96 手繰れず引きずって
二匹が重なった足跡を、中腰になりながら注意深く辿っていく。よく見えないところではしゃがんで葉っぱをどかし、くっきり土に出来た狼の肉球跡を確かめ、その進行方向を確認してまた進む。
こうやって手探りでやるのは随分と久しぶりな気がする。それだけやっぱり、彼女の眷属というのは優秀で便利すぎる。私たち人間のすることといったら、目が腐りそうになるまで地面を凝視して、たまに木々を見て傷跡とかからまった毛がないか確認して、それでようやく手掛かりが掴めたら、人目がつかないような隠れ場所を探し当てるという面倒な段取りの連続。鼻が利くだけであんなに汎用性があるのなら、私も一匹猫を飼ってみてもいいかもしれない。
急な斜面が出てきて足が止まる。そっと体を傾け見下ろしてみると、ふもとに廃墟らしき建物があった。天井がなく壁に使われてる石の間から苔がびっしり生えている。
「こんなところに廃墟があるだなんて。戦争の名残かしら?」
今は廃墟でも造られた当時には使用する用途があって建てられたはず。見る限りこれは、小規模の団員が使ってそうなくらいの大きさで、建物と言うには筒抜けてる感じ。もしもこれが破損したものなら、前は監視塔としての役割があったのかもしれない。
「どちらにしろ、複数の魔物が身を寄せて隠れるには丁度いい場所ね」
斜めに生えてる木を見つけ、そこまで傾斜を手をつけて滑っていきしっかり木にしがみつく。その木が頑丈で私が乗っても問題ないことを確認して、ゆっくり立ち上がって木を橋代わりにし、廃墟を上から見下ろせる位置まで到着する。木と廃墟の建物まで距離があるのを、私は木に足をかけたまま、砕けた石壁に手をつけて覗き込んでみた。
螺旋状に出来た階段。ところどころ大きく欠けている中、物資がちょこっとだけ置けそうなスペースが階段の途中に一つあって、そこに二体の下級ウルフが眠っていた。下の入り口からは見えず、壁があって横からも見えない絶好の隠れポイントだ。
標的は見つけた。あとは彼らを村からなるべく遠くに追い払うだけ。
追い払う、だけ。
――醜い魔物め。やっぱり彼らは根絶するべき存在よ。
……つい、あの姿を思い返してしまう。
修道院で見た、妹の悲惨な姿を。
全身が包帯で巻かれて、顔も分からないくらいにボロボロで、体の形すらも変わってしまったあの姿を。
「モンスターテイマーとやらの活動はどうなんだい、アルヴィア?」
「……知ってたのね、お母様」
「アルヴィア。お前はどっちの味方なのかしら?」
「味方って……」
「あなたは人間を守りたいの? それとも、魔物の側につきたいの?」
「聞いて、お母様。真実は別にあるの。私たちと魔物が争う理由なんて本当はないの」
「……その答えは、変わり果てたあの子を見ても一緒かしら?」
「っう……」
右手が剣の束まで動く。
魔物が許せない。レイリアをああまでした魔物を、私は絶対に許せない。
あの子が何をしたっていうの? ただ人の命令に従って。もしくは民を守るために率先して立ち上がって、誰かのために剣を取っただけなのに。
それなのに、どうしてあの子があんな無残な姿にされないといけないの?
「アルヴィア。血迷ってはいけないわよ。あなたがするべきことをしっかり思い出しなさい」
「私は……、わたしは……」
「醜い魔物め。やっぱり彼らは根絶すべき存在よ」
そうだ。魔物なんか守ったところで意味なんかない。結局人を傷つけるんだ。意味なんてない。
魔物なんか、守ったところで――!
「……」
剣を握る手首を、もう片方の手で抑え込む。武器を抜くのではなく、ルシードをその肌に宿す。
鋭く刺すような気配を感じられる。かつてこの魔法をクイーンとグウェンドリンがそう言っていた。その時と同じ感覚を、眼下のウルフも感じ取ったようで二匹とも目を覚ました。
グルルル、と低い唸り声で威嚇してきて、ジャンプで届きもしない私に向かって今にも噛みつきそうな顔をしてくる。
一向に逃げようとしてくれない間に、また迷いが生じる。つい石壁の出っ張りを見つけて、下まで降りていくルートを発見してしまう。降りた先で彼らを倒すビジョンが思い浮かんでしまう。
切って離せない心の憎悪が、復讐を果たせと煽り立ててくる。
再び剣の持ち手に触れた、その時だった。横から翡翠の眼をした影の猫が、私の前に飛び出してきた。
「――イルシー!」
間髪入れずに走ってきた白い炎の壁。反射的に身を翻そうとしたのを、これは幻だと即座に思い直してその場に留まった。廃墟の中が見えなくなる。横から斜面の前で止まり、酷く息を切らしたクイーンに視線が移る。
「やっと……見つけた……」
「クイーン……」
彼女はしばらく呼吸を乱し、深呼吸を繰り返してやっとそれを整えると、指を鳴らしてイルシーの壁をスッと消した。廃墟の中を見下ろしてみると、そこにいたウルフは二匹とも忽然といなくなっていて、寸前に見えたあの眷属も一緒にいないことに気づいた。
「アルヴィア。お前、どうして剣に手を当てて……」
