72 ゼレスおじさん
「吸血鬼……!? 本当なの?」
正体を聞いて驚くのではなく、なぜか半信半疑の様子を見せるアルヴィア。後ろでテレレンが両手を頬に当てて豪快に「ええぇー!?」と時間差で騒いで、ドリンも一層震えが激しくなった。
「ヒイィ! 本物の吸血鬼ダヨか!? オデの血を吸いとるダヨか!?」
「グウェンドリンと言ったか。落ち着いていただきたい。確かに吸血鬼の好物は人間や君たちの血だ。生物の命の根源とも言えるそれはこの世のどこにもない珍味。だが生きるために必要というわけではない」
「そうダヨか! 血は食べないダヨ?」
「本当だとも」
ここで深く考え込むようにしていたアルヴィアが喋りだす。
「ねえクイーン。あなたの体も吸血鬼の体で出来てるって言ってたわよね?」
「ああそうだ。吸血鬼の体と竜の心臓。そして魔王の血が合わさって産まれたのがボクだ」
「それじゃ、吸血鬼ってのは本当に実在する魔物ってことなのね。驚いたわ。幻の存在だとばかり思ってた」
「幻? そう言えばギルドの依頼書を眺めてても、吸血鬼に関する依頼は一切なかったな。もしかして人間の間では吸血鬼ってのは実在しない魔物だと思われてたのか?」
ボクのその発言にゼレスおじさんが答えてくれる。
「我々吸血鬼は原則として隠密行動。昼は人間になりすまし、夜の闇に溶けては獲物を食らう。我々は気配にも敏感だし、人間にその本性を見られることは決してない」
「そっか。でも、そうですよね。さっきクイーンが言ってた眷属の魔法。空にコウモリを飛ばしてたのもゼレスさんですもんね」
足元から再び影のコウモリが現れ、ゼレスおじさんの手の平に止まる。
「ゾレイアは吸血鬼のみが扱える特別な魔法。人を捜すのにはうってつけだ。まあ、小さな子どもがこれを追いかけてくるとは思わなかったが」
「んあ! ボクは子どもじゃないって!」
「ハッハッハ。私からしたらどんな生き物だって赤子も同然だよ。そうだろうクイーン?」
「そ、そりゃ千年も生きてればそうかもしれないけど……」
「え!? 千年!? 千年も生きてるのゼレスさん!?」
目玉が飛び出そうな勢いのテレレン。
「吸血鬼ってのは長寿なんだ。平均寿命は五百年って言われてる」
「五百年!? でもゼレスさんその倍だよ! どうしてなの?」
「フフフ。長生きするコツというものがある。よく笑い、よく話し、よく食べよく寝る」
「それだけ?」
「そうだな。あと一つ秘訣があるとしたら人を愛する、ということかもしれない」
「へ~。愛で長生き出来ちゃうんだね」
勝手に納得した様子を見せるテレレンだが、実はボクとてゼレスおじさんの長生きの秘訣を知らない。この人はお父さんの友人であり、小さい頃のボクとも何度か面識があった。見た目の割にちょっとおじさんっぽいからゼレスおじさん。普段の立ち振る舞いは大人びていて話をするのが大好き。よくお父さんともお喋りしてたりしてたし、優しい性格の持ち主でボクにも羊の血とか馬の毛とかから作った化粧用品をプレゼントしてくれたのも彼だ。
ちなみにお父さんの年齢は150歳。ゼレスおじさんのが全然年上で、それだけ歳のいった魔物はほぼいない。
「それじゃ、さっき言ってた吸血鬼の主っていうやつは?」
再度質問をしてくるアルヴィア。ゼレスの眷属が足元の影に消える。
「すべての吸血鬼を統括する、いわゆるボスのようなもの。もっと分かりやすく言うなら、私が一番強い吸血鬼ということだ」
「ヒイィ!? 一番強いダヨか!?」
「落ち着きたまえグウェンドリン。さっきも言った通り君たちの血を吸ったりしないし、当然自分の強さをひけらかすために襲ったりもしない。私が襲われたらその時は力を使わざるをえないが……」
アルヴィアを見ながらの発言は、名門貴族である彼女を警戒しているようだった。けど、アルヴィアに限ってそれはいらない心配だ。
「安心してください。襲ったりはしませんよ。私も魔物の事情を分かってるつもりです。人間を襲わないというゼレスさんの言葉を信じます」
「そうか。それはよかった。聡明で慈悲深いあなたに感謝を」
また厳かなお辞儀が披露される。なんとなく相手を敬うためにこうしてるって感覚で分かってるけど、本当の意味はボクはまだちゃんと分かってない。
「さて。本当ならクイーンとそのお友達にご飯の一つもおごってやりたいところだが、生憎この後人と会う約束をしていてね。私はそろそろ行かせてもらうよ」
「そうなの? せっかく会えたのになぁ」
「まあそうしょげるなクイーン。私とはまた会えるさ」
頭をポンポンと撫でられる。子ども扱いされてるって分かるけど、名残惜しさが残って嫌がるに嫌がれない。
「分かったよ、ゼレスおじさん。絶対また会おうね」
「ああ。君たちもこれからクイーンをよろしく。それでは」
アルヴィアたちにもそれだけ言ってスマートにこの場を去っていく。二十年ぶりでもやはり、ああいう常に落ち着いた雰囲気は変わっていない。
