06 四つの魔法
06 「魔法なら四つ持ってる。そんな驚くことか?」 ――魔王の娘 クイーン
――いつも通り森で鹿を狩っている時、不気味な物音がしたんだ。音のする方へ近づいてみると、そこに三体のゴブリンがいたんだ。丁度その子くらいの大きさだった。ゴブリンどもは熊の死体を運んでて、どこに持っていくのか気になって追おうとしたけど、つい足音を聞かれてバレそうになって、それで急いで逃げたんだ。きっとあの時俺が見つかったら、近くに人が住む村があるって気づいて襲ってくるに違いない。早いうちにどうにかしれくれないか?
「……で、ここが熊の死体を運んでいた場所だったと」
現場まで歩いてきて、ボクはそう呟いた。当然ゴブリン、及び熊の死体は残っていないが、アルヴィアの近づく付近の低木や枝、土の地面に動物の血がところどころ付着している。
「ゴブリンたちは熊を持ち上げて運んでたのね。引きずってる跡がない」
「三体もいれば、熊一匹運ぶのなんてあいつらにとっては簡単なことだろう」
「意外と力が強いわよね、ゴブリンって」
「見た目の割にな。でもその代わり、筋力に特化してる分知能が備わっていないことが多いんだけど――」
話しながらアルヴィアの隣に近づき、ゴブリンたちが運んでいっただろう先を見る。滴った血痕は微量で、一日経過していることもあって痕跡が曖昧にしか残っていない。おまけに地面に残った足跡はまばらになっていて、どうやら野生動物に荒らされたようだ。これでは彼らの痕跡を辿って住処を見つけることができない。
「やっぱり、意図的に痕跡を残さないようにしている。きっとヤツらのダンジョンの中に、知恵の働くゴブリンがいるはずだ」
「何それ? 魔物がわざわざダンジョンの居場所を隠そうとしてるってこと?」
なぜかアルヴィアは意外そうにそう訊いてくる。
「当り前だろ。お前みたいなヤツに見つかったら、殺されちゃうんだから」
「魔物のくせに生存本能があるってこと?」
ん? と一瞬言葉が詰まった。何を当然なことを言ってるんだと。『魔物のくせに』なんて言葉まで使わなくても……。
そこまで思って、ボクは不透明な何かに引っかかっていた正体に気づく。馬車で話していた時から感じていた、なんとも言えないごたごたとはっきりしない何か。魔物と人間にあったギャップという壁。
「――魔物だって、お前ら人間と同じ生き物だぞ」
一瞬目を丸めて、すぐ訝しげな表情になって黙り込むアルヴィア。ボクは構わず続ける。
「人間にとってボクら魔物は敵かもしれない。でも、魔物にだって心はあるし、生存本能とか欲求もちゃんとある」
「私たちと同じ? まさか」
「だったら、今お前と話しているボクはどうなんだ? 人間であるお前と話しているのに、ボクは生き物じゃないってか?」
そう言い切ると、キョトンとしたような反応を返された。
「そういう考え方、初めてだわ。あなたにとって、私たち人間は敵じゃないの?」
「人間は敵さ。ボクたち魔物を倒すんだから。でも……」
人間は敵だってお父さんは言っていた。魔物たちを襲い、自分たちの領土を侵害してくる大敵。だけど、そんな人間がボクに同情してくれた。
あの時、頭に触れられた感触。目の前に急に現れて、仲間のスライムを勝手に倒した人間。そんなヤツに、ボクは心の内の不安を吐き捨てた。お互いに、自分たちの心情を受け止め合った。それは言葉じゃなくて、感触としてボクの中に残っている。自国の領土を奪った悪いヤツだと思っていたけど、目の前にいるものがそういう風にはとても見えない。
「お前みたいな人間もいるんだなって知って、少し人間に興味が湧いた。敵だとしても、お前みたいに話が通じるヤツが他にもいるかもって」
ボク自身、曖昧なことを喋っていると知っている。敵だと思っていたヤツにこんなことを話すなんておかしいって。きっとアルヴィアもそう思っていたんだと思う。ボクに「面白い冗談ね」と突っぱねるように言って、身を翻そうとした。
「おい、どこ行くんだ?」
「報告よ。ダンジョンを見つけられないんじゃ、私にできることはないわ。街のギルドから、捜索隊を呼んでもらわないと」
なんだよ。そんなことか。
「お前ができないだけで、ボクにはできることだ」
「え?」
ボクは辺りを見回して、丁度木々の葉がない、太陽の光をしっかり浴びれる場所に移動する。そこで見えないマントを広げるように右腕を伸ばして、地面に映っている影を見つめる。
「眷属召喚、ゾレイア」
腕の関節部分。真っ黒に染まっているそこから何かがうごめく。優しいエメラルドの光が二つ、生き物の瞳となるように宿って、その影は猫の体を持って地上に出てくると、ボクの足元に近寄ってきてちょこんと座った。腰を屈めてそいつの頭を撫でてやる。
「ゴブリンの臭いがある。それを辿ってくれ」
眷属であるそいつに命令すると、猫はボクを通り越して血痕が残っていた辺りの臭いを嗅ぎ始めた。その様子をアルヴィアは不思議そうに眺めている。
「あれもあなたの魔法なの?」
「そうだ。自分の影から眷属を召喚する『ゾレイア』。あいつは猫としての能力を一通り兼ね備えている。猫の嗅覚なら、ゴブリンの痕跡を見つけてくれるはずだ」
「なんだか犬みたいなことをさせるのね」
