57 波乱の幕開け
「……なんで」
震えた声でその一言が出てくる。決して映っているのは幻影の炎なんかじゃない。焦げた煙が昇るオレンジ色の炎だ。
なんで、クイーン様がお母さんを――
「いやあああぁぁ!!」
目の前で燃やされたお母さんが悲鳴を上げる。周りにいた人が突然の声と熱気でその場から離れて、逃げ出した人を見て騒ぎが広まっていく。
「どうして、クイーン様……」
「ちょっとクイーン! 一体何をしてるの!」
アルヴィア姉ちゃんも血相を変えている。暴れ続けるお母さんは足がもつれてバタンと倒れて、背中を向けていたクイーン様がテレレンたちに横顔を見せてくる。
そこにあったのは、まるで狼のように鋭い睨みだった。
「こんな……はずじゃ……!」
お母さんがテレレンに手を伸ばしながらそう呟く。黒く焦げた皮膚が見え隠れしていて、綺麗な髪の毛も千切れていく。目の結膜が溶けているかのように白い液体が流れてるようにも見えてしまって、とても痛々しくて目を離したいって思ってるのに衝撃的すぎて瞳が全く動かせない。
死にゆくお母さんを見たまま、指一本だって動かせない。
「おかあ、さん――」
「ダメテレレン! 今度は私たちを狙ってる。早く逃げるわよ!」
アルヴィア姉ちゃんに手を引かれて、引っ張られるがままそこから視点が外れる。最後にクイーン様がテレレンたちを襲おうと手を伸ばしていたのと、お母さんがずっと助けを求めるように手を伸ばしていたのだけ見えた。
そこからは記憶が曖昧になってる。アルヴィア姉ちゃんに連れられるまま街を走っていた。姉ちゃんは右腕が動かないのを気にしないくらい一心不乱に走ってて、二人でどれだけ走っていたかは分からないけど、テレレンにとっては一生終わらないんじゃないかって思うくらい長かった。
後ろからクイーン様が追ってくることはなかった。必死に手を引いていたアルヴィア姉ちゃんがやっと足を止めて手を離す。前を見てみると、そこはおばあちゃんのお屋敷だった。
「クイーンが街中であんなことしたってことは、家の中も危ないかも。急いで確認しないと!」
慌ただしいく口を動かしてお屋敷の中に入っていく。テレレンも見えない妖精に誘われるかのように無意識にその後を追っていく。
「メリーサさん!」
屋敷中に声が響く。玄関からの廊下を駆けてキッチンを見る。
「いない。まさかもう――!」
さっと身を翻して廊下をまた駆け、本だらけのリビングへと転がり込む。
「メリーサさん!」
「――なんだよアルヴィア。ずいぶんと騒がしいな」
そこにいたのはクイーン様だった。隣にドリン君も床に座って眠っていて、木造で一人用のイスに座って、分厚い本を太ももに置きながら読んでいるクイーン様が、そこにいた。
「――あなたって人は!」
怖い顔したアルヴィア姉ちゃんが憤りを見せるように歩いていって、クイーン様の胸ぐらをグッとつかみ上げる。
「うっ!? な、なんだよ!」
怒るアルヴィア姉ちゃんに対抗するような大声が耳をつんざく。ドリン君もパッと目が覚めて片足をあげるほど驚いている。
「なんだよじゃないわよ! 街中で火を放っておいときながら、よくそんな平然とした様子でいられるわね!」
「街で火を? 一体なんの話だ?」
「とぼけないで! その後私たちも狙ってたくせに!」
「なんだそれは? ボクがお前たちを狙うわけないだろ!」
「じゃああそこでの出来事はどう説明つけるつもり?」
「落ち着けアルヴィア! あそこも何もボクは外に出ていない! ずっとこの部屋で本を読んでいた!」
「そんな嘘が通るわけ――」
ふと、二人の間にささやかな冷気が流れていった。二人して風の出どころに目を向けるとドリン君が手から魔法を出していた。
「お、落ち着くダヨ……。何があったか分からないダヨけど、クイーン様が外出てないのは本当ダヨ……」
氷魔法で二人の頭を冷やしてあげようとしているのか、風向きは二人の頬に当たっていた。憤怒を沈めきれないアルヴィア姉ちゃんの目が再びクイーン様に向く。
「本当に出てないの?」
「出てない。お前たちが外に出てからこの部屋から出てすらいない」
しばらく二人は睨み合ってて、やっとアルヴィア姉ちゃんが落ち着いてくれたのかクイーン様を降ろすように手を離した。ふうと大きなため息を吐くドリン君。クイーン様も乱れた襟を整えてから喋りだす。
「外で何があったんだ?」
「……あなたがいきなり現れた。そして、目の前にいた女性の体に火を放った」
「それは本当にボクだったのか? ボクは魔物だろうけど人間に直接手を出すような真似はしないぞ」
「そのはずよね。あなたがそんなことする人じゃないって分かってる。でもそっくりだったのよ。白い肌に紺色の髪。服装もおんなじで、使ってる魔法も炎のフレインだった」
「本当にボクだったってか。でも生憎、ボクはここから動いてない」
「だから混乱してるのよ。あれがあなたじゃなかったら、あれは一体誰だったの?」
横からドリン君が一言差し込む。
「もしかして、クイーン様の双子とかダヨか?」
「ボクに兄弟がいるなんてこと、この五十年生きてて一回も聞いたことがない」
「そしたら、誰かがクイーンの姿を装ったとか?」
アルヴィア姉ちゃんの言葉に深刻そうな顔をするクイーン様。
「もしそうだとしたら、ただのイタズラじゃすまない。そいつは明確にボクらに濡れ衣を着せるつもりだ」
クイーン様とばっちり目が合う。宵闇のような紫色の瞳に何気なく魅入られて、それでやっと自分でも呆然とこの場にいたことに気づく。
「どうしたテレレン? さっきからぼうっとしてるみたいだが……」
「……ごめん。ちょっと、部屋に行ってるね……」
「あ、おい」
背中を向けて、重たい足を引きずるように二階を目指していく。
今は何もしたくない。考えたくない。あの瞬間を思い出しただけで、吐き気が襲ってくるから。
「……あれを見たのが相当ショックだったようね。少し部屋で休ませるべきね」
角に消えていく背中を見て、私はそう言った。あの瞬間からテレレンの元気がなくなってしまったのは確実で、眠るだけで元通りになってくれればいいんだけど……。
――どうしても引っかかる。あの時話そうとしていたことは結局聞けなくて、燃やされた女性を見た瞬間には頭痛が襲ってきたようだった。
きっと今は話せる状態じゃない。時間を置いて聞かせてくれればそれでいいけど、だけど、胸騒ぎがする。
あの時。彼女の見せた、死の入り口に立ったかのように絶望した顔で固まった顔。あれを見てなんとなく、彼女の中に何かが埋め込まれたかのように思えてしまった。
……大丈夫、なのかしら?
