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二人の追放者が出会う時 ~魔王の娘の帰宅奇譚~  作者: 耳の缶詰め
 四章 血と怨霊に枯れる愛
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82 吸血鬼の主

 張り詰めた空気が鳥肌を誘う。一瞬この場が氷のように凍てついたのかと。そう思うほどの緊張感がゼレスおじさんから広がっていた。


 変わったものは空気だけではない。ゼレスおじさんの体が不自然に揺れ動いている。高かった鼻は真っ平に潰れ、目が限りなく細くなって老婆のようにしわが増えた。口元から鋭い牙も生え、両手が肥大化し爪もぐっと伸びていって狂暴な姿へと変貌していく。極めつけに最後には、背中からバッと大きなコウモリの漆黒羽が広がった。


「ゼレス、おじさん……?!」


 ボクの知ってるおじさんじゃない。顔も雰囲気も一気に殺伐としたものに成り代わっている。


「人の見た目は仮の姿。我々吸血鬼の本来の姿は、狂暴で恐ろしいものでなくてはならない。なぜなら私たちは生きる者から血を飲み干す怪物。人間だろうと魔物だろうと、果ては愛人の血であろうと、吸血鬼には関係ない」


「愛人……? まさかっ!?」


 緊迫感を漂わせたまま、ゼレスおじさんが一歩を踏み出し歩いていく。殺気の近づいてくる気配。月明りが差す墓場で恐怖そのものを顔に映したような吸血鬼が、ただ平然と、街を歩くかのように普通にセドラスに近づいていく。それはどことなく、やり慣れた通り魔を見ているかのように思えた。


「答えろゼレス! お前はまさか、ラルの血を飲んだのか!」


「千年も生きていける秘訣を教えてやろう。人間の血。特に美しい見た目を保った女性の血は特別だ」


「ゼェレェスッ――!」


 激情に駆られたセドラスが我慢しきれず拳を振り上げた。狂犬のように荒れたパンチが瞬間的に放たれて、ゼレスおじさんに当たったと思ったその瞬間、その手は無情にも空を切っていた。


 標的は夜の暗闇に溶けるように消えていて、セドラスも目を丸くしている様子だった。ゼレスおじさんどこにいったのか。はたから見ていたボクには、セドラスの背中で光る青い瞳と、長い爪が振られる素振りがはっきり見えた。


「ぐあっ!?」


 青白い液体が辺りに飛び散る。ウーブの体に赤い血が流れていないようで、意識を乗っ取り痛覚を共有するセドラスが一心に飛び退いた。


「ぐっ! 体が麻痺してる。とうとう()を発動したかゼレス」


 力? ゼレスおじさんに特別な力があったのか?


「手から音波を発し触れた部位の神経を狂わせる能力。通称『ソヌース』。音の揺れは高ければ高いほど物体を揺らし、グラスを割ることだって出来るが、お前のそれは本当に厄介だ」


「顔に当たらなかったのはさすがの反応だな。おかげで無駄な時間が増えた」


「私はお前を許さない! 絶対に、ラルの仇を討つ!」


「人間の敵討ちとな」


 セドラスの音を置き去りにするような素早さが再び帰ってくる。視界にはっきり捉えきれないまま消えてしまって、でも怒りの矛先であるゼレスおじさんにはそんな彼の動きが見えているようで軽く身を捻るとそこに風が通りすぎた。


「――笑わせるな」


 勢い余ったセドラスは必死にブレーキをかけまたすぐに体を翻す。鳥の影がスッと通りすぎるかのように彼は攻め立てるけど、それもまたかわされる。次の攻撃も。またその次の攻撃も。


「限界まで血の流れを加速させた時、吸血鬼はあらゆる者の動きを見極める。相手がお前とて、たった今借りたその体では満足に動けないのだろう。動きが鈍すぎる」


 攻撃している様子をボクは一度も目に映せない。分かるのは風切り音とゼレスおじさんの動きから出る雰囲気のみ。彼の攻撃が何度も何度も不発に終わっているのが不思議でならない。そして当たり続けなかったその果てに、とうとうセドラスが上空からの奇襲を狙った。


「小癪な! 私を舐めるなぁ!」


 セドラスが空に飛びあがった時、やっとボクの目にも彼の姿が見えた。ただ、見えた次の瞬間には、その全身は大量のコウモリの渦巻きに巻き込まれてまた見えなくなってしまった。


 何百もの眷属がずっと辺りを飛んでいるせいで、周りにいるボクらにはその後の状況が全く分からなかった。


「くっ! こんなもので私が止められるとでも――んな!?」


 この瞬間、セドラスは上空を見上げていた。自分が飛びあがったはずの空中よりももっと上を。


(――いつの間に、上に……!?)


