90 迷宮に差し込んだ光
「戻ったぞー」
扉をノックしながら中にいるだろうロディに届くようそう口にする。もう陽はすっかり山間に消えていて、街中の発光石が組み込まれた街灯がボクらの体を照らしている。
内側から扉が開かれてロディが顔を見せる。テレレンが「はいっ!」と手に持っていたワームの薄黒い体液を元気よく見せてあげると、ロディはボソッと「ありがとう」とそれに手を伸ばした。
「ねえねえ。今から錬金するの?」
「そのつもり」
「じゃあ見てってもいい? 邪魔はしないから」
仲良くしたいと言っていたテレレンが積極的に近づいていことしている。どうせボクは無感情に受け入れるか、もしくはもう時間が遅いから断られるかと思った。けど、彼の口から出てきたのは少し見当違いのものだった。
「むしろそうしてほしい。元々君たちに譲ろうとしていた薬だから」
* * *
洞窟の外に出てきて、胸に詰まっていた空気をやっと入れ替える。実はミノタウロスを前に強く感じていた緊張感がまだ鼓動と共にわずかに残っていて、無意識に鼻から深呼吸を繰り返していると、前を歩いていた彼が顔だけ向けてきた。
「洞窟の奥に逃がしたところで、ここに残ってしまえば意味がないんじゃないのか?」
さっきまで戦っていたその魔物のことを言ってきて、私はクイーンから聞いた話を自分で復唱する。
「魔物は人間を恐れてる。もしも住処が攻め込まれた際に逃げるための裏道を常に用意しているらしいわ」
「……あのチビッ子少女の入れ知恵か?」
「そうね。ああ見えても知識量は教授並みだから」
「っは。くだらない。逃がすくらいなら自分の手柄にしてしまえばいいものを。首を逃してしまっては何も証明出来ない」
「結果がそんなに大事?」
「大事だろう。世間の評価や態度が変わるんだ。俺たち貴族にとっちゃ命よりも大事なものだ」
結果や証明が命よりも……。
ちょっと昔の自分を思い出した。自分の力が人よりも優れたものだって証明したくて。人から期待外れだと思われたくなくて、必死に頑張って結果を残そうとしてた日々。その結末はギルドの追放で、その瞬間唐突に一人になりたくて途方もないぐらい遠くまで街から逃げたあの日。
貴族は市民を守るための剣になれ。街で広まっている私たちの一般常識。生まれつき私たちはそれに詰め寄られて、それで証明にこだわるようになって、無様な姿になってまで足掻こうとして、結果が出なくて自信を失って……。
結局、彼も私と同じだ。誰かに認められるために。人々に認められるために。
何より、自分が自分の力を認められるようになりたかった。
「そんなに大事ダヨか?」
何も知りようがないグウェンドリンが口を割ってきた。ギルエールは「魔物は気楽でいいよな」と悪態をつき、ちょっとおどけた魔物さんに私が話す。
「ゴードン・フォン・リーデル。彼の父親は街で一、二を争う剣士なの。あの人に斬れないものはない。ゴーレムの体すら真っ二つにするって言われてるわ」
「ヒッ!? オデの体が斬れるダヨ!?」
「その親の元に生まれた子どもは、必然的に注目の的になる。大それた逸材になるんじゃないかって、周りの目が集まる」
「少し違うな」
そう言ったのはギルエール本人だった。
「俺に一番期待していたのは父上だ。父上の常識は一般人とは違う。ギルドの階級だってオリハルコン以外ありえないと思っているような人だ。そんな人に認めてもらうためには、俺は周りのヤツらと同じようにしていてはいけない。天才に認めてもらうためには天才が成し遂げるだろう実績を、その通りに辿らなければならない」
この男から自分に関する話を聞いたのは初めてだった。ギルドにいたころは互いにピリピリしていた、というかこいつが一方的に高い理想を私たちに押し付けてたわけだけど、彼にも彼なりの悩みがあったんだって、今はっきり分かった。
「なんだか人間の世界は難しいダヨ。でも、命よりも大事なものって、そうそうないと思うダヨ」
私とギルエールは意外そうに顔を振り向けた。普段臆病者であまり自分から話を展開するタイプじゃない彼だったけど、ここでは悠然たる意志がその眼に宿っているようだった。
* * *
魔女が扱ってそうな釜の中に、予め薬草をすりつぶしたような液体や、ワイバーンの尻尾や正体が分からない生き物の血。ボクらが取ってきたワームの体液も入れて木のスプーンで回して作業を進めていくロディ。
