36 極限のグール
グールに連れられ、ボクらは体が入らないドリンを除いて、森の木の下に掘られた地下穴へと入っていく。
「うっ! 臭いが……」と鼻をつまむテレレン。腐肉臭に包まれたそこで、ボクがフレインの松明を点けてみると、そこにもう一体のグールが床に倒れた状態でいた。
ボクらを連れたグールが倒れたグールの傍につく。倒れたグールは呼吸こそしてはいるが、立ち上がる元気が失われている様子だ。
『このグールは?』
雄であるボクらを連れてきたグールにそう訊く。
『いちばんだいじなナカマ。きずついて、うごけない』
一番大事、というのは愛人だろうと思った。近づいてみると、その倒れたグールは雌だったからだ。グールの体格は人にそっくりで、雄雌の区別も骨格で判断できる。
「恋人のグールってところだな」
「恋人!?」
「なんだアルヴィア? 魔物も恋愛感情ぐらい持つぞ」
「そ、それはそうなのかもしれないけど……」
激しく動揺するアルヴィアを見るに、彼女的に、というか人間的に魔物に関してそこまで考えてなかったように見えた。テレレンに関しては相変わらずニパーッとした笑みを浮かべてる。
それはともかく、ボクは雌グールの状態をよく見てみた。すぐに腹部が大きく欠けているのに気づく。それも大きくぽっかり。何者かに食いちぎられたかのように空いていて、中のものまで見えてしまっている。
「かなり大きなケガをしている。テレレン、頼めるか?」
「う、うん」
鼻をつまんだまま口から勢いよく息を吸い、充分に吸い切ってからバッと腕を伸ばして魔法を発動する。
黄緑色の癒しの魔力が、グールの腹部に優しく当たっていく。傷口が光に誘われて、体の皮膚が広がっていくように回復を始めていき、人の頭くらいあったものが徐々に徐々に塞がっていく。その様子を眺めている傍ら、アルヴィアがせわしなく顔を動かしてこう言った。
「よくこんな穴を掘れたものね」
ボクらで計五人も入れる空洞か。確かに魔物一体の手に負えるものではないだろうが、それはグールの特性だろう。
「グールには土魔法を扱える個体がよく存在するから、恐らくそれだろうな。土を操って広い穴を作った」
「ああそっか。確かにそうだったわね」
思い出すように呟くアルヴィア。ふと、途端に魔法の風が途絶えてしまうと、テレレンは口を開けないまま痛ッと言った気がして、頭を抑えていた。
「頭痛が起きたか。ゆっくりでいい。グールはしぶとい魔物で有名だからな」
アルヴィアも一言呟く。
「グールって打撃とかが全く利かないから、一気に首を切断しないといけない。このグールを攻撃したのが誰か分からないけど、冒険者なら急所を外さないわけないわ」
隣のテレレンがふむふむ、と言わんばかりに顎に手を置いて頷いている。きっとこうして先輩から後輩冒険者に知れ渡っていくんだろうなと解釈しておく。
「彼らにとって痛覚は最も鈍い神経だからな。打撃で怯みづらいのはそのせいだ」
「だけどこの傷。本当に人間がやったのかしら?」
まだ拳ほどある傷口を覗き込むアルヴィア。
「人の手でやったにしては大きすぎる。これが出来るとしたら、それこそ冒険者じゃないと無理よ」
「そしたら、人間じゃない別の何かって言いたいのか?」
アルヴィアの推理に雄のグールが答えを口にした。
『オレたちのムレのオサ。いちばんデカいそいつがくった』
「群れの長? お前たちよりデカいグールが……」
人間の言葉で復唱した時だった。
「なんか来たダヨッ!?」
突然地上からドリンの叫ぶ声がして、ボクは素早く穴の中から飛び出した。後からアルヴィアがテレレンの手を握って連れてくる中、ボクの目にひと際体の大きいグールが、ゾレイアの眷属の一匹が逃げ惑うのを片手で踏みつぶす光景が映った。猫を餌とでも思っていたのか、黒い煙になって消えたのに理解するまで、じっと自分の手を見つめている。
「ク、クイーン様。あれは、中のグールの仲間ダヨか?」
後ろに振り返り、穴から出て来ようとする雄グールに訊こうとした。けれど、ボクが口を開くより先に、そいつは目の前のヤツを見て身が硬直してしまった。
「やっぱり、そういうことか」
背丈からして上級のグールにまた目を向ける。あの雄グールが怯える理由。さっき聞いた話と紐づけるならば……。
「ドリン。後ろのグールを守れ。襲うようだったら反撃していい」
「わ、分かったダヨ」
「テレレンもドリンの裏に隠れてろ。話で解決するとは限らない」
「う、うん」
指示を出し切ると、上級グールもボクらの方に近づき始めてきた。アルヴィアは剣の柄に手をかけて警戒し、ボクはみんなより一歩前に出て「止まれ」と声をかける。
「人の言葉は理解できるな?」
