42 クラッシュ
「クイーンを離して!」
ラケーレに向かってそう叫ぶアルヴィア。ボクと同等、もしくはそれ以上の力を持っている魔物相手に、彼女の気迫が一斉に人狼に向けられている。
「駄目だアルヴィア! 危険すぎる――!」
「へえ。面白そうな魔法じゃねえか」
ボクが警告するもラケーレの腕が先に動いてしまう。ボクの体が乱雑に投げ飛ばされ、すぐにゴツン、と頭頂部から鈍い痛みが走って一瞬頭が真っ白になる。体も地面に落ち、痛いのを声に洩らしながら見てみると、どうやら木にぶつかったらしい。前にいる二人の姿が陽炎のように揺れている。
「アルヴィア……」
***
「人間にアタイが倒せるとは思っちゃねえが、アンタのその魔法、ビビッと注意を引いてくるそれは、つい殴りたくなっちまうねえ」
「来なさいよ。私の魔法を貫いた魔物は、今までで一人もいなかったんだから」
「貫く? そうか。無敵の魔法ってわけか。俄然やる気が湧いてきたっ――!」
血走るように人狼が飛び込んでくる。今すぐにでも私を食らいたいような表情で、爪を向けてくる。私は急いでルシードを腕に構える。
「――っく!」
初撃を防いで反撃――した頃にはもう裏に回られている。一瞬にして全身にルシードを張って、背中から来るのを守ってすぐに振り返るけど、振り下ろした剣は再び空を切ってまた反撃し損ねる。
ラケーレは攻撃の手を休むことなく、あらゆる方向から怒濤に攻めてくる。近づく度に爪で引っ掻いてきて、私のルシードとガラスのような破裂音を響かせていく。彼女の動作には一切の無駄がなく、目で捕らえるのがやっとなくらいで全然攻撃に転じる目処がつかない。
「固いねぇ。でもその魔法、いつまで持つかな!」
「くっ! あなたなんかに貫けないわよ!」
「言ってくれるじゃねえか。うらあぁ!」
左肩に重みを感じる。ラケーレの爪が突き刺さろうとしていて、貫こうとしてきたのをぐっとこらえる。
この時、気張った拍子にルシードの壁が外側に膨らんだ気がして、若干爪を押し返したことに驚いたような顔した瞬間に、私はやっとチャンスを感じた。
「はあ――!」
思い切り腕を突き出した。剣をヤツの腹の真ん中に狙った。
けれど、私の手に返ってきた感触は、肉を切った重みじゃなかった。感じたのは鋼のような鋼鉄さ。そして、目に映ったのは刃がバネのように曲がって、耳にパキンッと折れた音が聴こえたのだった。
「――え?」
唖然としてしまう。この人狼は鎧を着ているわけでも、魔法で防いだわけでもない。せいぜい毛が生えてるだけの素っ裸なのに、私の刃が固い筋肉に負けた。
そんなの、あり得ない!
「ふん。この程度か」
「――きゃっ!」
頬を裏拳でぶたれた。水気を含んだ地面を転がって、寸前で引き出せた力ですぐに立ち上がろうとする。拍子抜けした際にルシードを切らしてしまい、油断した隙をつかれてしまった。
「アルヴィア姉ちゃん! ヤバいよドリン君! このままじゃ!」
「や、ヤバいのは知ってるダヨ! でも、でもオデは無理ダヨォ!」
ラケーレが腹に刺さっていた刃の先端を、悠々とした態度で抜き取る。グロイ黒色の液体がついているのを見て彼女はニッと笑い出す。
「へえ。アンタはアタイを貫けそうだったわけか。アタイに傷をつけたヤツは何百年ぶりか。いい腕してるぜ、アンタ」
その笑みは、正真正銘の戦闘狂だった。ポイッと折れた刃を投げ捨て、気狂いの狼が私に話を続ける。
「でも無駄だ。所詮人間じゃアタイは殺せない。アンタら人間が呼ぶアーティファクト。それが存在した神話の時代に、アタイら人狼は人間の手によって生み出された。交配実験ってので作られて、奴隷として利用されていたらしい」
初めて聞く人狼の誕生秘話。人狼に関する書物はあっても、そんな話は見たことないし人から聞いたこともない。
「本当なの? その話」
「アタイの先祖の話だ。本当かは知らねえ。でも、本当なんじゃねえかって思う理由が一つ」
ラケーレが既に回復しきったお腹に手をあてる。
「人狼の体は、アンタら人間とは別格に性能が違う。アンタらがへばってしまうくらいの傷でも、アタイにとってはかすり傷でしかない。人間よりもより完成された生き物なんだ」
格の差を思い知らされる。所詮私じゃ、この魔物を倒すどころか足止めすることすらできない。その真実を彼女から突き付けられた気がした。
「アンタは弱い。たとえどれだけ研鑽を積もうが、人間である限りアタイには敵わない。もうアンタに興味はない」
そう言って後ろを振り返ろうとするラケーレ。その先に、クイーンはまだ立ちあがれていない。
「待ちなさい!」
すぐにルシードを張ると、ラケーレは頭を誰かに叩かれたように頭が動いて、私の方に振り向いた。腕に纏った魔法障壁を見て、彼女は目に苛立ちを込めながらほくそ笑む。
「鬱陶しいね、その魔法。まるで体の周りをブンブン飛び回る虫のように鬱陶しい」
この魔法の気配は、魔物にとって無視できないほど強烈な気配を放っている。前にクイーンとグウェンドリンから聞いた時は半信半疑だったけど、七魔人にとってもこの反応。今はもう確信出来る。
私はまだ戦える。クイーンが立ち上がるまで、気をそらすことが出来る!
