中世日本の軍隊の糧食を考えてみようじゃないか……と大上段に構えてみせるが、実は煎餅(せんべい)の可能性を検討してみるってエッセイ
ついこの間、R18で書いている『九尾の狐の戦国史』シリーズの5作目『河越城奇譚 〜 城はいかにして内から喰われたか』を完結しました。
このシリーズは兵站に関しても手を抜かずに描写したい。それで軍事小説・歴史小説の趣を持たせたい。なおかつエロいファンタジーを書きたい。そんな作者の欲張りで書いてます。
ただ今作は軍勢を動かさずに、主にエロで城を落とすをテーマとしました。ですから、兵糧の計算だの、輸送の算段だのの描写はなかった。衆も集まったとはいえ、妖怪ばかり。兵糧の工夫を入れる余地がありませんでした。
作者にとって、これはフラストレーションが溜まるところです(笑)。今作はエロ比重が高く、R15化もできない。そこで、一本、兵糧をネタに歴史エッセイを書こうかなと思いました。
で、常日頃からいろいろと考えちゃうわけです。特に米の長期保存や軽量に運べる方法をこの時代に進化させられないかと。穏当な手段にせよ、略奪(乱取り)にせよ、現地調達に頼らずに済ますには? えっちらおっちら、米俵や味噌桶を輸送するのは、大変なんですけどね。
古来から炊いたり蒸したりした飯を乾燥させて、備蓄するという発想はある。枯飯【かれいい・かれい】や干し飯【ほしいい・ほしい】と呼ばれ、前者には「餉」、後者には「糒」の漢字が当てられるようになっています。
単純に、炊き過ぎた飯を、天日に干して水分を飛ばして保存する。食べるときには水やお湯につけてふやかして食う。水分を飛ばすことで日持ちするようになるし、軽くなる。兵糧にもうってつけですね。
実際に平安時代からやっていたことで、方法として進化の余地もないまま現代に至り、人工的に乾燥させよう……となったのが、第二次世界大戦終結間際の1944年で、これが戦後にアルファ化米と称せられるようになります。
一方で、正月食を中心に、餅米を蒸して搗いたり、米粉を練って作る「餅」もあり、必ずしも保存食としては意識されないにせよ、自然と乾燥して長持ちする身近な食品ではあったわけです。しかも、餅は搗く・練ることで密度が上がり、小さくても腹持ちし、カロリーも高い。
ただし、餅という食べ方はハレのものとされ、日常食とは捉えられていなかった。餅米を、普通の米と別に育てる手間もあったのでしょうしね。保存食としては、やっぱり干し飯が中心となる。これをもうちょい、何とかできないかを、歴史改変ものの小説としては考えたいw
ここで餅の応用を考えながら、欧米の兵糧の流れを見てみるわけです。
欧米ではパンが麦を原料とする粉物として主食になってます。それを固く焼きしめたもの(2度焼き……ビスキュイ……したもの)が、保存糧食としてビスケットとなり、軍用のレーションとしても重宝される。
欧州軍事史研究の名作『補給戦』を読むと、こんな記述によく当たる。どこそこの街でビスケットを何万枚焼かせて、将兵に携行させたみたいな。焼き菓子じゃないんだ、食料なんだと、若い頃の自分は認識を改めたわけです。
それはクラッカーとも呼ばれるようになり、現代の軍用レーションにも入っています。これらの焼き菓子は、菓子どころか軍事由来の保存食だったんですね。
さて、日本で兵站上のダウンサイジング方向のイノベーションを起こすとしたらどんなことを考えればいいでしょう。
日本でそれに匹敵できそうなものは? 日本で米を原料にビスケット的にしたものがないか?
