん様」


 侍女頭に指示を出すと、えんぎょくは紅玉の髪をことさら柔らかな手つきで梳いた。


「ごめんなさい、あなたから自由を奪ってしまって……」


 髪色のせいで、紅玉は媛玉の宮の外にほとんど出たことがなかった。

 公子、公主の出席が絶対とされる儀礼や祭祀の時は、前日に念入りに髪を染めて出席した。


「媛貴妃様、髪染めの薬があと僅かです」

「困ったわ……この植物は珍しいらしくて、特定の商人しか扱ってないのよ。鈴礼、悪いけれど商人に手紙を出してくれないかしら。いつもより早く来てほしいって」


 母の焦燥が、髪を梳き続ける指から伝わってくるようであった。

 媛玉は、再び紅玉をぎゅうと抱きしめた。


「紅玉、覚えていて。わたくしはあなたの髪が何色だろうと愛しているわ。誰が何と言おうと、あなたは私の幸せであるし宝物なのよ」


 母はこれほどに心配してくれているのだが、紅玉はそこまでこの髪色に生まれて不幸だと思ったことはなかった。

 こうして、ずっと変わらず母が愛してくれているのだから。

 たとえ、宮の外で生きることができなくとも、母の真綿のような優しさが紅玉を包んでくれていれば、それで幸せだった。


「母様さえいれば、私は他に何もいりませんから」


 他の妃嬪達からも隠すようにして育てられ十五年。

 紅玉の本当の髪色を知るのは、母と宮に仕える侍女、そして――。


「媛玉……! 媛玉はどこにいるのだ……っ!?」


 彼だけであった。

 この世で最高の権力を持つ彼こと、今上皇帝であり紅玉の父親でもある『りんけいだい』その人である。

 宮に飛び込んできた皇帝は媛玉の姿を見つけると、彼女に抱きついていた娘を引き離すようにして押しのけた。


「きゃっ!」

「紅玉!?」


 男の力で押され、紅玉は床に尻餅をついて転がった。慌てて駆けつけた鈴礼が、心配の声を掛けながら紅玉を助け起こす。


「大丈夫ですか、公主様!?」

「ありがとう、鈴礼。平気よ、なんともないわ」


 紅玉の言葉に、媛玉が安堵の息を吐いたのが聞こえた。

 媛玉もすぐに駆け寄りたそうにしていたが、それを皇帝が無理矢理に押し留めていた。


えんぎょく……っまた余の意見は通らなかった……皆、宰相のけいちょうじゅんばかりに意見を求め、誰も余の言葉など聞いてはおらんのだ……っ」


 泣き言を吐きながら、母の膝にうずめるようにして顔を擦りつける父の姿に、紅玉は密かに息を吐いた。

 母の優しさに救われていたのは、父も同じだったのかもしれない。他の宮の妃嬪達と比べても、父はことさらに母を特別扱いした。


「怖い……怖いのだ媛玉……っ! 誰も……民も、臣達ですら余を悪く言うのだ! 後宮すら……他の妃達は皇太子を早く決めるべきだと急かす。まるで余にすぐにでも玉座を下りろとばかりに……」


