04 無敵の魔法
04 「回復薬って苦いよなぁ。あの女冒険者の魔法が羨ましいよ」 ――ブロンズ階級の男性冒険者
翌朝、ボクたちは川沿いの道を歩き続け、丘陵の上を進み続けていた。目指すはどこかの村や集落。そこで地図でも拝借して、現在地と魔王の城までの距離を調べなければならない。
見渡せば山々が連なっていて、緑の自然の中に鹿やウサギなどの野生生物なんかが生きていて、青い空には鳥が飛んでいる。ボクのいた魔物の国とはかなり違う世界だ。
けれど……。
「なあアルヴィア。村にはいつつくんだ?」
げんなりとしながらボクはそう訊く。変わらぬ風景のまま、三十分はずっと歩きっぱなしだ。
「さあ。私も適当に歩いてるだけよ」
「ええ!? 迷子にでもなったらどうするんだよ?」
「私は元々放浪するつもりだったから、迷子なんて気にしてないわ」
「そういう話じゃないだろう。ここまで歩いてきといて、村がある方向が逆方向でしたってなったらどうするんだ? ここまでの苦労が水の泡になるんだぞ!」
「こうして道が出来てるってことは、ここをたくさんの人が行き来したってこと。だったら道なりに歩いていれば、どこかにはつくはずでしょ?」
こ、こいつ。なんて大雑把なヤツなんだ。というかこの辺りのこと分かんないのかよ……。
「……人間って、みんなこうなのか?」
「さあ、どうかしら」
「ああもう、疲れたー。休みたい休みたーい」
「わがまま言わないの」
「お父さんだったら、テレポートの魔法で一瞬なのになぁ……」
「お父さんみたいになりたいんだったら、そういうところも自立するべきね」
緩やかな丘を登りながら、彼女はそうほのめかしてくる。そうして丘を登り切り、道の先を見下ろした時、何かが映った。
止まった一台の馬車と、剣を抜いて構えている若き男性傭兵。二頭の馬は暴れていて、必死に御者がなだめようとしている。そんな彼らの前に立ちふさがっていたのは、二体の狼の魔物『ウルフ』だった。
ウルフは中型犬くらいの大きさで、傭兵の男に対して唸り声を上げて威嚇している。傭兵は顔を青ざめ、体が震えて動けずにいるようで、その様子にすかさずアルヴィアが駆け出した。
「あ、おい!」
ボクが呼び止めるのも聞かず、アルヴィアは剣を抜いて腰を屈め、本物の狼のような低姿勢で馬車を、そして傭兵を通り越した。そのまま剣を振り、一体のウルフを頭から体にかけて真っ二つに切り落とす。
「あ、後ろ――!」
傭兵の男が叫んだ。アルヴィアはすぐに背後に振り向いたが、既にウルフは飛びかかっていて、口を開けて、肉を噛みちぎる鋭利な歯列を見せる。
そして次の瞬間、アルヴィアの左腕に、ウルフがガブリと噛みついた。容赦のない勢いにボクの血の気が引く。
「あいつ! ――って、あれ?」
すぐに駆け出そうとしたけど、様子がおかしいことに気づいて足が止まった。アルヴィアの噛まれた部分が謎に光っている。彼女の腕を守るような光の壁。赤い水面が揺れてるような透明な鎧が、ウルフの牙を代わりに受け止めていた。
「ふっ!」
アルヴィアの剣がウルフの胴体を真っすぐに貫く。ウルフは断末魔もなく呼吸を止め、腕から力を失うように地面に倒れた。
ものの数秒で魔物が倒され、アルヴィアは剣を振って血を払ってから鞘に戻していく。ボクはため息を一つ出してから近づいていくと、傭兵の男が彼女に話しかけた。
「あ、ありがとうございました。あの、お怪我はないですか?」
噛まれたはずのアルヴィアの腕を見ながら、男がそう訊く。アルヴィアの腕は何もなかったかのようにそのままだ。
「私の魔法なの。『ルシード』って言って、全身に見えない障壁を張って無敵になれるの。分かりやすく言えば、透明な鎧を身に纏うって感じ」
「なるほど。魔法だったんですね。それも特殊系。無敵になれるなんて凄いなぁ」
魔法か。体内の魔力を使って発動する特別な力で、様々な種類が存在する。ボクみたいに特定の魔物も魔法を使うけど、それは人間も同じということ。
特殊系っていうのは、人間は基本的に炎、水、風、雷、土、回復の六つの魔法を持つと言われているけど、たまにそれ以外の魔法使いも存在して、そんな彼女らを特殊系と呼ぶんだったか。無敵になれる魔法なんてボクでも初めて聞いたし、希少な魔法なのは確かだ。
「大した魔法じゃないわよ。どうせこの力は、自分しか……」
喋っていたアルヴィアの声から力が抜けて、最後に言葉が途切れる。ふいにボクは何が言いたかったのか気になったけど、先に男が口を開いてタイミングを逃す。
「それでも羨ましいですよ。産まれながらに魔力がなく、魔法使いになれなかった身としては」
「それはそうと、頼みたいことがあるんだけど」
無理やり話題を遮るアルヴィア。
「あ、お礼の話ですよね? それなら後で雇い主から貰った後に――」
男がそう言って続けようとするのを、アルヴィアは首を横に振る。
