74 屋敷周りにうろつく亡霊
「ねえクイーン様。吸血鬼って太陽の光は大丈夫なの?」
「体が溶けるのはおとぎ話の中だけだ」
「ニンニクとか銀が苦手って本当?」
「個体による。人間でも臭いが苦手って人がいるだろうし、アルヴィアの腰についてるようなものを振り回されたら銀だって嫌いになる」
「血を吸われた人が吸血鬼になっちゃうってのも話の中だけ?」
「ああそうだ。現実じゃあり得ない。ていうかそんな話があるのか、人間の間では」
「人に紛れてる吸血鬼ってどれくらいいるの?」
「それはボクにも分からない」
「なんで吸血鬼の主って言うの?」
「……はあ」
止まることを知らないイノシシのような質問攻め。王都を出て、目的地を目指してからずっとこうだ。隣でアルヴィアも「始まったわね、テレレンのお得意が」と苦笑いを浮かべている。
「吸血鬼は吸血鬼で縄張りというか、人間で言う部族意識があるんだ。ゼレスおじさんはすべての吸血鬼を束ねる立場にある」
「それじゃ、ドリン君の場合もゴーレムの主さんがいたりするの?」
「いいや。主って立場がある魔物は吸血鬼と竜だけだ。この二つはすべての魔物の中でもすば抜けた力を持っているからな。お父さんの支配だけじゃ足りないかもしれないんだ」
ボクみたいに魔王を生み出すために使われることもあって、吸血鬼の戦闘能力はそこらの魔物とは格が違う。怪力なのはもちろん、体内に魔力も多く持っていて影から眷属を生み出したり、体を霧に変化させたり背中に羽を隠し持っていたりと、とにかく万が一でも喧嘩をうってはいけない相手なのだ。
その頂点に立つゼレスおじさんに至っては七魔人並み、いやそれ以上の力があるだろう。戦ったところを直接見たことはないけど、あのお父さんでもゼレスおじさんは敵に回したくないと言ったことがあるくらいだ。
「吸血鬼の話題で盛り上がるのはいいけれど」とアルヴィア。気が付けば周りは鬱蒼とした木々に覆われた森に変わっていて、太陽の光が届いていなかった。
「そろそろ目的地につくんじゃない? 森の奥深くにあるっていうことらしいし」
ふと何かが見えた気がして、それが霧だったことに気づく。わずかしか出ていない薄雲のような霞を、それまで通りの歩みで進んでいく。
「なんだか不気味な静けさがするところダヨ……」
霧が深くなっていく。だんだんと肌に水気を感じるようになってきて、雨の匂いなんかもしてきて、気が付けば頭上の葉が見えなくなっている。
「この雰囲気、まさかほんとーに幽霊がいるんじゃ……」
声が震えているテレレン。着実に近づいてると感じ始めたその瞬間、ボクの鼻に腐った臭いが微かに流れ込んできて、ボクの中に紛れている吸血鬼の細胞がうずいた。
「――血の臭いだ」
「へ? えぇ!?」
「本当ダヨかクイーン様!?」
驚きと恐怖心が先に来る二人に対し、アルヴィアは手慣れた様子でとっさにボクの隣でこう訊いてくる。
「場所は分かる?」
「真っすぐ前から。結構乾いてるかも」
とっさに足が走り出してると、アルヴィアも同じタイミングで横を走っていた。
「あ! 待って!」
後ろから二人も慌てて追いかけてくる。真っ白な視界を、狼が草の根をかき分けるように進んでいって、ようやく臭いの正体を見つける。
そこにあったのは、木にもたれかかった状態で白骨化した人間の死体。見た目はアルヴィアみたいに武装していて、肌が露出している部分から無残な姿がまるっきり映っている。ブンブンという音でどれだけの虫がたかっているのかが分かる。
「「ヒイィ!?」」「――ガイコツだ!?」「――スケルトンダヨ!?」
ギュッと抱きしめ合うアホ毛とノミ並みの肝しかない岩。ボクは松明をつけるように手にフレインを宿して虫を追い払い、アルヴィアが膝をついて死体に触れる。
「この防具……足元に剣も落ちてるし冒険者で間違いないわ。全身が白骨化してる」
