86 先の見えない眼差し
突き立てた刃がそのままグッといきそうで、慌てて私は間に入り込もうと駆けこんでいく。
「ちょっと待ってギルエール」
「あ? なんでお前がここにいる、アルヴィア・ラインベルフ」
フルネームで呼ばれるのも懐かしい。言われた瞬間に鳥肌が立つような悪寒に襲われたけど、拒否反応を抑えて彼と向き合う。
「剣を納めなさい。あなたの場合はどうせ、犯罪者を止めるためじゃなくて私情でそれを向けてるんでしょ? みっともないわ」
「ふん。黙れよ、まんまと捕らえ損ねそうになってた癖に」
嫌味な言葉のわりに、彼はすっと向けていた剣を鞘に戻していく。その行動は私にとって意外で、ギルエールは青年を睨むこともせず懲り懲りしてるかのように腕組みをし独り言をボソボソ呟く。
「全く。何が市民のための貴族だ。こんなのを守るために戦場に赴くなど馬鹿がすることではないか」
自分の境遇と世界の在り方に対する愚痴。こいつの口から市民を守る、なんて言葉を聞くとは思ってなかったけど、後ろからおばあちゃんとグウェンドリンがやってくるのが尻目に映って、ひとまず目の前のことを解決しようと私は青年の腕を強く掴んでその場に立たせた。
「おばあちゃんを転ばせるなんて危ないじゃない」
「ご、ごめんなさい! でも俺、食べる物がなくて……」
気弱な様子。歯向かってくるタイプじゃないだけマシかもしれない。
「謝る相手は私じゃないでしょ。ほら」
話が通じる青年におばあちゃんの前に立つよう促す。青年はばっちり目が合った瞬間に顔を青白くして、強迫観念に駆られたような勢いで頭を思いきり下げた。
「ごめんなさい! もう二度としませんからどうか――!」
「お黙り!」
ピシャリとした叱責が飛び出て、完全に青年が委縮する。
「二度とも何もない。こんなこと絶対にしてはいけないの分かる?」
「は、はい」
「全くこれだから薄汚い貧民街の子は……」
ちょっとだけ酷い言いようだと思った。何もそこまで言わなくても、とつい青年に同情して言葉が出た。
「おばあちゃん。私はラインベルフ家の娘です。今回は私から言っておきますから、大目に見てあげてください」
「どうでもいいわよ。ほら、私の荷物早く返しな」
「は、はい!」
年寄りとは思えない蛇のような睨みが、青年を先まで走った荷車まで駆り立たせた。罪をきせられないよう必死な形相を浮かべながら落ちた食べ物を拾い、青年はすぐにおばあちゃんの元まで戻ってきて荷車を返した。おばあちゃんはそれを奪い取るかのように乱暴に取り戻すと、そのまま不機嫌な態度のままこの場を去っていった。
背中を見送って私は再度青年に向き直る。その子はまだ怯え切った顔をしていた。その目線が若干グウェンドリンに向いてないこともない。
「私と約束して。これからはもう盗みは絶対しない。ムキになって誰かを転ばせるようなこともしないって」
「……はい」
覇気のない返事は、とても信用出来るものじゃなかった。なんだか脅迫されて仕方なく出てきた言葉にしか聞こえない。
「何か仕事はしてる?」
「何も……」
「養う家族はいる?」
「……妹が一人。最近父が家を出ていって、もう俺らしかいなくて」
両親がいない兄弟、か。栄華の都なんてよく言ったものだわ。街の端っこにはまだ、大陸を統一する以前の、百年以上前の戦争の歴史が残ってる。
「そう。そしたら街の中央広場の東側。ダルバーダッド大図書館のある通りの『パワードスチール』っていう鍛冶屋を訪ねてみて。あそこの店主が最近、店の雑用係を探してたから話をしてみるといいわ」
「でも、こんなの雇う人なんていないよ。これまでだって、この見た目で店に入った瞬間出て行けって追い出されてきたんだ」
「そんなの言いわけにしかならないわ」
青年が意外そうに顔を上げる。私は後ろにいるグウェンドリンを見上げる。
「このゴーレムはギルドに所属して働いている。魔物でもお願いすれば働かせてくれるんだもの。あなたもやり方を考えれば、どこかしら見つけられるはずよ」
「魔物が……」
腰裏のポーチから金貨袋を取り出して、10クラット分の価値にあたる銀の硬貨を手に取って、それをそのまま水をこぼすかのように手を傾けて地面に落とした。
「10クラット分なら役所に届ける義務はない。私も落としたことに気づいてない。偶然見つけたお金をどう使うかはあなたの自由よ」
クラットから目を離すように青年に背を向けると、少し間があってから青年が私の裏を駆けていった。チラッと横目で見てみると、落とした銀貨はそこからなくなっていた。
「くだらない茶番だ」
