入り交じる模様 3
この日、駅で偶然出会ったのは奇跡なのかもしれない。それを運命だと受け取ったのは個人の自由なのだろうが、彼方にしてみればこれは紛れもない運命であると確信していた。車両は違えど改札でばったり出会った雨との遭遇は運命であり、そして奇跡だ。だからにこやかに並んで歩くのだが、雨はというとどこかうんざりした気持ちになっていた。引っ越してきて一ヵ月、彼方は常に自分にアプローチをし、それでいてどこか彼氏気分な雰囲気も出してきている。日向の気持ちもわからず、そういうデリカシーの無さが雨とってより彼方の評価を落としているといえた。逆にいえば、晴人の方がましだと思える。他人とのつながりを拒絶しつつも生来の人の好さなのか、挨拶もほとんどしない、というか無視ばかりの晴人だったが料理のおすそ分けはこまめである。これは彼方と日向に調教された証なのかもしれないが、雨にとって晴人を心から嫌いになれない点でもあった。ようするに都合のいい存在、といったところか。
「あれだね、物騒な事件も多いし、ここは俺が君を守れとの神の啓示だ」
「宗教の勧誘はお断り」
「そんなんじゃないって、これはもうね、運命」
それこそ宗教じみている、そう思う雨がため息をついた時だった。本屋から出てきた日向に目を光らせた。さっきまでの彼方の言葉を借りれば、これは神の助力だろう。
「日向ちゃん!」
笑顔でそう呼びながら手を振る雨に対し、露骨に嫌そうな顔をする彼方に向かってムッとした表情を浮かべた日向は笑顔を雨だけに向ける。
「今帰りですか?」
「うん」
「いやぁ、そこで偶然会ってな・・・まさにこれこそ奇跡!運命!奈良橋もそう思うよな?」
「じゃぁ、私とこうして会ったのも運命であり、奇跡ですか?」
「それは偶然」
「あっそ、もう死ねばいいのに」
にこやかにそう返す日向を羨ましいと思う。過去のトラウマから自分を繕うことしかしない雨にとってこの日向の素直な言葉は自分には出せない言葉だ。愛想笑いをしつつ2人の言い合いを聞き、家路に向かう。
「そういえば、皮剥ぎ事件、こないだは結構近い町で、なんか怖いですね」
「皮持って帰ってどうすんだろうな?」
「コレクション、とか?」
「自己顕示欲、かもね」
ここでそう表現した雨に2人が注目する。女性を殺害し、皮を剥いで持ち去る人間の何が自己顕示欲なのだろうか。この事件は謎が多い。そう、女性を人気にない場所までさらい、皮を剥ぐまでの時間、誰にも目撃をされていないのだ。女性を監視カメラのない場所に誘い込んでの犯行も全て自己顕示欲なのだろうか。だとすれば、犯罪をすること自体に自分の価値を見出しているということなのか。
「自分はこんなことが出来るっていう、表現か、自己満足か」
「おっそろしい話だ」
「先輩は必ず私を守ってください」
「木戸に頼め・・・・俺は雨を守る!」
「どう見たって木戸さん、強くないでしょ?」
「そうかな?」
ここでも雨がそう言葉にする。だけど同意見の彼方にすれば、毎日のランニング、そして時折見せる身のこなしなど、そこそこ武術が使える男だと思っていた。なのに、ほとんど晴人と接点のない雨がそう評価するのはどういうことなのだろう。何か知っているのかもしれない。
「どうしてそう思う?」
珍しく鋭い目をしてみせる彼方に対し、武道家であることを改めて認識した雨だったが、晴人の評価に対しては勘みたいなものでしかなかった。それに以前、偶然居合わせた幼馴染との会話も覚えている。
「勘、だけどね・・・・なんかこう、彼は隠している」
「うーん・・・隠しているっていうか、何も見せてないっていうか・・・料理が上手で釣りが好き、ぐらいかなぁ」
「今度、聞き出してやる」
「人には、言いたくないことの1つや2つはあるものよ?」
「俺はないけどな」
「単純でいいですね」
「それ、馬鹿にしてるだろ?」
「あれ?そういうのには鋭いんだ」
「まぁなぁ!」
「自慢げにしている時点で真正の馬鹿ですね」
「なぁにぃ!」
