31 勇敢な戦士の斧
破壊された斧を呆然と眺め、立ち上がろうとしないミノタウロス。
「立てるか?」
彼の前まで近づいてボクは手を差し伸ばす。ミノタウロスは助けは要らないと言う代わりに首を振って、自分の腕でその場になんとか立ち直った。襲ってくる気配は微塵も感じられず、フロストブレスで傷だらけになった体が目に映る。
「悪いことをしたと思ってる。痛かったよな? 後でウチの回復係を連れていくから、それで許してくれ」
ミノタウロスはボクの発言を謎に思って首を傾げてくる。
「オマエ、ニンゲン。あやまる、なぜ?」
「ボクは魔王――」
そう言いかけて審査官が見ているのを思い出す。
「慈悲の心を持つモンスターテイマーだからだ。お前の命を奪ったりはしない」
荒れた鼻息が吹かれる。ミノタウロスはただ黙って突っ立って、未だにじいっと砕けた斧を見つめていたが、いきなりメドリルの大声が聞こえてきた。
「何をやっているこの愚鈍な魔物が!」
今まで聞いたことのないような叫び声。まるで裏の顔が出てきたかのように、その顔が豹変している。
「なぜそいつらを襲わない! 貴様がそいつらを襲わなければ、彼らが合格してしまうではないか!」
ふいに両隣りの審査官が「ん?」とメドリルの発言に引っかかって、メドリルはハッとして咳払いをし、ボクのよく知っている丁寧な喋り方に戻る。
「試験が成立しない、と言いたいのだ。魔物が人間を襲わないなど普通ではない。クイーン殿。貴殿は一体何をなされたのですか? 先ほども氷魔法の挙動が突然変わりましたし、まさか不正を働いたとか?」
「そんなことあるか。氷魔法はボクのレクトの魔法で反射しただけだし、ミノタウロスの戦意だって斧を割って削いだだけ。それだけのことだ」
「斧を割って戦意を? おふざけはよしてもらいたいですね。たったそれだけのことでどうして極悪魔物のミノタウロスが機能しなくなるのか」
「ミノタウロスにとって斧はこの上ない名誉な代物だからだ。ミノタウロスの間では、斧を持つのは勇敢なる戦士だと認識されていて、産まれたてのミノタウロスは全員その斧を手にすることを羨む」
「そんな話。一度も聞いたことがありませんな」
「お前たちが知らないだけだ。ボクの話を疑うっていうのなら、今のこいつの状態を論理的に説明してみろ」
けたたましい雄たけびをあげていたそいつが、今では肩を落とし驚くほどしょんぼりしている。いくら魔物だろうと誰がどう見ても落ち込んでいると分かる状況に、メドリルも唇を噛みしめた。
「たかが斧を失った程度で」
「それだけ斧の価値が高いってことだ。実際、こいつらが斧を手にするのは簡単じゃない。斧の刃は壁のように切り立った山を登って素材を取る必要があって、この整った形にするのも自分で試行錯誤を繰り返さなければならない。形が乱れた斧は逆に周りから笑われる」
「ぐぬぬ……。そんなことが本当にあると言うのか?」
「そうじゃないとミノタウロスはこれだけ脅威にはならない。ドリンのフロストブレスをはじいたのを見ただろ? 大砲のようなあれを魔法を使わずしてはじくには、百キロを超える体で岩山を登っていける筋力と、斧の刃を正確に研ぐための繊細さ。そして何より、真正面から自分は防げると思える自信が必要だ」
そこまで言ってとうとうメドリルは黙り込んだ。歯ぎしりをしたまま何も言わない彼に代わって、横で眠そうにしていた審査官が口を開く。
「そんじゃ、これにてクイーンさんの実技試験終了ってことで。魔物さんとご退場お願いしまーす。多分合格っすけどまだギルド本部を出ないように」
ミノタウロスが出てきた鉄柵が開かれ、そこから重たそうな武装装束の男が数人ミノタウロスを回収しようとする。そいつと別れる前にボクは魔王の娘としてそいつに伝えようと「お前」と言って振り向かせる。
「お前は確かにボクとフロストゴーレムに負けた。折れた斧だって戻らない。けど、真に勇敢なミノタウロスは、より洗練された新しい斧を常に求め続ける」
人間の一人が折れた斧を持ち運ぼうとして、あまりの重量にそれらを一度地面に落っことす。彼のプライドを砕いたボクの、これからやるべきことは一つ。
「ボクがいつかお前を解放してやる。だから、それまで自分の中の誇りは捨てるなよ」
ミノタウロスは鼻息を鳴らし、そのまま自分の足で鉄柵をくぐって控えの奥へ消えていこうとする。ボクの意志はちゃんと届いてくれたかどうか。間もなくして、ボクらが入ってきた入り口が開かれて、そこからボクとドリンは退場していく。
――あり得ない!
あり得ないあり得ないあり得ない!
