03 目指すもの
03 「夢を持ったんだろ? 叶えたい願いがあるんだろ? だったら今動くんだ! 明日やろうじゃない。今日から夢を形にするんだ!」 ――ラーフ・デ・ジュラン
「これからどうするんだ?」
そう訊くと、アルヴィアは少し間を空けてから答える。
「しばらく一人で放浪するつもり。つい街を飛び出しちゃったから、手持ちの金貨とかあまりないの。どこかに立ち寄って稼がないと」
金貨って確か、人間が物を売り買いする時に使っている硬貨だったか。単位は『クラット』。前にお父さんからそう聞いた気がする。
「あなたはどうするの?」
「ボクは……」
言葉が詰まる。咄嗟にいい考えが浮かばない。
「帰りたいとは、思わないの?」
「正直に言えばそうだが、でもボク、転移の魔法が使えないし、そもそも城がどこにあるか分からないから……」
そう言いながらもなんとか考えようと、口元に人差し指をトントンと叩きながら頭を捻る。
まず前提として、ここがどこかなのかすら分からない。ここはボクがいた『魔王国ルーバ』ではなく、その隣にある人間界、通称『セルスヴァルア王国』だろう。この大陸には二つの王国しかないし、さすがにお父さんの魔力でも海を越えるほどの効果はできないはず。景色が違い過ぎるからそこは容易に想像つくけど、人生で初めて来たから土地勘に関しては全くだ。
それに、最も重要な問題は、お父さんがボクの帰りを許してくれなさそうということだ。あの怒りよう。一体どうすれば許してもらえることか……。
「ボク、どうすればいいんだろう……」
悩んだ挙句、肩を落としてそう呟くしかなかった。
「ねえ? その首飾りは何?」
アルヴィアにそう訊かれて、ボクは鎖骨の間にある竜の横顔を象った首飾りに目を落とし、手にしながら「これか?」と訊いた。
「そう。見た感じ、全体が銀で出来てるわよね? それに目の部分はミスリルっぽいし」
彼女の言う通り、竜の横顔は銀色で、瞳の部分には水色に輝く別の鉱石が埋められている。
「これは『魔王の証』だ」
「魔王の証?」
「そう。これを持っている魔物が、次期魔王になるっていう掟があるんだ。それで次期魔王はボクだから、お父さんに生みだされた日から、ずっとこれを肌身離さずつけているんだ」
「へえ。そんな決まりがあるのね」
「……待てよ」
話しながらボクは思う。魔王の証が、まだボクの手に残っているという事実。城から追い出されたのに、肝心な証をお父さんは奪わなかった。
つまり、それって――
「ボク、まだ魔王になれるかもしれない」
「……どういうこと?」
「この首飾りは、世界に一つしかないんだ。今ボクの手元にあるこれだけが、魔王になれる唯一の証。そして、お父さんはこれをボクに残しておいてくれた」
「それってつまり――」
確信したようなアルヴィアに、ボクは大きく頷く。
「ああ。お父さんは、まだボクを完全に見放したわけじゃない!」
喋りながら気持ちが高ぶってきて、ついに立ち上がる。
「きっと試そうとしてるんだ。大きな失敗をしてしまったボクが、本当に魔王としての素質があるかどうかを。絶対そうに違いない。お父さんはボクより何倍も強い。魔王の証を奪うことくらい、簡単にできたはずだ。でもそうしなかったってことは、奪わなかった理由があるんだ。そうじゃなければ、ボクの手元に首飾りがある理由が説明つかない」
* * *
「ブエックション! ――はあ……どうして何も考えずにクイーンを追い出してしまったんだ、私は……」
* * *
「試すって……。一体、何をどう試そうとしているの?」
アルヴィアの質問にボクは頭を捻る。今の状況から逆算していけば、きっとお父さんの意図が見えるはず。
「お父さんはボクを、わざわざ見知らぬ人間界に転移させた。転移の魔法は、距離が遠ければ遠いほどそれだけ魔力を消耗する。ボクを追い出すだけだったら、わざわざ人間のいるセルスヴァルア王国まで飛ばさないはずだ。だけど、お父さんはそうしなかった」
「初めからここまで飛ばすつもりだったってこと?」
「多分そうだ。もっと言えばお父さん、外出から転移の魔法で帰ってきてた時にそうしたんだ。疲れていたはずだろうに、ボクをここまで転移させた。そのことに意味があるはず」
* * *
「よりにもよってワープ先を何も考えずに飛ばしてしまった。もしかしたら、セルスヴァルア王国まで飛ばしてしまったかもしれない……」
* * *
「分かったぞ!」
とうとう確信を得てボクは声を上げた。
「お父さんはボクに、自力で城まで戻ってくることを望んでいるんだ」
「……そうなの?」
アルヴィアは腑に落ちない顔をしている。
「絶対そうだって。だって、魔王の証があるってことは、お父さんはボクに魔王になってほしいってことで、いつでも帰りを待っているはずなんだ。だけど今のボクは、まだ魔王に相応しくない。だから、魔王国ルーバを守れるだけの力を手にして。つまり、襲い掛かる人間たちを振り払いながら、無事に戻ってこいって思ってるはずだ」
思いつく限りの言葉で自論を最後まで展開すると、アルヴィアはふーんと呟いてから、「まあ、理屈は通ってるのかしら」と納得した。そうだろ? と思わず言葉が出てくる。
「そしたら、あなたは魔王の城を目指すってことね」
「ああ。お父さんが望むような、立派な姿になって戻ってみせるんだ」
* * *
「ああ。私は父親失格だ……。クイーン。私の愛しい子どもよ。どうかこんなお父さんを許しておくれ……」
* * *
「前向きなのね」
素っ気なくそう言われて、ボクは自慢げに胸を張ってみせる。
「これでも次期魔王となる者だからな、ボクは。こんなことで挫けるわけにはいかないのだ」
「それで、あてはあるの?」
その一言でボクの自信がスッと全部引っ込んだ。城までの道のりなんて微塵も知らないんだった。
「……明日、近くの村まで一緒に行く? 頼めばきっと、地図を見せてくれるだろうし」
「いいのか?」
「ええ。たとえ魔王の娘だとしても、困っていたらお互い様だし」
「やったー! 礼を言うぞアルヴィア!」
「やったーって子どもみたい。……それに」
ボクの言動に微笑みながら、小さく呟く声が聞こえてくると、彼女はボクから目をそらして、何かをボソッと囁いた。
それは蟻みたいに小さな声で、ボクの耳にはっきり聞こえるものじゃなかった。それでもわずかに聞こえた音から、脳が勝手に変換してくれる。
――あなたは、私を見てくれたから。
本当にそう言ったかは分からない。けどボクは、特別訊き返そうとしなかった。
彼女の顔が、今までで一番柔らかい表情をしていたからだ。