65 足掻きの雑音
黄昏の空で羽ばたきを繰り返す。廃屋があったはずの下にはぱっくりとした穴が出来ていて、ドリンがそこでボクのことを見上げて待っていた。さっき魔法を発動して助けてくれたテレレンはドリンの手元でぐったりしているが、細く開かれた目には安堵の瞳が映っていた。着地して、ボクもニッとした笑みを返そうとしたけど、途端に立ち眩みが襲ってきた。
「おっと」
ロディをポトッと落としてしまい、倒れそうにあった体もドリン。
「っと。大丈夫ダヨか? やっぱりあの状態だと体にキツイみたいダヨ」
髪色が全部真っ白になりかけているのに気づく。過ぎた後から、普段よりも大量の魔力を消費してるって、体が疲弊した状態で訴えてくる。
「そうなのかもな……。ブロクサは?」
ドリンが顔を上げ、ボクはその目線を追う。向こうで穴から登られずにいるブロクサを、アルヴィアが壁際まで追い詰めている光景が映る。
「あなたの悪事もここまでよ。観念しなさい」
「ヒイィ! わ、わたわた、私わぁ!」
ドリンから離れ、素っ気なくアルヴィアの隣に立ってそいつを睨む。
「今更何を言ったって遅いわよ。あなたのしてきたことを城に言いつけてあげる。自分のしてきた報いをしっかり受けることね」
「報い。報い報い報い……」
自慢の片眼鏡がずれてるのを気にしないほど、頭を抱えてパニック状態になっている。それでも依然、ボクの心に咲いた殺意は消えそうにない。
「アルヴィア。城のヤツはちゃんとこいつを処罰してくれるんだろうな?」
「正直言うと分からない。国家の秘密組織リメインのリーダーだから、何か適当を言ってごまかすかもしれない」
「だったら、今ここでボクがやったらダメかな?」
「気持ちは分かるけど、それは止めておくべきね。私たちが殺したってことが知られたら晴れて犯罪者扱い。人殺しの言葉を聞く人なんていないでしょうしね」
グッと握りこぶしが出来る。思いきり殴ってやりたい気分だ。
「報い……報い……」
「いつまで腰を抜かしているつもり? さっきまでの態度はどこにいったのかしら?」
あまりに怯え続けるブロクサ。ボクはその目の動きが気になった。まるで自我がなく、それぞれの目が一人で勝手に動いているかのようにバラバラだ。
「むくい……むくい……イッヒヒヒィ!」
「んな! こいつ――!」
ブロクサじゃない! そう思った時には既に敵の手がボクを狙っていた。
「報いを受けろぉ!」
魔力の感じと、火の出る熱を感じる。力を使い果たしていたボクの反応は一歩遅れてしまって、すぐにアルヴィアが前に飛び出してくれた。
「くっ! あなた、その笑い方はまさか――!?」
「アッヒャヒャァ! オレはブロクサ様のゆうぅしゅうぅな部下。あの人のために、お前らをここで!」
狂気を思わせる笑い方。道理で別人のような雰囲気を感じたわけだ。いつの間にかボクたちは、またブロクサの幻を見せる魔法『ミル』をかけられてたわけだ。
「あなたもあの状況から生きてたなんて! なんてしぶといの!」
「アルヴィア!」
「大丈夫よ! もうこいつらには頭きた」
ルシードを発動していたアルヴィアが、灼熱の炎に向かって一歩踏み出す。
「焼けようが皮膚がはがれようが、もう許しておけない!」
グッと腕を伸ばし、幻がかってたブロクサの頭を鷲掴みにする。
「イヒャ!?」
そして、歯を食いしばって熱に耐え、幻のブロクサの頭を地べたに落としてしまわん勢いで叩きつけた。バキンッと、頭蓋骨でも割れたんじゃないかっていうくらいの衝撃音が鳴って、大量の汗を流したアルヴィアがすぐにブロクサを捜そうと顔を上げる。
「本物を見つけないと! こんなところで逃がしたら――!」
「落ち着け、アルヴィア」
彼女の髪の毛先に火がついてるのが見えて、そこをジュッと手で握って消してあげる。そして、不安げな様子にもう一言、こう付け加える。
「手なら既に打ってある」
「フ、フッフフフ。ここまで逃げればもうあいつらは追ってはこれまい。――んな!?」
