第2部第15話 奥さんの手料理
「うむ。どれも美味いな。あの頃はハリスが美味い美味いと食べるのを見ているしか無かったが、この体なら気にせず味わうことができるな」
神龍姫は感心しながらティアナの料理をパクパクと食べている。
遠慮なしにお替りも要求していた。
ちょっと食いすぎじゃねえか。
居候は少しは遠慮するもんなんだが。
俺が苦言を呈そうとする前にティアナが口を開く。
「ねえ、ニックス。美味しいと言ってくれるのは嬉しいけど、旦那様の分を残しておかなきゃいけないの。先に旦那様がお替りしてからにしてね」
「そうか……。うん、では少し待っていよう」
ごく自然体でティアナは制止した。
目に見える姿かたちは異なるが、完全に犬だった頃のニックスに対する態度と異なるところがない。
神龍姫も意外なほどに大人しく従っていた。
ジジイに聞いたことがあるが、ある種のひな鳥は最初に見た動くものを親と思って懐くらしい。
それと同じようなものなのか? ちょっと違うか。
そんなことを考えながらゆっくりとティアナの料理を味わっていると神龍姫からの圧が凄かった。
早う食え。
仕方がないので魚の身の入ったスープの鉢を空けてお替りを貰う。
「これで、妾も貰えるな」
神龍姫が弾んだ声を出した。
尻尾はないはずだが背中で白い大きなものをぶんぶんと振っているのを幻視する。
その後に自分もお替りにありついたトムもようやくいつもの調子を取り戻したようで、俺にカンヴィウムの話をねだった。
「何か面白い話はないの?」
「あるわけないだろ。俺は仕事で出かけていたんだぞ」
「じゃあ、誰か知り合いに会わなかった?」
「まあ、ギルド長の会議だからな、ノルンのサマードがいた」
横からティアナが声をかけてくる。
「お元気でした?」
「ああ、元気も元気。新人のギルド長の心得というやつをみっちりと教えていただいたよ」
「それは良かったですね」
ティアナはにこにことしていた。
ああ、サマードが俺のことを心配して色々と指導してくれたと本気で思っているんだろうな。
「向こうもティアナに会いたがっていたぞ。話の流れで家に招待したら、いずれという話になった」
「そうですか。それは楽しみです」
そうだよな。
俺なんかからするとサマードの婆さんはおっかねえ曲者でしかないが、ティアナからするとお菓子をくれて楽しく世間話をした人という印象なのだろう。
ティアナらしいといえばその通りなのだが、もう少し世間の実態を知った方がいいような気もした。
まあ、それは同時にこの純粋さが減るわけで難しいところでもある。
「お姫様や聖騎士には会わなかったのか?」
「そりゃ、向こうは偉いし忙しいから俺なんぞに構っている暇はないんだよ」
本当は寄り付かなかっただけだけどな。
面倒だから、他の人間の話をするのも省略しておこう。
占い婆のことは論外だが、エイリアのことも話をするとややこしくなりそうだ。
新婚早々なのに他の若い女性のことを話題にしたら新妻の機嫌を損ねるというのが世間の常識というものである。
ティアナは何も気にしなさそうだけど。
「じゃあ、お土産はないのか?」
「ある」
「やった!」
トムだけでなく他のガキどももぱっと顔を輝かせた。
「なになに? 教えてくれよ?」
「聖騎士の衣装セットだよ、きっと」
「可愛いお人形かしら?」
「静かにしろ。だいたい何でお前たちに買ってくるんだ?」
4人は唇を尖らせる。
「そりゃ奥さんに買ってくるのは当然だろ。その上で、留守宅を守っていた俺たちにも何か買ってくる……」
トムは言いながら神龍姫の方を見て声が尻すぼみになった。
俺は手を横に振る。
「まあ、ニックスのことは気にするな。どのみちお前たちの手に負える相手じゃない。とりあえず、お土産は食事の後だ。そういえば、ティアナ、お茶会はどうだったんだ?」
