93 傷だらけのレイリア
「んな!? オマエッ!」
発作のように怒りがこみあげてきた。声を押し殺すように叫んだテレレンにガタガタと震えだすドリン。子犬も颯爽と腕の中から飛び出して逃げ出し、アルヴィアも焦りの表情を浮かべていて、何が起こったか確認出来ていない様子。
ウーブが何かしたわけでもない。それなのにいきなり殺すだなんて――。
「オマエ! ……オマエェ!」
苛立ちが止まらない。腹の虫がおさまらない。ほとばしる心臓の熱が今にも解放されそうになる。
「肌に突き刺さるような迫力……。この感じは、まさか君――?」
「勝手な真似をしてくれたこと、後悔させてやるぞ!」
「待ってクイーン! 彼が相手じゃ――!」
アルヴィアがボクを止めようとしてきたけどもう遅い。右手の平から溢れんばかりの炎をこいつに――!
「いきなり首を斬るなんて。失礼な人だね」
……え?
突然聞こえた声にボクの頭が混乱してしまう。だって今聞こえたのはウーブの声だ。めんどくさがりのあいつの口調で間違いない。まさかと思っていると、首をなくしたはずの体がひとりでに動き始めた。
地面に落ちた生首を髪から掴み上げ、グチャッと粘着質な音を立てて元の位置にグリグリと戻した。もう顔と体が一緒になって動いている。死んでいなかったこともそうだが、平然と頭を取り付ける行動がとても衝撃的すぎて言葉が出ない。
「切った感触から分かったよ。君は『スライム』だね? 体を人間そっくりに変形させて、色合いも限りなく近いものに寄せてる」
スライムだって? イブレイドの言葉にウーブはため息を吐く。
「ここでバラさないでほしかったんだけど」
「魔物から聞く言葉なんてないよ。魔物は存在そのものが悪だ。首を斬って駄目なら、体のどこかにある心臓を斬らないとかな」
こっちに振り向き、またイブレイドが予備動作もなく攻撃をしかけようとしてくる。顔の気迫から、また目に見えないさっきのをやられると感じ取って、今度はどうにか止めようとしたその時だった。
「おーい、イブレイドー!」
再び知らないヤツの声が響いた。声がしたのはまた十字路の真ん中で、今度はガタイのいい筋肉質な男の冒険者のようだった。
「探してたぞー、お前のことを……って、こんなところで剣を出すなんて感心しないな。小さい子どもの前だっていうのに怖がられるぞ」
はきはきと喋りながら近づいてくるそいつからは、王子よりも二、三歳年上のように見えた。小さい子ども、というのはどうやらボクを差す言葉のようで一瞬だけ目配せされた。つい「ボクは子どもじゃないやい!」と叫んだが、それを聞かないかのようにイブレイドが剣をしまって振る舞う。
「違うよラーフ。彼女から剣を見せてほしいってお願いされたんだ」
まるで馴れ馴れしい感じで会話をしている。どうやら二人は同じギルドか何かの仲間のようだ。
「ああ。そういうことだったのか。国の王子で顔がよくて器も広いお前だ。街の人に声をかけられるのも不思議じゃないな」
「ラーフも例外じゃないだろう。正義と勇気の守護神、なんてあだ名があるんだ。人気者なのは君の方さ」
「そうだとしたら、ラブレターがお前に百通来て俺宛てに一通も来ないのが謎だな。まあその理由を考えるのはまた後だ。お前のお父様がお呼びだ。急いだ方がいい」
「あの件だね。分かった、すぐ行く」
ラーフと呼ばれた男にイブレイドがついていこうとして、まだ怒りの収めどころを見つけられてなかったボクは「お、おい」と呼び止めようとした。驚愕の出来事から一転、スンと静まり返った空気の中でイブレイドは足を止めたが、ボクの話も聞かず目を見て一方的に話しかけてきた。
「君が言ってたさっきの言葉。『子どもじゃない』ていうのは、真実だったりするのかな?」
「は? 何言ってるんだお前」
単純に質問の意図が分からない。子どもじゃないって言ったことが真実だったか? いきなり言語レベルがミノムシになったんじゃなかろうか。
「……いや、いいや。それともう一つ。ラインベルフ侯爵令嬢」