 そこには、大きく羽を広げた顔の潰れた悪魔が、叫びを上げるのっぺらぼうのようなおぞましさと共に眼前まで迫っていた。


 


 ドスン! と地面から土埃が波のように広がった。顔まで届くそれを防ごうとボクらは顔を覆い隠す。そうしている間に、コウモリのバサバサという羽音が薄まっていき、夜の静けさが戻っていくのをボクは感じた。


「どうなったんだ?」


 顔を上げて起きた出来事を目にする。墓石がホコリのように散っている墓場の中央。さっきまでコウモリたちが渦を巻いて隠していたそこに、両膝をついていたセドラスと悠然と立っているゼレスおじさんがいた。セドラスはもう立ち上がれない様子だったが、まさかあの一瞬でソヌースという能力を全身に受けたのか? おじさんの顔は空気を変えた前のものに戻ろうとしていて、鋭利な牙や長かった爪、背中の羽はとっくに元通りになっている。


「お前は間違いを犯した。我々はあくまでも吸血鬼。人間と正面から向き合おうとするのは愚かな考えなのだ」


 ゼレスおじさんの淡々とした言葉。対してセドラスは息切れを起こしながら反抗する。


「ならお前は、なぜ人間と関わっている? なぜラルを奪った?」


「私が千年も生きているのはどうしてか」


「まさか、己の生のためだけに彼女らの血を? なんて野郎だ貴様は……」


「知っているか? 人間の中では我々のことを不死身と思う者が多い」


「私たちには寿命がある。その定義は間違っている」


「いいや。彼らの定義は間違いだとは言い切れない。だが正しくもない。我々吸血鬼の正体は血液。血液の純度さえ保つことが出来れば、私たちは永遠に生きながらえることが可能だ」


「でたらめを言うな。私たちだって生き物。年齢を重ね老いていく存在。永遠の命など手に入るはずがない」


「人間の中でも血液の純度が高い者がいる。そういう者はそうじて、美しい見た目を保っている女性に多い。きっと彼女らは美しい見た目を維持するべく、食や生活の細部にまで注意を払っているのだろう。彼女らの血を飲めば、私たちは若返るくらいに血が潤うのだ」


「なぜだゼレス。なぜそこまでして生にすがりつく。千年も生きていながら、彼女らを裏切るような真似に心を痛めないのか?」


「吸血鬼のお前がまるで人間のようなことを言うのだな」


 居合のように出てきた言葉にセドラスは黙り込んだ。


「覚えておけ。吸血鬼は人間ではない。光差す平原よりも暗き洞窟を好み、肉よりも血を渇望する。どれだけ人間を真似したところで我々は吸血鬼でしかない」


「なら、吸血鬼は人間を愛してはいけないと言うのか? 人間よりも長く人間を演じ続けた私たちは、人間と共存するのを夢見てはいけないと?」


「人間がどんな生き物なのか、お前もよく知っているはずだ。千年生きた私が言えることは、私たちが吸血鬼である限り、人間は我々を決して受け入れない。決してだ」


「……私の求めた未来像は、どうあがいても叶わなかったということか」


「少なくとも、お前が口にしたやり方では、お前自身の力が足りてなかっただろうな」


 ゼレスおじさんがセドラスの頭にそっと手を置く。


「もういいだろうセドラス。死んだお前はもう人間でも吸血鬼でもない。早く待っている者の元へ行くがいい」


 グッと腕に力が入ると、そこから電流でも流れたかのようにセドラスの頭が震え髪の毛が逆立った。たったそれだけで意識を失ったセドラス。前のめりに倒れそうになるウーブの体をゼレスおじさんはちゃんと支えてあげる。


「ゼレスおじさん!」


 激しい戦闘が終わりボクは駆け出す。


「セドラスはどうなったんだ? ウーブは大丈夫なのか?」


「安心しろクイーン。気絶しているだけだ。ソヌースは音波で体内の神経を揺らし意識を奪う能力。頭に発動すればそれは脳に届き相手を無力化させる。これでセドラスも頭を冷やすだろう。いずれ目を覚ましたら、七魔人の彼に事情を説明してラルとセドラスを会わせてあげよう」


 あれだけ激しい戦闘だったが、ウーブの体に目立った外傷はない。引っ掻かれたはずの腹部も衣服は破けたが体はもう元に戻っている。七魔人というだけあって治癒能力もあるのだろう。


 ゼレスおじさんが辺りを見回していて、それにつられてボクも辺りを見る。嫌に静かだった墓所が燦燦さんさんたる有様だったが、散らばった墓石をコウモリたちが運び始めていた。


「クイーン。悪いが彼を屋敷まで運ぶのを頼みたい。私はここを元通りにしておかなければ」


 ここが住宅街から大きく外れた場所でよかったと、ボクは心底思った。そうでなければとっくに吸血鬼が暴れてると大騒ぎになっていただろうから。

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