第2章第13話 悪夢と帰宅
身支度をして宿を出る。
昨夜の夢見が悪かった。
レッケンバーグの新居に戻ってみたもののもぬけの殻で誰もいない。
ギルドに行って質問してもみんな口を濁すばかり。
ティアナがどこに消えたのかと愕然としたところで目を覚ます。
気分が悪くて変装にも時間がかかってしまった。
気が急くところだが手ぶらで帰るのも芸がないと、マルホンドに勧められた店を探す。
表通りから1本入ったところにある小さな店に入った。
マルホンドの名を告げると1辺が片手を広げたぐらいの大きさの四角いパイが出てくる。
薄く削った木の板でできたぴったり嵌る大きさの箱に納めてくれた。
代金を払おうとすると不要だと言う。
「昨夜、魔法学院から使いの方が見えまして、お客様に渡すようにとのことで既にお支払いも済んでいます」
なにそれ、怖い。
あんな奇天烈な変人がこんなきめ細やかな手配をするところにティアナへの執着が垣間見えた。
「タダより高いものはねえ。今から要らないといっても……店の迷惑だな」
仕方なくパイの箱を背嚢にしまうと店を出る。
借りを作ったままというのは気持ち悪いのでマルホンドのところに代金を払いにいこうとしたが、どうせ受け取るはずがないということに気づいてやめた。
さあて、我が家に帰るとしますかね。
習慣というのは恐ろしいものでカンヴィウムの町を出ようとつい西に向かってしまう。
ノルンの町に向かうならそちらで間違っていないが、レッケンバーグは方向が違った。
南への門へと道を変更したところで馬車が俺を追い越していく。
少し行った場所で馬車が停まると御者が席から飛び降りて扉を開けた。
中から偉そうな初老の男性が降りてくる。
頭のてっぺんからつま先まで一見では分からないが上質な品で身を固めていた。
この世で1番偉いのは自分というような顔をしている男の顔が笑顔になる。
「エマ。気をつけなさい」
男の手を掴んで続いて降りてきたのは儚げな感じの美人だった。
年のころは20代前半だろうか。
初老の男が偉そうな印象に反した顔をしてしまっても納得という魅力がある。
思わずマジマジと眺めていたら初老の男性は自分の体で俺の視線を遮り、思い切り眉根を寄せて睨んできた。
そのまま女性をエスコートして店の中へと入っていく。
見るぐらいは減るもんじゃないだろうにと思うが、よく考えたら俺も他人のことを言えた義理じゃなかった。
我が愛しの妻にレッケンバーグの男どもが寄せる視線をぶった切りたくてたまらない。
新人冒険者のカイルとリコは天使でも見るような憧憬の眼差しを向けてくるし、もうちょっと年上で俺の立場を知らない連中の中には不躾な視線を全身に這わせる奴もいる。
一応、俺のギルド長という肩書きは馬鹿なことをすることへの抑止力になっているはずだが、だんだんと不安が募ってきた。
足取りを早めて停車中の馬車を追い越す。
南門のそばにある乗合馬車の停車場に付属する厩舎で預けておいた馬を受け取った。
俺は徒歩でも全然かまわないのだが、ギルド長という立場は移動に馬が使える。
ギルド所有という形になっており、俺専用というわけではないが優先的に使うことができた。
俺のような出自なら通常は乗馬の技術を学ぶ機会がなくて、馬など居ても宝の持ち腐れになるだろう。
さして上手でもないが騎乗できるのはジジイの施してくれた教育の賜物だった。
あのくそ煩いガキどもももう少ししたら色々と専門的なことを学ばせてやらなくてはいけないかもしれないな。
のっぽのゼルは料理に興味があるようだし、ミリーは針仕事が得意だった。
トムは反射神経がよく手先も器用なのでスカウトになる気があれば指導してやれる。
テオはまだ幼いから焦らなくてもいいだろう。
いずれの道に進むにしても読み書きと計算ぐらいはできた方がいい。
今は初歩的なことはティアナが教えてやっているが、いずれはジーナの私塾でみっちり鍛えてもらった方がいいかもしれないな。
そうだ。
ティアナもかなり勉強が進んでいたがノルンを離れてからは中断していた。
家事に精を出しているが折角学んだのだから読み書きだけで終わってはもったいない。
乗馬の訓練も受けさせてやった方がいいかもしれないな。
一定以上の身分の女性なら馬に乗ることができるというのはステータスだった。
ティアナも乗馬できるようになればレッケンバーグの近くに2人で遠乗りにでかけることもできる。
まあ、遠乗りだけなら1頭の馬に2人乗りしてもいいか。
待てよ。
ティアナを鞍の前に乗せて体を密着させるようなことが続いたら俺の理性がいつまで持つか分からない。
本人の希望も聞いたうえで乗馬のことは検討するか。
そんなことを考えながらレッケンバーグを目指した。
途中で2泊して帰り着く。
騎乗しているということも影響しているが、カンヴィウムとレッケンバーグの間に横たわるゴンドール湖に渡船ができたということが大きい。
レッケンバッハ伯爵が新たに導入した施策だった。
マールバーグのごろつきどもが居なくなったのでより往来が活発になると見越しての対応である。
雨風が強いと欠航するが、それでも今までは歩きで10日ほどかけてゴンドール湖を迂回していたことを考えると格段に交通の便が良くなった。
まあ、大トンネルを使えるようにできればもっといいのだろうが、それは当分先のことになりそうである。
レッケンバーグに到着すると我が家に直行したいところだが、一応は公務での出張の帰りであった。
先にギルドによって馬を返却する。
受付のカウンターに寄るとアリスが留守中にあったことをまとめて報告してくれた。
とりあえず対応は明日以降でもいいらしい。
家に帰ろうとするとアリスが俺の腕につかまって背伸びをし耳打ちする。
「うちに移籍してきた吟遊詩人のアルバなんですけど、ティアナちゃんのことを狙ってます」
「は?」
「説明は省きますけど、私とジーナさんの見立ては一致してますよ」
「そうか。情報助かるぜ」
何はともあれ、留守宅が気になるので挨拶もそこそこに自宅へと向かった。
家の脇の番小屋に警備の騎士の立ち姿が無い。
近寄るとうずくまって意識を失っている。
「ティアナ!」
大声で叫びながら玄関の扉を開けてホールに飛び込んだ。
こちらに背を向けた人物がティアナを抱きしめている。
身を屈めるとティアナの頬に口づけをした。