「別に勝手に私がしたことだから、お金はいらないわ。でもその代わり、お願いしたいことが一つあるの」
アルヴィアはやっと馬をなだめ終えた御者に近づいて、こう言った。
「私たちを、近くの村まで連れてってくれないかしら?」
両隣に置かれた木箱や麻袋から、生魚や肉、かすかにアルコールの臭いも混ざってくる。馬車の荷台に揺らされながら、ボクは迷っている。
目の前に座っているアルヴィア。彼女の手によって二匹のウルフがやられた。確かに人間にとって魔物は敵だけど、ボクからしたら未来の部下だ。自分の味方が倒された現場を目の当たりにして、その仇が目の前にいるというこの状況。
ボクは一体、彼女をどんな存在として見ればいいんだろう。
「魔物って、どうして人間を襲うの?」
辺りの風景に視点を置いたままそう訊いてきて、ボクは一瞬、何を言っているんだと引っかかる。
「お前たちが魔物を倒すからに決まってるだろ」
「え?」
なぜか驚かれた。アルヴィアは外にやっていた目をボクにぶつけてくる。
「逆じゃない? 魔物が人間を襲うから、私たちは魔物を討伐するのよ」
「はあ? 逆なわけあるか。お前たちは倒すどころか、巣窟の制圧までするじゃないか」
「ダンジョンから産まれるんだから、それは制圧するわよ」
「ダンジョン? 人間はそう呼んでるのか。ってか、産まれるってどういうことだ?」
「瘴気よ。ダンジョンには瘴気が溜まりやすいから、それで自然発生しやすいんでしょう」
「……なんだ、ショウキって?」
全く聞き馴染みのない言葉に首が傾く。え? とアルヴィアも間の抜けるような声を出して、ボクたちの間に変な沈黙が生まれる。
「……瘴気って聞いたことないの? 魔王の娘なのに?」
「いや、そんな言葉一切聞いたことない」
「嘘でしょ」
嘘って。なんでそんなこと言われないといけないんだ。
「魔物だって生き物なんだから、お前たち人間と同じように交尾で繁殖するのがほとんどだ」
ある言葉にアルヴィアは一瞬眉を顰め、素っ気ないフリをして言い返す。
「それ、本当なの?」
「本当だ。ショウキなんてものは存在しない。一体誰がそんなこと言い出したんだ?」
きっぱり言い切ってやったが、再び「嘘言わないで」と拒絶される。嘘じゃない、と言い返してやったが、アルヴィアは軸をずらして責め立ててくる。
「でも、魔物が人間を襲っているのは事実でしょ? それはどうしてなの?」
「お前たちが攻撃してくるから、魔物たちも自分の身を守ろうとするんだ。あいつらにとって一番恐ろしい生き物は人間なんだから」
彼女の目つきがキッとなり、更にきついものになる。
「なにそれ? 魔物の犠牲になった人間なんて、かなりの数がいるんだけど」
こいつ。自分たちが被害者だって言うつもりか?
「それはこっちのセリフだ。人間に狩られた魔物の数なんてごまんといる」
「冗談言わないで。私たちがどれだけ魔物に苦しめられてると思ってるの?」
「最近だって、人間がボクたちの支配地を奪ってきたけどな」
「あれは奪ったんじゃなくて、取り戻したのよ」
「元々自分たちの領土だって言いたいのか? 何を根拠にそんなこと――!」
「あのう……」
横から若き傭兵の声がして、ボクとアルヴィアが同時に顔をそっちに向く。御者の隣に座る男は、ボクらの目つきに臆したように一瞬身を怯ませ、恐る恐る口を開く。
「だ、大丈夫ですか? なんだか、言い争ってるみたいですけど……」
「ごめんなさい、騒がしくして」と、アルヴィアはさらりと言う。
「私たちの間の話だから、あまり気にしないで」
「はあ……」
弱気に納得する男。彼はあたかもこの空気を変えるように「そろそろつきますよ。ほら、村が」と腕を広げた。
* * *
少しだけ時は遡って……。
「ここら辺でしょうか? ……あ、見つけた」
魔王の執事メレメレがやっとクイーンを発見すると、衣服ごと透明にしていた体を露わにする。すぐにクイーンの元まで行こうとするが、突然どこかに駆け寄ったクイーンが出会った存在に、メレメレは足を止めてよーく目を細める。
「おや? あれは人間ですね。一体どうして一緒に――ん?」
朱色髪の女の足下までいって、メレメレの目がピタリと止まる。そこには二体のウルフの死体が転がっていて、メレメレは「ハ!」と声を上げた。見間違いでは? とクイーンとウルフの死体を交互に見ていく。
「死体が足下に……ハッ! ま、まさか、彼女たちと一緒になって魔物を?」
人間の会話に入っているクイーン。それを見てしまったメレメレは、一気に焦りの感情が募っていく。
「これは……まさか、こんなことになってしまうとは……」
クイーン様は、我々を裏切った。城を追い出されたのが相当ショックで、それで人間たちに吹きこまれてしまって。
そうして、人間の味方についてしまった!
「急いで魔王様に知らせなくては!」
再びメレメレは透明になり、音もなくどこかへ走り出していく。