50 いつもの空が懐かしく
「内の息子があのハーピーのせいでケガしたんだ! 下手をすれば死んでたかもしれない。それをお前たちは見過ごしたって言うんだぞ!」
「そのケガっていうのは、それほど大きな傷だったのか?」
「なに?」
父さんの横で話を聞いてる息子さんをチラッと見てみる。パッと見た感じじゃどこをケガしたのか分からなくて、なんとなく大きなケガではなかったんだって勘付く。
「あのハーピーからは血の臭いがほとんどしなかった。ボクの魔法の眷属は鼻が利くが、それでも見つけた瞬間は偶然空を飛んだのを見た時だ。それに、ハーピーは人間と出会っても空を飛んで逃げれる」
「何を言っている。魔物なんて人を見るや否や襲ってくる野蛮な生き物じゃないか!」
「息子さんは木材を取っていたと言っていたな。そしたら斧を持っていたはずだが、そっちから襲ったという可能性がある。その証拠に、ハーピーの目元に傷がついていた」
あ。初めて親ハーピーさんと出会った時、テレレンが治してあげた傷だ。
「顔の傷なんて普通に生きていてつくものじゃない。あれは誰かが切ってつけた傷だった。目を潰そうと狙った攻撃じゃなきゃ、あの傷は説明出来ない」
「次から次へと出まかせを……」
ムラールさんは全然理解しようとしてくれなくて、中々話に決着がつく気配がなかった。そこでテレレンも何か言って加勢しようとして口を開く。
「で、出まかせなんかじゃないよ!」
「大人をからかうのも大概にしろ!」
かなりの大声が返ってきてギャフンと言わされた。とっても怖い顔して今にも殴ってきそうでおっかない状態。テレレンは今すぐに逃げ出したい気持ちだったけど、それでもクイーン様は全く動じていなかった。
「ボクらは至って真面目に話をしている。自分の方から仕掛けなければケガをすることはなかったと言っているんだ」
「なんだと! 馬鹿にしてるようにしか見えないぞお前ら!」
ムラールさんの息子さんもお父さんを見て怖がっていた。まるで見たことないような表情に驚くように、微かに震えてまでいる。
「……なら分かったよ」
クイーン様は一言そう言うと、竜の首飾りを取って地面に置き、その場に立膝をついた。敵意がないのを示すように両手を広げて、ムラールさんのことを見上げる。
「ハーピーが息子を傷つけて鬱憤が溜まってるのなら、ボクに全部ぶつければいい」
「クイーン様!?」
突然のことでテレレンは大きな声が出てしまった。
「正気か? 小娘?」
「ハーピーがその息子を傷つけたのも事実。その痛み苦しみを、ボクに与えればいい。魔物だからって難癖つけてボクの言葉を認めないことも含めて、納得いくまで殴りつければいいさ」
完全なる無防備を晒し、いつでもいいと言わんばかりに目線を送り続けてる。ムラールさんもやっぱり怒りが溜まってるようで、手をグーにして今にも振り上げようとする雰囲気だ。
「こんの、ガキが――!」
「――待ってお父さん!」
グッと上げられた腕を息子さんが両手で掴んだ。必死な形相で、お父さんが殴ろうとするのを止めようとしている。
「この人たちの言う通りだよ! 俺、魔物の一匹くらい余裕だろって思ってつい襲いかかったんだ!」
「なに!」
「本当だよ! 俺ってさ、この人たちにみたいな冒険者っての憧れてたじゃん。でも、俺には魔力がないからなるのは難しいって言われて、それで今日までずっと我慢してたけど、でもやっぱなりたい思いがあったっていうか、魔物を倒せたら一人前に見えるかなって思ってつい……」
小走りな喋りでお父さんを説得する息子さん。クイーン様の推理がちゃんと当たっていたようで、その息子さんはとても申し訳なさそうに、かつ自分が殴られるんじゃないかって恐れているかのように怯えていた。
息子の顔を見て、お父さんの手が乱暴に元の位置に戻る。ふてくされる様子を見せて家の中へ戻ろうとするのをクイーン様が止める。
「あ、待て! 依頼書にサインだけ――」
「息子に頼め」
バタンと部屋の扉が強く閉められる。あまりに大きな音でテレレンはギョッと背筋が伸びてしまった。クイーン様が首飾りを装着しながら立ち上がる。
「こんなにうるさく口論するつもりじゃなかったんだけどな。ハーピーが飛んでいく方向も、ちゃんと考えておくべきだったか。ところで君」
「あ、はい」
息子さんが返事して、クイーン様が依頼書を差し出し、影から黒猫ちゃんが羽ペンを咥えて持ってきてくれる。
「適当にここら辺にサインを頼む。もうここにハーピーはいなくなったっていう証明が欲しいんだ」
「わ、分かりました」
壁に紙を押し当てスラスラとサインが書かれる。それを受け取りクイーン様は呟く。