「なんの薬なんだろうね?」
「さあ?」
色んなものをごっちゃに入れたわりには、釜の中は淡い赤色に染まっている。ロディに回復薬はこんなに材料が必要なものなのか、とも聞いたが、これは特別だからとまた答えをほのめかされた。話を深堀しようとしてもそれ以上は答えてくれない。具体的な効果を知らないままボクらは薬が完成するのを待っている。
「あとどれくらいだ? あまり長いと宿が取れなくなる」
「ごめん。あと一つだから」
「まだ材料を入れるのか。薬一つで大掛かりだな」
「これを入れた後は、君たちに任せる」
「え?」
何を任せるつもりだ? その疑問を一瞬にして払拭してしまう行動を、少年の彼はいきなり取った。
魔物の素材を切り分けるために使っていたナイフ。それを手に取って、手持ち部分をくるりと半回転して向けた刃先。
「入れた後は、混ぜればいいだけだから」
自分の胸元に向けて腕を動かした瞬間、テレレンの叫び声が響いた。
「ダメッ!!」
* * *
「オデ、昔住んでた住処があったダヨけど、そこを別の魔物に襲われて奪われたダヨ。仲間は全滅して、オデもあんな怖い魔物を二度と見たくないダヨって思って逃げてきたダヨ。前にあった怖いものからすぐ目をそらして、ずうっとここまで逃げ続けたダヨ」
「とんでもない負け犬だな」
「そうダヨ。オデは強いゴーレムじゃないダヨ」
その一言にギルエールの顔つきが変わった。自分の弱みを受け入れる態度は、彼にとって空を飛ぶ魚を見つけたかのように衝撃的なことだったんだと思う。
「でも、逃げた先でアルヴィア殿とクイーン殿に出会えたダヨ。二人は優しくて強くて、オデなんかより小さいのに勇ましい。そして何より、たとえ自分より強い敵が現れても絶対に諦めない。オデ、そんな二人を見て思うダヨ。オデは二人と一緒にいればきっと強くなれる。自分の居場所を守れるくらいの強さを、いつかきっと身に着けられるはずダヨって」
「……結局、お前は人を見てそう決心しただけじゃないか。一人だけの俺とは違う」
「オデも一人だったダヨ。一人になって、それでずっとずっと逃げ続けてきた。でも、その逃げた先でオデは出会えたダヨ。前から背中を向けて、カッコ悪くても命だけを守り切った先で、新しい運命に出会えたダヨ」
そこまで力説されると、とうとうギルエールの言葉が止まった。今まで何かに追われていたような張り詰めていた面影が、今は少しだけ和らいでるように見える。
「私もグウェンドリンと一緒ね。逃げた先でクイーンと出会った。クイーンと出会えたから、自分で成し遂げたいことも見つけられた。前ばっかり見ていたら決して交わらなかった出会いだと思う」
「そっちの道が正解だとは限らない。ただ単に受け入れがたい事実から目を背けているだけかもしれない」
「世間の過半数以上の意見が正しいとも限らないわよ。自分の力をどう使うかは自分次第。何を真実か信じるのは自分で選ばないといけない。私はそう思ってる」
「自分で選ぶ……」
自分に言い聞かせるように小さな声でそう呟いて、しばらく黙りこくってから無理して不服そうに身を翻して背を向けた。
「全くアホらしい」
その時の表情はいつもより柔らかいんじゃないかと、私は軽くなった声色から想像した。
* * *
胸元に出来た白炎にナイフの動きがピタッと止まる。いくら感情のない人間と言えど、やはり急に起きた出来事に驚かないことはないようで助かった。急いで駆け付けていたテレレンがロディの手にしたナイフを奪い取ろうとその腕を掴む。
「ダメだよロディ君! 何考えてるの!」
ナイフはあっさり奪い取れた。腕を掴まれたまま、ロディはテレレンを不思議そうに見る。
「なんで助けるの?」
「なんでって。こんなの胸に刺したら死んじゃうからだよ!」
「僕が死なないと薬が完成しない。この薬には人間の心臓が必要だから」
「それでもダメだよ! 自分の心臓なんてそんなのに使ったらダメ!」
人間の心臓が必要な錬金術とは……。当然ボクはそこに引っ掛かって今まで濁されていた真実を知ろうとする。
「何なんだその薬は? 普通の薬じゃないよな? どういった効果か具体的に教えてくれないか?」
「長寿の薬。寿命が倍伸びる効果」
ここまで引っ張ってきた割には、あっさりとした答えが返ってきた。命の期限が伸びるとは、どんな魔物や人でも羨むような効果だ。でもその犠牲が一人の命はさすがに重すぎる。
