18 魔王の使い
「セルスヴァルア国王と対立する魔王よ。きっと巨大な羽虫の乗り物や人に成りすます悪魔の執事が横についてるはずよ! ――村の女 サリー
どこか涼しさを感じられる昼下がり。採掘に行って休憩に戻ってきたドリンが、ダーラーと別れた瞬間が始まりの合図だ。ダーラーが村の入り口を見て、そこにあった光景に大声で叫んだ。
「おいなんだあれー! オークの群れが襲ってきたぞー!」
以前村を襲ったオークの群れ。バグーを中心に五体のオークが横に並んでいて、バグーの手には木こりの斧が握られていた。ダーラーの叫びもあって彼らの存在は村中に一瞬で広がって、瞬く間にこの場は、爬虫類を入れられた水たまりのオタマジャクシのような騒ぎになる。
「また襲ってきた!」「村長に伝えろ!」「早く逃げないと!」
バグーが一声雄たけびを上げると、村人たちは一層てんやわんやになってパニックに陥る。みんなが顔を青ざめ、恐怖心に駆られる地獄絵図の中、ドリンがグッと顔を引き締める。
「み、みんな落ち着くダヨ! 村の外にもっと気配がするダヨ!」
「本当かドリン!」
ダーラーが真っ先に反応する。
「きっと逃げた先にもいるダヨ。これはあいつらの罠ダヨ」
「罠、だと?」
そう言った村長を通り過ぎ、ドリンはオークに向かって堂々と歩いていく。
「みんなはオデが守るダヨ。こんな卑劣な魔物に……いや、魔王の使いには負けられないダヨ」
「なにー!? 魔王の使いだって?」
再びダーラーが叫んだが、その声色はどことなく間の抜けたような感じに聞こえた。それにつられたのか、ドリンも次のセリフを言う前にえーっと、と洩らす。
「ま、魔王の使いよー。オデの前に姿を見せるダヨ!」
村人全員が訝し気に一点を見つめる。ここまでの様子をボクは誰にも見えないような家影に隠れて見守っていて、ここでようやくオークの裏に隠れていたアルヴィアが登場した。
「よく気づいたわね。私が魔王の使いだって」
悪役を演じるアルヴィア。「やっぱりそうだったダヨか」と言うドリンの裏で、村人たちも、特に魔王の使い説を信じてる主婦たちがざわざわしだした。「やっぱりそうだったのよ」「私たちが正しかったのよ」と。
「どういうことなんだ、ドリン?」
ここでダーラーが誰よりも大きな声を出す。ドリンは緊張を隠すような咳払いをして演技を続ける。
「あれは魔王の使いダヨ。オデたち魔物は、あいつに命令されて人間を襲ってたダヨ」
「なんだってー! それじゃあいつを倒さない限り、魔物は俺たちを襲ってくるってことかー!」
ダーラーの声に村人がまたざわめく。みんながみんな口々に何かを言っているが、それが雑音になって、みんながみんなまとまった考えを持てていない様子だ。この混乱を誘ってアルヴィアはごり押していく。
「バレてしまった以上仕方ないわ。あなたをここで倒す。そうしてから村人も『全員』殺してあげる!」
「オデは怯まないダヨ。オデはフロストゴーレム。その剣じゃオデは倒せないダヨ」
「ふふん。そうかしら?」
半円を描くように銀の剣が持ち上げられる。その合図にボクは腰の裏で指を鳴らし、イルシーで白炎を纏わせた。村人たちは急に発火した現象に悲鳴を上げる。
「あなたはこの熱に耐えられるのかしら?」
「うっ! ――で、でも、村を守るためなら!」
威勢よく叫び、ドリンが地面を強く叩く。
「フロストウェイブ!」
ドリンの前で氷が地面から這い出てきて、そのまま走っていくかのように連続していく。けれどそのスピードは、前にバグーに仕掛けたものより明らかに遅かった。豪快な見た目の必殺技を、アルヴィアは余裕があるのに大げさなほど距離を取るように避ける。
「やるわね。でも甘いわ!」
アルヴィアは走り出していき、ドリンは右手の平を地面に当てて、「フロストジャベリン!」と腕を上げながら氷の槍を生み出す。銀の刃が振り下ろされたら槍の柄で受け止めて、槍を突き出しては素早く回避して。その繰り返しで二人は何度もぶつかり合った。
そして、再び銀の剣が振り下ろされた時、パキンッと氷の槍が割れた。ボクは手を真っすぐ前にしてドリンの体にイルシーをかける。ここでのボクの出番は、ここだという場面でドリンを追い詰める表現をすること。少し変な間が生まれてから、ドリンは自分の腕を見て慌てて熱がる。
「あつ、アツイダヨー!」
「無様ね。魔王の使いにあなたたち魔物が敵うわけないでしょ?」
「だとしても、オデは――!」
「――ッハ!?」
ドリンの右ストレートが体のど真ん中に突き刺さる。アルヴィアの体はオークたちの前まで吹き飛んでいったが、殴られた一瞬、アルヴィアの体にはルシードで無敵が発動していたのをボクは見逃さなかった。
