08 溝
08 「もしもウルフたちに囲い込まれた時。その時は俺が命をかけてでも逃げ道を開けてやるさ」 ――リーグ・ドラッド
「ゴブリンが人間に危害を加えるとは限らないってことだ。ちゃんと食べるものと、種族を残すための方法を用意してあげれば、こいつらは人間と一緒に生活できる」
「そうは言っても……」
アルヴィアは苦い反応を返してくる。
「そんなに不安か? 人間は肝が小さいなぁ」
「小さいっていうか、そういう問題じゃなくて……」
歯切れの悪い言い方をされる。ボクは間違ったことを言ってるだろうか?
「確かに魔物はお前たちにとって恐ろしい存在かもしれない。だけど、ゴブリンがいることで出来ることだってある。村に畑があっただろ? こいつらは力と数があるから、その仕事もよりよくできるはずだ。それに、こいつらは熊を狩ることだってできる。狩猟もできるってなれば、村人たちの生存率も自然と上がる。いいことずくめじゃないか」
「それはそうかもしれないけど……」
これだけ言っても、アルヴィアは踏ん切りがつかない様子だった。そんな中、ゴブリンの親玉が話しかけてくる。
「オレたち、ニンゲンこわい。ニンゲンは、オレたちをおそう」
「大丈夫だ。人間の中にもイイヤツがいるぞ。実際に、ボクはパンを貰った。ボクが威厳ある魔物なのにだ」
「イゲン?」
親玉が首を傾げたのを見て、ボクはまたキレそうになってすかさずシカトを決め込む。
「と、とにかく、お前たちだって、これから行くあてがないんだろ? それで村を襲ったりでもしたら、また人間たちが誤解する。ここはいっそ、予め村に行って話をしてしまおう。魔物にだってイイヤツがいて、人間にだってイイヤツがいる。お互いそれに気づいてもらえば、無事みんなハッピーだ」
「そう上手くいくかしら?」
アルヴィアは未だに深刻そうに考えていた。
「なんだよ。そんなにボクたちのことが信頼できないか? 今だって、お前のことを襲わずにいるだろ」
警戒の目は向けつつも、何もしていないゴブリンたちのことを指摘し納得させようとする。それを見てもアルヴィアは悩むようにしていたが、結局諦めるように何もない地面に目を落とした。
「やるだけやってみればいいわ。それでできるんだったら、それでいいでしょうし」
「やっと納得したか。そうと決まったら、早速村に行こう。ついてこい、お前ら」
人間の言葉でそう言って、ボクはそのまま森を抜けようと歩き出す。ふと、背後で親玉がゴブリンの言葉で『あいつにハムカウな』と言うのが聞こえた。やっとボクの力を認める気になったのかと、ボクはご満悦気分で木々の中を進み続けた。
村についた。人間が静かに、まるで外敵にバレないように暮らしている村に。
そこにボクがついた瞬間、悲鳴が一つ上がって、上げた本人が慌てる素振りに周りがボクたちを見て、新しい悲鳴を生み出していた。
「どうして魔物がここに!」「ゴブリンだ! ゴブリンが来たぞ!」「なんなの彼女は! どうして引き連れているの?」
「ま、待てお前たち! こいつらはお前たちを襲わない。まずは話を聞いてくれ」
ボクはそう叫んだけど、村人たちは口々に騒ぎ立てていて、まるで聞く耳を持たない。騒ぎを聞いた他の村人が扉から出てきてこっちは見ては、急いで離れるように逃げ出していって、果ては馬車に同車していた傭兵の男が、剣を抜いてこっちに向かってきた。
「ゴブリンたちを引き連れて、な、なんのつもりだ!」
「つもりもなにも、別にお前たちを襲わないって」
「嘘をつくな! こんな小さな子が魔物のグルだったなんて」
「待て誤解だ! 決して村を襲おうとしたわけじゃないって!」
「誤解な訳あるか! 今もゴブリンたちが、人間の女性を下品な目で見ているじゃないか!」
そう言われて振り返ってみたけど、ゴブリンたちは至って普通の目でその場に立ち竦んだまま。ただの言いがかりだ。
「下品な目って、お前たちも見る目がないな。ただ普通にしているだけじゃないか」
「黙れ! 性欲の権化とも呼ばれる魔物の普通なんて、たかが知れてる!」
どうしてわかってもらえないんだ。そうだ、アルヴィアから話をしてもらえば。そう思ってすぐに口を開こうとしたが、肝心の彼女の姿が近くに見えなかった。
「あいつ。こんな時にどこに行ったんだ」
「何事だ!」
野太い声がして、前を見ると村の村長が恐る恐るこちらに近づいてきていた。傭兵の斜め後ろに立って、ボクに話しかけてくる。
「なぜゴブリンどもがここにいる! 連れてこいなんて一言も言ってないぞ!」
「村長さん! こいつらは別に悪い魔物じゃない。人間を襲うようなことはしないんだ」
「なんだと? そんな話、信じられるか!」
頑なに人間たちは彼らを信用しようとしない。口で言っても無理そうだ。
『跪け!』
