91 混沌への入り口
宿屋の借りた番号の部屋を開ける。10クラットもしなかったそこは随分簡素な造りで、壁や床はボロ板、布団は床に敷かれた一人分のみ。三人でいるだけでギュウギュウ詰めになる広さだ。
「こんなところしか残ってないとはな……」
「仕方ないわよ。もうこんな遅い時間なんだし」
先に入っていくアルヴィア。それを追い越すようにテレレンが布団の前ではしゃぐ。
「お布団一つだけだね。みんなで寝るの、ちょっと楽しそう」
「狭くて寝れるか心配だぞ、ボクは」
ドリンはいつも通り屋外の店前で眠っている。もちろん人の目を引く特大ギルドカードはしっかり首に下げている。
「それにしても」とボクを見てくるアルヴィア。
「まさかそっちの依頼がここまで時間がかかるなんて。何か厄介ごとにでも巻き込まれたんじゃないの?」
「い、いやあまさか」
ワームの夜行性に苦戦したなんて。そんな無様な理由をボクの口から言うわけにはいかない。魔王の娘が子どものワームに四苦八苦してたなんて知られてたまるか。
「それより、アルヴィアだって夜までギルド前まで来てなかったんだろ? 馬車の予約をするのにそんなにかかるわけないだろ」
「そうね。ちょっと行く途中で犯行現場とばったり出会っちゃって」
「え? 犯行現場って、アルヴィア姉ちゃん大丈夫だったの?」
「私の魔法は知ってるでしょ? それを解決するのにちょっと時間がかかっちゃっただけで、何も問題はなかったわよ。グウェンドリンも協力してくれたしね」
「そうなのか」
本当にそれだけだったんだろうか? 犯行現場ってのがどんなのか分からないけど、こんな夜遅くまで付き合わされる内容っていったい……。
「フアァ……駄目だ、眠い。もう頭が回らないや」
「そうね。私も疲れたわ」
防具を外していくアルヴィア。靴を脱いだテレレンが尽きない元気っぷりで布団の中へ入り込む。
「テレレン真ん中がいい!」
「おい、真ん中はリーダーであるボクの居場所だ」
「ええ! せめてテレレンはアルヴィア姉ちゃんの隣にいたいよー」
「ちょっと。私は真ん中なんて嫌よ。落ち着かないじゃない」
……様子はどうだ、ゼレス?
「宿屋に入っていったよ。人間の女性と一緒に」
中で何をしている?
「おいおい、まさか淑女の寝床に入り込めと言うわけじゃあるまい? そんな下品な行い、この私には到底行えないよ」
……まだあいつは人間の側についているんだな。
「彼女は別に人間の味方をしているわけではないようだがな。昨日も言った通り、吸血鬼たちに対して慈愛の心を見せていた」
その顔が本物だと言い切れるのか?
「裏で何か企んでいるとでも? 私にはとてもそうには思えないが、そこまで心配なら自分の目で直接確かめたらどうなんだ?」
それが出来るのなら、とっくにそうしているとも。
「……封印の悪魔たちか」
……。
「クイーンは昔のお前に随分似てきている。吸血鬼の墓を見せてあげた時も、お前と同じようなことを宣言していた」
……。
「私もこの世界が変わるのなら、と願わない日はない。だが、彼女はまだ辿り着いていない。我々が挫折した壁まで。人間と分かり合えない根本的な理由まで」
ゼレス。
「なんだ?」
クイーンを城に戻すよう頼んでいたはずだ。なぜ出会った時にそれを話さなかった。
「彼女は私が何を言っても素直に応じないだろう。七魔人だって自分たちの力で押し返したんだ。それだけ覚悟が出来ているんだろう」
私の目論見が浅はかだったと?
「七魔人に負ければ彼らの説得を聞き入れ城に帰ってくる、という根端だったか。相変わらず君は手際が悪い」
私よりも頑固者なんだ。帰ってこいと直接言っても聞き入れるはずがないと思っていた。
「それは間違いではないが、そのために取った行動も正しくなかった。結局、一時の心の乱れで彼女をこんな遠くまで飛ばしてしまったのが君の一番の過ちだ」
……。
「ディヴォールよ。実の子を勘当したことに我々を巻き込むものではない。七魔人が動き出したことで人間たちもピリピリしている」
だが、それで私のクイーンにもしものことがあったら――
「落ち着くんだ。魔王たるもの、娘の帰りくらい堂々と待ったらどうだ? 彼女ならきっと自力でたどり着ける。何も心配はいらない」
いや、だが……。
「……」
……。
「ディヴォール? ディヴォール。……あいつ、私の眷属を消したな。全く、精神はまだまだ未熟なヤツだ」
こんな夜更けに馬車が一台街中を走っている。荷台に布をかぶせた大きな馬車。あの感じはきっと中に人が、恐らくギルドの一行が入れるほどの規模。
それが修道院の前で止まる。高い灯台にいる私は、馬車から降りた彼らの顔をしっかり見ることは出来なかった。けれど、予感があった。
千年も生きている経験からだろうか。この街の空気が一気に変わった気がする。
誰からも感じたことがないような殺伐とした雰囲気。強い殺気を纏った真っ赤な霧みたいなものが、この街すべてを包み込んでしまったかのように鳥肌が立っている。
「この私を一瞬でも畏怖させる者か。この街は、今現在、最も危険な場所なのかもしれない……」
この夜は、いつも訪れるものとはまるで違った。各地であらゆる者たちがうごめいていたのだ。
「魔王様からのご命令です。出撃しますよ、ドットマーリー」
「モグモグ、モグモグ……」
「ドットマーリー。お食事もそこまででよろしいでしょうか?」
「……ンダ? オラが出撃ダド?」
配下を引き連れようとする執事。馬車の残り香を追う骨も一匹。
「……グフ、グッフフフフ。女の匂い。あの女の匂いが残って……クッフフフフフ!」
街の気配を感じる者が、吸血鬼の主以外にももう一体、特製の洞窟から怠惰な顔を覗かせる。
「嫌な予感。王都の方か。……はぁ、メンドウなことが起こりそう」
雲のかかった空を見上げ、執念を募らせる者も一人……。
「……満月の時は近い。あの時の借りを返す時も、――すぐそこだ」
異分子たちが一つの街に集まる。混沌を呼び起こすほどの化学反応が、栄華の街で爆発を起こそうとしている。
この日が始まりの前夜だったというのを、クイーンたちは知る由もない。
誠に勝手ながら四日間ほど休暇を頂きたいと思います。
本来この物語はまだまだ続けて執筆する予定でしたが、私生活の影響もあり次回から最終章に繰り上げることに決定いたしました。私自身、心苦しい選択ではありましたが、せめて最後の話ぐらいは読みごたえのある内容に仕上げていく所存でございますので、しばらくお時間を頂戴することを了承してもらえれば幸いです。
追伸 ぶっちゃけ今、死地の入り口に片足突っ込んでますが元気です。