それにしてもこんなところでゼレスおじさんと出会えるなんて。会う人がいる、とも言ってたし、この街を気に入ってたりするのかな? だとしたらまた会えたらいいな。
「私たちはこれからどうしましょうか?」
アルヴィアがコウモリを見つける前の話題を掘り返した。目的は言った通り城を目指すことだが、そこまでまだ距離があるだろうからどこかに寄らないといけないだろう。
「お城は北にあるんだよな? 途中の街に寄りながら進んでいこうと思うんだが」
「一直線に向かうなら『ブリンドーズ』かしらね。でもそこまでかなり距離がある。歩いていったらきっと二週間はかかるわ」
「二週間も!? 他に街はないのか?」
予想だにしてなかった距離感だったが、アルヴィアの首は横に振られる。
「『ラグラード荒野』って言って、川を越えた先が干ばつ地帯で人の住める土地じゃないのよ。まあ、小さな村ならどこかで見つかるかもしれないけど、人の手が入ってない分魔物も多いでしょうしあんまり期待は出来ないと思う」
「そうか」
確か人間というのは水がなければ生活が難しくなるって本で読んだことがある。肌が干からびてしまうとかなんとか。魔物だって水がないと生きていけないわけだが、サンドワームとかスケルトンといった、乾燥地を好む魔物だっているからなおさら人が住める場所じゃないわけか。
「そんなところを二週間も歩かないといけないダヨか? おっかない魔物にでも襲われたらどうするダヨ……」
「魔物のお前がそれを言うか?」
筋がね入りのビビりのドリン。そんな彼と違って、テレレンがあるアイディアを示す。
「あ! そしたらテレレンあれ乗ってみたい。ばしゃってやつ」
「あー」と声を洩らすアルヴィア。
「確かに馬車なら時間短縮できるわね。短縮する分自然と身の危険も減る」
「ちなみに訊いておくが、転移の指輪ですぐに行けたりとかはしないのか?」
「私がブリンドーズに行ったことがないからそれは無理。実際に行った場所の映像と街にある環境や魔力の雰囲気。それらをちゃんと知っておかないと変なところに転移するかもしれないわ。そうじゃないにしても、ここからじゃやっぱ距離が遠すぎるでしょうし」
「そうだよな。そしたら、その馬車ってヤツを利用させてもらおう」
これから行動するべき目標が定まった。しかし、何をするにしてもまず最初にぶちあたる至ってシンプルな問題があって、それをアルヴィアが口にする。
「そしたらお金を集めないといけないわね。ブリンドーズまでの距離だからきっと、3500クラットくらいは必要かしら」
「3500!?」
相当高い値段に大声が出てしまう。ボクの脳内では急いで過去に稼いだクラットとの計算がなされていく。
「高すぎやしないか? ボクらが依頼で得られる金額は300前後だ。単純計算で依頼の十二回分。アルヴィアの剣一本だけでも600クラットで済むっていうのに、どうして馬車だけそんなに?」
「馬車ってものは一般人が使うものじゃない。貴族が使うものなのよ。隣街へ移動したがる人なんてそうそういないし、そもそもの利用者が少ない。それにブリンドーズまでの距離と乗車人数が四人……」
話しながらドリンの顔を見つめるアルヴィア。
「グウェンドリンの場合は重さのせいで別料金も発生しそうだから、もしかしたら5000までいくかも」
「オデのこと、お馬さんたちは運べるダヨか?」
「まあなんとかしてくれるんじゃないかしら? 合計百キロを超える荷物だって運んだりしてるんだし」
重さの問題もあるがそれよりも値段の問題だ。
「どちらにしろ参ったな。国王から貰ったお礼金でもギリギリの値段だ」
「あれ? 5000クラット程貰ってなかったかしら?」
「確かにそれだけ貰ったけど、二週間の間の食べ物とかがないとだろ?」
「あーそういうこと。もう少しあった方がいいってことね」
「あの馬を走らせるだけのヤツが5000クラットか……。人間たちの金銭感覚はすごいな。魔物を倒せる剣よりはるかに高いなんて。何はともあれギルドの依頼で稼がないとか」
「ついでに言っておくと、私の剣って特別に割引してもらってるの」
「え? そうなのか?」
歩き出そうとする前に彼女の腰の剣に目がいく。
「さっきゼレスさんも言ってた通り、私の家って街では有名な方なの。そこの娘が店を利用してるって話題にすれば、あの店に人が集まるのは当然のことでしょう?」
「なるほどそれで割引か」
「どういうこと?」とテレレン。
「なんとしてでもアルヴィアにお得意さんになってもらいたくて、店主が安くしてあげてるってことだ。アルヴィアという釣り針で更にたくさんの魚を釣ろうとしてるんだよ」
そうボクは説明しながら、再びギルド本部入り口に向かおうと先に歩き出す。
「アルヴィア姉ちゃんってお魚さんのエサなの?」
「いや、そういうことじゃないんだけど……」