 それにしても、なんと情けないことか。

 これが二百年続く林王朝の頂に立つ者の姿だろうか。まるで赤子ではないか。


「陛下、大丈夫ですわ。わたくしが陛下のお傍にずっとおりますから。それに他の妃嬪様方も、そのようなことは決して思っておりませぬ」

「おお、そなたの優しさだけが余の救いだ。な、何でもお主の望みは叶えよう。欲しいものはないか? 帯でも歩揺でも何でも揃えるぞ?」


 縋るような目で母を見る父の姿は、娘にすら同情心を抱かせ顔を背けさせた。

 きっと他の妃達が同じことを言われたら、即座に飾り物や、それこそ息子に皇太子の座をとねだっただろう。

 しかし、母は違う。


「何もいりません。ただ、民の事を一番にお考えください。翠月国の平安を願い、民が笑顔になるようにと考えてくださいませ。それだけがわたくしの望みですわ」


 いつも欲しいものを聞かれると、決まって母はこう答える。

 そうして父は「やってみよう……」と、いつも肩をすぼめて表へと戻って行くのだった。

 他の妃達に、ぜひ母の言葉を聞かせてやりたいものだ。

 それと、この国の民にも。

 しかし、巨大な壁に囲まれた中で発せられた後宮妃の言葉や想いなど、外には届かない。


 国の状況が次第に良くない方へと向かっているのは、宮に閉じこもっている紅玉ですら、漂う空気から察していた。

 それでも、きっと父にはどうすることもできないだろう。

 彼はいつも、母の宮を訪ねると一直線に母へと向かう。

 たとえ紅玉が媛玉と戯れていようが、お構いなしに奪っていくのだ。

 娘である紅玉には一切目もくれず、母しか見えていないかのように振る舞う林景台。


 彼が自分を娘として見ていないのは知っていた。それどころか、不吉の象徴として疎ましく思っていることも。

 娘にさえ狭量な男が、数千万人の民に気を配れるはずがなかった。


 器から水が溢れるのは一瞬のことだ。

 それまで耐えて耐えて、器のふちに貼り付いてこぼれるのを我慢していた水は、ほんの少し吐息がかかっただけでもあっという間に崩壊する。


「――紅玉っ、あなただけでも逃げなさい!」


 さし迫る炎の中、媛玉の手が紅玉を押し飛ばした。

 生まれて初めて母の手からもらう痛みに、紅玉は落ちた穴の底で目を見開いて驚いていた。

 紅玉が連れて来られたのは、後宮最奥の城壁の麓。

 そこで媛玉は突然、箸を持つのがやっとというような華奢な手で地面を堀りはじめたのだ。何をしているのかと思えば、地面の浅い所から板が現れ、それを外した下は隠し通路となっていた。

 母は板を片手で支え、穴の底から瞠目の眼差しで見上げてくる紅玉に向かって、城壁を指さした。


「奥へと進めば王宮の外へ出られるわ! 早く行きなさい!」

「それなら母様も!」

「わたくしは……っ」


 必死に穴の底から手を伸ばす紅玉に、泣き笑いの表情で媛玉は首を横に振った。


「誰かがここを隠さないと」

「嫌です――っ!!」


 絹を裂いたような紅玉の叫び声も、後宮になだれ込んできた者達の声に掻き消される。近付きつつある声を気にしたように、媛玉の顔が一瞬遠くへ向けられた。


「この反乱は、民の声に耳を傾けてこなかった陛下への報いなの。そして陛下への報いは、妃であるわたくしも受けなければならないものなの」

「違うっ! 母様は誰より優しくて、誰よりも民のことを大事に想って、報いなんて受けるはずが……母様に責任なんてないのに……っ」

「ありがとう……紅玉。でも、わたくしは過去に誓ったの。どんな時も最後まで一緒にいると」


 誰と誓ったものなのか、母の少女のような笑みで分かってしまった。


「そんなの……っ! あんな男との誓いなんか破ってよ!」

「生まれる場所を選べなかったあなたに責任はないわ。だから、あなただけでも生きて」

「嫌っ! 母様――っ!?」


 母の手にしていた板が、再び被せられようとしていた。


「やめて! それならせめて母様と一緒にいさせて!」

「ごめんなさい、白い髪に生んでしまって」


 陰りゆく母の姿。

 もはや手を伸ばす隙間すらない。次第に視界が暗闇に覆われる。


「紅玉」


 その言葉と、残された僅かな隙間から母のいつもの笑顔だけが見えたのを最後に、紅玉の世界は闇だけとなった。


「嫌……っい、や……ぁ…………っかあ、さ――」


 耳に残る、母のいつもと変わらない自分を呼ぶ柔らかな声。

 目に焼き付いた、母のいつもと変わらない慈愛の籠もった笑み。

 土を被せるような音のあと、遠くで「林の血は絶やせ」という声と、女のくぐもった悲鳴が聞こえた。

 生まれて初めて聞く彼女の声。

 紅林は、最後に焼き付けた声と姿を忘れないよう、耳を塞ぎ目を閉ざし暗闇の中でうずくまった。

 自分を愛してくれた唯一の人が、今、この世から永遠に失われた。


「まちがい……これは、ぜんぶ……ゆめ……」


 そうであってくれと願いながら、紅玉は意識を手放した。




少しでも面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
お邪魔します!長さが違うってことは、ストーリー展開も違うのでしょうか?気に入りすぎて全て見ずにはいられなくてきちゃいました笑
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