106 進軍
このままでは開戦の狼煙を上げられてしまう。急いでボクはゾレイアを発動し、影から可愛らしい黒猫眷属たちが五匹現れる。
「お父さんを探せ。城にいた頃の匂いがこびりついてるはずだ」
いつも通り指示を出し、眷属たちが自慢の鼻をキョロキョロと振ってあらかたの検討をつけようとする。しかし、しばらく待っても一匹たりとも足が動き出す気配がなく、とうとう全員、その場に座り込んで困ってしまうようにボクに振り返ってきた。
「どうした? 見つからないのか?」
「トロールの腐肉のせいだ」
ゼレスおじさんの言葉にボクもハッとする。強烈な臭いのせいで嗅覚がしっかり機能出来ないんだ。
「私の眷属を飛ばそう。コウモリは目や鼻ではなく、耳から伝わる音波で周りの状況を感じ取る。ディヴォールの足音が鳴ればすぐに聞きつけるはずだ」
広げた両手の影から、マジシャンのように二匹のコウモリが実体を持って出てくる。頭上に飛んだコウモリはバサバサと羽音を鳴らし続けたが、ふいに二匹の動くがシンクロすると、二匹とも兵士の群れの方向へと飛んでいった。
「うえ? あっちは王都の方だけど……」
「……そんな馬鹿な。だが私の眷属が千年の間ミスを犯したことは一度もない」
そんなまさかなことがあるのか。王都の街中にお父さんがいると? そんな疑惑をきっぱりさせる一言が、兵士長に近づいた身なりの違う兵から聞こえてきた。
「ご報告します! 城裏の撤廃予定である監視塔にて魔王の姿を確認した模様!」
「なに!?」
兵士長の声は、ボクらの心の声をその通りに表していた。本当に、お父さんは王国のど真ん中に現れただなんて、何の考えがあるのか、あまりに大胆すぎる行動だ。
「今すぐ引き返すべきか?」
「いいえ。国王様からの指示は逆です。魔王の討伐にはイブレイド様が向かわれました。城壁を越えた兵たちは外から進軍してくるであろう魔物たちを街に入れさせるなとの命令です」
はきはきとした報告は、一言一句ボクらの耳に入ってきた。状況は理解した。目的地も今はっきりした。
ボクが進むべき道は、数百人いる彼らの奥にある。
「……ゼレスおじさん」
「ああ。すぐに真相を確かめなければいけない」
ボクは一歩を、何を感じることなく踏み出す。一面真緑の平原に、まるで帰り道を進むかのようにスタスタ進んでいく。それに気づいた兵士長が声を荒げてきた。
「止まれ、そこの少女と貴人!」
そいつの言葉に耳を貸すことなく、ただ真っすぐ前だけを見て歩いていく。
「これは国の命令だ! それ以上先に進んだら、我々の務めを邪魔したと判断して国家反逆の罪の元処罰する! 邪魔者は誰であろうとその場で殺すことが許可されているのだ!」
関係ない。彼らの存在は、今のボクに全く関係ない。
「聞こえてるだろ! これが最後の忠告だぞ! 今すぐその場に止まるんだ!」
完全無視を貫き通し、平原奥に城壁の一角が見えてきた。その手前で、兵士長がめんどくさそうにため息を吐き出して片手を上げた。それは兵士たちへの合図であって、弓兵たちがバラバラの動作で次々と弓に矢を装填して、最後に曲射を描くようにボクらに向かって構えていった。
「ゼレスおじさん」
既に足元から新たに眷属を一匹呼び出しながら、ゼレスおじさんの体が霧に包まれようとしている。
「申し訳ないが、君を抱えながらではここは突破出来ない」
「ボクは一人でも大丈夫。だから先に行ってて」
「眷属を一匹つけておく。何かあったら話しかけなさい」
その一匹がボクの肩に乗っかってきたその時。
「この時をもって彼らは人間から邪魔者と判断する! 情けを捨てろ! 全軍、放てぇ!」
パシュン! という音が、指示を出し切ったと同時に何重にも重なって鳴り響いていった。空に向かって飛んだ鉄の尖鋭が、雨のようにボクの元へ降ってくる。
気がつくとゼレスおじさんは霧になってそこから消えていて、一人になったボクは、天井の物を取るかのように悠然と、今まさに凶器が降ってくるとは思えないほどゆっくりと片手を上げていった。
ただ一つ、強い信念を心にとめながら。
「ボクを邪魔するな」
――レクト、発動!
展開した反射鏡が、降りかかる攻撃を次々とはね返していく。レクトの前では人間たちの矢など、大岩にカラカラと音を立てて落ちる小石も同然。こんなのが幾つ放たれようとも、ボクの歩みは止まることはない。
「んな!? ただの少女じゃないのかあいつ!」
「――君には少し眠っていてもらおう」
「っは!? なんだお前! 一体どこから――!?」
兵士長の顔の周りが真っ黒に包まれていって、そうしてまたすぐに霧は奥へ飛んでいった。霧から解放された兵士長はぐったりと気絶してしまっていた。吸血鬼の主の力に触れられてしまったのが容易に想像出来る。
「兵士長!?」
「兵士長が気絶してしまった!」
「怯むな! 邪魔者を排除するんだ!」
まさか霧の正体が魔物だと知らず、兵士たちはまたボクに弓矢を浴びせようとした。それが何の意味もなさないことに気づかないまま。
すべての攻撃を防ぎながら、いよいよボクは兵士たちの前までたどり着こうとする。そこまで行って、指示待ちだった近接武器持ちの兵士たちがボクを囲おうと陣形を整えていく。
「止まるんだ! 幼気な君を傷つけたくはない。これは忠告だ!」
一人の兵士がそう告げてくる。だがボクを甘く見ているその発言にピクリときて、思い切って指を鳴らして魔力を開放した。
「うわっ!? 炎が急に!?」
イルシーの白炎が、戸惑う兵士を貫通し王都までのカーペットロードを作るかのように真っすぐ発生する。視覚に騙された兵士たちは阿鼻叫喚に慌てふためき、燃えてもない体のあちこちを払いながら、ボクの前から勝手に離れていく。
「これは忠告だ。痛い目にあいたくなければ今日はもう大人しく家に帰るべきだ」
きっと意味はない警告を彼らに促しておいてから、残りの距離を淡々と進んでいく。実体はない見かけだけの炎が、お父さんまでの道のりを演出してくれる。燃え盛る音や揺らめきたちが、ボクを止めようとする者たちの行動を完全に抑え込んでくれる。
ボクは進んでいく。何事もなく、一匹のコウモリと共に、まるで帰り道を進むかのように悠々と。
ただ、ボクが街に着いた頃にはもう、恐れていたことが今にも起ころうとしていた。
「――声を上げろ! 魔物ども一匹たりとも街中に入れるなー!」
「「「オオォー!!」」」
空に上がる狼煙も、合図の角笛の音も、王やそれに値するトップの者の気迫ある発声もなく、今、誰の指示もない戦争の引き金がひかれていく。
「……これは、向こうから向かってきてしまうなんて。これでは時間稼ぎのしようがない」
お父さんが街に現れたことが一番の要因か。いよいよ魔物と人間の、何も生まれない無益な争いが、始まってしまったんだ。




