55 かき消された足跡
忘れていたおばあちゃんの料理は塩気が強く感じられた。サラダの盛り付け方も不規則というか、雑多というか、あんまり見栄えにこだわらない、よく言えば豪快なものだった。
やっぱり記憶がないからなのかな。ゆっくり味える気分になれない。ロディ君と一緒に食べるっていうのもそわそわしちゃって、まだ緊張しっぱなしのお姉ちゃんでいる。
テレレンは失った記憶の中で、この人たちとどんなことを話してたんだろう。どんなことをしてきたんだろう。顔が似ていないおばあちゃんと、前は元気だったという弟。この二人にとって、前のテレレンってどんな人だったんだろう。
自分でもこのままじゃダメだと思ってる。折角出会えた家族なんだもん。また元通りになったらいいはずだよね。
そう思ってテレレンは、夕食をすまし、街の灯りが消え始める頃におばあちゃんの部屋を訪ねることに決めた。二階に上がって、クイーン様たちとの寝室の隣。ここにおばあちゃんとロディ君が一緒にいる。
手を出して、少し戸惑ってしまってから、それでもとドアをノックする。
「はーい」
「テレレンです。入ってもいい、ですか?」
「えー。どうぞ」
ドアノブを回して押す。おばあちゃんは本を読んでいたのか、手前で座ったイスの前の、机の上に閉じた本が置いてあった。ロディ君は部屋の奥の自分用のベッドに腰かけ、薪がない古く使われてない暖炉をじっと見つめている。
「何か私に用かい?」
おばあちゃんが目を見つめながら話しかけてくる。
「ちょっと、聞きたいことがあるかなぁって思って」
話をしてほしい、て素直に言うことが出来なくて、ヘンに難しい表現になってしまう。ドアを閉めておばあちゃんのにっこり顔を見る。
「もしかして、記憶があった頃の話を聞きたいのね?」
「え?」見透かされてる!
「きっと気になっているんだろうって、ずっと思ってたのよ。そうねぇ。どこから話したらいいのか……。とりあえずベッドに座りなさい」
「うん」
優しく指示されて、テレレンはおばあちゃんの使うベッドに行って、ロディ君を真似するように腰掛けた。ロディ君の方を見てみるけど、ロディ君がテレレンを見返してくることはない。
「初めて会った時のこと。あなたが村で産まれた時のことから話していきましょうか」
そう切り出してから、おばあちゃんのお話が始まる。
「おばあちゃんがテレレンと会ったのは赤ん坊の頃よ。産まれて間もない頃、お母さんのお手伝いであなたの面倒を少し見てあげたの」
――お母さん。
なんでだろう。その響きを聞いた瞬間、目頭が熱くなった。
「よく泣いたりするから、世話をするのに苦労したわね。私はあなたのお母さんとは別で暮らしていたから、それからすぐに別れちゃうんだけどね。それから時間があっという間に経ってあなたが一才の時また会ったわ。その時は、ロディの出産があったからね」
「あ、ロディ君が産まれる瞬間、テレレンは一緒に見てたんですか?」
「その目で見てたわけじゃないけど、声とかは聞こえてたかもしれないわね。ロディも無事に産まれて、あなたは弟のことをかなり可愛がっていたわよ。自分の弟だってたくさん喜んでた」
「そう、だったんだ」
想像は、出来ない。けど、テレレンのことだしそうだったことに納得出来る。
「テレレンはしっかり者さんだったわね」
しっかり者……。テレレンがしっかり者だった?
「そして、ロディはやんちゃな子だった。一日中走り回っているような子で、ケガをしたらあなたがすぐに駆けつけて、お母さんのところに連れていってあげてたわ」
そうなんだ。なんだか意外。一日中走り回るほど元気で、ケガをしてしまうのはテレレンの方がやってしまいそうなのに。
でも、それだけロディ君も変わっちゃったってことなのかな?
「あなたたちは幸せに暮らしてた。お母さんとお父さんに見守られながら、あなたはすくすく元気に育っていった。……あの時が来るまではね」
とても神妙な口ぶりになって、いきなり重苦しい空気に変わる。テレレンの意識もグッと引き締められて、おばあちゃんが口にする言葉を聞き逃しちゃいけないって直感する。
「この王国ではもう有名な話よ。十年前、船の出入りが盛んな港町『ビーグ』で、感染症のパンデミックが起こったの」
「パンデミック?」
「病が街中に一気に蔓延したってこと。その病の名前は『黒死病』と呼ばれて、肌が真っ黒に染まって最後に死んでしまう病気なの」
ふいに目が膝の上の手に落ちる。この手が真っ黒に……。
「そんな怖い病気があるんだ……」
「あなたのお父さんは十年前、流行り病が広がった時に亡くなってしまった。それを見てお母さんはそこを離れたけど、結局一年前、同じ病を患ってしまった」
「お母さんとお父さん、両方ともその黒死病って病気で死んじゃったんだ……」
「そうよ。でもこれはただの病気じゃない」
そう言ったおばあちゃんの顔は、今まで見せたことのない、眉間に皺を寄せたちょっとおっかない表情になっていた。
「この病気を流行らせた生き物がいる。病気の菌を船に乗って運んだ獣がいるの」
「その生き物って何?」
「魔物よ」
「え? 魔物さんが?」
「そう。船に隠れていたハーピーが病原菌を持っていて、それが船にいた人に感染して街中に広まった。魔物は人間を襲うだけじゃなく病気まで流行らせるのよ。とっても危険な生き物よね」
ハーピーさんが病原菌を。そんなことがあるんだ。でも、そしたら……。
「それじゃ、テレレンの両親が亡くなったのって……」
「そう。全部魔物のせいなのよ」
魔物のせい……。
テレレンのお母さんとお父さんは、魔物に殺された。
「いいテレレン。魔物を許してはいけないわ。おばあちゃんはたくさんの本を読んできたけど、どの書物にも魔物が人間のためになったことはないの。彼らはただ野性的で野蛮で、生きる価値のない生き物だわ」
生きる価値のない――
「そこまで言わなくても……」
ぽっとその一言が口からこぼれた。テレレンは今まで見てきた魔物さんの中で、死んでいいと思った魔物さんは誰一人いなかった。
クイーン様は頼りになってカッコいいし、ドリン君とか洞窟にいたウーブさんは温厚な性格だった。試験場のミノタウロスさんも最後はしょげてて可哀想だったし、死んでしまったグールさんもそう思ってた。ハーピーの親子に至っては、安全な場所で平和に生きててほしいなってすら思ってる。
けれど、そんなテレレンの魔物観におばあちゃんは苦い反応を示す。
「そんなことない。彼らに慈悲なんていらないわ。もっとも、テレレンの両親が魔物のせいで死んでしまったのよ。私の大事な娘でもあったのに、私より先に行ってしまうだなんて……。そんなヤツらは死んで当然なのよ」
喋る度に口調が強く、威圧感がこもっていく。なんだかテレレンが怒られてるように感じられるくらい怖い雰囲気で、次第にそれもそうだって思い始める。
もしもテレレンに記憶があったら、テレレンは魔物さんのことをどう思ってたんだろう?