若干の間を置いてから、アルヴィアに視線が移る。
「中央の修道院に向かうべきだ。君の妹があなたを待っている」
「え? レイリアが?」
それだけ言ってイブレイドは自分の歩を進めて、十字路の角を駆け足になりながら消えていった。結局ボクはあいつに何か言ってやることすら出来なかったが、今はそれよりも気になることがある。
「アルヴィアの妹が修道院にって。一体どうしてだ?」
レイリア・ラインベルフ。オレンジ色の髪に朱色の虹彩という、アルヴィアとは真逆の配色だったのが印象的だった彼女とは、かつてアルヴィアの邸宅裏で出会っている。転移の指輪を貰ったのは彼女がきっかけであり、その後何か忙しそうに戻っていったっきり顔を見ていなかった。
「修道院、っていうのが物騒だね。あそこ、傷ついた人を癒すのが目的の施設なんでしょ?」
さっきまで首がなかったウーブがしれっとそう言うと、アルヴィアの血相が徐々に変わった。
「……ちょっと行ってくる!」
「あ! おいアルヴィア!」
「待ってアルヴィア姉ちゃん!」
「み、みんな置いてかないでほしいダヨー!」
ウーブだけをそこに残し、我先に走り出したアルヴィアを慌ててボクらは追いかけていく。
「すみません!」
「ひゃっ!? もう、ビックリしますから館内ではお静かに」
「アルヴィア・ラインベルフです。レイリアの姉です」
先行くアルヴィアに追いついたのはこのタイミングで、中にいた修道士は彼女の名前を聞いたからか切羽詰まったような顔をしていた。
「ああっと……。ひとまず落ち着いてくださいラインベルフ侯爵令嬢。レイリア様の命はご無事ですから」
命『は』無事……。その言い方は、安心させようとしているんだろうけどむしろボクらには焦りの感情に拍車をかけてくるようだった。
「レイリアはどこに?」
「ご案内します」
そして、その予感は現実として表れてしまった。
修道士に誘われて入った一室。この修道院の角にあたりそうなその一室は、関係者以外立ち入り出来ないような雰囲気に包まれていて、鼻から感じる臭いのほとんどが医薬品のようだった。
中に入っていくアルヴィア。ボクとテレレン(ドリンの体格ではとても修道院の中に入れない)も入っていくと、包帯だらけの妹さんがすぐ目に入った。
「……ひどい」
顔を青ざめながらテレレンがボソッと呟く。アルヴィアも泣きそうになりながらレイリアの寝るベッドの横につき、唯一包帯が巻かれていなかった手を優しくとった。レイリアは深く眠っているようでそれに何か反応を示すことはない。
「どうしてなの、レイリア……」
誰よりも心を痛めているであろう彼女に、ボクはそっと肩に手を置いた。そうしながら、変わり果ててしまったレイリアの姿を注意深く観察していく。
すると、彼女の体は異様な形に変形してしまっていることに気づいてしまった。左胸の肋骨と、右の腰周りの骨格がへこんでいた。骨が折れているだけじゃない。まさしく粘土に力を入れて指の痕が残るかのように、それくらいきっちりとした形を残してへこんでいる。それが包帯を巻かれた上から目視で確認出来てしまっている。
普通の傷痕じゃない。怪力を持った化け物にでも襲われたのか、或いはそういった魔法で体を捻じ曲げられたのか。どちらにしろ想像するだけでも恐ろしい。
「魔物に襲われたそうです。『七魔人』と呼ばれる、強大な魔物と戦ってたそうで」
修道士がそう説明してくれると、ボクの中で申し訳ない心情が生まれた。この街にも現れた七体の強力な魔物たち。そいつらがこの人間界に下りてきたのは竜の首飾りを持ってるボクが原因でもある。次代の魔王の証を持つ責任。その立場にいるだけで周りを傷つけてしまうという、上に立つ者としての性というものは、どうしてもついてきて回ってしまうということだろうか。それを見越していながら、お父さんはそれを指示したってことだろうか。
……。ちょっと今だけ、お父さんのことが嫌いになりそうだ。