黙って見ていたギルエールが感想をこぼす。
「あんなのを助けて何になる? どうせ足りない脳みそじゃ金だって賢く使えない」
「10クラットなら服の上下が買えるわ。新品は難しいかもだけど、中古品でもあれより綺麗なものは見つかるはずよ」
「どうだか」
「それより、あなたはこんなところで何をしているの?」
普遍的な質問をしたつもりが、ギッときつい眼差しを向けられた。
「なんでもいいだろう。お前には関係ない」
「あっそう。訊いて損したわ」
そのままその場を去ってやろうと思った。けれどグウェンドリンに肩をチョンチョンとされて、その後指差された方向に振り返ってみるとあるギルドの団が通りを歩いていた。
「あれは、熊流派の団。けが人がいる」
一人の師匠と三人の子弟で構成されたギルドチーム。力強い熊のような斧術が特徴的で、ランクも私たちと同じプラチナ級。それも六十近く歳のいった師匠は直接戦うことが少なく、ほとんど子弟たちだけで魔物を倒してるって聞いたことがあるから間違いなく実力派ギルドだと思っていたけど、師匠の背中でおんぶされてるその子弟は頭に大けがを負ってしまったようで、応急処置の包帯から血がこれほどまでかとにじみ出ていた。
「ソルディウス・エストの二人か」
私たちに気づいた師匠がそう言って、ギルエールが過剰なまでの反応を示す。
「そのギルドはもうない。からかっているのかジジイ?」
「血気盛んじゃのう。久しぶりに話したいところじゃが、今はそれどころじゃなくてな」
「何にやられたんだ?」
「ミノタウロスじゃよ。討伐目標を倒した後に乱入されたんじゃ」
「ミノタウロスだと!」
いきなり大きな声を出したギルエール。ミノタウロスは三大魔物にも数えられる特級の危険生物で、七魔人ほどではないにしろ私たち人間には熟練の冒険者でも手に余る相手だ。だけどギルエールの顔には驚きや畏怖というより、これを待っていたと悦ばしいような表情が浮かんでいた。
「ジジイ。そいつはどこに現れた?」
「訊いてどうする、若き貴人よ?」
「決まっている。認めてもらうためだ」
至極真面目な声色で、彼はきっぱりそう言った。
* * *
トントン、と一枚扉を叩く。長方形に削った石を積み立てられたいかにも一人暮らし用の家。名札がどこかにあるわけじゃないが、ここが彼の住所のはずだ。どういう心境なのか、リズムを取るかのように愉快げに頭を右に左に揺らすテレレン。まもなくして、中から栗毛で無表情な少年が顔を見せる。
「……」
「やっぱり本物のロディ君だ!」
「数日ぶりだな。依頼書を見てやってきた」
ギルドから持ってきた紙っぴらを見せてみると、ロディの顔がわずかに頷いてボクらを誘うように扉を全開にした。
「入っていいのか?」
「うん。瓶を用意してくる」
さっさと中に消えていくロディを追うように、ボクとテレレンは一緒にお邪魔する。
奥の部屋へと消えてたロディを待つ間、入ってすぐあった一面本棚と専用デスクを用意した錬金の調合室を自然と眺めてみた。植木鉢に見たことない植物が生えていたり奇抜な色した液体が入った瓶など、家の外見とは打って変わって違う雰囲気の空間がそこにあって、それも使い古されてるかのようであった。
「これにお願い」
部屋から戻ってきたロディが言った通り空の瓶を二つ持ってボクに渡してくる。それを受け取る横でテレレンが一つ訊く。
「一体なんの薬を錬金するの?」
「君たち冒険者の役に立つ薬」
その時、ボクは初めてロディから曖昧な答えを聞いた気がした。今まで無感情で淡々としながらもはっきり分かる答えを言ってくれていたはずだ。
「役に立つってどんな効果?」
外で遊んでいる子どもの声が遠くに消えてから、ロディが口を開く。
「回復薬の類だよ。たとえ君が、本物の心臓を傷つけられても治せるくらい即効性のあるやつ」
ボクに向けられた言葉。多分竜の心臓を傷つけれた時のことを言ってるんだと思う。
「おおーそんなのがあるんだ! 分かった。それくらいすぐに持ってきてあげるね! クイーン様が!」
「ボク頼みかよ。まあ、すぐに戻ってくるよ。それじゃ」
家を出て早速ギルド本部から教えてもらったワーム生息地へ向かおうとする。けれど少ししてから、ボクは何かが引っ掛かる感じがした。
ボクの心臓ですら治せるという回復薬。そんなのが下級の魔物の素材で足りるというのだろうか? 錬金術を一切知らないとはいえ、にわかに信じがたい。
「……さすがに考えすぎか」
「ん? クイーン様、何か言った?」
「いいや。何も」
聞きに戻るにはもう遅く、ボクは真っすぐ目的地へ向かっていった。




