過ぎ去った時間 1
熱く焼けた網の上で肉が躍る。野菜などどうでもいい、もっと肉を、そう思いながら焼けた肉を箸でつまむ日向の横で、同じように生焼け具合の肉を皿に移しているのは彼方だ。木戸真宙懇親会と銘打ったこの焼肉パーティは何故か晴人のおごりとなっていた。駅前にある小さな焼き肉屋は見た目はボロいものの、味は40年前から変わらぬ地元に愛された店であった。肉の質も良く、タレの味も良い。
「いやぁ、しかし、真宙ちゃん、可愛いからモテるでしょ?」
にこにこした顔をした彼方はまだ赤みの残る肉を頬張りながらそう話しかけた。日向と雨に挟まれてさらにご満悦な彼方をいつも通り冷めた目で見やる晴人と違い、真宙は可愛らしい笑みを浮かべながら綺麗に焼けたハラミを皿に移しつつそんなことないですよと謙遜してみせた。そう、これはまさに謙遜だ。学校でも1、2を争う美少女だけにモテないわけがない。
「彼氏とかは?」
「いないんですよ、これが」
「好きな人とかは?」
「今は・・・」
「ほうほう」
何気ない会話なのに何故かセクハラっぽく聞こえるのは彼方の性格を知っているからかもしれない。好きな女性であるはずの雨、そして、自身に好意を寄せている日向を横に置いてこういうことが言える神経がわからなかった。特に雨に対しては過去を知ってもなお変わらぬ好意を示していた矢先の今だけに、人としての常識を疑われる行為でもある。しかし、雨にしてみればこれは好都合だ。自分は晴人に惹かれているかもしれない、そういう想いの中では彼方の独りよがりな好意は煩わしいものでしかないからだ。
「先輩、真宙ちゃんに聞きすぎ」
「え?だって気にならない?こんな可愛い子があの木戸の妹なんだぜ?」
「べっつにぃ」
そっけなく返しながら通りかかった店員に追加の肉を注文する。自分の好意にはまったく気づかない鈍感なくせに、そういう苛立ちが募っている。
「じゃぁさ、好みの男性は?」
「好み、か・・・」
「付き合う条件、みたいな」
もう彼方のことは無視して淡々と食事を進める3人。しゃべりの比率が多すぎて箸が止まる彼方をよそに、考えながらも肉を食べる行為は止めない真宙は考えるような仕草をしながらも一定量の肉は皿の上に確保していた。
「私よりも強い人、かな」
にこやかに微笑んでそう告げ、上ロースを口の中に入れてその味を堪能した。
「はいキター!俺、強いよ?あ、知ってるか」
狭いために立ち上がれなかった彼方だが、勢いは感じられた。
「付き合うの?」
雨のその言葉は意味ありげに真宙を見つめていた。だから真宙は小さく微笑むと首を横に振る。しっかりと、はっきりと。
「ないです」
「ないんかーい!」
自虐的にそう突っ込む表情はどこか悲しげに見えた。どうやらそこそこ本気だったようだ。だからこそ日向は幻滅する。なんでこんな軽薄な人間を好きになってしまったのだろうかと。彼方の本質には優しさがあった。自分はそこを好きになったのだ。複雑な家庭環境にある自分を理解し、励まし、そして支えてくれたのはこの彼方なのだから。
「でも自分より強いって、結構ハードル低くない?」
「ですかね」
可愛くそう言う真宙の目が一瞬だけ晴人に注がれる。その意味を考慮しつつレモンサワーを飲む雨はそこにこそ今の晴人のこの状態の根源があると睨んでいた。他人を拒絶しつつも完全にそれを実行できない優しさがある。ストーカーを諭してくれた優しさの根源が。
「継いでる武術、すごいの?」
彼方は日向が網の上に置いて10秒ほどしか経っていない肉をかっさらうとタレもそこそこに口に入れる。その行為に引くに引いた雨と日向を無視し、視線は真宙を捉えて離さない。
「どうでしょうかね」
「お手合わせ願いたいなぁ」
「元空手の世界チャンプとだなんて・・・」
「手加減するし」
「それはなんか違う気がするなぁ」
「そうかなぁ」
困った顔をしている真宙も可愛いと思う彼方が質問責めを続ける中、雨はそっと晴人を見やった。代々受け継いでいるのであれば当然晴人もそれを継いでいるはずだ。興味はつきない。武術にしても、『りい』という名の人のことも、今の晴人のこの現状も。そんな視線を受けても晴人は黙々と肉を食べ、ビールを飲んでいる。一切、目の前に座っている雨とは視線を交わさずに。