「長い間放置されて虫に食われたんだろうな」
「妙ね。骨にへこみとかそういうのがない。強く殴られたって感じではなさそう」
「切られたって線はないのか?」
「その割には防具が綺麗すぎるわ。ブーツがやけに汚れてるのが気になるけど……」
白骨を包む防具は確かにどこも傷ついていない。ブーツだけは泥だらけで、腰でも抜かして何かから逃げようとでもしていたかのように地面もこすれている。
「外傷があるなら防具から調べられるはず。だけどこの遺体にはそれが一切ない。おまけに金目のものも残ってるから賊に襲われたって感じでもなさそう。……そしたら誰がこの人のことを?」
不可解な遺体の様子に自問自答をしてしまっているアルヴィアだったが、震える身を抑えきれないテレレンが「もしかして……」と語りだす。
「これも、幽霊の仕業なんじゃ……」
「幽霊がこれを? まっさかー。そもそも幽霊なんて得体の知れないのが人間やボクらの目に見えるわけないだろう? それに見えたとしても所詮は遺恨を残した魂。そんなのがボクらに手出し出来るはずが――」
言い切ろうとしたその瞬間、不意に背筋に寒気を感じとった。気のせいだとも思ったそれを事実だと証明するようにアルヴィアがこう叫ぶ。
「後ろっ!」
猫のような身軽さでパッと振り返った。真っ白な霧を背景にそこに浮かんでいたのは、青白い体で足がない幽霊。それもボクに向かって手を伸ばしかけていた状態だった。
「あああぁぁ!」
「――んな!?」
耳をつんざくような悲鳴と共にガッと首を強く掴まれ両足が宙に浮く。幽霊の顔は人間の女性であり、若くて髪とか綺麗に見えるけれど歯がむき出しになっているほどの形相のせいで最高に不細工だ。その顔にあの二人がまた騒ぎ出す。
「――ギャー!?」「――で、ででで出たダヨォ!?」
「くっ! 離せ!」
片手にフレインを焚きながら、腕を振り払ってやろうとする。ブワッと炎が音を立て、ボクの手が幽霊の腕をすり抜ける。直接離すことは出来なかったが、勢いに驚いたのか幽霊が恐れるかのようにボクから手を離して身を引いた。
「大丈夫クイーン?」
「ッケホッケホ。……大丈夫だ。まだ気は安定してる」
肺に空気を取り戻して顔を上げ、幽霊を睨む。白いボロ布みたいなのを着ているがそれすらも透けている。
まさかこの目で不透明な存在を直に見る日が来るとは。お父さんの言った通りこの世界には幽霊がいて、今目の前のそいつはボクを掴んだ手の平を怖い顔のままじっと見つめている。
「本当に出ちゃったわね幽霊。どうする?」
剣を引き抜くアルヴィアだが、その銀の刃があれを倒せるとは到底思えない。
「幽霊退治なんてボクもしたことがないからな。せめて除霊のやり方でも調べておくべきだった」
「何をそんな呑気なことを」
そんなやり取りをしている間にも幽霊の顔がこちらを向いた。敵意の視線。すかさずヤツが向かってくると同時に、ボクはひとまずフレインを放つことしか思いつかなかった。
周りの木々に引火しない程度に短く。けれども当然、物質を通さない体はボクの炎をもろともせず、再びボクの目の前まで迫って両腕を突き出してきた。
「マズい――!?」
「クイーン――!?」
何もできなくてとうとうギュッと目を瞑ってしまっていた。
熱も手触りもない、ただ青白く薄気味悪いその手で、一体何をされるのだろうか。幽霊に関してはまだ未熟なボクには何も想像出来なかった。考えつくこととしたら、今さっき見つけた白骨化した遺体の様子だ。
でもボクに降りかかってきたのは、勢いのある衝突とか、グチャグチャにかき混ぜるような精神攻撃でもなく、ただ背中にピトッと優しく触れられた感触があっただけ。
「……え?」
恐る恐る目を開けてみると、なんと幽霊がボクに抱き着いていた。それも、敵意の抜けたとっても穏やかな顔で。