いっそのことなら行動を見てもらおう。そう思ってゴブリンたちに一つ命令を飛ばすと、彼らは最初戸惑いながらも、親玉が従ったのを皮切りに全員が膝をついた。
「これを見ても、まだ信じられないか?」
村長は彼らを見て唖然としていた。こ、これは、と口に出してしまいながら、すぐにボクにこう訊いてくる。
「な、何が目的だ?」
「こいつらはこの村で働くべきだ」
「んな!?」
電気を流されたように体が固まった村長。奥で見ていた村人からもざわめきが聞こえてくる中、傭兵が「正気か?」と訊いてくる。
「ああ。こいつらはお前たち人間と同じ生き物で、ちゃんと理性がある。生きるために動物を狩るし、身を守るために洞穴を作って生活していた。けど、ついさっきその洞穴が潰れちゃって。それで、この村のために働いたらいいと思って連れてきたんだ」
「それはつまり、彼らと一緒に暮らしていけと?」
傭兵が続けて訊いてくるのに、ボクはしっかり頷く。
「ああ。お前たちにとっても悪い話じゃない。ゴブリンは力が強いから畑仕事がはかどるぞ。それに熊を狩るほどの連携も取れるし、この一番デカいのは武器を作る知能まである。一緒に生活すれば、この村も発展して豊かになるはず――」
「ふざけるなっ!」
一瞬、全身が硬直して頭が空っぽになった。話の途中で叫んだのは傭兵の彼で、あの日初めてお父さんに叱られた瞬間が頭の中をよぎるほど大きかった。
「誰が、魔物なんかと一緒に暮らしていけるもんか!」
構えていた腕を乱暴に振りながら、彼は強く訴えかけてくる。瞼に浮かんだ何かがひっそりと光を反射する。ハッとしてボクは何かを言おうとしたけど、言葉が出ない内に彼はこう言った。
「――僕の仲間は、魔物に殺された!」
ウッと息が詰まる。完全に、言葉を見失う。
「僕は仲間の中じゃ一番弱い立場だった。村出身っていうことで、人々に馬鹿にされたこともあった。だけどあいつらは、僕のことを仲間だって言ってくれたんだ。かけがえのない仲間だって。それなのに、あの日、ウルフに襲われて、僕の仲間は一人残らず、死んだ。ウルフを見ただけでトラウマが蘇るくらいに……。お前たちのせいで! 俺は大事なものを全員失ったんだ!」
そうよ! と、奥から一人の女性がこちらに近づいてくる。
「私の娘も、昔魔物によって殺されたの! 赤ん坊の頃によ! こんなヤツらと一緒に生活なんてできるわけない!」
また一人、今度は男性が出てくる。
「俺は元々いた村が魔物によって潰された。生活をグチャグチャにされたんだ!」
また一人。
「昔魔物に受けた古傷のせいで、俺は腕が上がらなくなった!」
もう一人。
「食料の鶏を奪われたこともあったんだぞ!」
やがては、パンをくれたおばあちゃんも、袖に隠れていた古傷を見つめながら口を開く。
「魔物は恐ろしいよ。絶対に村に入れさせるわけにはいかないね」
みんな、ボクを責め立ててくる。穏やかだった瞳を敵を見るものに豹変させ、それぞれが胸の中に隠していた思いを、ここぞとばかりに叫んでボクを突っぱねようとする。
「出て行け! 今すぐに!」
村長の言葉から、出て行け! と反感の声がまばらに繰り返される。
出て行け! 顔を見せるな! 人間の皮を被った化け物!
恨み、憎悪、憤り。彼らの言葉が、ボクを追い詰める。
――ああ、駄目だ。これ以上は。
ボクは初めて経験する。まさか、言葉に押し潰されることがあるだなんて。どんなに巨大な岩よりも重くて、どんな剣よりも鋭い言葉たちが重なって、ボクのことを傷つけてくる。チクりとした痛みではない。本当に、本当に胸が押し潰されそうなくらいの、呼吸の仕方を忘れそうになるくらいの圧力。
怒りが逆流してくるのを感じる。どうしてボクなんだ? なぜボクが責められるんだ? いきなり豹変しやがって、人間どもめ。
無性に沸き起こる憤りに汗まで流れ出してきた。この際、すべて焼き尽くしてやろうか? さっきのゴブリンのダンジョンのように、ここにあるものすべてを焼き焦がしてしまおうか?
そうすればきっと、彼らは全員黙り込むはずだ。
ふいに、腕が動き出したその瞬間だった。
「私のお父さんを返してよ!」
村人の中の、ある女の叫びだった。出て行け! と続いていた雑音の中から、はっきりとボクの耳に聞こえた。同時に、ボクの頭に大好きなお父さんの面影が浮かび上がる。
お父さん。力があって、魔力が膨大で、威厳もあってカッコいい、ボクの憧れの存在。
……。
もしも、人間がボクのお父さんを殺していたら、ボクも、こうなってたのかな。
大事な存在を奪われたとしたら、ボクにもこうして憎しみが生まれたのかな。
「……ごめんなさい」
掠れた声で出てきたのは、その一言だった。ボソッとした呟きで、恐らく前にいる村長と傭兵にしか聞こえなかっただろうけど、ボクはすぐに下げた頭を上げて、ゴブリンの言葉で『行くぞ』と言って背を向けた。早足で村を離れながらも、そこからはまだ、出て行け! と叫ばれていた。