「半端者のボクからアドバイスするなら、一人前になりたかったらまず、余計なことをしないのを覚えた方がいい。たとえボクでも、魔物の前では警戒することを怠らない。もしもお前が戦わないといけない時がきたのなら、斧一本だけでなく入念な準備をしておくべきだ」
「あ、はい……ごめんなさい……」
後ろに振り返って、歩き出そうとする手前で最後にこう言い残す。
「でないと、大事な人を悲しませる結果になる」
ハッとするような息遣いを耳にして、テレレンはクイーン様と一緒に村を出て行こうとする。充分距離を取ったところでテレレンは溜まってた緊張感を一気に解放する。
「はー。とっても怖かったね、さっきのお父さん」
「うるさい怒号だった。穏便に話す構成を考えてたけど、のっけからハーピーが死んでないって言われちゃどうしようもなかったな。まだまだボクも詰めが甘い」
「でも、さすがクイーン様だね! ハーピーさんのことよーく観察してて、そこから推理をたてて見事に原因を当てちゃうんだから!」
得意げになって腕組みするクイーン様。
「ふふん。そんなに凄いことじゃないさ。結局ボクは、人間よりかは魔物を信じてる。魔物から危害を加えていないとしたらって考えられたら、あとは魔王の娘としての直感があるからな」
「そっか。そうだよね。クイーン様って魔王様になるんだもんね。さすがだなー。今回はハーピー親子さん両方助けられたし、サインも貰えたから報酬も貰える。完璧だね!」
「この依頼を受けてよかった。もしもあの彼がハーピーを殺してたら、複雑なことになってたかもしれない」
「複雑なこと?」
一体どういうことになるんだろう。テレレンの頭じゃすぐに思い浮かばなくて、そんな純粋な訊き方をして、クイーン様も大して何を思うでもなく平然とこう答えてきた。
「死んだ親の死体を子どもが見つけたりでもしてみろ。子どものハーピーからまた、魔物と人間の間に争いの火種が生まれていたはずだ」
ドキンと胸が押しつぶされた気がした。それは突然のことで、魔法は使ってないし、頭痛じゃなくて胸が一瞬苦しかった。
同時に込み上げてきた感情は、恐怖。ほんの一瞬、胸が押しつぶされてた一瞬だけ、自分がさっきまで狭い空間に幽霊に詰め寄られていたみたいに怖かった。ふと腕を見てみると鳥肌が凄い立っている。
「おーいドリン。またそれで隠れてるつもりか?」
「……」
どうしてかは分からない。今はもう落ち着いてる。なんで怖かったんだろう。全然検討がつかない。
「……さてはコイツ、ボクの声ちゃんと聞こえてないな。だったら――」
「――アッツーーーイダヨ!?」
なんとなく空を見上げる。幾つかの雲が流れてる晴れの空。そこにまた、懐かしさを感じる。そしてつい、隣にある面影を感じた気がしてフッと目線を落とした。
「何してるんだテレレン?」
「へ?」
「お前までぼーっとするなって。早く街に帰るぞ」
「あ、うん! 帰ろ帰ろ!」
歩き出すクイーン様とドリン君と一緒に歩幅を合わせる。
怖かったのはきっと、子どもハーピーさんが豹変してしまう姿を想像したからだ。テレレンって、クイーン様みたいにすべてを言葉でまとめられる語彙力とかないから、きっと感情的にというか、ぼやけたイメージが一瞬舞い降りただけなんだ。
きっとそう。それ以外に恐怖を抱くなんてこと……。
「遅い」
アルヴィア姉ちゃんと再会して、第一声に出てきた言葉はそれだった。
「昨日の朝出て行って、一日経って帰ってきたのが夜。しかも向かった村も徒歩二時間で行ける場所じゃない」
「色々あったんだ。魔物も救って、人間にも納得してもらおうとしたらこれぐらい時間がかかるのはしょうがない」
「心配するこっちの身にもなってよね」
「何を心配することがある? このボクがやられるなんてあるわけない。だろ?」
「どこかで泣きべそかいてる可能性はあるでしょ。魔力的に強くても心は子どもっぽいから」
「んな! ボクは子どもじゃないやい!」
「仲良しだね~二人は」
互いに心配しあってる関係性についテレレンはにんまりしてしまう。「どこを見てそう思ったんだ!」て叫ぶクイーン様に対して、アルヴィア姉ちゃんがため息をついてから別の話を切り出す。
「それより、私の方で一つ話があるの」
なんだか改まった訊き方に、テレレンたちはみんなスンと黙り込む。
「街に一人でいる間に、ちょっとあってね。テレレンに関係した話でもあるわ」
「え? テレレンが?」
自分を指差してそう呟いた。アルヴィア姉ちゃんが軽く頷いてからこう言う。
「きっと長くなるわ。場所を変えましょう」




