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二人の追放者が出会う時 ~魔王の娘の帰宅奇譚~  作者: 耳の缶詰め
 三章 マジックライター
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68 記憶の欠片

 子どもたちの騒ぎ声。日が差し込んでこない窓。喧嘩を止めようとする大人。薄汚れたレンガの壁。ロウソクの小さな明かり。


 ここはいつだって変わらない。朝にあれば大人たちに起こされて、昼までそれぞれに与えられた仕事をやって、暇なら遊んで、夜にあったら全員揃ってテーブルに並んで食卓を囲む。


 ここに訪れる人は二種類。親を失った子どもか、子どもを欲しがる大人。


 大人の人は滅多に来ない。一年に一人来るかどうか。子どもは結構来る。一ヶ月に一人以上は当たり前。


 だけど、その日は別の人がやってきた。そうっと扉を開けたハートのアホ毛をした桃髪の女性。目についた僕に声をかけて、大人の人を連れていったら、彼女はこう言った。


 ――親を捜してる子どもなんです、と。




 アルヴィア姉ちゃんに連れられてやってきたのは、前にチェンバロの演奏を聴いたレストラン。ロディ君も一緒についてきている。まだ店は開店前だったけど、構わず入っていくと店主さんがやってきた。


「これはラインベルフのご息女様。まだ開店準備中ですが、何か御用で?」


「こんな時間にごめんなさいブリムさん。でもここでしか頼めないことがあって」


 アルヴィア姉ちゃんはテレレンに振り返ってきて、「ちょっといい?」と手にあった楽譜を持っていく。


「この楽譜。見覚えありますよね?」


 店主さんがマジマジとそれを見つめる。この人も音楽が分かる人だったんだって意外に思っていると、その人がハッとした反応をした。


「これは! エイレス・マリアル様の曲では!?」


 アルヴィア姉ちゃんも一緒になって頷く。


「やっぱりそうですよね」


「ええ。マリアル様が残したもので間違いありません。一体どこでこれを?」


「彼女が持っていたんです。それで多分彼女は……」


 途端に言葉を遮ったアルヴィア姉ちゃん。今一度店主さんに振り返って別のことを喋る。


「ブリムさん。あの楽器は残っていますよね? よければ彼女にこの曲を弾かせてみせたくて」


 いきなりの頼みだったけど、店主さんはテレレンのことをしばらく見つめて、何かに納得するかのように頷いた。


「かしこまりました。奏者の控室に展示されておりますので、そこへご案内いたします」


 あの楽器ってなんなんだろう? 何も分からないまま案内されていく。


 舞台として用意された階段を三段上がって、前に聴いたチェンバロを通り越し、その先の扉が開かれる。ドリン君は大きな体のせいで入れないけれど、テレレンたちはその中に入っていく。


 そこはパスタの匂いに包まれていたメインフロアとは打って変わって、新品の絹に囲まれたような空気感の部屋だった。舞台用衣装やおしゃれな靴がズラリと並んでいる中、一つだけ、異様に目立っている楽器が置かれていた。


 チェンバロと同じ鍵盤楽器。だけど何かが違う。蓋が開けられるとそこには鍵盤が二列じゃなく一列に並んでて、足組とかが木材で作られてるのにとても大事にされているのか楽器全体が輝いてるように見える。


「これもチェンバロか?」とクイーン様。アルヴィア姉ちゃんが楽器に近づく。


「これは『ソプラノピアノ』。チェンバロとは違う楽器」


「ソプラノピアノ? 見た目は大して違いそうにないけどな」


「音を聴いたらすぐに分かるわよ」


 楽譜置きにロディ君が預かってた楽譜が置かれる。イスを引いてテレレンを見てくる。


「おいでテレレン」


「え? う、うん」


 初めて見た楽器だったけど、とりあえず言われた通りにソプラノピアノの前に座ってみる。高いイスで足が浮いているからか、または鍵盤を前にしたからか、落ち着かない気分になる。


「アルヴィア姉ちゃんは弾いたことあるの、これ?」


「ううん」


「え! テレレンも弾き方全く分かんないよ!」


「弾けなくてもいいのよ。ただ音を聴いてほしいの。きっと、この楽譜を作った人が残したかったものが、テレレンには分かると思うから」


 そう言われても……。イスになおって楽譜の一番初めの音符を目にする。五本線の上二本の間に挟まった黒丸音符。


 ……なんでだろう。ここから見る楽譜。この景色。


 イスに座った状態で楽譜を見ると、前から知ってた曲のように思えてくる。この黄ばんだ製紙から懐かしき虫の鳴き声が聴こえて、いつしか感じた穏やかな風が肌に当たって、どこかから声が聴こえてくるよう。


 ピタッとした感触がテレレンの手の甲に感じられる。それはアルヴィア姉ちゃんのもので、テレレンの右手を覆うようにしたまま、その手をソプラノピアノの一つの鍵盤に置いた。


「最初の一音は、多分ここだったはず」


 中指が鍵盤に触れる。この感じ。誰かに手を握られて一緒に鍵盤に触れる感じ。なんでだろう。そわそわするけど、安心もする。とっても不思議な気持ち。


 一音を、鳴らす。


 優しいタッチで触れた瞬間、ポーン……と、音色が儚く消えていく。


 この感覚。この音色は、確か……。


 自然と薬指が鍵盤に触れる。フォークで突いてしまわないよう、赤子を撫でてあげるように優しく。するとまた、ポーン……、と高い音色が響いてどこかに消えていく。


「テレレン。弾き方分かるかも」


 遠い昔に、テレレンはこうして誰かに――。


 いきなり背中から翼が生えたかのように肩が軽くなって、左手を鍵盤にのせると、その後は指が勝手に動いてくれた。まるで見えない誰かがテレレンに教えてくれてるかのように。素人とは思えないくらいスラリと曲が弾けていく。


