115 頂点の戦い ゼレス対ログレス
――お前を吸血鬼の主に任命したい。これは最強であり最高の称号。そして、世界を変えるための第一歩となる権威だ。受け取ってくれるか?
――ゼレスさん。魔王国が人間に襲撃されてしまっていて、直ちに吸血鬼を数十人送ってはくれませんか? 礼なら必ずします。我ら魔物の世を変えるためにも、お願いします!
――頼むゼレス。これ以上の犠牲を生んでしまう前に、王国を監視していてくれ。魔王ディヴォールから直々のお願いだ。
……歴代の魔王たちよ。そなたたちの夢が散って果たして幾つになるだろうか。私は今、今生最も運命を左右する場面に立ち会っているかもしれない。
王都の悪夢。その再来を予見させる今日。目の前には王国のキング。これから起こるは命をかけた一戦。そして、私の後ろにいるのは、史上最も夢に盲目な小さな魔王。
――ボク、どうしても変えたい。魔物も人間も分かりあえる世界を作ってみせたい。ううん。これはやりたいことじゃない。無謀なことでも挑戦しなくちゃいけないって思ってる。ボクには力があるから、ちゃんとみんなを守りたい。
行かせてはならない。この男を。王国のすべてを動かすことの出来る彼を、決してこの外へ出してはならない。すべての魔物のため。そして、クイーンの望む未来のために。
――ラム! ラム! しっかりしてくれラムッ!!
……ラム。お前は今も、私を見守ってくれているか?
イブレイドは大きく立派に成長していった。国の兵や戦士たちも、お前の仇である魔物を掃討してくれている。お前と作りたかった王国を、私がしっかり守っている。
あの時の約束も、ずっとこの胸に。
――ログ……せか……平和を。……みんなに…………を。まものに…………を。
分かってる。世界に平和を。みんなに希望を。
魔物に、復讐を。
ログレスが蒼炎の瞳を開き、鮮血の虹彩と視線がぶつかった。薄暗く奥に隠された、誰も気づかない訓練所。二人の戦いの始まりは、早歩きの接近だった。
無警戒のようでずかずかと、しかしその眼はしっかり敵の凶器を捉えながら進んでいき、間合いに入り込んだ瞬間にゼレスは鎌のように鋭利な爪を、ログレスは愛用の業物を振る。かなぐり捨てるような乱暴な攻撃たちは、鼓膜を突っぱねるような砲音を響かせた。
「なんとおぞましい顔か。それが吸血鬼の素顔というものか」
ログレスの眼前に映るゼレスは、高かった鼻は平たく潰れ、髪の毛先は逆立ち顔も皺だらけで目つきの悪い老爺のように成り果てている。
ゼレスは何も語らず力だけを加えて剣をはじき返す。吸血鬼の腕力は人の骨をも真っ二つに割れてしまうほど。しかし、ログレスの態勢はそう簡単には崩れない。その場を後ずさりし、なおも襲ってくる爪を冷静に対処していく。
後ずさりの先で洞窟内の足場を模した台座が、ログレスのかかとにぶつかった。王は顔色を変えることなく片手だけを使ったバク転でそこを乗り越え、着地してすぐに魔法テンパスを一発放った。
魔法の正体は目で捉えられない音速の衝撃波。それをゼレスは瞬時に全身を霧化させて横にずれた。その動きは流れ星が落ちるよりも速く、ログレスからは残像を残すように右に移動したように映っていた。
「音速の衝撃波をかわすか」
「魔法が音速だろうと、手の動きを見ればいいだけの話」
「……なるほど。やはり只者ではない」
そう言いつつも、ログレスは容赦もなくテンパスを連発する。シュン、シュン、と、音も気づかないくらいの勢い。ゼレスは同じように瞬間移動を駆使してかわしていき、徐々に前へと進んでいく。
ただ壁にぶつかった音と深い亀裂だけが残っていく。五発目が放たれた瞬間、ゼレスが台座を飛び越えた。飛びかかってくる牙を、ログレスは猫のような反射神経で横に飛び退いた。避けるのと一緒にテンパスをもう一発撃つも、ゼレスは顔を傾けるだけでその衝撃波は木偶人形に被せたマントに直撃した。