ここでいつもの痴話喧嘩だ。雨にしてみれば仲も良く、お互いをよく知っているのだから付き合えばいいのにと思う。日向の気持ちに気づいてあげればいいだけなのに、そう思うが、実際はなかなか上手くいかないのだろう。恋愛なんて、そんなものだ。そうこうしているとアパートに到着する。1階の日向が2人に挨拶をして部屋に入ると、彼方はここぞとばかりに雨に寄り添いながら階段をゆっくりめに上がっていった。そこで不意に雨の足が止まる。そしていつもの、あの気になる駐車場のある路地の壁に顔を向けた。今は視線は感じないものの、やはりどこか不気味だ。
「どうした?」
「ううん」
彼方の言葉にそう返すも、そこでピンときた。晴人はいつもその路地を気にしていた。自分といる時は必ずといっていいほどに。
「何かあるのか?なんでも相談に乗るぞ?彼氏に近い存在なんだ、遠慮はいらない!」
「彼氏、ね」
やや俯き加減でそう呟いた雨の表情は髪が邪魔して彼方からは確認できない。だからよかった。この時の雨は冷たい、生気のない目をしていたからだ。晴人とは違う、人でない目を。
「あなたが私を好いていることはわかってる。でも、きっとあなたは私の全部を受け止めきれない」
「いーや!俺だけが受け止められる!なぜならば!それが運命だからだ!」
自分の部屋の前まで来てそう高らかに宣言する彼方に対し、雨の中で何かが壊れる音がした。偽善、傲慢、勝手、そんな言葉が頭の中をぐるぐると回り続ける。そうか、自分も晴人のように他人を拒絶すればいいんだ。彼のように誰彼構わず徹底的に、ではなく、拒絶したい人に対してのみ、だが。
「私ね、元AV女優なんだ。ほんの1年ほど前までしてた」
にこやかな表情でそう告げる雨に、彼方は表情だけでなく全身を固まらせた。今、何と言ったのか。
「検索するといいよ、氷雨あがる、っていう名前・・・・8本出たからね、全部出てくるかわかんないけど、多分数本は出てくる。大学でちょっと噂になったしね。その時はごまかしたけど、本当だから」
「え、と、冗談・・・?」
「だから本当のことよ・・・言いふらしてもらっても結構」
「い、言わない・・・・けど、マジ?」
「じゃ」
雨は薄い笑みを残して部屋に消えた。残された彼方は茫然としつつ、今の言葉の意味を理解できずに立ち尽くすのみだった。
*
路地からそっと雨の部屋をうかがう人影がある。これはもう1日の日課だ。ここからは全ての道から死角になり、人が来てもすぐに分かるし逃げやすい。路地は複雑で、それにこの暗さだ、慣れていないと普通に歩くだけで難儀する状態だった。だから安心しきっていたし、余裕があった、はずだった。
「ストーカーってのを初めて見たよ」
不意に近くからそう声を掛けられた男は体をびくつかせて素早くそちらを振り仰いだ。逃げることも出来ず。
「毎日毎日、ご苦労なことで」
薄暗さの中でもわかる冷たい目、そして逃がさないといった殺気か鬼気か、そういうものを発している。だからストーカーは動けない。動けば殺される、そんな気に押されて。
「身分を名乗れ」
有無を言わさぬその言い方にごくりと唾を飲むのが精いっぱいだった。だから、晴人はこのストーカーが本物ではないと見抜いた。彼女を監視し、精神的に追い詰めようとか、身体が目的だとか、そういう類のものではないと判断した。
「大方、同じ大学、ってとこか」
「あ、え・・・・・はい」
何故こうも簡単に肯定したのか、それはわからない。ただ1つ言えるのは一歩進んだ晴人からさっきよりも濃い鬼気が浴びせられているからだ。怖い、心底そう思うほどに
「俺が怖いか?」
「あ、え・・・・はい」
「じゃぁ全部話せ」
その目に、鬼気に押され切った男は勘念し、全てを自供した。たまたま目にしたAVに出演してのが同じ大学の雨に似ていたことから始まった。本当かどうかを確かめたいが誰にも言えず、ただ彼女を見つめることしかできなかったという。だが、その後すぐに彼女はここに引っ越ししてきた。幸いというか、自分の家から自転車でわずか15分の場所に。それ以来、ずっと彼女を見つめるのが日課になっていったのだ。真相を知りたいという気持ちよりも先にこうしていることで全部を知った気になっていたのだ。
「変わったやつだ」
「すみませんでした・・・・俺は・・・」
「そのAVに出ていたのがあの女だとして、どうしたい?」
「・・・本当なのかどうかを知りたかっただけで」
「それで彼女をゆすって自分も、そういう魂胆か?」
男はその言葉に視線を外し、ぎゅっと拳を握りしめる。そうだ、そのつもりだった。