あるんです。舞台となっている武蔵国に、ブランドとして育つネタがあるじゃないですか。
草加煎餅ですよ(笑)
煎餅の起源と歴史
https://www.soukaya.net/user_data/history.php
草加が街道の宿になったのは、江戸時代に日光街道の確立以後。東照宮に詣でる人に向けて、名物となったわけです。元々、武蔵国の中でも米どころ。米の加工食料が名物となっておかしくない。そういう下地はあったわけですね。
ただし、草加に近いことは日本中でやってたんじゃなかろうか? 風習として余った飯を、ただ団子にするだけではない。伸ばす。干し飯と同様に、天日干しにする。焼いて食う。「製品化されていない」「ブランド化されていない」だけ……。
煎餅にニアリーなものがそこらじゅうにあったんじゃないか。ずっと以前から「余った米を団子にして、のして、干した保存食」はあった。それを餅同然に焼いて食ってたんじゃないだろうか。それを「煎餅」というブランドとして、日光詣の人々に売り出した。草加宿の人たちの販売戦略の勝利だったんだな、と。
実は、シリーズの第1作に兵糧の支度をしている調理場のシーンがありまして。調理人の会話で、草加にそんなものがあるとは、言わせているんですがw 今後、出てきたとしてもあまりにロングパスの伏線なので、事前にネタばらししておきますw
前述の西洋のビスケットやクラッカーも、ともあれ、長期保存にむいたパンが欲しい。それで生まれてきたんです。ハードタックと呼ばれる堅焼きパン。ビスケットの語源のビスキュイと呼ばれる二度焼きパン。それらを日本流に導入したのがカンパンです。
カンパンは、明治の黎明期の日本陸軍で導入されました。堅焼きパン、二度焼きパンの延長としてレシピが考案された。早くも西南戦争で政府軍の糧食として供されてるんですね。以後、戦中戦後と連綿と受け継がれる。現代の自衛隊のレーションでも採用されているセットがある。そして、軍用どころか、公民問わず、災害食の備蓄として大定番ですよね。
これを煎餅に置き変える時間改変は、無理と思えないんですよ。戦国時代まで遡ればなおさら。
自分は独身時代の経験からもね。買い物に行くのがしんどいくらいの風邪をひいて、お粥以外に米を摂りたいという時です。料理もしたくない。そういう時は、買い置きの餅か、煎餅を食ったもんです。カロリーも確保できますし、水分補給しながらなら食べやすい。
だから、作り方一つ、保存の仕方一つで、十分に災害食にできるし、その前段階で、軍用レーションにできそうだと思えるんですよね。
軽量化という観点でも兵站上のメリットは大きい。
兵站というと実際にはかなり広い範囲の言葉です。軍の後方活動……補給、補充、資材、施設、衛生、交通管理などの総称です。
とは言え、かなりの部分を補給が占めるのは、しょうがないところ。他の要素も、かなり補給に引っ張られますよね。例えば、交通管理。現代の補給品の輸送は鉄道や車両を用います。特にトラックの車列の調達と運行はえらい手間です。民間だって大工場のサプライチェーン構築は大変で、軍隊の場合は前線が動きますからねす。
加工し、水分を飛ばすことで、飯粒よりカロリーの密度を高められる。しかも、軽い。
昔だと人力か駄馬など使役動物が牽引する荷車での輸送になります。圧倒的に輸送量が足りません。軍隊に随伴させれば管理は用意ですが、急速な機動に着いていくのが大変です。
おっつけ輸送部隊の移動は遅れる。補給が届かなくなれば、食糧の現地調達を行う羽目になります。平和的・経済的に片付けばラッキーだけど、大概は略奪になってしまいます。
軽いなら、それだけ輸送の負担は減ります。兵に携行させる時にも負担にならない。苦役を課すだけでは、人はまともに働かなくなります。
一応は荷駄隊をつけようとしているのなら、そこは為政者としての良識でもあります。武士は土地の経営者です。巡り巡って略奪した土地を治めることになるかもしれない。最初から敵意を含んだ土地を治めるってしんど過ぎます。だから、偉い武士は為政者・経営者として略奪の防止に腐心する。軍勢の食糧の確保を一生懸命に考えるんです。
一生懸命考えたら、欧州では技術の進歩をもたらすことだってあった。瓶詰や缶詰は、そうして生まれ、現代に続く保存食の基本技術になっています。食中毒菌やカビがはびこらないよう食品に熱処理を施す。そこで食品から空気を遮断できれば、相当の期間、食糧を腐敗や黴の繁茂から守ることができる。
ふっくらのパンでさえ、今は缶詰があって、災害備蓄に入っていたりする。普通に災害現場で人を救う技術になっている。軍事で生まれた技術であっても、人助けに役立つもんなんですね。