距離を離したいログレスと、テンパスで一方的な状況を避けたいゼレス。後者が霧化で接近しようとし、それが何事もなく成功すると、今度は柱のような幹が三本立ち並んだそれを壁にするように彼らは対面した。
幹の隙間は腕一本がかろうじて入るほど。すぐ横にずれれば壁など関係なくなるが、互いに余計な動きは出来ないと警戒心を剥きだしにしている。お互い手出しが出来ないままにらみ合い、先に痺れを切らしたゼレスが幹の間から爪を振ってみせるが、剣で防がれ身を傾けられるだけで軽く対処されてしまう。
とうとうゼレスは強行突破を実行しようと、霧となって壁をすり抜け、ログレスの背後に回って両方の爪を振り切った。霧の動きはログレスも理解している。結局ゼレスが切ったものは三本の幹のみで、ログレスはまたもや彼から距離を取ろうとしていた。
「鬼ごっこを続けるつもりか?」
吸血鬼からの問いかけに、ログレスはそのまま逃げ腰の姿勢を見せつける。頑なに迫ってくるゼレスを追い払い、部屋中を狼のごとき俊敏さで駆け巡る。
それを炎のような激しさで追うゼレス。その狂暴な爪が剣ではじかれ、何度も空を切っていく。霧と化して目前まで迫ることが出来ても、寸前ですべての攻撃がかわされてしまう。何度迫っていっても、切り倒したのは案山子と輪くぐりだけ。直接襲うのをやめ、ログレスを霧で囲ってみたものの、地面に放たれたテンパスの波状に吹き飛ばされてしまった。
「国王がそんな逃げ腰とは幻滅ものだ。臆病者に私は倒せないぞ」
全身を霧から戻すと、ログレスはテンパスを放ってから呟いた。
「いつまで鬼をきどるつもりか」
挑発のつもりか。先の衝撃波もかわしたゼレスは、その足をそそくさと進ませて切りかかろうとした。しかし、そんな彼の四肢を止める者たちが裏で目覚めていた。
「っ!? なんだ!?」
両手両足を何者かに掴まれたゼレスは、切羽詰まった目をそこに向ける。彼を止めていたのは、この部屋の片隅に置かれていた魔物を模った木偶人形たちだったのだ。
「こいつら! さっきまではただの人形だったはず。それがなぜ?」
ゼレスが元々人形が置かれていたところを見た瞬間、彼らが動き出した原因は発覚した。
ログレスの被せていたマントから、ピンクの液体が破裂するように零れていた。
「あれは……霊薬か? そうか。あのテンパスは私が狙いではなかった!」
「お見事。物分かりが早くて素晴らしい」
「さっきまでの逃亡も、彼らが目覚めるまでの時間稼ぎだったわけか」
「霧になるのは厄介だが、そこにも弱点はしっかりある。君は、何者かに強く握られていれば霧になれない」
魔物を憎む彼は吸血鬼のこともしっかり熟知していた。喋った言葉は正しく、ゼレスも木偶人形から逃れようと必死にもがくが、掴んでいるのは上級に該当する魔物。それも、グールとウルフによって両足を、ハーピーは翼で腕をめいっぱい持ち上げ、オークも極太の腕で強く引っ張っているため、持ち前の剛力も力の入れどころを失ってしまっているせいで機能できずにいる。
「常人なら既に体が半分に破けているだろう。さすがは吸血鬼。だが、それもここまでだ」
ログレスが手を掲げていく。それまでテンパスを連発していた、その手を。
「手の動きが見えればかわせると言っていたな」
歯を食いしばるゼレス。しかし、体はやはり動かせない。
「ならば、こんなのはかわせて当然。そうだろう? 吸血鬼の主殿」
胸元までゆっくり上がった手が、一瞬にして開かれた。そして、――シュン、と寂れた音が、心臓めがけて真っすぐ走っていった。
「……あれ?」
「どうしたの?」
振り返ってくるロディ君。テレレンはもう何もなくなった宙を指さした。
「コウモリさんが、消えちゃった――」