「きっと彼女はそういうのには屈しない」
ここで鬼気が消えた。恐る恐る晴人を見れば、雲のかかった黒い空を見上げている。いや、雲に隠されて薄い明るさだけで自己主張している月を、か。
「ああいう女は意外と強い・・・公表されても屈しないタイプだ。そんな女でもお前の視線には怯えていた。だから、ちゃんと彼女に向き合って、そして知りたいことを真正面から言えばいい」
「それが出来ないから・・・・」
「出来ないなら、今ここでお前を叩きのめして警察に通報する」
「そ、そんな!俺は何もしてないのに!」
「ストーカーだよ、あの女からしたら、ただのストーカー」
男は黙るしかなかった。事実なのだから反論も出来ない。
「ちゃんと誤れば彼女も許してくれる、かもしれない。真実を知りたければ彼女に聞け。その勇気がないなら、彼女を見ることすら止めるんだな」
そう言い、晴人は男に背を向けた。無造作に、それこそ、男がナイフを出しても気づかないほどに。
「今度見つけたら、その時は容赦しない」
少しだけ顔を後ろに向けるが、表情は見て取れない。だが、鬼気もなく目線もないのに背中に冷たいものが走る。男は震える足を奮い立たせて走ってその場を逃げ出した。そんな男を見ることも追うこともしなかった晴人は何もなかったように路地から出てアパートへ向かう。何故こんなことをしたのか自分でも理解できずに。雨のことなどどうでもよかったはずなのに。他人とは深く関わらない、あの日にそう決めたのに。
「どうでもいいことなのに、な」
そう呟き、階段を上げれば、ちょうどドアが開いて雨が姿を見せた。偶然だったのはわかるが、雨は渋い顔をし、晴人に表情の変化はない。
「あそこで何してたの?」
どうやら偶然ではなかったらしい。確かに位置的にはここから自分の姿が見えただろう。ストーカーは見えずとも。だからドアを少しだけ開けて様子を伺っていたのだ。
「人の気配を感じたから行ってみた」
「で?」
「逃げられた」
平気で嘘を言うが表情にも態度にも変化がない。だから雨としてもその言葉を信じるしかない。
「ストーカー、私にいるみたい」
「みたいだな」
部屋の鍵を開けながらそう答える晴人はキッと自分を睨む雨に顔を向けた。
「助けは反対の隣に言え」
「無理ね」
「何故?」
こうまで受け答えをする晴人は珍しい。自分でもそう思うが、自然とそうなっているのだから仕方がない。だから晴人は体を雨に向けた。
「私が元AV女優だって、そう言ったから」
「だからもう無理って?」
「そうなるでしょうね?」
「・・・・それはどうだか」
無表情のまま晴人はドアノブに手をかけた。
「あんたも、私を汚い女だと思ってるでしょうに」
「興味ないね」
「嘘!」
「人それぞれだろ?それを言うなら、俺も人を2人殺してる」
「え?」
「あんたはその過去を受け入れている。そういうことをした自分を受け入れているんだろ?俺も同じだ、そういう自分を受け入れている・・・・受け入れられないのは・・・・・彼女を・・・・」
そこでハッとした表情を見せた。それは雨が見る初めての晴人の表情の変化だった。だから雨の中で何かが小さく動くような気配を感じる。
「人の過去に興味ないよ。皆、いろんな過去を持ってる。いちいちそれをどうこう思うわけがない。世の中、人ってのはそんなもんだ」
そう言い、晴人は部屋に消えた。立ち尽くす雨はぎゅっと拳を握る。自分のその過去を知ってそんなことを言った人は多い。自分は気にしないだの、詮索しないだの。だが、そういう人間にとって雨のことを検索し、作品を見ているものだ。人なんて信用はおけないのだから。なのにどうしてだろう、晴人の言葉は何故か信じられた。そんな過去に興味もなければ詮索する気もない、その言葉と態度は本物だと思えた。
「人って、他人の過去に興味を持つもんだよ」
そう小さくつぶやき、雨もまた部屋に戻った。
「受け入れたんじゃない・・・消せないから、そうするしかないだけ」
ドアにもたれかかって力なくそう呟く雨に呼応してか、ぽつぽつと振り出した雨の音を聞きながら頬に一筋の涙が零れ落ちる。それは消せない過去を嘆く涙か、自分の過去を否定せずにそのまま受け取った晴人への気持ちか、今の雨にはわからない涙だった。