「江戸彼方・・・・・ちょっと調子乗りすぎじゃないか?」
突然、低い声で日向がそう発する。そのまま殺気を灯らせた視線を浴びせるが、顔は真っ赤だ。
「あ」
真宙が気づいたことには彼方も気づく。異変を感じた雨がのぞき込むようにして日向を見れば、手にしたジョッキは彼方が注文した柚子酒だった。苛立ちから間違えたのか、それともわざとか、とにかく未成年ながらアルコールを口にした日向の目つきと性格は変貌していた。
「お前、それ俺の・・・・って、そんなに減ってないな」
「うっさい万年発情男が!」
たった一口程度でこの変貌にさすがの晴人も驚いた顔をしていた。今さっき運ばれてきたばかりの柚子酒を一口飲んだだけでこの変わりようは恐怖を感じる。
「だいたい、あんたは雨さんが好きじゃなかったんかい?お?それが今度は真宙ちゃん真宙ちゃんって美人なら誰でもいいわけか?そうかそうか、私は美人じゃないってか?」
そう叫びながら程よく焼けた肉をすべてかっさらうと一気に口にほうりこんでもぐもぐと噛みしめた。口は止まったが刺すような視線は彼方に向いたまま。
「あ、いや、初対面だし、あの木戸の妹さんだぞ?気になるだろ、色々と」
「気にすんな、そこは」
「でも、さ」
「私を気にしろよ、ちょっとは!」
そう叫ぶと彼方の両頬を両手で強烈に挟み込んだ。パチーンという心地いい響きがこだまする。ダブルビンタを喰らった彼方が苦痛に顔をゆがめた時だった。そのまま彼方の唇に自分の唇を押し付ける日向。
「うそ!」
「きゃ!」
雨と真宙の悲鳴に似た声を聞きながら2人のキスを見ている晴人はやれやれとばかりに何もなくなった網に肉を置いていく。固まったままの彼方から離れた日向は極上の笑顔を残し、そのまま壁側にうなだれるように倒れると眠ってしまった。
「すごいものを見てしまった」
「でも・・・・なんか、いいのかな?」
顔を見合わせてそう言い合う雨と真宙をよそに彼方は放心状態だ。
「きっと本人は覚えてない、だろうがな」
静かにそう言う晴人が丁寧に肉を焼いていた。
「お、俺のファーストキスが・・・・奈良橋、だと?」
「なんでこっちがショック受けてるんだか」
呆れた感じの真宙は軽蔑のまなざしを彼方に浴びせ、雨も頷く。こりゃこいつは童貞だなと察した雨がだからこそ自分の過去を知っても受け入れるなんて青臭いことを言ったのだと理解できた。結局、彼方と付き合ってそういう行為に及んだ際、きっと彼方の中で色々なものが交錯するのだろう。その点、晴人はどうなのだろうと顔を向ける。黙々と肉を焼く晴人はその視線を感じながらも目を合わせることはしなかった。
「何故だろう、信じられる」
心の中でそう呟く。他人の過去に興味はないと言った言葉、人それぞれだと言った言葉、全てが信じられる。それは晴人に惹かれているからだろうか。いや、あの言葉がきっかけなのだ、むしろ逆だ。
「焼けた?」
「ああ」
呆けたままの彼方をよそにそう会話をする2人を見つめる真宙は雨ならば晴人の心に晴れをもたらすことができるのでないかという確信を強めていくのだった。
*
結局、眠ったままの日向を背負い、彼方が歩く。その柔らかい感触を背中に受けてドキドキしている自分を出さずに横に並んで歩く晴人をチラチラと見やった。
「ケツ触ってるけど、不可抗力だからな」
「何も言う気はないよ」
そんな会話をする2人を少し離れた位置からついて歩くのは雨と真宙だ。呆けたままだった彼方をよそに焼肉を堪能した2人は前を歩く2人と1人を見つつ、苦笑を漏らしていた。
「あなたより強い人が理想か・・・・どれくらい強いの?」
「私?」
「そう」
雨のその質問にどう返すか迷う。はっきりいってかなり強いのは間違いない。それは技を教えてくれた父親も祖父も、そして叔母もそう言っていたからだ。強すぎる兄を持ったからこそ霞んでいるが、実力としては歴代でも上位に入る部類だと自負している。
「きっと、相手が元空手世界チャンプで、ケガもなく万全でも勝てるレベル、かな」
「それ、本当なんだろうけど、彼をディスりすぎ」