ボクがどうしてここまで消耗しているのか。それは覚醒者ロディとの戦いがすべてではない。オーバーフレインやブラッドサイズとか無茶をしてきたけど、そんなのは人狼ラケーレを相手にした時に四つの魔法で放ったヨルムンガンドの比ではない。
「な、なぜ、こんな蛇が!」
戦いの最中、前もって三人を逃がすために使ったゾレイアの眷属。蛇は舌を使って臭いを嗅ぎ取る生き物で、その効果は猫よりも敏感。
これでボクが何を言いたいのか。
「クソ! クソクソクソ――!」
ボクの憎しみを共有する眷属が、あの中で最も汚らわしい存在の臭いを嗅ぎ取れないわけがない。
「魔物、風情があぁー!」
「――どこに逃げようが、もう隠れる場所なんてない。このボクを狙った時点であいつの未来は決まってたわけだ」
ボクの元に、忠実なる眷属が戻って来る。体を這いずって、体内にヤツを飲み込んだ状態で。
* * *
翌日。雲に見え隠れしている太陽の日差しを浴びながら、ボクとアルヴィアはダルバーダッドの本城に連れられていた。
白い城壁が新品なのかってくらいどこまでもピカピカに拭かれていて、普段ボクらが歩き回っている城下町をここから見下ろせる。目を凝らせば、昨日ボクとロディが戦った跡地が見えなくもない。お父さんのいる魔王の城とは真反対で、城に住んでいたボクとしてもどこか浮足立っている。
「……んで。中に入った使いの者はいつ出てくるんだ?」
「さっき私たちから話を聞いてたのも長かったから、その説明で時間がかかってるんでしょうね」
「だからってボクらを外で待たせるか? もう三十分は経ったぞ。ボクらも暇じゃないっていうのに」
「さすがに国王様の前じゃ、私も何も言えないわ」
昨日あの後、騒ぎを聞きつけた兵士たちが集まってきてブロクサやボクらを取り押さえた。ボクはもう既にクタクタであんまり喋れなかったけど、代わりにアルヴィアが事情を説明してくれて、彼女が貴族の出であることもあって兵士たちも納得してくれた。
そして今日、城の近くにいるよう言われたボクらに彼らは、事前に正確な情報ってのを集めて話の信憑性を確かめただの、きっと国王様から話があるだの言われて、城に来るよう言われ今に至っている。
「ドリンとテレレンも待ちくたびれてるだろうなぁ」
二人は城の入り口手前で待機している。最初はドリンだけはと言われて止められ、テレレンが一人だと寂しいだろうからって一緒に残っている。
「それにしても異様にドリンが城に入場することだけは止められたな」
アルヴィアが少し構えるような目をする。
「国王『ログレス・セルスヴァルア』。あの方の前に魔物を見せるほど、無礼に当たることはないでしょうね」
国王様。この先に見える扉を開ければ、セルスヴァルア王国中の人間を束ねる王がいて、それは同時に、ボクのお父さんである魔王と相対する存在でもある。立場ってものがあるから、魔物を嫌うことには理解は出来る(当然いい気はしないが、今までそういう人を何人も見てきたし)。さすがにドリンを付き添えられないのだろう。
ブロクサが言っていた限りでは、国王はボクの正体に気づかないと言っていた。首飾りの意味も分からないだろうし、見た目もきっといつも通りナメられる。
「まさかこんな形で、人間たちの王と出会うことになるとはな」
「警戒はしておきましょう。何かあったら私の後ろに。転移の指輪もあるから、それも忘れないで」
アルヴィアがここまで用心深くなるのか。ボクの体力と魔力は回復しきってるというのに、やはり王というだけあってその力は計り知れないってことなのか?
「お待たせいたしました。国王様がお呼びです」
ツルンとした頭の従者がやっと出てきて、ボクらのことを部屋に案内してくる。人間は頭を守るために毛を生やしてるのかと思ってたが、こういうヤツもいるようだ。一度アルヴィアと目を合わせ、警戒を怠らないと頷いていよいよ中に入っていく。




