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二人の追放者が出会う時 ~魔王の娘の帰宅奇譚~  作者: 耳の缶詰め
 最終章 ラム・アファース
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99 決別

 それが振り下ろされた瞬間、トマトを握りつぶしたかのように真っ赤な液体が辺りに飛び散った。銀の刃は地面まで振り抜かれてパキンと耳にダメージを負わせ、空中でダンスを踊るかのようにクルクル回っては、折れた刀身が彼女の背後に落下する。


 幸いにして、メレメレは死んではおらずそのまま姿を消して走り去っていく。切れたのは尻尾の部分だけだった。


 肝が冷えた。恐怖と、怒りと、その二つの感情が同時に沸き上がった。安堵のような気分は微塵も感じられない。


 許せるはずがない。だってあいつは……。あいつは今。たった今、


 本気でメレメレを殺そうとしていたんだ――。


「……アルヴィア」


 声をかけるも、彼女は振り返ったりしない。ボクは地べたの粘液に直接火を起こして蒸発させていく。焦げ臭さが残る往来。粘液が燃え尽きた時にちゃんと立ち上がって、通りを切り開いた小火ぼやを魔力で消しながら彼女の元まで行く。


 目の前まで行って立ち止まっても、アルヴィアは振り返ってくれなかった。折れた剣を握ったまま、その手首を痛めてしまったかのように抑えた状態のまま、彼女は口だけを動かし始める。


「ハミリオンって尻尾が切れてもまた生え変わるって、そう聞いたことがあるわ」


 今も血がだらっと出ているメレメレの尾。なんだかまるで、そっちに注意をひかせてボクの怒りの矛先を鈍らせようとしているように聞こえた。


「治るからといって痛みを感じないわけじゃない。それにアルヴィア。もしもボクの目に狂いがなければ、さっきの攻撃をメレメレがちゃんと避けていなかったら頭を真っ二つにしていたはずだ。違うか?」


 返事はなく、手首の握りだけが強まる。朝日が一瞬だけチラリと差し込んで、すぐに雲の向こうへ顔を隠した。


「作戦実行の前にみんなにちゃんと言ったはずだ。メレメレに直接手出しをしてはいけない。戦う時があるとしたら、それは向こうがボクらに傷を負わせようとした時だって」


「――そんなので世界を変えられるっていうの?」


 その一声で時が止まったのかと思った。空気がまるで硬直してしまったように緊張感が襲ってきて、ゆらりとこちらに振り向いた彼女から薄気味悪い気配が感じ取られた。


「ちょっと甘いと思うわクイーン。あなたは本当に世界を掌握する魔王になりたいんじゃないの?」


「と、当然だ。そんなのなりたいに決まってるし、そのための積み重ねを今もやって――」


「覚悟が足りないって言ってるのよ」


 ボクが言い切るのをアルヴィアは待つ素振りすら見せなかった。


「奪われたのは『魔王の証』なんでしょ? 相手のケガとかそういうのを気にしてる場合じゃないでしょ?」


「何言ってるんだ。部下に傷をつけてしまうような魔王なんかになりたくない。奪われたものはこの街を出て取り返せばいい。少なくともボクが思い描いてる魔王像に、メレメレを攻撃するっていう行動は絶対にあり得ない」


「上に立つ者には使命が与えられる。その使命を果たすために、たった一人の生き死を気にしてられるわけないじゃない」


 なんでだアルヴィア。どうしてそんなこと今この場面で強く言ってくるんだ。


「様子が変だぞ。いつものアルヴィアじゃないみたいだ」


「私が今どんな感じかなんてどうでもいいでしょう!」


 大声で怒鳴られた。大事な友であり仲間からの叱責。この理不尽に押しつぶされそうな心の圧迫感は、城に帰ってきたお父さんに人生で初めて怒鳴られた時とまるで一緒だ。


「あなたが決意してから一ヶ月は経った。私たちは確かにちょっとずつ世界を変えようと、人間たちに魔物の理解を広めていってる。それで救えた命だってある。でも私たちが変えられてるのって十人っぽちしかいない村とか小さな組織、話を聞いてくれる個人だけ。この世界がどれだけ広いか分かってる? この街だけで三十数万もの人間がいるのよ。たった数十人の思想を変えられたところで、結局ここの王が従えるマジョリティに呑み込まれて元通りにされるだけよ」


 言葉の意味を、しばらく考えてしまった。考えなければ、彼女が何を言っているのかボクには理解出来なかったから。


「………アルヴィア。お前まさか、ボクらが今までやってきたことは。……いや、これからやろうとしていることは無意味だって言いたいのか?」


 眼の置き場所に一瞬だけ迷いが生じて、それから真剣にこう言われた。


「そうよ。この世界は変えられっこない。人間と魔物は……私たちとあなたたちは絶対に分かり合えないのよ!」


 迫真の一言を受けて、腹の底に溜まっていたものがとうとう一気に熱を帯びた。


「お前……今までそんなことを思いながらボクと一緒にいたのか! ボクの隣にいながら勝手な決めつけを今まで!」


「そう思って何が悪いのよ! あなたが竜の首飾りすら取り戻せないのを見てそう思うことの何が悪いのよ!」


「このバカ野郎! ボクが語ってきた理想や言葉。あの時の涙を裏で笑ってやがったのか!」


「あなたの実力じゃ世界を変えるなんて到底ムリなのよ! あなたじゃ私たち人間は救われない。大きな世界は変わりっこない。そんなことにも気づけない脳みそなら、いっそ捨てたらどう!」


 最大火力が片手に宿る。風のうなりでブヒュンと鳴る重苦しい炎。ボクの命よりも重い決意を踏みにじり、そして裏切った代償を、この街ごと払わせてやる!