「持っていった焼き菓子は皆さんに好評でした」
「そうか。それは良かったな。確かにあのお菓子も店で出せるぐらいの味だったから好評なのも当然だろう」
俺はカンヴィウムに出かける前に試作品の味見をさせてもらったことを思い出した。
「旦那さまに褒めて頂いたので自信はあったんですけど。今日もご用意しておけば良かったです」
「まあ、食べてもらう相手にステラさんとアリスが含まれているからな。当然、この2人は舌が肥えている」
人気店のオーナー兼シェフとその店の元ウェイトレスだからなあ。
「焼き菓子はまた近いうちに作ってくれればいいさ。当分はレッケンバーグにいるんだし」
「多めに作って持っていったんですけど、お姉ちゃんとキャリーさんが残りは持って帰りました。お姉ちゃんはコンバさんにも食べさせてあげるんだそうです」
「大人気だな。好評でなによりだ」
そう言いながらコンバの顔を思い浮かべた。
初めて出会った頃よりは精悍さが増しているが、お菓子をジーナにもらったらきっとデレデレするんだろう。
あの2人がどこまで進展しているのか気になった。
そして、お菓子から連想して、マルホンドの厚意で手に入れたピーチパイのことを思い出す。
「そうだ。土産の中にピーチパイがあるんだった。これだけご馳走を食べた後に入るかは分からないが」
「新しいお菓子には興味があります」
お、なかなかの好反応だ。
マルホンドにしてはなかなか良い品物の選択だったな。
「もちろん入るぜ」
「僕も少しなら食べられる」
「甘いものは別腹よね」
「それは食べてみなければ」
ガキどもは想像通りに騒いだ。
「妾はそれは要らん。代わりにティアナの料理の残りを全部欲しいぞ」
こちらもある意味で予想を裏切らない反応である。
ティアナのことが好きすぎだろ。
「旦那様。もうよろしいですか?」
「いや、俺もピーチパイよりも奥さんの手料理の方がいいな。その内臓の煮込みを中心にもう少しずつよそってくれないか」
悪いですね神龍姫さま。
でも、この料理はティアナが俺に食べさせるために作ったものなので。
「はい、どうぞ」
ティアナは俺に続いて神龍姫の皿にもお替りを盛りつけた。
むっとしていた顔がたちまちのうちに笑み崩れるが、すぐに怪訝そうな顔になる。
「ティアナはあまり食べていないではないか。それはいかんぞ」
「料理しながら味見をしていて結構食べているから。それにこの後にお土産も頂くので大丈夫です」
「そうか。ならば遠慮なく頂くとしよう」
食後のお茶を飲んでいるときに、マルホンドのピーチパイを出した。
ティアナとガキどもに好評である。
「旦那様も少しだけ味見をしてみませんか?」
へらの上に乗せて差し出されれば断るのも憚られた。
「いいのか?」
「はい。今度真似してみようと思うので、旦那様に元の味を見ておいて欲しいです」
せっかくなのでそのまま食べさせてもらう。
甘酸っぱい味は確かにわざわざ土産として託されただけのことはあった。
ふと気づくと皆の注目を浴びている。
「相変わらずだねえ」
トムの言葉にティアナは頬を染めた。
食事の後片付けをすると談話室で土産物の本とボードゲームを取りだす。
歓声をあげて遊び始めるガキどもに神龍姫が加わった。
ソファに横並びに座ったティアナは嬉しそうに革の装丁を撫でるが開こうとはしない。
「読まないのか?」
選書を誤ったか?
不安になりながら声をかける。
「今はやめておきます。それよりも旦那様とこうしていたいです」
ティアナは頭を俺の肩にもたせかけてきた。
「出張お疲れ様でした」
俺の左手に右手を重ねると指の間に指を滑りこませてくる。
堪らず首を巡らせてさらさらとしていい香りのする髪に口付けをした。