「……ニンゲンと話すことなどない」
思った以上に流暢な話し方だ。ドリンと大差ないぐらいに話し慣れてる。
「別にボクらはお前を殺すつもりじゃない。でもお前が襲ってくるなら、自分の首が飛ぶことを覚悟した方がいい」
「そんな脅しは利かない。ワタシは今空腹だ。何か食べたくて気が立っている」
「お前が求めてる獲物はここにはないぞ。引き返したらどうだ?」
「格好の獲物がいる。お前の後ろに」
ボクの後ろ。とっさに悲鳴を上げたのはドリンで「オデを食べるダヨか!?」と言って震え上がったが、狙いはその後ろだろう。グールがゴーレムを食べれるわけない。
「やっぱりお前か。雌のグールの腹部を噛んだのは」
「どういうこと?」と横からアルヴィアに訊かれる。
「こいつは共食いのグールだ。後ろにいる中級グールたちは、こいつと一緒に群れで生活していた。こいつを群れのリーダーとしてな。だけど、空腹になったこいつは中級グールの一体の腹をかじった。仲間ではなく獲物としてそいつを殺そうとした」
「生きるためにそうした。弱いヤツを噛んで何が悪い?」
生きるため、か。共食いは極限状態まで追い込まれた生物が行う最終手段の行為。
この辺りがどれだけグールにとって住みやすい環境かは分からない。けれど深く生い茂った森のわりに、野生動物の姿はあまり見かけなかった気がする。
「今までに食べたグールの数はいくつだ?」
「……」
無言の返事。それは経験があるという証明であり、公言できない後ろめたさが残っている証拠だと思った。弱い者を、などと言っても、悪に染まり切れない魔物なのだと。
魔王国を出ざるを得ない状態に陥り、この世界で今日まで生きてきたこいつが、生きるために選択肢のない手段を取った。弱き者を強い者が狩るという弱肉強食。自然の摂理に乗っ取った方法ではある。
だけど、ボクは決断しないといけない。何よりも力を持ち、未来の王となるのだから。
「近い将来、この世界は変わる。魔物と人間が共存する世界にボクが変えてみせる。だから、今はここから身を引け。そして二度と彼らを襲うな。それを約束してくれないか?」
今のボクに出来る最大限の情けだと思った。ここで引いてくれれば、争いも起こらずに済むと。
けど、それはダメ元の願いだったのだと痛感させられる。
「邪魔をするなら、お前ごと消す」
グールの片腕が上がっていく。そこからは同時に魔力が溢れていて、手の動きにつられるように地面の土の塊が上昇していた。指から操り糸が伸びているかのように土が回転を始め、次の瞬間にバッと腕を突き出して土の弾丸が発射される。
「――恨むなよ」
片手をパッと開いてレクトを発動し、土魔法をそのまま跳ね返す。土の弾丸はグールの顔面に直撃し、ヤツは頭から黒い血を撒き散らしながらよろめいた。それでも、顔の片頬が削げ落ちてしまっても、グールは執念でボクのことを睨みつけて襲って来ようとする。
「アルヴィア」
彼女の名前を呼び、この両手にフレインを焚く。そして、四足になって走り迫ってくるグールを見定めながらこう伝える。
「――楽にしてやってくれ」
両手からそれぞれブーメランを投げるように腕を振り、楕円形になるように炎を飛ばした。水の流れのように進んでいき、黒い煙が流れ星のように跡になって消える。
そうして二つの炎がグールに当たった瞬間、瞬きする間もなく炎が全身に巡った。痛覚はなくとも熱は感じているようで、グールは足を止めて体中の火を消そうと暴れ回る。
そこに、アルヴィアは限りなくふところまで一気に近づいた。腕を伸ばせば手が届くほどの距離。ほどなくして彼女は、頭上の首を狙って扇を広げるかのように剣を振った。
首が飛ぶ。グールの生首が、宙に浮いてドスッと鈍い音を立てて地面に落ちる。そして、アルヴィアの後ろに立っていた体も、土煙を上げるように背中から倒れた。
「……ありがとう、アルヴィア」
剣を納める彼女にお礼を言って、ボクはグールの体に近づいていく。未だ燃え続ける体に手をかざし、炎に残った魔力を察知してパンッと手を叩く。魔力が途絶えた炎はパッと消え、そこには黒く焦げ朽ちた死体が残った。隣にアルヴィアが立ってそれを一緒に見下ろす。
「魔物社会の実体を、初めて垣間見た気がするわ」
「正直言うと、ボクもだ。話で聞いただけだったけど、実際に目にすると、ちょっとキツイな」
「この世界は不条理。すべてを助けられるわけじゃない。だけど、この犠牲がないと守れないものもあったはずよ」
後ろに振り返り、雄グールがボクのことを見つめ返してくる。守り切った命と引き換えに、ボクはこの手で奪ったものを、また背負っていくんだと改める。




