第77話 酔っぱらい親父
人だかりの中には町の見回りをする警邏隊の姿も見えるが苦り切った顔をするばかりで介入しようとはしていない。つまり、このおっさんは貴族か何かということだ。ジーナは相当頭にきているようだし、エイリアも不快そうな顔をしている。そんな馬鹿な真似はしないと思いたいが、町中で魔法をぶっ放しかねない勢いだ。コンバはジーナにしきりに話しかけているが効果なし。
俺はさりげなく両者の間に入りのんびりした声を装って話しかける。
「いやあ。悪い悪い。もっと早く戻ってこようと思ったんだが、陛下相手に話が長くなっちまった。いったいなんの騒ぎだい?」
多少は表情を緩める女性陣。陛下という単語に不審そうな顔をするおっさん。俺に飛びついてくるティアナ。
「この馬鹿が何と言ったと思う?」
「にゃんだとこのアマ。ワシをだれぇれゃと……」
ろれつの回らないだみ声のおっさんの声が割り込む。やだねえ、ああいう酔っぱらい。
「あたし達に『いくらだ?』って聞いたのよ」
ジーナの小声に俺は夜空を見上げた。冬の澄み切った切れるような空気の中で星が瞬いている。最悪だ。ジーナがこれだけ怒るのも無理はない。あろうことか堅気の女性に対して人前で値段を聞くなんて最大限の侮辱だ。何の値段かは言うまでもない。いくら貴族といえどもこれは許されなかった。
赤ら顔のおっさんの横で怜悧な顔をした男が説得を試みている。教会の高位聖職者ですぞ、という単語が耳に入った。どうやらエイリアの存在は知っているらしい。
「ごじゃごじゃうるしゃい。ワシはあの4人の女と今夜……」
ん? 4人? 今までコンバの陰になって気づかなかったがもう一人いた。
その女性は俺を真正面から見る。フードを深くおろしていたがこうなると顔形が判別できた。20前ぐらいだろうか。整った目鼻立ちはティアナをもう少し大人にして活発にした感じだった。俺を見てにこりとほほ笑む。近づいてくると俺だけに聞こえる声で囁いた。
「ということは、あなたがハリスさんか。へえ」
ティアナが顔を上げて不思議そうな顔をした。
「なんりゃ。お前は! ワシの女とにゃれなれしくしおって。叩きのめせ」
おっさんが喚き散らし、怜悧な顔をした男以外の連中が動いた。6人の男たちが包囲するように散開する。女性がにっと笑った。
「ゆっくり挨拶したいけど、あいつなんとかしなきゃいけないね」
女性はおっさんに話しかけた。
「ねえ。さっきの『いくら?』の中には私も入ってるのかな?」
「そうりゃ。よしよしいい子じゃ。ワシが可愛がってやりょう。金貨3枚でええかのう?」
「あーら大変。それってどういうことになるか、あなたなら分かるかしら?」
女性は怜悧な顔をした男を凝視した。もともと血の気が薄い顔が蝋のように白くなる。
「お前達。それ以上近づくな」
包囲していた男たちは顔を見合わせる。しかし、主人の命令には逆らえないと思ったのか俺達の方に1歩近づいた。
「それ以上近づけば斬る」
怜悧な顔の男から殺気が放射される。思わず俺も腰に手が伸びた。
どういうことだ? いったい急にここまで態度を変えるなんて。今までも宥めていたようだが、態度が明らかに違う。そこへ良く通る声が響き渡った。
「これは何の騒ぎだ? 役儀により取り調べる。道を空けよ」
金色の獅子の縫い取りをした揃いのサーコート姿の騎士が数人踏み込んでくる。
「やば」
小さな声が横で聞こえた。人混みをかき分けてきて入ってきた騎士たちを見て、怜悧な顔をした男が狼狽する。
「我が主が酔ってだいぶ具合が悪いようだ。これにて失礼する」
「待たれよ。オルテガ殿」
声をかけられた男は他の男たちを叱咤し、ぐでんぐでんの主を両脇から抱え上げさせると走るように去っていく。
「ちょっと待ちなさいよ」
ジーナの声に振り返りもしない。
騎士たちは俺達の方を向く。
「通りで騒ぎを起こしてどういうつもりだ? 詰所まで来てもらおう」
「私たちは被害者です。事情も聴かずにその態度では正義を旨とする誇り高い金獅子騎士団のものとも思えませんわね」
「これは……エイリア殿でしたか。失礼をいたしました。いつもとお召し物が違ったので気づくのが遅れました」
騎士団の連中の態度が軟化する。なるほど。この中にはエイリアに腕や脚をくっつけてもらった奴もいるんだろうな。
「先ほどの前後不覚にまで酩酊した男が、口に出すのも憚られるセリフを私達に投げかけてきたのです」
「セプテート卿が何か失礼なことを?」
「ええ。とても失礼なことをね」
それ以上は説明する気はないという態度を貫くエイリアに騎士団は追及を諦めた。
「まあ、相手もいなくなったことですし、それなら結構です。神殿までお送りしましょうか?」
「いえ結構よ。これから友人達と食事をしますので」
騎士団はエイリアに会釈するとやじ馬たちを追い散らし始めた。
その時になってオルテガという男を狼狽させた女性の姿が見えないことに気が付く。
「さっきまで、一緒にいた女性は誰だ?」
「エルのこと? あれ? さっきまで居たのに」
「騎士団がやってくる前にいなくなってたみたいだな。それで?」
「ご主人様。お店で一緒になって、この外套が可愛いということで盛り上がったんです」
ティアナがちょっと腕を広げてみせる。
ほとんどが生成りの生地だったが、襟元と袖などは赤く染色してあった。全部を染めたものは持たせてやった金ではとても足りないだろう。こんな綺麗な赤い色の染料はとても高価だ。しかし、女性というのは出会ってすぐに簡単に意気投合するのだろう。男の俺にはさっぱり分からない。
「とても似合ってるぞ」
いつまでも腕の広げてポーズをとっているティアナに言う。先ほどまで怯えていたのが嘘のような笑顔をみせた。
「ありがとうございます。こんな可愛い服を買っていただいて」
「これでお前が寒さで震える姿を見なくて済むなら安いものさ」
「ねえ。話を戻していい?」
「ああ。すまん」
「ちょうど在庫があったから全員で同じものを買ったのよ。そしたらなんかさらに盛り上がっちゃって、一緒に食事をしようって話になって」
「ちょっと不用心じゃねえか。騎士団が現れて姿を消すなんて、何か悪いことでもしていて顔を見られたくなかったとかじゃねえの?」
「そんな子には見えなかったけどね」
「私にも悪い方には見えませんでした」
同意するのがお人よしの権化のエイリアではあまり説得力がないと思ったが、先ほどの騎士団への態度を思い出して俺は賢明にも口をつぐんだ。