「アルヴィア。今は話をまとめよう」
「……分かってる。あ、そういえばメリーサさんは?」
「おばあちゃんなら用があるって言って、お前らが外に出て少ししてから出ていった」
「そう。てっきりあなたが襲ったんじゃないかって心配したわ」
「いらない心配だ。おばあちゃんなら時期に帰ってくる。その放火魔とはどこで出会ったんだ?」
「西の商店街前。城門にも近いところだから、クイーンを演じてたその人は逃げるルートも確保してたのかも」
「あそこの城門は確か川にも面してたよな。通りも複雑に入り乱れてるし、素早く身を隠したいならもってこいの場所だ」
これまで条件が揃っていると、やっぱり計画的な犯行な気がする。
「クイーン様を装った放火魔は何が狙いだったダヨ?」
怖がった様子のグウェンドリンが新しい議題を投げかけてくる。
「ボクを装ってるなら、まずクルドレファミリアのことは知ってるだろうな。それにアルヴィアのことを狙ってたって言ってた。もしかしたら殺人が目的かもしれない」
「殺人!? オ、オデ、狙われてるダヨか?」
「炎の魔法を使えるってことは、フロストゴーレムの弱点を狙っているとも言えるな」
「ヒイイィィ! オデ死にたくないダヨ!」
狙われてる。私とクイーンはともかく、グウェンドリンとテレレンは不意打ちに警戒出来ない。
「殺人が目的だとしたら、ここに長居するのは危険ね。寝ているところを襲われる可能性があるわ」
「ここを出ていかないとか」
クイーンの言う通り、この屋敷から出ていかないといけない。敵は神出鬼没。どこから私たちを見て、いつ襲ってくるか分からないから、行動は早く取った方がいい。
テレレンにも伝えないと、と歩き出そうとした時、屋敷の入り口の扉が開く音がしてクイーンと一緒に身構えた。グウェンドリンは頭を押さえるように縮こまったが、私たちの前に姿を見せたのは外出から帰ってきたメリーサさんだった。
「あなたたち、ここにいたのね」
とても慌てているようで、メリーサさんが小さな歩幅で前まで走ってくる。
「よかったわ。今外は大騒ぎになってるの。クイーンちゃんが放火魔だって街の人たちが騒いで、城の兵士たちがそこら中を探し回っているわ」
あまり知りたくない情報だった。こんなに情報が出回るのが早いだなんて。
「おばあちゃん。このままじゃおばあちゃんたちが怪しまれるかもしれない。だからボクらは、すぐにここを出て行くよ」
「それはいけないわ! ここにいた方が安全よ」
メリーサさんはそう強く訴えてくる。
「その様子だと、やっぱりあなたは放火なんてしてないのよね? テレレンのお友達がそんなことするないって私は信じてたわ」
「当然だ。これはボクを装った誰かの仕業だ」
「他に犯人がいるならその人が見つかるまで隠れてた方がいいわ。大丈夫、この家に訪ねてくる人は私が追い返してあげるから」
「でもそれで犯人が見つからなかったら、おばあちゃんが共犯だって言われる」
「誰にそんなこと言わせますか。共犯も何も、あなたが犯人じゃないんだから」
メリーサさんは強く私たちを信頼してくれてる。それはありがたいことだけど、私はここにずっと隠れるのに限界があるんじゃないかって思ってしまう。
「信じてくださるのはありがたいんですが、四人も隠れるのにこの屋敷じゃ小さいんじゃ……」
「大丈夫。きっといつかみんな分かってくれる時がくる。すぐにその時がくるわよ」
頑固なまでにメリーサさんは屋敷に留まることを推してくる。確かに外に出て、そこから街を出ていける保証なんてないし、外に出るほうのがリスクが高いかもしれない。
でも、幸いにして私たちにはと扉を開けて外に出る以外の選択肢がある。自分の左手の人差し指につけた指輪を見る。転移の指輪。貴族の特権で国に許しを得たアーティファクト。効果は微力だとしても、この街から四人全員で出ることは出来る。
「ねえクイーン。これで――」
ここを出ましょう。左手のそれを見せて、そう言おうとした。けれどクイーンは私の手を押し返してきて、私を注意深く一瞥してからこう言った。
「――おばあちゃんを信じてみよう」
慎重に慎重を重ねたような深い眼差し。クイーンのことだ。何か考えが浮かんだんだって私は直感する。
「……分かったわ」
私は大人しく、私たちのリーダーの選択に従うことにする。