「アルヴィアァッ!!」


 彼女の動揺する表情を見たその時だった。一回瞬きをしたその一瞬だけで、ボクの周りが黒い靄で包まれてしまっていて、その中から知った声が聞こえてきた。


「――頭を冷やせクイーン」


 トンッと、額をその人の指でつつかれた。その瞬間、ボクの頭を鷲掴みにした誰かが激しく揺らしてきたかのように視界が揺れた。キーンと耳鳴りもなる。眼前に浮かんだその人の正体が、まるで何人もそこにいるかのように右に左にブレ続けて、次第に手に集めた魔力が空に消えていき、ついに目の前が真っ暗になってしまった。




「……君でもあそこまで激昂するとは。人は見かけによらないな」


 突如現れたのは吸血鬼の主のゼレスさん。彼は胸元で眠ったクイーンを支えながら、私に振り向いてきた。


「君も少しは頭を冷やした方がいい。まるで捕らわれた家畜が刃物を見て荒ぶるかのように、さっきの君は逼迫ひっぱくしていたよ」


「見ていたんですね」


 棘のある言い方だって自分でも分かった。そうだからか、ゼレスさんは私と無意味に目を合わせるのを辞めた。


「私のことはいくら嫌いになっても構わない。だが今の君には、何よりも時間が必要のようだ」


 足元から靄があふれ出して、たちまち中が見えないくらい濃い霧に変わっていくと、「失礼」とだけ言ってあっという間にクイーンとゼレスさんは私の前から消えて空へと飛びあがっていった。


 しばらくそれを茫然と見つめていた。使い物にならない剣を鞘に戻すのも忘れてずっと。手首の痛みはまだ残っていた。



 * * *



 長い間ずっと、ぼやけた世界が移り変わるのを眺めていた気がする。いや、正確には世界はちゃんと映っていて、単にそれをボクがちゃんと認識出来ていなかったのかもしれない。


 それくらい頭がぼんやりとしていたボクがやっとまともな意識を取り戻してみると、天井が高い建物にいるんだと知った。体はふかふかのダブルベッドに横たわっている。安い宿なんかではないのは確かで、ゆっくり体を起こしてみると寝室とは思えない大きな間取りにきちんと敷かれた絨毯。手が届きそうにないオシャレなカーテンに心地よい花の香り。どうやらここは邸宅並みの大層豪華な家のようだ。


「起きたか、クイーン」


 ゼレスおじさんだってすぐに気づいて横を見る。高い背もたれに柔らかそうなクッションがついたイスに座って、ボクが起きるまで窓縁に置いた赤い花を愛でていたようだった。


「ゼレスおじさん? どうしてここに? それに、ここはどこ?」


「ここは私の家だ。お前が感情に身を任せて辺りを火事にしかける瞬間に偶然立ち会って、とっさにソヌースで優しく眠らせたんだ」


「ボクが火事を起こそうとしてた……」


 まだぼんやりとしていた意識の奥底から、雷が降ったかのようにいきなり鮮明な記憶が蘇る。


「そうだ! ボクはアルヴィアと喧嘩をして、それでつい魔力が出て――」


 そうだそうだった。思えばここにアルヴィアの姿がない。


「まだ彼女のことが許せないか?」


 ふいにボクの中で感情が複雑に入り混じった感じがした。仲間として許してやりたい気持ちと、そうしてはやれないくらい彼女に裏切られて悔しい気持ちだ。結局ボクは、羽毛が温かい布団と自分の小さな手を見つめたまま、何も答えられずにいた。


「……誰かと喧嘩をするのは初めてのようだな」


「……うん。今まであいつのことを信じてたのに、そうしていたのは無駄だったって今日気づかされた」


「心から信頼していたんだな」


「うん……」


 顔を上げられない。冷静になって彼女と最後に交わした口喧嘩を振り返っていると、どうしてあんなことを……と余計に気疲れしてしまって、気持ちが更にどんよりして、また頭が重くなってとループしていく。


「喧嘩の原因が何かは分からないが、千年生きた私からアドバイスするなら、今はお互いがそれぞれの考えをまとめるべきだろう。幸いこの家はこの街の中で一番平和な場所だ。ゆっくり心の整理をつけていくといい」


「いいの? ボクがここにいても?」


「もちろん。普段は自分の正体が怪しまれないために誰かを入れたりはしないのだが、君は私の友人の娘さんだ。丁重にもてなしてあげないと失礼というもの。それに――」


「それに?」


 ボクに対して前かがみになったゼレスおじさん。ダイヤのようなブルーアイで優しく見つめ、得意げに一言、


「同胞が迷惑をかけた分の借りを、まだ返していないからな」


 風情のある演者の決め台詞のようにそう言った。


「ありがとうゼレスおじさん。あまり目立った行動はしないように気を付けるね」


「ああ。そうしてくれるとありがたい」


 よかった。もしもゼレスおじさんが助けてくれなかったら、アルヴィアと別れてしまってどうすればいいか露頭に迷っていただろう。さすが、頼りになる人だ。


「あ、そうだ。ドリンとテレレンはいないの?」


「君と一緒にいる仲間たちは見てないな。街にいるなら後で一緒に探しに行こう」

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