「クイーンの首飾りは渡させない。あなたは私があなたを倒せないって言ったけど、あなたも私をまだ倒せてないわよ!」
この挑発に、狼の目がカッと大きく見開いた。今の言葉で、まるでスイッチが入ったかのように。
「言ってくれるじゃねえか。剣を失い、守るだけの魔法で、一体どうやってアタイを倒すつもりなんだか」
私は横目を動かしてグウェンドリンを見る。
「戦える?」
「え!? 無理! 無理ダヨオデには! あんなの、戦えないダヨォ!」
臆病な彼は頭を抱えて丸くなってしまう。こんな時に弱音を――って言ってやりたかったけど、より上の存在に畏怖する気持ち。今の私も感じてないわけじゃなかった。
「ゴーレムじゃアタイには勝てねえよ。その岩だってアタイの爪は貫ける」
「ヒイィ!?」
目の前に立ちはだかっているのは、この世の恐怖だとすら思える。あのクイーンお得意の炎を真正面から受けきって、気絶させるほどの力を持った存在なのだから。
でも、私は怯むわけにはいかない。
「いいからかかってきなさいよ。私は絶対に倒れないんだから!」
あの日、彼女が流した涙を無駄にさせたくない。
――ボクがあいつらのこと、何も分かってなかったんだ……。
あの時受けた彼女の痛みを、無意味なものにさせたくない。
「ふらあ!」
「――っつ!」
初撃を防ぎ、すぐに目の前から消えるラケーレ。背中に衝撃を受けて、腕を振って追い払って、肩に来たのも追い払って……。再びあらゆる方向から襲ってくるのを、私は何度でも守り切る。
「守るだけか! 人間の女ぁ!」
「――っつ!」
――ギルドを抜けろ。お前の魔法は俺たちを守らない。そんな魔法はもう必要ない。
自分しか守れない魔法だ。ギルエール。あなたは何度もそう言ってきた。私の力じゃ誰も守れないって、何度も何度も何度も何度も!
でも、初めて言われたのはあなたじゃなかった。もっと私を認めてもらいたかった人からも、そう言われていた。
――そんな魔法で誰を守るというの? 守るというのは、敵を倒すということ。あなたの魔法でそれが出来るの?
母上。数多くの魔物から市民を守るのが貴族の務め。私の魔法じゃ、集団になった魔物を倒すのに時間がかかる。母上はそう何度もおっしゃった。まるで口癖のように、私の可能性を否定した。それが理由で妹に継承権を渡して、嫌になって勝手にギルドに入った。
でも、そこでも私は真実を思い知らされた。
「惨めだと思わないか! 気を引くことしか出来ない自分が! 守ることしか出来ない無力な自分が!」
でも、クイーンだけは言ってくれた! 無敵の魔法なんて羨ましいって。
その時、私は初めて救われた気持ちになったの。今まで嫉妬して、魔法使いを妬み続ける日々が変わった。
だから――!
「惨めなんて思わない! 私にとってこの力は、唯一無二の力なんだから!」
「ハッ! ならアタイを吹っ飛ばすくらいしてみな!」
一度距離を取ったラケーレが真正面に突っ込んでくる。私は意識を集中させる。
ヒントなら既にクイーンから貰ってる。ギルドの登録試験の時に教えてもらった。
――身に着けた魔法の鎧はお前の魔力次第で自由に出来るはずだ。
手応えも、今さっきコイツの攻撃を受けていた時、肩を攻撃されて気張った時に掴めた。
ルシードが膨らんだあの感じ。それを最大限にすればきっと――!
「うらあ!」
「くっ!」
ガラスの破裂音と共に、交差した両腕に鋭利な爪が絡まる。頭上からラケーレが私に顔を近づけてきて、目玉が飛び出そうなくらいの顔でほくそ笑んでいるのが分かる。
「唯一無二の力ってのは、最強の存在だけが使える言葉だ。アンタにその言葉を使う資格があるってのか? ああん!」
腕から迫りくる壁に押されているような圧力。だけど私は引かない。体が押し切れそうになっても、必死に足を踏ん張らせる。
そして、ただひたすらに、全身を覆った魔法に意識を集中させる。ルシードの魔法障壁。それを内側から、魔力を過剰に込めて一気に膨張させるように。この大きな狼女を、大きく吹き飛ばせるくらいに!
「――見たいなら、見せてあげる!」
「なに?」
破裂しろ! 私の魔法――!
「クラッシュ!!」
次の瞬間、私の体から浮かんでいた赤い水面のルシードが、溜まった空気が爆発するように割れた。
そして、私の倍ありそうなラケーレの足が浮いて、奥へと吹き飛んでいった。
ドゴッと、大きな体が木にはりつけになるようにぶつかる。あの戦闘狂の顔が、驚きのあまり魂を抜かれたようになっていて、そのまま地面に落ちて狼女は肘をつく。
「これが私の力。私だけが使えるルシードの力。クラッシュよ!」