「その効果は魅力的だが、生憎お前の心臓を持ってしてまで欲しいとは思わないな」
「……そうなんだ」
「そうだよ! プンプンだよテレレンは!」
「なんでボクたちにそれを譲ろうとしたんだ? 別に頼んだわけじゃないのに」
頬を膨らませるテレレンを横目にボクはそう訊いた。ロディは少しもったいぶるように慎重に喋っていく。
「……僕は生きていても何も感じない。感情がないと、何を見ても感動しないし、誰かに出会っても心が躍らない。痛みを感じてもなんともないし、笑い声が聴こえても雑音にしか聞こえない。こんな僕が生きてる意味って、きっとないと思う」
「ロディ、君?」
心配するテレレン。彼の顔は無表情のままだ。
「君たちは僕と違う。君はいつも元気でずっと楽しそうにしてる。君も常に冷静を保っているけど、仲間と一緒にいると安心してるような顔つきになる。君たちには感情があって、それでいて目的のために頑張ってる。それだったら僕の命を君たちにあげた方がいいと思った。僕が生きても意味がないから。せめて誰かに譲ってその人の生きる意味の手助けに成り変わる方がいいって。そう思った」
「それは違うよ」
泣き出しそうに掠れた声でテレレンがそう言って、ナイフを床に落としてロディの手をしっかり掴んだ。それは、まるでこのまま消え入りそうな彼を絶対に逃がさないようにしているかのようだった。
「譲るって言われても、テレレンはロディ君の命は貰えないよ。だってロディ君の命はロディ君だけのものなんだもん」
「でも、僕が生きることに意味はないよ」
「今はないって思っても、いつかきっと出来るよ。いつか絶対に出来る。白黒の世界でもいつか色があるって分かるよ。……テレレンもそうだったから」
こらえきれずに彼女の目から涙がこぼれ出てる。ポタポタとそれがロディの腕に落ちていって、彼は妙な生き物を見るかのように恐る恐るこう訊く。
「なんで、そこまで泣くの?」
「ぐすっ。なんでだろう。多分、ロディ君の気持ちを考えたら、寂しくなっちゃったからかな」
「……僕は寂しいの?」
「寂しいよ。一人ぼっちなんだもん。自分のこと、自分でも大事にしてあげてないんだから……」
再び零れる涙をじっと見つめるロディ。その間もずっとテレレンに手を繋がれたままで、そこからテレレンの想いでも通じたのかこんなことを呟いた。
「……寂しい、かは分からない。でも、なんとなく、君が泣いてるのを見ると、ちょっと胸が苦しい」
「っは! そうだよ、そんな感じだよ! 言葉では分かんなくても心で感じられるものが感情なんだよ」
言葉で分からなくても心で感じられるもの。
テレレンのその言葉は的を得ているように聞こえた。実際、その場面に出会ったら口より足が先に動く。勝手に涙が出てきて、胸が引き裂かれるように痛んで、いっそこの世界から消えてなくなりたいって思ってしまう。
「感情を持つのって、いいことなのかな?」
ボクたちはそんな感情と切り離せない関係にある。心を取り出そうとすれば、ロディみたいにすべてに何も感じられない体になるしかない。
「寂しい思いってのは、ボクも体験したことがある。言葉では表せない。悲しいだとか、悔しいだとか、そんなのじゃ足りないくらい感情が爆発してた。……でも、心があることを不便だと感じたことは一度もない。感情がなければ今のボクに原動力は存在しない。内に秘めた決心が宿ることはなかった。そしてその道を歩んでいるボクは、後悔をしていない」
「………そうなんだ」
ロディの表情はやはり一切動かない。しかし、ふいにテレレンに掴まれていた手から離れると、材料を混ぜていた釜を手に取り、ゴミ箱代わりのようなバケツの中にすべて流しいれた。
「次は君たちが欲しがるような薬をちゃんと作ろうと思う。何が欲しいのか正直分からないけど、なんとなくこれかなって考えてやっていけば、もしかしたら感情ってものが分かるかもしれないから」
ついボクはにやけ顔が浮かんでしまって、テレレンも涙が止まって満面の笑みが出来上がっていた。テレレンがまたロディの手をばしっと取って、
「うん! 薬が出来たらまた呼んでよ! テレレンはいつでも来るよ! ずっと仲良しでいたいから」
そんな約束を感情のまま結ぼうとした。ロディはただ、納得したように一回頷くだけだった。




