108 宿命の敵たち
頭上で先行くコウモリを、ボクは無言のまま歩いてついていく。その先にいるアルヴィアからも、何か言われてくることはなくて、永遠に続きそうな沈黙。それにしびれを切らしたかのようにテレレンが話しかけてきた。
『ねえクイーン様。クイーン様は今何をしているの?』
「お父さんを探している。どうやら街中にいるらしい」
『お父さんって、魔王様がここに!? 本当なの!?』
「ボクだってにわかに信じきれていない。実際に見て確かめないと分からない」
『テレレンたちに出来ることはない?』
「そうだな……。今のうちにしておいてほしいことと言ったら……」
何か頼めることがないかと考え始めたものの、気がつけばボクは城の裏手側。遠くに案山子とかテントが張ってある兵士の訓練場みたいなのが見える場所まで来ていて、前方の北西方面に、壁が崩れてたり石に苔が生えていたりしていて、かなり古びた様子の監視塔が建てられていた。何気なくその頂上を見上げてみた時、あるものが目に入った。
「あれは……まさか!?」
チラリと一瞬映ったのは銀髪の後頭部。お父さんと同じ髪色と艶だった。
『クイーン様? クイーンさまー?』
「悪いテレレン。後で話す!」
思い立った時には足が勝手に動いていて、既にボクは塔の中へ入り込んでいた。
ごてごてに浮き沈みしている石階段を上っていき、上の階についてすぐに反対の階段へ。時に壁のない横を一段飛ばしで駆け抜けていって、何も残っていないもぬけの殻のタワーをどんどん上へ上り詰めていく。
急げボク。誰かの血が流れる前に真相を確かめるんだ。
* * *
「逃げてら逃げてら、人間ども」
集合住宅の屋上にいながら、何百何千もの足音が鳴り響いているのが骨に伝わる。もうこの付近から人間の気配がしない。
「ウーブレックのヤツはどこ行ったんだか。こんなお祭り景色を俺も眺めたかったな。まあいっか」
目を隠す彼女の手を外すわけにはいかない。いつでも俺らは一心同体なんだ。
屋上から飛び降り、下の石道に両足で着地する。返ってきた衝撃が思ったより強くて、耐え切れなかった右腕がポロッと落ちた感じがした。
「おっと」
関節が外れようとも動じることなくそれを拾い、元ある位置にガッと力強く押し込んだ。細かい繋ぎ目を上に下に、右に左にとずらして無理やりはめつけ、最後に腕を風車のように高速で回して神経が伝わった瞬間にバチッととどめた。
「雑魚たちもやり合う頃だろうし、俺もやってくるか。戦争ってのは、上にいるヤツを先にぶったたかねえとな。――誰だ、そこでバレてないと勘違いしてるヤツ」
「どうしたんだろう、クイーン様。なんだかとっても忙しそうみたい」
「きっと何かやってるんでしょ。あの子は一人で何でも出来るわよ」
「なんでもなことないよ。今までだってアルヴィア姉ちゃんが協力してくれたから……って、どこ行くのアルヴィア姉ちゃん?」
「周りの様子を見に。これでも貴族だから、市民は守らないと」
嘘だ。私は嘘をついて彼女の前から逃げようとしている。自分でもまた意固地になってしまったと、そう思った瞬間。
「――うがっ!!?」
人間の悲鳴、というより断末魔。プツンと切れた絶叫が私たちの耳に届いた。
「今のなに!?」
「嫌な予感がするわね」
おもむろに走り出して、断末魔の居場所を突き止めようとした。聞こえた方向に向かってとにかく角を曲がっていくと、途中でテレレンの手に乗っていたコウモリが先の道を示すように飛んでいった。コウモリが裏道の角を曲がって、そのすぐ後ろについて行くと、やはり私たちは魔物を見つけたのだった。
「はな……して……」
「この口か? この口なんだな? さっき大声が飛び出た原因は」
一体のスケルトンにやられている一人の兵士。スケルトンは片手で兵士の口を鷲掴みに持ち上げていて、力が入る度に兵士の顔が歪んでいって、既に足元には砕けた歯や生々しい血が零れ落ちている。
「キャーー!?」
テレレンがあまりの恐怖に甲高い声で叫んだ。スケルトンがむくりとこちらに振り向いてくる。
一目見た瞬間、私は二つのことを察した。一つはヤツは目元を見て、人間の生の手で覆い隠しているのが奇怪な性格であるということ。
そしてもう一つは、兵士に刻まれた傷痕。
「あーあ。来ちゃったよ、面倒ごとが」
手が離され、人形のように地面に倒れる兵士。彼は堅そうな鉄の鎧で身を守っている。けど、その鎧の上から肩の部分に、明らかな傷跡がついていた。あの傷跡が。初めて見た時の衝撃を忘れられないあの傷跡が。
雪についた足跡のようにくっきり映った傷跡は、間違いなくこのスケルトンの握力でつけられたもの。
レイリアについているのと同じものだ――。
* * *
「うう……クイーン様、まだ来ないダヨ……。なんだか騒がしくなってきたダヨから不安ダヨ……」
街の中からは時折怒号が響いてきて、外からも魔物たちのざわめきが微かに聞こえている。次第に押し寄せてくる恐怖感に押されて、土の中にい続けるのが怖くなって顔を上げてみた。クイーン様の姿はまだ見えない。けど代わりに、同じゴーレムの一人がぶらぶら歩いていて、なんだか悪態をついて不機嫌そうダヨ。
「ウガー! イライラが収まらないダド。襲ってきたのは人間どもなのに、どうしてオデが我慢しなきゃいけないダド。あの吸血鬼の爺さん、絶対ボコしてやるダド。……ド?」
――目が合ってしまってダヨ!