「比較対象にはもってこいですから」
そう言い合い、笑う。
「木戸は、晴人は?かなり強いんでしょ?」
雨は悪態をつく彼方を無視して歩く晴人の背中を見つめている。そこにあるのは愛情か、憧れか、それとも別の感情か。そんなことはどうでもいい真宙はそこは素直に答える。
「強かったですよ。きっと、500年はある歴史の中でも、1番ってぐらいに」
そんなに長い歴史があったのかと感心してしまう。せいぜい3代程度と思っていただけに驚きは隠せなかった。その長い歴史の中で1番だとは想像も出来ない。そもそも強さの度合いが分からないからだ。
「お兄ちゃんに勝てる人なんてこの世に片手で十分な程度かも。そこそこ五分に戦えるのは従妹の紗々音ちゃんか、そのお兄さんの・・・・って、彼はちょっと違うか」
「ささね?」
「従妹で、1つ下の女子高生。彼女は私より強いんですよね。流派の分家ですけど、もう名を継いでるし」
「分家まであるんだ?」
「はい」
「その子なら木戸と五分に、か」
「まぁ、ピンときませんよね」
そう微笑む真宙も強いとは思えない。体つきも女性らしいし、どちらかといえば華奢だ。
「木戸の一族は、祖父の代から国の闇に属する勢力と戦ってきた歴史があります。父もそうですし。紗々音ちゃんのお兄さんもつい最近、そこまで大きいわけじゃないけど、悪と言える存在と戦いました」
「闇?」
「漫画みたいな本当の話・・・だからこそ木戸家は、ってはそこはいいか・・・まぁお兄ちゃんは強かったんですよ、本当に」
「つよ、かった?」
何故過去形なのだろうか。そういえば最初からそういう表現をしていたと思う。今も強いなら強いと言えばいい。なのに過去形にした理由は何か。それこそ、今の晴人の状態に関係するのではないかと思う。そんな雨の心情を理解した真宙は一旦歩みを止めた。だから雨の足も自然と止まる。
「弱くなったんですよ・・・・1年前から」
「1年」
「きっともうお兄ちゃんは戦えない。戦うとか、誰かを守るとかいう理念も失った。だから弱くなった。父もそう言ってました。あー、でも祖父は寝ているだけだよって言ってたなぁ」
「寝てる?」
「内なる獣は寝ている、そういう風に」
「内なる獣・・・・」
「死んだんですよね、きっと、獣は。私にはそうとしか思えない」
そう寂しそうに言い、真宙は歩き出した。だが雨の足は止まったままだ。
「守ってくれたよ」
「え?」
再び歩みを止めた真宙が振り返る。雨はまっすぐな目で真宙を見つめていた。
「私を陰から守ってくれた。ストーカーの恐怖から」
「ストーカー?」
訝しむ真宙の横に並んだ雨は少し悪戯っ子な笑みを浮かべ、それから真宙に提案をする。
「今日、ウチに泊まらない?」
「泊まります」
即座にそう返す真宙、そう返すだろうと睨んで提案した雨がほほ笑みあう。そのまま2人は他愛のない会話をしつつ少し距離が空いてしまった3人に速足で追いすがるのだった。
*
警察はまだその事件の手がかりすら掴めていない。若い女性の皮を剥いで持ち去る、その異常な殺人犯の手がかりを。捜査を担当している監理官は苛立ちを隠せないまま、13人もの女性の被害者写真を見つめつつその共通点を探る。皆若く、綺麗でスタイルがいい。場所もバラバラで女性同士の共通点もない。これ以上の犠牲者を出したくないが犯人は神出鬼没。これだけ防犯カメラが乱立する世の中で目撃情報すらないとはどういうことなのか。
「特安にかっさらわれるのはゴメンだが・・・特殊能力持ちか?」
警察に残る伝説、異能力を持った特殊な犯罪者。50年ほど前はその異能力者を配下に置いた政治家もいた記録が残されている。今では赤ん坊から幼少期にかけて接種するワクチンに遺伝子的変異を抑制する薬品を投与することでその出現を抑え込んでいる。だからそういう能力者は少ない上に、そういう能力で犯罪を犯す者は警察内部の人工的異能力者によって捕縛されているのが実情だ。それが特安という裏の警察機構の仕事である。
「監理官!14人目です!」
電話を受けた刑事の報告に部屋中にざわつきが広がる。すぐに指示を出す監理官は舌打ちをしつつも都心で起こった14件目の犯行に戦慄を覚えるのだった。