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二人の追放者が出会う時 ~魔王の娘の帰宅奇譚~  作者: 耳の缶詰め
 最終章 ラム・アファース
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131 ラム・アファース

「僕はどうしていたんだ? さっきまでの記憶が抜け落ちてる。何も思い出せない」


 正真正銘、元に戻ったイブレイドがそこにいた。誰よりも安堵の息をついたのはラーフだ。


「無理をしたんだ。もうとんでもない無茶だ」


「無理を、僕が? ……待ってくれ。この感じは、魔物だ」


 ボクらのものか、それともお父さんの気配か。敏感な王子は無理やりにでも立ち上がろうとして、それをラーフが止めようとした。


「もういいイブレイド。今は頭を冷やすべきだ」


「いいや。魔物は敵だ。僕らから何もかも奪う天敵。根絶しなければ……」


「お前はまた過ちを繰り返すつもりか! どうして俺の言葉が届かない!」


「頼むラーフ。僕はいずれ、母上の敵を取らなければならないんだ」


 心からの訴えも聞かず、やはりイブレイドは一人で立ち上がった。もう彼に悪魔の力は残っていない。その上目の前にしているのはすべての魔物を統括する魔王。立ち向かう理由は、どれだけ探しても出てこないはずだ。それなのに、この石頭は剣を抜き取ろうとした。


 そんな時だった。


 ――イブレイド。


 女性の声がした。ここにいる誰でもない、柔らかい声色なのに筋が通ったような名前の呼び方。まるで、母親が子どもを呼びつけるような声。


「この声……そんなまさか!?」


 声がした方に全員が目を向けた。そこに一人、女の人間がイブレイドに歩み寄っていった。目を丸めたイブレイドの口から、信じられない正体が明かされる。


「母上……」


「んな!? それは本当かイブレイド! お前のお母様はあの悪夢の時に!」


 ラーフの声を押しのけて、イブレイドは倒れそうになりながら歩いていって、母と呼んだその人に抱き着こうとした。母はとても若い顔つきだったが、二人が近づくと、その顔の輪郭や目つき、髪色が同じなことに気づいていく。


 けれど、母親の身に着けている衣服には覚えがあった。灰色で煤だらけの、それも男用でサイズが合っていない服。とある七魔人が身に着けてるものとまるで一緒のもので、手足に至っては変色が難しいのか青白くなっている。お母さんの姿をした彼は手を広げてイブレイドが来るのを止めた。その指に、死霊の指輪もしっかりついていた。


「あなたが見てるのはラム・アファースかもしれないけど、この体は本物のお母さんじゃない。ある友人が、気を利かせて作ってくれた借り物なの」


「どういうことですか? 母上」


「この体はとっても冷たいもの。私はあなたに抱きしめられない。触れてあげようとしても、水のようにすり抜けてしまう。今の私に出来ることは、あなたの話を聞いて、そして、あなたに言葉をかけてあげることだけ」


「……そうですか」


 誰かの言葉を飲み込む瞬間を、ボクは初めて目にした気がする。イブレイドは悔やむように胸を抑えてから、口を開くと同時にその曇り顔を明るくして喋り出す。


「母上。僕は母上に謝らなければなりません。母上のために鍛錬を重ねてきました。どんな魔物も倒せるように、努力を惜しまなかったつもりです。ですが……僕の力は、ヤツらに届きませんでした……。母上のためならどんな犠牲もいとわないと決心し、実際、多くのものを失ったというのに、この結果です……。すみません母上。ごめんなさい。……本当に、ごめんなさい」


「顔を上げて。イブレイド。あなたがお母さんのために努力してくれたことは素直に嬉しいわ。親のために頑張るだなんて、イブレイドはイイ子ね」


「そんなことは……」


 ボクらは誰も口を挟まず、この場の全員が家族のやり取りを見守り続ける。


「イブレイド。もうお母さんの敵を取る必要はないのよ」


「え?」


「お母さんには届いたから。あなたが必死になって、危険な魔物を人間たちから離して、正義を叫んで希望を与えようとしていたこと。その頑張りを、お母さんはずっと見ていたから」


「本当なのですか?」


「うん。だからもうお母さんの敵に縛られなくてもいいのよ。これからは、お母さんの本心からのお願いを聞いてくれる?」


「も、もちろんです! 母上のためならどんな願いでも叶えてみせます!」


「この世界をどうか。お母さんのためじゃない、みんなのためのものにしてあげて」


「みんなのため……。それは、今のままでは駄目だというのですか? まさか、母上も魔物たちのことを受け入れろとおっしゃるつもりですか? 自らの命を奪った存在を受け入れろと?」


