37 ビグル
掘った地面に土を埋めていくドリン。足元まで完璧に埋めていって、棺の形状をしたちょっとした山が出来上がり、「どうダヨか?」と訊いてくるのにボクはオーケーだと頷く。
「お前がここで眠るのを、ボクは忘れないからな」
ポツリとそう呟いて、上級グールを弔う。
中級グールの住処である穴までドリンと戻る。外でアルヴィアが辺りの監視を続けている中、いきなりテレレンが穴から飛び出ようとしてアルヴィアが手を引いた。無事地上に出たテレレンがプハーッと森の空気を吸いつくす。
「やっと回復し終わったよ。あーテレレン、魔物さんと一緒に暮らすのは無理かも……」
「お疲れ様だ、テレレン」
「あ、クイーン様」
「グールたちはそんなに嫌な臭いか?」
「テレレンには無理だよー。鼻が麻痺しそうだもん」
もしかしてボクからも変な臭いが出てるんじゃないかって一瞬思って、試しに自分の腕をくんくんしてみた。それにアルヴィアが苦笑いを浮かべてくる。
「クイーンは大丈夫よ。多分こっちの王国に来ている魔物は、閉鎖空間で群れでいることが多いから臭いがするんだと思うわ」
「アルヴィアは平気そうだよな」
「私は慣れただけよ。ギルドには三年くらい仕事をしてきたから」
アルヴィアは今十八だから、ギルドに入ったのは十五の時か。そんなに若い頃からやってるんだな。
ふと気配がして振り向いて、穴からグールが二人出てきていた。傷ついていた雌グールの腹部が、テレレンの魔法のおかげで元通りになっている。
足下に眷属の気配を感じ、いつの間に一匹の黒猫が座っていたのに気づく。腰を屈めて首元を撫でてやりながら「何か見つけたのか?」と訊いてみる。すると、気持ちよさそうにしていた眷属はボクに背を向けてトコトコ歩き出した。
『お前たちも一緒に来い』
グールたちにそう呼びかけ、アルヴィアたちにも手でついて行こうと合図して眷属を追う。
歩いた先。木々に囲まれた中にあったのは一つの小屋だった。自然の中にポツンと建った石造りで、外壁や屋根には枝葉や苔が生い茂っている。古くからあったような廃墟寸前の建物。そこには肩幅が大きい爺さんが一人いて、強烈なハチミツの匂いもしてきた。
「こんな森の中に人が住んでたなんて」
アルヴィアがそう呟く。爺さんは頭から足、手の先まで覆った衣服に身を包んでいて、地面に置かれた丸太を覗き込んでいる。そこに空洞でもあったのか、爺さんの手が中に入っていく。するといきなり中から、大量のミツバチが驚くように飛び出てきて、なおも爺さんは腕を入れたままにしていると、その中からハチミツを獲り出していた。
「ハチミツだー! あのおじさん、ハチミツ作ってるんだ!」
「ハチミツを作る? 人間はそんなことが出来るのか?」
テレレンの言葉にボクは驚いてしまい、アルヴィアが補足をしてくれる。
「あれは養蜂ね。蜂が住みやすい場所を作ってあげて、そこでハチミツを作ってもらう。家畜と似たような感じよ」
「ようほう。なるほどそんなものが」
グールの好物であるハチミツ。それがこの家では養蜂することによって生み出される。これほど好都合に条件が揃うとは。ここを逃す手はない。
「話してみる価値はあるな」
「……ふむ。ハチミツを好むグールがいるとは」
ボクの口からすべてを話し、爺さんはボクの横にいる二人のグールを見る。
「本当に人を襲わないんだな」
「信じてくれるか、爺さん?」
「信じたとして、お前さんたちの要望はなんだ?」
「ハチミツを分けてくれればいい。その代わり、グールたちにはこの家を守らせよう。二匹の番犬がつけば、爺さんも養蜂に専念できるだろ?」
「番犬ね。別にワシは、一人でも魔物を追い払えるんだがな」
「そ、そうなのか……」
呆気なくあしらわれたと思って肩を落とし、爺さんも家に入ってしまう。目が合ったアルヴィアと一緒にため息を吐き、これからどうしようかと考え始めた時、爺さんがハチミツ入りの瓶を片手に戻ってきた。
グールたちに近づき、瓶の蓋を開けてそれを手渡し。雄グールが一瞬警戒しつつも、爺さんが腕を伸ばしたままだったのを見て恐る恐る受け取り、雌グールが手を入れて舐めると、長らく味わえなかったハチミツだったからかサルのように喜び出した。
「ふっはは! これは面白い。本当にハチミツを好むグールだ」
途端に上機嫌になる爺さん。ボクに振り向いて爺さんははっきりこう言う。
「いいだろう。こいつらを番犬にしてやろう」
「本当か爺さん! ありがとう。とても助かるよ」
思わぬ話の転がり方だったが、それでもボクは嬉しくなってそうお礼を言った。そのすぐ後にアルヴィアが爺さんに話しかけた。