「猫の嗅覚だって頼りになるぞ。それに、犬と違ってうるさく吠えないし、体も小さいからどこにでも忍び込める。捜索にはうってつけさ」
説明している間にも、眷属は臭いを辿って先へ進み始めた。ボクとアルヴィアはそれを追いかけていって、森の中を突き進んでいく。
「まさか二つも魔法を使えるなんてね」
「魔法なら四つ持ってる」
「四つも!」
なんだか過剰に驚かれた。
「そんな驚くことか?」
「驚くわよ。でも、魔王の血を引いてるって考えたら、四つ持っていてもおかしくないのかしら?」
「人間はそんなに持ってないってことか?」
「普通は一人一つよ。それに産まれながらに魔力を持ってない人だったら、一生魔法使いにはなれない。あなたがどういうイメージを持ってるか分からないけど、きっと思ってる以上に魔法使いは少ないはずよ」
ふと、若き傭兵の発言を思い出す。――持っていない身としては、魔法を持っているだけで羨ましい。あいつの発言は、自分が魔力を持たずに産まれたから出てきた言葉だったのか。
「ふうん。ま、魔法って強力な力だし、人間が複数持てるわけないか。さすがボク」
「あ」
突然アルヴィアが足を止めた。つられてボクも止まると、目の前に洞穴があった。地下に向かって掘り進められていて先は真っ暗。人工的な造りで、一目でダンジョンだと気づいた。眷属はボクに振り向いてくると、足裏から伸びてる影に吸い込まれるように消えていった。
「発見だな、ゴブリンの巣窟」
早速ボクは中に入っていって、下り坂を少し進む。光が届かないところで右手をパーにする。
「フレイン」
ボンッと炎が現れ、それを松明代わりに辺りを照らす。坂はもう少し続いているようで、奥から微かにゴブリンの鳴き声が聞こえた気がした。
「炎の魔法って便利よね」
隣にアルヴィアがついてくる。
「そうだろ。もっと褒めてくれてもいいぞ」
「はいはい凄い凄い。さっさと行きましょう」
「んあ! そんな言い方ないだろ!」
さっさと行こうとするアルヴィアの隣に急いでつく。ごたごたの床に気をつけながら進んでいくと、だんだんとゴブリンの気配が強くなっていた。
腐肉の臭い。ヤツらの警戒するようなうめき声。ゴブリン特有の口臭も混じって、熊の剛毛も増えてくる。
そして、ボクのフレインの魔法とは別の光が見え始めた時。
「グエェェ!」
前からいきなり二体のゴブリンが走ってきた。それぞれボクとアルヴィアを狙っているようで、爪を尖らせてくるのが見えて、咄嗟にボクは炎を出している手で接近してくるのを牽制する。
「っと! 危ないな、いきなり」
アルヴィアもアルヴィアで『ルシード』の魔法を発動し、ゴブリンの爪を腕で受け止めていた。すかさず剣を抜こうとするのが見えて、ボクは考えるよりも先に叫ぶ。
「駄目だ! こいつらを殺すな!」
アルヴィアの手がピタッと止まる。すぐに彼女に近づき、力で押し込もうとするゴブリンを離れさせる。二体のゴブリンは向かい合うように並び、細長い舌を見せるように鳴いてくる。
「どうするつもり?」
「さっきも言っただろ? 魔王の城にいる間に、読み漁った書物から魔物たちの言語は一通り学んでいる」
一度咳払いをして喉を整える。ゴブリンの言語は舌を痙攣させるようにして――
『ボクたちに敵意はない! 戦うつもりは一切ない!』
彼らの言語でそう言った。彼らは一瞬怯むように動きを止めたが、またすぐに敵意むき出しになってこう言ってきた。
『オマエ、ニンゲン。ニンゲン、キケン』
「くそ。こいつら」
懲りもせずボクたちを襲おうとするゴブリンたち。知能の低い方のゴブリンだったか。ボクが魔王の娘で、首飾りだって持っているっていうのになんてヤツらだ。
「どうなの?」
「言葉を覚えたての赤子らしい」
「そう。まあ見るからに下級のゴブリンよね」
「下級?」
「ギルドで設定された強さの指標。下級は野生の熊程度、中級は一体で村を壊滅可能な程度、そして上級は、ギルドでも最上位に近い階級の冒険者を必要とするレベル。階級が低い魔物だと、それだけ知能が低いってのも人間界では一般常識ね」
ふうんと返事をしながら、ボクは彼らをどうするか考えていた。けど、未だに彼らはボクらに歯向かう気満々のようだ。聞く耳を持たないんじゃ言葉を交わす意味はない。ボクは炎を地面に捨てて、右手を真っすぐ前に突き出す。
「イルシー!」
魔力を集中させた時、二体のゴブリンの体に白い炎が発生した。ゴブリンは一瞬にして慌てふためき、体についた炎をかき消そうと暴れ出す。
「ちょっと? 殺すつもり?」
「いいや、そうじゃない」
動揺するアルヴィアに振り返って、ボクは指を鳴らして人差し指に白い炎を出してみせる。
「『イルシー』は幻影の炎だ。こいつに熱はないし、燃やす力もない。脅かすにはもってこいの魔法なんだよ。ほら」
手を出して触ってみるよう促す。アルヴィアは恐る恐る手を近づけてみて、白い炎をちょんちょんとつつくようにしてから、最後に手全体で覆ってくる。
「本当だ。熱くない」
「あいつらとは話が出来そうにない。しばらくここでああしてもらおう」
未だに炎の正体に気づかず、てんやわんやし続けるゴブリン。彼らを横目に見ながら、ボクらはダンジョンの奥、松明らしき明かりが差し込んでいる空間まで歩いていく。