 音は海に押し寄せる波のようで、一気に押し寄せてきてはまたすぐに引いていく。透き通った、遥か空まで響いていくんじゃないかって思うくらいの音色。音は連鎖していき、鍵盤の上で踊るように指を運んでいると追憶の旅をしている気分になってきて、出会う音から一つずつ、記憶の欠片を拾っていく。


 ここは一つの音に集中するように長く。十分に想いを乗せてから次の音に移って、ここからはチョンチョンとつま先でスキップする感じで……。


 見えてる世界が変わってくる。そよ風が吹いてる気がして、花びらが楽器の上を舞いながら通り過ぎていく。見渡す限りの草原の上を愉快な小人が跳ねていて、すぐ足元に川のせせらぎが聴こえてくる。


 前半は広大な海を見せるようにおしとやかに。中盤は優雅な音から楽し気な曲調。目に馴染んだ緑、自由が広がってるそこを奔放に駆け抜けるようにテンポよく。そして段々と、鳥が大雨の中を飛んでいくように荒々しく、滝の下まで一直線に滑空していくかのように速く。


 憶えてる。この曲を、教えてもらったことを、体が憶えてる。


 滝を真っ逆さまに下って、水の中にボチャンと潜り込んだらもう後半。地の底にあった世界は雪国。パラパラと粉雪が吹いていて、辺りには何もない、真っ白な世界が続いている。あったかい服を着て、みんなが身を寄せ合って暖を取っているくらい寒い世界を、切なくしっとりとした音で。


 やっぱり憶えてる。忘れたくなかったことは、ちゃんと刻まれている。


 たとえ記憶がなくとも、テレレンのこの手に、大切な人から教わったことがつまってる。


 ――一度押したら、その音はすぐに消えてしまう。


「だから、これは世界で最も美しい音を響かせる……」


 記憶の欠片が当時の思い出を形作っていく。闇に散らばっていた明かりが一筋の線を導いていく。


 子どもたちの騒ぎ声。日が差し込んでこない窓。喧嘩を止めようとする大人。薄汚れたレンガの壁。ロウソクの小さな明かり。


 一人だったんだ。テレレンは一人、知らない施設に入れられてた。そこに親はいない。お父さんもお母さんも。


 血の繋がった誰かはいなくて、代わりにいたのは普段は優しい顔をしたおばあちゃん、お姉ちゃんたち。けどみんな、裏でため息を吐いているのを憶えてる。それが嫌で、自分がここにいちゃいけない気がして息苦しかった。


 それでその後出て行ったんだ。たった一人で外に逃げだした。何も考えず、ただ一人でいられる場所を求めてあてのない逃避行をした。


 そこで出会ったんだよね。あなたと。


 テレレンが大好きな人。思い出すだけで心が温められる人。


 ――お義母さん。




「失礼しました~。……ふう、そう簡単に見つからないよね」


「……」


「あ! 君は大人の人呼んでくれた人! さっきはありがとね」


「ああ、えと、どういたしまして。……あの、訊いてもいいかな?」


「ん? なーに?」


「どうしてこの孤児院に来たの? 君のお母さんはこういうところで働いてるとか?」


「ううん。お母さんは音楽家だよ。楽器を弾くの」


「そしたらどうして?」


「うーん……なんとなく、かな?」


「なんとなく……?」


「うん。ああでもそうだ」


 隣の建物。この孤児院の窓に光を入れない遮蔽物の分譲集合住宅に目が向けられる。


「多分、テレレンが初めてお母さんと出会った時が、こんな暗い場所だったから。それを思い出したから、もしかしたらって思ったのかも」


 孤児院に振り返った彼女は、どこか憐れみの色を見せていた気がした。なんとなく、この場所を受け入れきれてないような、どこかもどかしさを残したようは表情。


「ちょっといいかな?」


 声がして後ろに振り返る。


「はい。えと、誰ですか?」


 片眼鏡を整えるおじさん。


「怖がらなくてもいい。私はブロクサ。元大学教授だ。大人の人を呼んできてくれないかな? 話があるんだ」




 捜してた。ずっと捜してた。それだけ大事な人で、離れたくなかった人だった。唯一気を許せる人で、初めて家族になってくれた人だったもん。いきなりいなくなったあなたをどうしても見つけたかった。


 それだけあなたはテレレンに人生を与えてくれた人だった。食べ物、水、寝床を与えてくれる孤児院と違って、あなたはなにより笑顔を与えてくれた。よく笑うようになったのはあなたのおかげ。あなたが与えてくれた記憶だって、今にもたくさん……。


 たくさん……たくさん……あるはず?


 転調の一音が鳴る。何も思い出せない。過ごした情景が浮かばない。一緒にいた時間が蘇らない。何をくれたのか、どうして一緒にいて笑顔になれたのか、それらが全く、喉の手前まで来てる感じがするのに全く、思い出せない。


 お母さんはお母さんだよね? テレレンの知ってるこの人は、本当のお母さんだよね? なのにどうしてなんにも……。


 あれ? お母さんはどうしていなくなったんだっけ? ある日いきなりいなくなったはず。テレレンの前からいきなり。なんでもない日に忽然と消えた。それもどうしてだっけ。


 雪解け水が流れる。雪国を離れて川を緩やかに下り、広い海へと出て行こうと。日暮れの空気と共に。暁に沈む太陽と共に……。


 広大な海を映して、曲が終わる。終わってしまう。

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