その一言にヒヤッと嫌な汗が出た。すぐに握っていた手を離して、つい勝手に言いわけの言葉が口から出てくる。
「そ、そんなつもりはなかったの。本当に、本当にそういうつもりじゃ……」
喋れば喋るほど自分の愚かさに後悔する。こんなの、言えば言うほど疑われるだけじゃない。
「……アルヴィア」
「な、なに?」
ひやひやが止まらない。背筋を撫でられてるような緊張感が有頂天に達しようとしたその時、クイーンの顔に浮かんだのは哀愁を感じられる笑みだった。
「とりあえずそこから戻ってこい。落ちたら危ないからな」
* * *
ガツガツガツ……。ガツガツガツ……。
絶えず固い物体を食べ続ける咀嚼の音。片手を横に伸ばして壁に触れ、ひんやりとした感触からここが洞窟の中であると感じ取る。
「その音。そこにいるのはドットマーリーだな?」
俺の声かけに反応するように、ピタリと咀嚼音が途絶える。
「ああ? んだアーサーダドか。久しぶりにその悪趣味な顔を見たダド」
少し幼稚じみた喋り方。大きな図体の圧力を感じる割に、声質がいまいち似合っていないあいつで間違いない。
「愛する者の手をオシャレに使っているだけだ。お前に悪趣味なんて言われなかねえよ」
「それで目隠ししているのがもっと気持ち悪いダド」
ふむ。価値観の相違ってやつか。酷い言われようだ。目を隠すようにつけた彼女の手首。その切れ端に触れながら心底そう思う。
「何かの待機中か、ドットマーリー?」
「そうダド。あの鬱陶しい執事長が、ここで待機しろって生意気に命令してきたんダド」
「なるほど。道理でお前の好物のトルマリンが大量に匂っているわけだ」
「お前、骨なのに臭いが分かるダドか?」
「ゴーレムのお前がそれを言うな」
「アーサー」
「なんだ?」
「右手の剣はなんダド? 血がついてるダド」
そう言えばずっと持っていたその剣を軽く持ち上げる。
「これか。途中で変な犬ころに体を舐められてな。中々離れないものだから、鬱陶しくてつい手が出ただけだ。思えば捨てるのを忘れてた」
汚れた剣を放り投げる。
「それで、メレメレはいつ戻ってくるんだ?」
「知らないダド。自分だけ街に行ってくるって言って、二時間くらい帰ってきてないダド」
「ふむ。街というのは王都のことか。
……一体、一人で何をしに行ったんだか」
* * *
……気まずい空気が流れている。
あの後、森でウルフを眷属を追わせるように逃がした後。テレレンたちとも合流してから村に報告を済ませ、道なき道を進んで王都まで帰ってきたが、それまでに交わした会話は指で数えきれるほどの回数しかしていない。
夜の暗闇もあいまって、アルヴィアがちょっと怖い存在に見えてしまう。それもそのはず、森の中で見てしまったものがあまりに衝撃的過ぎた。
八つ裂きにされた中級ウルフ。その後見つけたアルヴィアの手の位置。
ハッとしてボクは頭をブンブンと振る。
いいや考えすぎだ。隙があるとすぐにそのことを考えてしまう。
絶対にそんなことはない。そんなこと、アルヴィアに限ってあるはずがないんだ。
そうだ。それを直接聞こう。そうじゃないって、彼女の口から聞けばボクも落ち着く。
「なあアルヴィア――」
ボクはある怪奇現象に、思わず言葉を詰まらせてしまった。
いつもボクの首にかけていた竜の首飾り。それが今、そいつに意志が宿ったかのようにふわふわと空に浮き上がっている最中だった。
「――え?」
間の抜けた声が出てしまった時にはもう手遅れだった。首飾りの糸はボクの肌を完全に離れ、最後は誰かが取り上げたかのように空に舞い上がった。
「首飾りが!」「え?」
途端に出てきた大声で他の三人もやっと気づいたようだ。空へ飛び上がった首飾りは、やはり見えない誰かが掴んでいるようで、そいつが着地するように首飾りが地面まで落下していく。透明な何かはそれを自分の首にかけるようにすると、そこでやっと体に色をつけるように姿を見せた。
「お久しぶりでございます、クイーン様」
執事服に身を包んだカメレオンの魔物。
「メレメレ!? どうしてお前が!」
「誰なの?」とアルヴィア。
「お父さんのお城の執事だ。種族は『ハミリオン』。自分の姿を周りの景色に擬態させる魔物だ」
「魔王様からのご命令です。この首飾りは私が頂いていきます」
そうか。メレメレも七魔人と同じ、首飾りを守る試練の敵役なのか。
「そうはさせない! それは大事なものなんだ!」
「そうは言われましても困ります。ここで騒ぎも起こしたくないですし……夜明けまでには王都を出る予定ですから」
夜明けがタイムリミットか。空にはもう立派なお月様が浮かんでいる。残された時間は少ない。
「なら、その夜明けまでに取り返す!」
「そうはいきませんよ。クイーン様とはここでお別れです」
音もなくメレメレの姿が暗闇に擬態した。テレレンが「消えた!?」と驚く中、ボクは取るべき行動をすぐに考える。
「姿が消えただけで、まだこの近くにいるはず! 探そう!」