「でも、ドリン君は入れてあげたよ。ドリン君も魔物だけど、それはいいの?」
「あのフロストゴーレムのことね。正直、私は彼のことも許せないわ」
「じゃあどうして家の中に入れてあげたの?」
途端に微笑みを取り戻すおばあちゃん。その一瞬にして変わった口角に、テレレンは正直ビクッとしてしまう。
「あなたのお友達だからに決まってるでしょ」
「……あ、ああ。そうなんだ」
「あのクイーンって子も面白いわよね。竜の首飾りをぶら下げてるなんて」
「首飾り? 首飾りがどうして面白いの?」
「本で読んだことがあるわ。竜の首飾りをつけるのは魔王の証だって」
ハッと息を呑んだ。まさか、おばあちゃんがそのことを知ってたなんて。それに、知っていたのにどうして――
「でも、あの子はきっと違うわよね。だって魔王があんな小さな子どもなわけないもの。あれはただの真似事か、もしくは知らないでつけてるだけだものね」
「そ、そうだね。そんなわけないよね」
よかった。魔王だって気づいていない。多分、クイーン様の実力を見てないから信じてないんだ。
「でも、もしもあの子が本当の魔王だったら――」
ヒッと悲鳴が上がりそうなのを咄嗟にこらえようとして、代わりに肩が上がるように息を吸って止めてしまう。おばあちゃんはその様子に構わず、自分の胸の真ん中を片手で触る。
「すぐにこの部分を貫くだろうね。魔王の弱点は、この位置にある竜の心臓らしいから」
「へ、へえ。そうなんだー」
急に怖いこと言ってる! さっきもちょっと怖かったけどもう直接倒しちゃうって言っちゃってるよ! さとられたらダメ! 絶対ダメ! じゃないとおばあちゃんがクイーン様を殺しちゃう! いや。逆に返り討ちに合うんじゃ――
「でもきっと、本当に魔王だったとしてもこの老いぼれじゃ無理だろうね。不意打ちを狙ったとしても魔王が相手じゃねぇ。せめてテレレンくらい若かったら、油断してる隙をつけるのにねぇ」
「そ、そそそそんなことないと思うよ。魔王ってやっぱ超最強だと思うし、それにクイーン様は魔王なんかじゃないしね!」
「まあそうよね。……でもねテレレン。これだけは覚えておいて」
「な、なーに?」
いきなりおばあちゃんの顔が近づいた。手を取られて、両手で包まれるようにされる。とっさにテレレンの身がグッと引き締められる。
「すべての魔物は人間の敵。だけどそれを束ねる魔王こそがすべての始まりよ。あなたたちからお母さんを奪ったのは魔王。魔王こそ私たちにとっての仇よ」
「そ、そうなの?」
「魔物を許したら駄目。魔王を許そうとしたら駄目。もしもあなたの目の前に魔王が現れたのなら、お母さんは絶対にこう言うはずよ。胸を貫きなさい、と」
「お母さんが?」
「お父さんが先に亡くなった時、お母さんがあなたに何を教えてくれたか分かる? 魔物は敵だってことよ。魔物は絶対に許しては駄目。お父さんを殺した愚か者だって。そしてその愚か者はとうとう、あなたたちの大事なお母さんまで奪っていった。お母さんたちは魔物を恨んでいるに違いない。だからきっとテレレンたちに、仇を取ってほしいって思ってるに決まってるわ」
魔物が……。クイーン様たちが、テレレンの家族を殺して、そしてテレレンのお母さんたちは、魔物を殺せって?
……。
そんなことない。
お母さんの望みがそうだったとしても、テレレンがそうしたいわけない。
クイーン様のことをテレレンが――
「お姉ちゃん」
ロディ君の声に意識が現実に引き戻される。ロディ君は無表情のままこう言う。
「僕は魔王を殺さないといけない。そうしないと、お母さんたちが浮かばれないから」
淡々とした喋りは、逆に壊れた心を映しているようで哀愁が漂っていた。ブレ始めていた考えが更に歪められる。その迷いを悟られたかのようなタイミングで、おばあちゃんが最後にこう告げる。
「いいテレレン? これだけは心にこれを止めておきなさい。
――魔王が死ぬことが、お母さんたちの本望よ」