「なんだオマエ? オラと目が合ったらすぐにそらして。不愉快ダド」
「ヒィ!? 許してほしいダヨォ。オデを食ってもおいしくないダヨォ……」
「なんなんだ、このゴーレム。臆病すぎてダサいダド」
ガッハッハと笑われる。オデは自分と同じくらい大きいサイズ感に圧倒されてしまって、全く頭を上げられそうにない。
「丁度いいダド。むしゃくしゃしてるのをオマエで晴らすダド」
ジジジと充電される音が聞こえた。見ると、そのゴーレムの右手に白い電流が火花を散らすようにみなぎっていて、最後にバチンと爆発したかと思うとオデの頭の氷に刺激が刺さった。
「グッ!?」
一瞬目の前が真っ白になって、くらくらと世界が歪んで見えた。何をされたのか理解するのに、岩を一つ丸呑みするくらいの時間がかかった。
「ガッハッハ! 思いきり何かを攻撃するのは気持ちいいダド!」
痛いという感触はしばらくしてからやってきて、その間にオデは、記憶の奥底からこれと同じ痛みを受けていたことを思い出した。
電気。真っ黒のゴーレム。短期な性格。
「まさか……、お前はあの時のダヨか?」
「ああん?」
「オデが他のゴーレムたちと暮らしていた時、住処だった雪山をいきなり襲ったゴーレム。あいつも電気を操るヤツだったダヨ」
「雪山? ああ、確かに雪山の岩も食べに行ったダド。でも冷たすぎてオラの腹には合わなかったダド」
「やっぱり、お前だったダヨか……」
荒らされた住処。痺れすぎて感覚を感じられなかった刺激。体が全く動けなくなって、やられるがままにやられて死ぬかもしれないと恐れたあの瞬間。このゴーレムは入り口から堂々と入ってきて、十人いたオデたちのことをみんなまとめてやっつけ追い出していった。
あの時に見せた笑みはそう。今まさにここで見えているものと同じ――。
「ん? なんだオマエ?
――まだ怖がってるダドか?」
* * *
「はぁ……はぁ……お父さん!」
五十メートルもありそうな塔の頂上。王都の城壁の先の平原や、城の壁奥で人間たちが列をなしているのが見えるこの高所で、久方ぶりの大好きな背中を見つける。
「やっと来たか」
横顔を向けるようにして、血のように赤い瞳でボクを見てくる。高身長で長い髪の毛。そして威厳ある態度とピリピリと感じられる膨大な魔力。この場に他に誰かいる気配はなく、すらりとしていてカッコイイスタイルの魔王様は、ボクに体を向けながら、感動の再会を演出することなく淡々と話してくる。
「いよいよこの時がきた。人間たちの時代が終わる時だ」
「そんな横暴なことダメだよお父さん。人間だけじゃなくて魔物たちも傷ついちゃう」
「人とは忌むべき存在。抹消すべき天敵なのだ」
「そんな……」
話をしても伝わらない。もうラーニのための復讐のために盲目になってしまっている。お父さんがそれほどまでに抱いた憎しみ。でも、それでも止めなきゃ。
「人間が我々の利益になったことがあっただろうか? 人間が我々を救ってくれたことなどあるだろうか? ヤツらは悪魔だ。正義を口にする皮を被った悪魔なのだ。お前も分かるだろう? この王国を渡り歩いて、それに気づかないはずがない」
「まさか!? ボクをテレポートさせたまんまだったのって、それを知ってもらうためだったの?」
「……ああそうだ。やっと気づいてくれたか、娘よ」
意味深な間を置いてからお父さんはそう言った。初めて明かされたボクを追い出したままの理由。それがそんな、悲しく辛辣なものだったなんて。
「だが、世界は新しく生まれ変わる。人間を排除することで、魔物の、私たちの時代が動き出すのだ」
……もしかしたら。
「我が娘よ。世界を変えてやろう。人間たちを根絶し、この世界を我らのものにするのだ」
いや、やっぱりだ。
「反対だよ」
「な、なぜだ? 人間の醜さはお前も身をもって知っているはずだろう?」
やっぱり目の前のお父さんは。
「ボクはそんな世界に興味がない。世界の在り方ならボクがこの先の未来で変える予定だ」
「何を言っている。私が変えようとお前が変えようと変わらないではないか?」
いや、こいつは。
「全く違う。ボクがやるのと、お前がやるのとじゃ、全く」
「お前だと? 父に向かってなんだその言葉遣いは!」
こいつは絶対に、違う!
「……お前、お父さんじゃないな?」