「つかぬ事を訊くようですけど、あなたはなぜこんな森奥で一人暮らしを?」
爺さんの目線がグールに戻る。
「ワシも昔は街のビグルだったんだが、色々と疲れてな」
「ビグルってなんだ?」
小声でボクはそう訊き「森番よ。支配地内の森の整備をする仕事」とアルヴィアが答えてくれる。
「周りにいる人間が嫌な人間だらけだったからな。それに加えて、十五年前に入れ替わった国王の意向も、あまりワシ好みではなかった。いっそそんなのから抜け出そうと、今はこうして一人で生きているわけだ」
「人間関係ですか。私にも分かる気がします。私も最近、ある人から嫌なことを言われたりしましたから」
「そうか。若いからって無理するものじゃないぞ。お前にとってダルバーダッドに何があるのか知らんが、ワシにとってあの街にはもう思い入れのない場所だ。最愛の妻は前に病気で亡くして、一人息子は街を出てブリンドーズでギルドをやっておるからな。その土地での思い出にしがみついてばかりいては、今の自分のためにはならん」
「分かっています。それでも私は、やるべきことがあってここにいるだけですから。近い内には別の街に行ってるはずですしね」
「そうか。ジジイの余計なお世話だったな」
いい体つきをしている割に皺の多い顔は、本当に街での暮らしに疲れ切った人間の顔のようだった。それでもハチミツの瓶を空にしたグールを見た時には、わずかな笑みがこぼれている。
「なんだか新しい子どもが増えたみたいだ。ビグルの時も魔物を飼いならせないか考えたものだ。ヤツらは脅せばすぐに逃げ出してくれる聞き分けのいいヤツらだと思ってたからな」
「お? 爺さんは分かってるな魔物のことが。大体のヤツらが小心者だから、魔物たちに脅しは結構利くぞ。ウチのドリンなんかがまさしくそうだ」
「そうだったか。さすがはモンスターテイマー。小さいのに詳しいな」
「これでも爺さんと変わらない年月を生きてるからな」
「はっはっは! そうか。それでいてその容姿じゃあ敵わんな」
陽気に笑う爺さんだ。この人なら、グールを任せてもいいだろう。ボクはグールたちに歩み寄り、彼らがここでやるべきことを伝える。
* * *
「魔物は絶対悪だ」
「え?」
クイーンがグールたちに歩いていってる時、私の隣に来ていた爺さんいきなり話しかけてきた。
「あの方がおっしゃっていた言葉。なぜみんな、あの言葉をすっぽり信じてしまうと思う?」
「……争ってきた歴史。魔物による被害。貴族やギルドが見せているのは、いつだって犠牲者の数だけです。その原因までを見せようとしないから、私たちは魔物を本当の意味で理解できない」
「いい線をいっている。若いのによく考えているな」
「彼女が気づかせてくれたんです。魔物も一つの命を持った生き物で、人間と同じ理性を持っているから話し合えると」
グールと話をしているクイーンを眺めながら語った言葉。
「なるほど。面白い少女だ。だが、彼女の言葉はきっと全人類には届かない。特に、あのダルバーダッドの街ではな」
「……どうしてそう思うんですか?」
悔しさを噛みしめたような訊き方になった。爺さんは神妙にこう語る。
「絶対の立場の声が届く場所だからだ。そして、栄華の街と呼ばれるせわしない貴族社会によって、市民たちは考えることを封じられる。みんながみんな、明日もどうやって生きるかしか考えていない」
「ダルバーダッドは経済的にも裕福な街だと思いますが……」
「金の話ではない。環境の問題だ」
「環境……?」
「あの街に済む者たちの立場。自由に暮らしているようで実は、その裏で縛り付けられていることに誰も気づかない。ワシだってそうだった。この森で一人になるまで気づかなかった」
「一体、誰が縛り付けているんですか?」
「お前なら分かるはずだ。人間がなぜ魔物を理解できないのかは、お前自身が答えたはずだ」
私が出した答え。そこから爺さんの言っていることが分かるってこと?
争ってきた歴史。魔物による被害。表に出ているのは被害者の数。この報告を可能にする人物がいる?
そしたら、それは誰? 貴族やギルドのすべてを束ねる存在。そんな人がいる?
――魔物は絶対悪だ。
まさか、そうだって言うの?
「あの人は分かっている。分かっていてそうしている。王都のビグルであるワシには、そう見えていた」
「分かっている?」
「うむ。あのお方は、分かっている。どの人間よりも魔物を理解している」
分かっている。あの人は魔物を分かっていて、それでも魔物に敵対意識を植え付けてくる。
国のすべてを束ねるほどの人が、そうしている。
……何よ、それ。