あんな小娘が上級ミノタウロスを撃退した。つまりは実技試験の及第点を突破したということ。
あり得ない……。折角この頭を下げてミノタウロスを借りたというのに……。
こうなったら、もう一人の方を徹底的に――。
「おい。次の試験で土人形を作る魔法使いはお前たちか?」
控え室で待機していた二人の魔法使いにそう訊き、「そうっすけど……」と返ってくる。
「いいか? 次の試験。これから私の言う通りにするんだ」
もう、なりふり構っていられない。モンスターテイマーを認めたなんて、陛下に知られてはならない。
――正義は我ら人間にある。
絶対に。絶対に知られてはならない。
――この世の魔物に情けは無用。
そのためには、私はなんとしてでもあいつらを登録させるわけにはいかない。そうしなければ私は……。
――魔物は絶対悪である。
阻止するんだ。どんな卑劣な手であろうと、絶対に。
――いいかいメドリル伯爵? 繰り返そう。
魔物は、絶対悪である。
観客席に入り、アルヴィアの隣にストンと腰を下ろす。
「お疲れ様。ドリンは?」
「魔物専用の席はないってさ。別室で待機させられてる。ちゃんと見張りつきで。傷に関してはテレレンにさっき会って治してもらった」
「そう。見事な采配だったわね。まさか魔法の新しい使い方をさせるなんて」
「真正面からの殴り合いになったら、ミノタウロスのがパワーもスピードもあって勝てないからな。近づかせないのが一番だと思った」
「確かにあのブレスは速くて避けるのも難しそうだものね。レクトを使っての連携とかも凄かったけど、よくあの土壇場でそういうものが思いつくものだわ」
「『魔法の形は柔軟に変えられる』ってお父さんの言葉なんだけど、決して今ある形をそのまま使う必要はないんだ。ボクのゾレイアは元々、影の一部を切り離すだけの魔法だったんだ。それを今の猫の眷属に変えて、匂いを辿って偵察に使えるようにした。それと同じことをドリンにもやらせたんだ。成功するかどうかはあいつ次第だったけどな」
「魔法の形を変えるなんて。そんなことが出来るのね」
「形は変えてないさ。変えたのは使い方だ」
「使い方……。私のルシードでも出来るのかしら、そんなこと」
そう言えば、アルヴィアの魔法について一つ、彼女の発言と引っかかる部分があったな。
「アルヴィアはルシードのことを、魔法の鎧みたいなものって言ってたけど、実際は鎧じゃないんだよな?」
「そうだけど、結局効果は体を守ることよ」
「そうだとしても、身に着けた魔法の鎧はお前の魔力次第で自由に出来るはずだ」
「自由に?」
「そう。折角嫌な思いして手にした魔法なんだし、もっと色んな使い方を模索してみるといいかもな」
ボクの推論にアルヴィアは考え込むように俯いた。ボク自身ルシードという魔法がどこまで幅が利くのか分からないから、具体的なことまでは言えない。せめてヒントにでもなってくれたらいいな。
「あ、丁度テレレンが入ってきたわね」
目を向けてみると、テレレンが少し緊張してる様子で試合場に入場していた。いきなりスーッと息を吸い込み、肩が目一杯上がり切ったのを五秒くらい維持して思い切り吐き出す。相変わらずオーバーな深呼吸をして心を落ち着かせていると、試合場に近い観客席に二人の魔法使いがやってきて、彼らがそれぞれ魔力を発して試合場に人型の土人形を創り出した。
それで舞台が整ったようで、遅れて観客席に入ってきたメドリルが開始前の説明を始める。
「続いて、テレレン殿の実技試験を始める。役職は回復の魔法使い。これを志望する者には以下の試験を行ってもらう。人の姿をした魔法の土人形。首に青い紐を結んだ者を自分の味方とし、削れた体を回復し続けること。どちらかの土人形が崩れた時点で試験は終了となる」
首に紐をつけ、味方と敵に分かれた二体の土人形。操るのは観客席の魔法使いらしい。
「また、予め土人形には人油の霊薬を含ませている。回復魔法が通用するよう施されているので、本来の力を発揮するように」
いつの間に霊薬を入れたんだ? 直接かけたところは見てないけど、アルヴィアと話してる間にやったのか、それとも土の中にそもそもかけられていたのか。
「それでは、実技試験、開始!」
メドリルの号令で土人形がのっそのっそと歩き出す。人形の攻撃方法はぶつりの殴りだけのようで、敵の人形がまず思い切り味方の顔部分を殴った。味方の人形が後ろによろけ、頬の部分がぽっかりと削れる。
「よし! あの部分を治してあげるんだね」
両手を突き出し、魔法を発動するテレレン。黄緑色の治癒の風が、土人形の頬に当たっていく。
「これで治るはず……。あれ?」
ボクらは異変に気づいたのはすぐだった。土人形の顔は削れたまま。テレレンの発動した魔法は、効果を発揮出来ていなかった。