「っく! やるじゃない」
「いいぞードリン! やっちまえー!」
ダーラーの叫びから、観戦している村人たちのドリンを後押しする声が上がっていく。まだ何人かはこの状況を吞み込めていない様子だったが、大方の雰囲気は想定通りにいっている。
「うるさい虫けらたちね。魔王の使いがここで終わるわけ!」
アルヴィアはオークたちに振り返り「バグー!」と大声で呼ぶ。前に向き直って、剣をビシッとドリンに向けて指示する。
「彼を倒しなさい。徹底的に叩きのめすのよ!」
一番デカいバグーが、体の軸が安定しないようなフラフラとした足取りで前に出て行く。斧を持って着々と近づいてくるのに身構えるドリン。バグーは豚のような唸り声を上げて、ドリンは頭をかきながら小さくえーと、と言ってからセリフを絞り出す。
「バグー殿! 目を覚ますダヨ! 魔王の使いの言いなりのままでいいダヨか?」
「ナニ?」
「バグー殿は洗脳されてるダヨ。魔王の使いの力で、言いなりになってるダヨ。だから目を覚ますダヨ!」
「うぐ。あたまが……」
「ここの村人はアンタに何もしてないダヨ。それなのに襲うなんて間違ってるダヨ。悪いのは全部あの魔王の使い。だから、オデと一緒に戦うダヨ!」
「いっしょに……」
バグーのセリフが棒読み過ぎる。子どもの演劇会みたいなクオリティだ。これでも一応村人の間から、どういうことだと核心を疑う声が上がっている。
元々バグーはこの作戦にあまり乗り気じゃなかった。彼らとしては、人間と一緒に生きるつもりなんてないという意見のままだった。
そんな彼をこの作戦に引き入れられたのは、アルヴィアのある発言のせいだ。実際にバグーと会って、面と向かってアルヴィアはこう言ったのだ。
――作戦に乗ってくれたら、今まで人間にため込んできた鬱憤、私に全部ぶつけさせてあげる。
スッとバグーは後ろを振り返る。そして、お面のように動かなかった顔に、いきなり殺意をむき出しにして斧を勢いよく振り下ろす。
「ブガアァー!」
次の瞬間、すぐ目の前で雷でも落ちたかと思った。あまりに大きすぎた衝撃音。村の子どもや女性が瞬間的に悲鳴を上げ、ボクも思わず血の気が引いた。
バグーの振った斧を、アルヴィアは必死の形相をしたまま、両腕を交差してルシードで防いでいる。武器のこすれる部分から火花が絶え間なく散っていて、地面に剣が落ちているのを見るにアルヴィアにも余裕がないのが分かる。さっきまでの緩い戦闘劇とは打って変わり、バグーは演技を超えた本物の思いを無敵のルシードにぶつけていたのだった。
――あれは大丈夫なのか?
無敵と分かっていても、思わず心配してしまうほどの迫力。バグーが太い雄たけびを上げて更に力を込めようとした時、バチッと金属が外れるような音がして、アルヴィアが後ろのめりによろけてやっと息の詰まる空気から解放された。
そのまま尻もちをつくアルヴィア。外傷はないが呆気にとられたように呆然としていて、深いため息をついたバグーは腕がプルプル震えていた。圧迫感に押されていた様子のドリンがハッとする。
「ッハ。や、やるダヨバグー殿! この調子でいけば、魔王の使いを倒せるダヨ!」
「たおす。きにくわないヤツは、みんな」
「そ、そうダヨその意気ダヨ。ちょっとだけ怖いダヨがこのままいくダヨ!」
ちゃっかり本音を吐き出したドリンと共に、バグーとその他のオークがアルヴィアに詰め寄ろうとする。
「チッ! こんなところでやられてたまるもんですか!」
落としていた剣を拾いながらパッと立ち上がり、剣を横に振る動作をするアルヴィア。ボクは再度イルシーを使い、剣先から白い炎が出るように演出する。そうして見掛け倒しの壁がアルヴィアとドリンたちを分けると、そのままアルヴィアは村から離れるように走って逃げだした。ここでやっとボクは家影から出て行ける。
「待つダヨ! 魔王の使い!」
「落ち着けドリン」
遠くで観ていた村人たちの後ろから登場する。ドリンやバグーたち、そして村人たちが一斉に振り返ってきて、ボクはゾレイアの猫を一匹召喚して走らせた。陽炎もどきに揺れるアルヴィアの背中を追って、黒猫はイルシーの中を何事もなく走り抜ける。
「炎の中に飛び込むつもりか? ここはボクの眷属に任せておけ」
「……そうダヨか。分かったダヨ」
そう言ってから、ドリンは終わった開放感からか大きな息をついた。白い息がはあっと出てくる。あっさりとした幕切れだ。最後にアルヴィアを村から遠ざけることで、この演劇は一応終わりなのだ。後は適当にボクが村人たちを言いくるめるだけだ。