 愛と憎しみが入り混じったような葛藤が、話す声から伝わってくる。ラムは優しい表情のままこう言った。


「お母さんはね。お友達を助けたかったの」


「友達?」


「そう。私は、ただあの子を助けてあげたかった。連れ去られそうになったあの子に手を伸ばして、異形の存在から引き戻そうとした」


 話の途中でボクはハッとした。お父さんも何かに気づいたように条件反射の動きが顔に出ていた。


 彼女の言う友達って、もしかして――。


「でも、結局この手は届かなかった。当然なんだけどね。お母さんには力がないもの。魔法は目覚めなくて、貴族なのに運動音痴で武器も碌に扱えなかった。優しさだけじゃ、いざという時に何も出来ない」


「……母上は優しすぎるのです。父上から聞きました。物乞いに食べ物だけでなく衣服を与えたり、努力を知らない弱者にも親身になって話をされるような方だったと。彼らに存在価値がないとまでは言いません。ですが、彼らを助けるべき人間はあなたではなかったはず。裏切り者も存在するこの世界で、どうしてそこまで慈悲の行動に徹していられるのですか?」


 その質問に、ラムは一度ボクらのことを一瞥してきた。


「私たちのように飢餓とは無縁な人間がいれば、毎晩お腹を空かせて、なけなしのスープで日々を送っている人間がいる。生きるために他の誰かを傷つけ、時に命を奪ってしまう人もいる。


 でも、彼らが本当に飢えているのは食べ物じゃなくて、愛情なのよ。


 怒りっぽい人は誰かが微笑んでくれる幸せを忘れてしまっている。生きることに疲れて塞ぎこんでしまった人は、誰かと触れ合うことを恐れてしまっている。誰かを騙すことを生業としている人だって、心のどこかでは誰かに自分のことを信じてもらいたいって思っている。


 私たちには愛が不可欠なのよ。失ってしまった瞬間、生きる意味を見失ってしまうから。最も大切にしなければならないことを思い出せなくなってしまうから」


 今まで色んな人間を見てきた。強い人間、弱い人間、勝気な人間、臆病な人間。彼女はそのどれにも当てはまらない、全く別の種類の人間。核心をついたその話は、魔物ボクらのことも当てはめられる気がする。


 慈愛の心根。ここまで寛大で聡明に考えられる人間がいたんだ。そんな人間だからこそ、悪夢の日に命を落とすことになった。


 こういう人たちを守るのが、ボクなんじゃないか。


「僕には母上ほどの優しさは持てません。それでもすべてを許すべきなのでしょうか? この世界は、どうすれば母上なくして母上の求めるものになるのでしょうか?」


「その答えを知っているのはお母さんじゃないわ。もうお母さんは、この世界に要られない存在だもの」


「そんなこと……言わないでくださいよ……」


 震える言葉。その王子の目にも、とうとう涙が浮かんだ。


「たとえ……たとえこの世界に要られなくとも、僕の中に母上は残り続けています。あなたに産んでもらったこの体には、唯一、母上と同じものがある。僕にあなた様との思い出がなくとも、この中に温もりだけは残っているのです。だから……」


 嗚咽と共に言葉が詰まった。ラムは静かに頷いてあげていた。


「……ごめんなさいイブレイド。お母さん、あなたに負担をかけてばかりだったわよね」


「いえ。そのようなことは……」


「無理させちゃってごめんね。抱きしめてあげられなくてごめんね。傍にいてあげられなくて、ごめんね」


「母上……」


 指輪が点滅し始め、それをラムが確認する。その点滅は、時間が迫っているのを表しているかのように早まっていく。


「……イブレイド。あなたと別れる前に、これだけ」


「なっ!? せっかく会えたのにもう!」


「さっきも言ったでしょ? この見た目はある友人の借り物。お母さんの魂は、そう長くは保てないのよ」


「嫌です……。嫌ですよ母上!」


「イブレイド――」


「母上――!」


 そっと告げられる、母の遺言。


「――私の子どもになってくれて、ありがとう」


「――っ!?」


 最後は笑顔を見せて、ラム・アファースはうなだれるようにその場に膝をついて倒れた。その後に、歩き出そうとしていたイブレイドも上手く足が動かず、躓くようにしてその場に膝をついて地面に手をついた。


 ラムだったその体が青色になり、スライムとなった状態から姿を変形させ、変色しウーブがそこに戻ってくる。気だるそうに頭を上げると、彼の目の前で涙を流し続ける王子が、掠れた声でこう言った。


「母上……僕こそ、あなたに産んでもらえてよかった……」

次回最終回。

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